チカチカ、チカチカ。眩く瞬き続けるその光を、わたしは永遠に追い続ける。


 




「ブラバンかっこよかったねー!」
「そうだねぇ。わたしあの金ぴかの楽器やりたいなぁ」

 部活紹介後、わたしは作りたての友達と吹奏楽部の話題で盛り上がっていた。彼女の名前はリカちゃん。出会った瞬間に、気が合うと確信した。案の定気が合い、部活紹介でいちばん心に残った部活はわたしと同じく吹奏楽部との事。先輩達が楽器を操り華麗な旋律を奏でている様は単純に格好よく、わたしとリカちゃんの心を揺り動かした。特にサックスという楽器が格好よかった。メロディ吹いてたし、音渋いし、金ぴかだし。

「今から音楽室、」

 わたし以上に興奮し饒舌に喋っていたリカちゃんが何故か急に口をつぐんだ。ん? と眉を寄せてリカちゃんを見る。リカちゃんの顔は緊張で強張り、必要以上に体を縮こまらせていた。どうしたの、と問いかけようとした時だった。

 視界の前方で金色がちかちかと点滅している。リカちゃんから視線を外し前を見据えると、小柄だけど強い存在感を放っている男子が眠そうに歩いていた。窓から差し込む陽光を受けた髪の毛は淡く透け、一番星のようにかすかに輝いている。

 金髪だ。

 彼が一歩一歩こちらに向かう度に圧迫感が差し迫り、思わず唾を飲み込む。金髪だからという訳ではない。彼から醸し出される雰囲気は“一般”の生徒のものではなかった。

 顔を俯け縮こまるわたしの隣を、小柄な男子はすっと通り抜ける。彼がいなくなると張り積めていた空気が弛緩し、安心感が胸の中になだれこんできた。リカちゃんと同時に息を吐き、顔を見合わせる。

「こ、怖かったね…!」
「う、うん。今の男子って多分、あれだよね、やばめな男子だよね」
「やばいってもんじゃないよ! マジモンの不良なんだから! 無敵のマイキーって言われてるもん!」
「マジモンの不良……」

 わたしの通っていた小学校は皆絵に書いたような“小学生”で殴り合いのケンカは小学生の範疇を出るようなものではなく、悪行と言えばせいぜい答えを見ながら宿題する程度のものだった。生まれてはじめて見た“マジモンの不良”に恐怖心を抱きながらも妙な感動も覚える。

「どんな顔してたっけ。もう一回見てみたいなぁ」

 好奇心に駆られ彼のいなくなった廊下を振り向きながら呟くと、リカちゃんはわたしの発言に目を見開き「バカ!」と怒鳴った。

「そんな呑気なこと言っちゃダメ! 佐野君に目をつけられたらどうすんの!? 死ぬよ!!!」

 わたし達は事あるごとに死ぬと言う。嬉しすぎて死ぬ。悲しすぎて死ぬ。死ぬ、死ぬ、死ぬ。そう軽はずみに物騒な表現を口にできるのは実際自分は死から遠い安全地帯に生息しているから故の傲慢さだ。自分はそんな簡単に死なないとたかをくくっている。

 だけどこの時のリカちゃんの必死な形相から放たれた“死ぬ”は凄みがあった。彼に、佐野君に近づいたら死ぬ。心の底から確信していたのだろう。うん、あの時のリカちゃんの顔はすごかった。

 だから、二年経った今も覚えている。

 そして今、わたしは本当に死ぬと思っている。

「っるせえ………」

 ボサボサ頭の佐野君がゆっくりと身を起こしたあと、怠そうにつぶやく。わたしはクラリネットを持ちながら、呆然と見下ろしていた。吹奏楽部には入ったがサックスは希望者が多すぎて無理だった。なんかクラリネットっぽいわという顧問の主観によりクラリネットをあてられた。最初は不服に思っていたけど吹き続けるうちに好きになり今ではクラリネットでよかったと思っている…とかそんなことを思ってる場合ではない。

 わたしはもうすぐ部活を引退する。最後のコンクールではソロを任された。のんべんだらりと生きているわたしにも熱が入り部活後も川原で練習しようとやってきたものの、なかなかうまくいかない。気分転換にちょっと激しめの曲をおもしろおかしく吹いている時だった。
 視界の端で、金色の何かがチカチカと点滅している。既視感を覚えた。なんだろう、と観察しているうちにそれは身を起こす。人の形をしていた。見覚えのあるシルエットだった。

「っるせぇ………」

 眠そうに、怠そうに、不機嫌そうに。 
 無敵のマイキー、佐野万次郎くんは呟いた。

 佐野君がわたしの前方で、斜面を下ったところでお眠りになられていたことに、夕日に向かって一心不乱に吹いていたわたしは、全く気づかなかった。

 佐野君は頭をガシガシ掻きながら川原の斜面を登り、わたしの横を通りすぎる。彼が姿を消したあと、足から力が抜けたわたしはその場にへたりと座り込んで、思った。

 死んだ。





 佐野君はわたしの隣の席だ。くじ引きで佐野君が隣の席になった時は怖かったけど、彼は一般の生徒に暴力を振るうことはない。また授業は全部寝ている為、わたしと関わることは全くなかった。隣の席に居たらひどく緊張するけどわたしはいつも通り授業を受けさえすれば佐野君と関わることなく平穏無事に過ごすことができた。

 そう、昨日、佐野君の安眠を妨げるようなことをしなければ。

「菜摘ちゃん、大丈夫?」

 自分の席に座りながら戦々恐々としているわたしの顔をリカちゃんは心配そうにのぞき込んできた。どうやらわたしはものすごく憔悴しきった顔をしているらしい。大丈夫かと訊かれたら全く大丈夫じゃない。五体満足でいられるのは今日が最後かもしれない。ひきつった唇の端から「ハハハ…」と乾いた笑いを漏らした。

「リカちゃん、わたし、死ぬかもなんだ」
「え」
 
 どういうこと? と言いたげに首を傾げたリカちゃんにわたしは笑いながら言った。軽く言ったら、軽い問題にすり替えられるような気がして。

「わたし、佐野君に『っるっせぇ』って言われちゃったんだよ」

 リカちゃんの顔色が一拍間を空いてから青ざめていく。あ、やっぱ、軽くないんだ。生死にかかわる問題なんだ、これ。第三者に改めて自分のやらかした事が死に繋がる出来事だという事を突き付けられ、更に恐怖心が募っていった。太ももに視線を落とし、ぎゅうっと拳を握りしめる。どこかの暴走族頼みます、佐野君と今から喧嘩してください。来年まで喧嘩してください。できることなら彼を病院に送り込んでください。もう二度と彼が学校に来ないように、

 延々と手前勝手なお願いを架空の暴走族に捧げていた時だった。視界の隅っこで、金色が点滅を始める。

 教室の空気がしいんと奇妙に静まり、皆の視線が彼に集まっていく。気付かれないようにゆっくりと、視界の端で彼を捉える。

 佐野君は無表情のまま、悠々とした足取りで自分の席へ向かっていた。

「…さ、佐野君、女子は殴んないって言うし、大丈夫だよ………多分」

 リカちゃんはわたしの耳元で蚊の鳴くような小声で早口気味に囁くと、そそくさとわたしから離れていった。言葉には出してないがリカちゃんは全身全霊で巻き込まれたくないと叫んでいる。そりゃあそうだ。佐野君に目をつけられた人間の傍にいたらどんなとばっちりを食らうかわかったもんじゃない。だから薄情者と思うのは筋違いだ。そもそもわたしが蒔いた種なのだから、わたしがなんとかしないといけない。

 一縷の望みに縋るように、わたしはカバンの中に手を突っ込んでそれ≠掴み、膝の上に置いた。

 佐野君と目を合わせないように、またしても目玉だけ動かして佐野君を観察する。佐野君はふわあ〜と小さな唇を最大限まで広げて欠伸をしていた。普通の男子よりも少し小柄だけど、彼の蹴りは普通の男子の五十倍の威力はあるらしく、東京なんたら会とやらの総長としてあがめられているのだとか。東京なんたら会のメンバーはもちろん全員不良で、ちゃんと挨拶しなかったら副総長のキックが飛んでくるのだとか。つまり、ちゃんと挨拶したらキックは飛んでこないという訳で。

 ちゃんと謝ったら、許してくれるのではないだろうか。

「さっ、佐野君」

 佐野君の事を佐野君と呼んでいいんだろうか。佐野様の方がいいんだろうか。色んな事を考えながら佐野君を呼ぶと、声がとんでもなく裏返った。

 クラス中の視線がわたしに突き刺さっているのを感じる。だけどそんなのどうでもよかった。佐野君の視線がわたしを捉えた事の方が遥かに重大で、恐ろしかった。

「なに」

 小柄な体に似つかわしい高めの声がわたしに向けられる。夜の海のように真っ黒な瞳に、わたしが映っている。今すぐ逃げ出したい気持ちを抑えながら、わたしは喉奥から必死の思いで声を振り絞り勢いよく頭を下げて、両手を前にしてそれ≠突き出した。

「昨日は申し訳ございませんでした!! これはお詫びの品です!!!!」

 わたしはどら焼きが二十個入った袋を、佐野君に差し出した。

 教室全体がしいんと静まり返る。少し間が空いてから、不思議そうな声がぽつんと落ちた。

「昨日? なんかあったっけ?」

 …………………はい?

 頭を上げ、ぽかんと口を開けながら佐野君を見る。佐野君はまじまじとわたしを見ながら「ていうかオマエ誰?」と心底不思議そうに言った。

「わ、わたしは、えっと…同じクラスのものです……」
「名前は?」
「川原菜摘と申します………」
「ふーん」

 佐野君はふんふん頷きながら、わたしからどら焼きが入った袋を受け取った。袋を覗き込み「すっげー! どら焼きだらけじゃん!」と目を輝かせる。

「オマエいい奴だなぁ。ありがと、川原」
「え、あ、はぁ」

 佐野君はにこにこ笑いながらわたしにお礼を言ったあと、嬉しそうにどら焼きを頬張る。いつものどこか冷たい雰囲気は消え失せ、ひだまりでくつろいでいる猫のような穏やかな雰囲気を纏っていた。

 佐野君は昨日の事を全く覚えていなかったらしい。
 というかわたしの存在も今初めて認識したらしい。
 つまりつまりつまり、すべて、わたしの取り越し苦労だったらしい。

 体から力が抜ける。先ほどまでの恐怖感はなくなったが、代わりにものすごい疲労感と脱力感に包み込まれた。椅子に背を預け天井を仰いでいると佐野君が「川原」と声を上げた。川原さん呼ばれてますよ、って川原はわたしだ。がばっと身を起こし、きちんと背筋を伸ばして佐野君と向き合う。

「は、は、はいぃ」
「手、出して」

 水を掬うような形にして慌てて手を差し出すと、佐野君はそこに飴玉を転がした。

「お返し」

 語尾にハートマークでもついてそうな調子で、茶目っ気たっぷりに言う。な、なんなんだ。わたしは今佐野君と何をしているんだ。予想外の出来事の連発を受け思考回路はうまく回らず、ブスブスと煙を立てている。その中でも必死に動いてくれた。ぜえぜえ喘ぎながら、必死に指令を出す。物をもらったのなら言う事があるだろう、菜摘。

「あ、ありがとう、ございます」
「どいたまー」

 

Whatever will be will be.



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