窓の外ではもくもくと沸き上がった入道雲が青空の中を大きく占めている。景色は夏≠全力でアピールしているというにも関わらず、教室にエアコンは設置されていない。暑いとだべりながらも食欲は依然として有り余っている成長期の強みを生かし、わたしは仲良しグループとお菓子パーティ略して菓子パを開催していた。

「みんなテストどうだったー?」
「全然できなかった〜」
「えーほんとー?」

 毎日地味に予習と復習を重ね塾もそれなりに真面目に通っていたわたしは期末テストに結構手ごたえを感じているのだが『できた』と豪語するのは周りからの反感を買いそうで言えずかといって『できなかった』と嘘を吐くのも抵抗を覚えへらへら笑ってやり過ごしていると、

「うまそー、一口ちょーだい」

 久々に学校に来た佐野君が現れた。

 シーーーン、と水を打ったようにわたし達は静まり返った。さっきまであれだけキャッキャッしてたのに…。菜摘ちゃんなんとかしてよという視線を全員から感じ、「どうぞ…」と佐野君に恭しくポッキーの箱を向ける。

「ありがとー。うっまー」

 佐野君は上機嫌に笑いながら「いつも悪ぃな」と大して罪悪感を覚えていない様子で謝る。「はぁ、まぁ、お気になさらず…」と要領の得ない返事を返し佐野君が去るのを待つ。佐野君はいつもお菓子をわたしからもらうだけもらうと、ふらっと立ち退くのだ。

 だけど、今回はかってが違った。

「たまにはオレもなんか驕る。川原購買行こーぜ」
「………はい?」
 
 佐野君はわたしを半ば無理矢理立たせてずるずると連れていく。クラスの皆はぽかんと口を開けながらわたしを見ていた。わたしは多分、みんな以上に口を開けているだろう。

 佐野君今日、機嫌良すぎやしないか。





「ああああ、ありがとう………」
「どいたまー」

 佐野君とわたしは渡り廊下でジュースを飲んでいた。佐野君に奢られてしまった………。両手が震えてうまくジュースが持てない。恐れおののいているわたしを他所に、佐野君は手すり部分に腕を乗っけて青空を眺めながら「あちぃー」とダルそうにつぶやく。口元が微かに上がっている。やっぱり、どこか嬉しそうだ。

「何かいいこと…あったりした?」

 恐る恐る佐野君に問いかけると佐野君は「わかる?」と悪戯っぽく笑いかけてきた。

「すげー面白い奴に会ったんだ。タケミっちって言うんだけど、知ってる?」
「う、うーん…知らないなぁ…」
「だよなー。アイツ溝中だし」

 知ってる訳なくないか? とツッコミを入れたいところだけど心の中で押し止める。タケミッチ。そう言えば友達のことはケンチンと呼んでいた。佐野君は気に入った人にはあだ名を付けるタイプなのだろう。

「弱ェのに、自分より強ェ奴に立ち向かっていくんだ。………すっげぇ、懐かしい」

 興奮気味の口調が和らいで優しいものに変わる。佐野君に視線を遣ると、佐野君は、空を見つめていた。

 さみしくて、せつなげで、やさしい表情。無敵と呼ばれている男子なのに、何故だろう。ガラス細工のような繊細さを感じた。

 誰の事を想ってるの?

 ふとそんな疑問が降りてきて口から零れ落ちそうになる。我に返って、慌てて押し止めた。

 佐野君のパーソナリティに踏み込むような質問だ。ただのクラスメイト≠ェ入っていい領域ではない。

「エマにタケミっちの事言い過ぎて聞き飽きた! ってキレられたからさー。まだ喋り足りねえのに。川原がいてくれて助かった〜」
「あ、はぁ…うん…」

 もし、東京なんたら会のメンバーが同じ学校にいたら、わたしに話しかけずにその人に話しかけたんだろうな。

 東京なんたら会のメンバーがわたしの通う中学に転校してくることはなさそうだから予想でしかない。けど、絶対そうだろう。

 たまたま同じクラスの、時々お菓子をくれる良い奴≠ナ、当たり障りのない話をするにはうってつけのお手軽な存在。

 佐野君にとってわたしは他のクラスメイトよりは少しだけ距離が近いけど友達と呼ぶほど親密ではない、そんな存在なのだろう。

 いつもごはんをあげていた猫が他の人にはもっと懐いているを目撃してしまったような寂しさが胸によぎると、自然と視線が足元に行き着いた。

「川原、これ、捨てといて」
「え」

 空になった紙パックを押し付けられて目を白黒させていると、佐野君は「今からタケミっちと遊んでくる!」と身を翻し、走っていく。廊下を走ってはいけませんの張り紙は彼の目に入っていないようだ。

 なんだか、わたしみたいだな。

 置き去りにされたわたしは、風に吹かれてさみしく靡いている張り紙をなんとなしに眺める。何とも言えない虚無感が胸の中に漂っていた。

 佐野君のような人間と関わるのは中学が最後だろう。

 喧嘩ばかりな人間と接する機会は色んな人種が入り乱れる公立の中学で最後だ。高校以降はわたしと似たタイプの人間が集まる場所を、わたしは選択していく。

 それがいい。それが正解だ。

 わたしは普通の人たちに囲まれて、普通に生きてきたいのだから。

 ………“普通”って、なんだろう。

「川原〜!」

 佐野君の声が聞こえて振り向くと、佐野君が廊下の端でひらひらと手を振っていた。わたしが佐野君に気づいたことを確認すると、にっと口角をあげて笑う。

「またな〜〜」

 言うが否や、踵を返して去っていく。学校の中に入った佐野君の姿はもう見えなかった。

 佐野君は怖い。喧嘩ばかりで東京なんたら会の総長。関わらない方が身のため世のため周りのため。

 だけどわたしが実際に接してきた佐野君は、

 わたしが知っている佐野君は、

「……またね」

 ありがとうとごめんねを言える、甘いものが大好きな、同い年の男の子。

 ぽつりと呟いた再会を願う言葉は、風の中に紛れ込んだ。




Seeing is believing.



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