受験まで一か月を切った。
 遊んでいる場合じゃない。わかっている。理性は『勉強しろ』と叱咤している。
 だけどわたしは今やどうしようもない馬鹿女にすっかり成り下がっていた。

『オレとデートしよ、菜摘』

 そう言われた時、驚きと戸惑いと溢れんばかりの喜びが胸に宿り、気付いたら、二つ返事で頷いていた。






 超絶眠い。
 
 待ち合わせ場所で、わたしは眠気と戦っていた。
 三時間しか睡眠を取ってない体に朝日はまぶしく、目がチカチカと眩んだ。明日マイキー君とデートだと思うと緊張で寝付けなかった。リカちゃんに知られたら『もー何やってんの!』とぷりぷり怒る事だろう。

『なんかその、付き合う事になって、日曜、どっか行く事になったんだけど……』

 マイキー君にデートに誘われた後、わたしは約束を守り、リカちゃんに事の経緯をぼそぼそと呟くように伝えた。リカちゃんはポカンと呆けていたが事の次第を少しずつ理解し終えると、『きゃー!』とはしゃいだ。ただでさえ恥ずかしいのにはしゃがれると更に恥ずかしくなり『きゃーとか言わないで』と憮然として返したのだった。

『デートするなオシャレしなきゃね! こういうの着なよー!』

 とリカちゃんは目を輝かせて二コラやらセブンティーンをたくさん見せてくれたが、これはガッキーや北川景子ちゃんのような八頭身美少女が着ているから可愛いのであってわたしには全く似合わないのは着る前からわかったので却下した。

『えー! じゃあいつもと同じ!? 塾じゃないんだよ!?』
『急にオシャレするのなんか変だし恥ずいしやだよ』
『じゃあじゃあ! 髪! 髪型いつもと変えようよ! 髪下ろすとかさ!』
『……髪……』

 わたしはいつも、耳の下で髪の毛を二つに結っている。右耳の下に纏めている髪に手を這わせながら、なるほど…と頷く。服ほど派手な変化じゃないし、それなら……まあ、あり、かも。

 リカちゃんの提案を受け入れたわたしは、今日、久しぶりに髪の毛を下ろしている。耳の周りがいつもよりも暖かった。
 
 毛先を指に巻き付けながら、マイキー君を待つ。ていうか、マイキー君って時間通り来るのかな。30分くらい遅刻とか普通にありそう。時間を確認するためにケータイを開いて待ち合わせまであと5分かと確認する。ついでにカメラも起動して、内カメで自分の顔も確認する。ケータイを覗き込みながら前髪を整えていると、不意にマイキー君が映り込んだ。

 一瞬にして、眠気が吹っ飛んだ。

「いえーい」

 マイキー君はわたしの肩に腕を回しながら、ケータイを持つわたしの手の上に自分の手を重ねた。頬と頬が触れあいかけるほど密接している中、パシャリとシャッター音が鳴り響く。

 ピースしているマイキー君の隣で目を丸くしているわたしがケータイに映し出された。

「菜摘変な顔だなー」

 わたしの肩に腕を回したまま、マイキー君はケータイを覗き込んでほうほうと頷く。わたしは平常心を保つべく、ごくりと唾を呑み込んだ。

「おはよう、マイキー君」
「はよー」

 マイキー君は依然として肩に腕を回したままの状態で、勝手にわたしのケータイを操作していく。アドレス帳から『佐野万次郎』を引っ張り出し、メールを立ち上げてさっきの写メを添付している。

「近い、と、思うんだけど」
「そっかー?」

 マイキー君は送信ボタンを押してから、わたしに目を遣る。するとぱちくりと瞬いてから、にやあっと笑った。

「そーゆーことにしといてやるかぁ」

 わたしの肩から腕を離し、距離を開ける。だけどにやにや笑顔は貼り付いたままだった。超ムカつく。マイキー君の馬鹿、アホ、チビ、チビ、チビ、チビ。心の中で罵倒を浴びせかけながら唇を真一文字に結び、無言で睨みつける。だけどそこら辺の中学生代表女子のようなわたしに赤面で睨まれても、マイキー君は痛くも痒くもない。涼しい顔で受け止められる。

 ああ、大変嘆かわしい事に。わたし、マイキー君の掌の上で、めちゃめちゃ転がされている。

「……どこ行く?」

 恥ずかしいやら悔しいやらでむずむずと震える唇をこじあけて、やりきれない想いを抱えながら問いかける。そんなわたしとは対照的に、マイキー君はいつも通り飄々としていた。後頭部で両手を組ながら、左右に体を揺らしている。

「んー、決めてない。テキトーにあるこ」

 マイキー君はのんべんだらりと答えた後、くるりと踵を返して歩き出した。わたしも慌ててマイキー君に着いて行き、隣に並んでみる。

 前を見て歩いているマイキー君をちらっと盗み見する。マイキー君はクリスマスの時と同じダウンを着ていた。いつもと特別変わった様子は見えない。わたしだって髪の毛を下ろした以外の変化は何もない。
 今までと同じはずなのに、何故か妙に居心地が悪い。足元がふわふわとする。マイキー君とわたしの間に流れている空間が、なんか、むずむずする。

 いつも、何話してたっけ。なにか話題を提供しようと思い思考回路をぐるぐる回らせてから、わたしは言った。

「い、いい天気だね」
「んー」

 どうでもよさそうに返された。




 マイキー君と喋ったり喋らなかったりしながら歩く。なんだかいつもより会話が弾まない。マイキー君はいつも通りなので原因は、わたしだ。マイキー君って“彼氏”なんだよね、とか、“付き合ってる”と思うと意識してしまい、いつものように会話を繋げることができない。
 ……な、なんか、この状況を打破できるものは…話題を作れそうなものは…と辺りをちらちら見渡すと、本屋の前に差し掛かっていた。あ、と思い出す。ちょうどいい、用事ができた。立ち止まってマイキー君を呼び止める。

「マイキー君、わたし、本屋に行きたいんだけどいい?」
「いいけど。何買うの?」
「英語の参考書」
「おえー」

 マイキー君はべえっと舌を出した。何もそこまで拒否反応出さなくても…。「外で待っとく?」と聞いたら首を振られた。「菜摘ベンキョー好きだよなー」とぼやきながら、わたしの後ろを着いてくる。 

「好きじゃないよ。義務だからやってるだけ」
「別に義務じゃねーじゃん」
「いやわたし受験生だからね?」

 そう言いながら、マイキー君って高校行かないのかなと前から不思議に思っていた事をぼんやり考える。全然勉強してないけど、名前さえ書けば入れる高校は山ほどある。だけどマイキー君はそういう学校にも行く気がないようだった。

 マイキー君、頭いいのになぁ。参考書を見比べながら、一度、マイキー君に勉強を軽く教えた日の事を思い浮かべて少し勿体なく思う。確かに数学の公式や英単語などの知識は乏しかったけど、地頭が良い事は呑み込みの速さからわかった。ちゃんと勉強したら同じ高校に――って、わたしの行きたいトコ女子高だった。

 ていうか、いかんいかん。今は参考書を買わないと。キリッと顔を引き締めて参考書コーナーを見上げる。『丸わかり中学英語』を見つけるべく目を皿にして本棚を見渡す。

 あった、けども。

 『丸わかり中学英語』は少し高いところにあった。足をつま先立ちにして、手を伸ばしてみる。やっぱり、届かない。店員さんを呼ぼうと思い踵を返すと、マイキー君の声が背中に届いた。

「どれ?」

 振り返ると、マイキー君がわたしを見ていた。

「丸わかり中学英語だけど……」

 マイキー君が取ろうとしてくれていることに気づき、参考書のタイトルを答える。だけどマイキー君の身長じゃあそこまで届かないんじゃ……という懸念が顔に出ていたようだ。マイキー君はむっとしたように眉を寄せ「舐めんじゃねーよ」と呟くと、床を、蹴った。

 マイキー君は高くジャンプする。見た事のない跳躍力で、目を奪われた。

 遠い空に向かって飛び立つ、鳥のようだった。

「ん」

 マイキー君は得意げな様子でわたしに『丸わかり中学英語』を差し出す。す、すごい。気圧されながら「ありがと…」と受け取った時だった。
 本棚から参考書が落ち、マイキー君の頭に直撃した。

「〜〜〜ってえ〜〜〜!」

 マイキー君は頭を抑えながらしゃがみ込んだ。い、い、いったそ……。「だ、大丈夫?」とわたしもつられてしゃがみ込む。薄めの参考書だったけど、痛いものは痛いだろう。可哀想にと同情心が沸きながらも。

「……ぶっ」

 正直、ダサい。
 思わず噴き出してしまった。慌てて口を抑えたけど、もう遅い。マイキー君はしっかり聞いていたようで、涙目でぎろっとわたしを睨みつけている。

「オマエ、今笑ったよな」
「う、ううん、笑って……ぶふっ」
「笑ってんじゃん!」
「いや、これは……ふっ、はは、あははははは!」
「あーーー! ほら! 笑ってる!」
「だ、だぁってぇ、結構かっこつけてたのに、最後……! はは、あははははは!」

 笑っちゃだめだ。周りの人達の迷惑そうな視線を感じるし、何より、相手は東京卍會の総長佐野万次郎君だ。笑うなと怒っているのに笑うなんて、自殺行為そのもの。

 だけどかっこつけた後に参考書が直撃した後のマイキー君がすごく間抜けで、ダサくて、可愛くて。恐怖≠ネんて感じる暇もない。

「はは、あははは、あはははは!」

 お腹を抱えながらひいひい笑い転げるわたしの視界が涙でぼやける。涙の浮かんだまなじりを拭うと、唇を尖らせて拗ねているマイキー君が見えた。

「取ってやんなきゃよかった」
「くっ、ご、ごめ、はは、あはは……!」

 憮然として答えるマイキー君に笑いながら謝ると、ぎらっと睨み付けられた。
 だけど何故かやっぱり、ぜんぜん怖くなかった。




 マイキー君はしばらくふて腐れていたけど歩いているうちに時間の流れともにだんだんどうでもよくなったらしい、けろっとした顔で「腹減ったー」とお腹をさすりながら空腹を訴え始めたので、わたし達はファミレスに入ることにした。

 店員さんに案内され、席に着く。メニューを開いて「何にしよっかなぁ」と吟味するわたしの前で、マイキー君はメニューを開いていなかった。

「マイキー君、メニュー見ないの?」
「オレもう決めてる」
「え、そうなんだ。何にすんの?」
「お子様ランチ」

 …………ん?

「お子様…ランチ……?」
「うん」

 すまし顔でしれっと答えるマイキー君をわたしはぽかんと見つめてから、なるほど、と頷いた。まあ、中三だし。子どもだし。小さな子じゃないと食べちゃいけないって法律はないし、うん、全然いいでしょ。「そっか」と頷いてから、わたしはメニューに再び向き合った。
 一応デート、だし。食べ方が汚くなりそうなものは避けたい。スプーンだけで完結できるような……。メニューにあちこちに視線を彷徨わせていると、不意に、マイキー君が「あ!」と嬉しそうに歓声をあげた。

「ケンチーン! 三ツ谷ー!」

 マイキー君が手を振る先に、わたしも顔を向ける。ぎょっと顔が強張るのを感じた。マイキー君の友達の龍宮寺くんと、短髪を銀色に染め、眉山をそり落とした男子が目を丸くしてわたし達を――というかわたしを、見ていた。
 驚いている二人を他所に、マイキー君はにこにこ笑いながら手招きし、わたしは更にぎょっとする。え、よ、呼ぶの。わたし龍宮寺君と喋った事ほとんどないし、銀髪の男子に至っては初対面なんだけど……! 
 龍宮寺君と銀髪の男子は大量のクエスチョンマークを頭に浮かばせながら顔を見合わせ、わたし達のテーブルの元にやってきた。龍宮寺君はわたしをしげしげと見つめ「川原、サンだよな?」と確かめるように訊いてくる。すると、何故か銀髪の男子は更に目を丸くした。

「え。アンタが噂の」
「う……噂………?」
「あー、いや。別に悪い噂じゃねえよ。マイキーが時々アンタの話してんだよ。コンビニ行った時とか、これ川原の好きなお菓子だーつったり」

 銀髪の男子の話を聞いている内に、胸の中が暖まり、そしてそわそわした。わたしの事、友達に話してるんだ。嬉しいような、恥ずかしいような。けどやっぱ、嬉しい。緩みかける唇をかみしめ、必死に真顔を心がける。
 マイキー君はなかなか座ろうとしない二人に痺れを切らしたようだった。テーブルをバンバン叩きながら「早く座れよー」と唇を尖らせている。

「あ、でもちょっと待って」

 不意に何かに気付いたようだった。マイキー君はそう言うと席を立ち、ぐるりと回ってわたしの隣に腰を下ろした。

「はい、オマエらそっちな」

 にこっと笑って座るように促すマイキー君。龍宮寺君と銀髪の男子は呆気にとられたようにポカンとし、何が何だか……といった様子で座った。

「オマエら何にすんの。オレはお子様ランチ!」
「オマエいつもそれだな……」
「いいだろー。菜摘は? 決めた?」
「オ、オムライスにしようと思ってる……」
「オマエセンスいいじゃん! オレにも一口ちょーだい。オレも一口やるから。てかなんか菜摘ビビってない? あ、そか。ケンチンと三ツ谷ビビられてや〜んの〜!」

 マイキー君は龍宮寺君と銀髪の男子、もとい三ツ谷君を指さしながらけらけらと笑う。龍宮寺君と三ツ谷君は不可解そうに眉を寄せながらわたしを見た。はい、気になるでしょうとも。なんだコイツと思うのも当然でしょうとも。居たたまれない気持ちになりながら視線をあちこちに彷徨わせていると、龍宮寺君が口火を切った。

「マイキー。オマエと川原サン、どうなってんだ」

 ズバッと、矢を射るような一直線さに対しマイキー君は。

「付き合ってるよー」

 平然とした調子であっさりと返した。

 ………と何とも言えない静寂が広がった。龍宮寺君と三ツ谷君が瞳を左右に動かしてわたしとマイキー君を見比べている。ええ、いやもうほんと、吃驚する組み合わせだよね。わたしも未だに信じがたい。というか周りの人達も不良三人と普通の女子中学生代表のようなわたしの組み合わせが物珍しいようで、観察するような視線をあちこちから感じる。

「つかオマエらさっさと決めろって。注文したいんだけど」

 唖然としてる友達の反応よりも自分の空きっ腹具合の方が優先順位が高いらしい。マイキー君は「はやくー」とテーブルをばんばん叩いて急かした。

「マイキー、ちょっと待て。それはちゃんと、合意の上でか?」

 三ツ谷君は額に手を宛がいながら訝しがるように問いかけると、マイキー君はむっと眉間に皺を寄せた。

「たりめーじゃん。菜摘オレの事好きだもん。なー?」

 マイキー君はわたしの顔を覗き込んで、にっこり笑いかけてくる。実際そうなので、わたしは「……まあ」と頷くことしかできなかった。我が意を得たと言わんばかりに「ほら」とマイキー君は誇らしげに頷く。

「オレ、うんこしてくるなー。それまでに決めとけよー」

 マイキー君は上機嫌で席を立ち、トイレへ向かう。三ツ谷君が「だから内容まで言うなって……」と嘆かわし気にぼやいた。多分何回言っても治さないのだろう。………と、いうか。
 マイキー君を除いた今、わたしと目の前の二人を繋げるものはない。金の弁髪と銀の短髪を改めて確認すると、体が硬直していくのを感じた。無言が許されるような気の置けない間柄ではないし、何か話題を提供しないと。
 向こうも同じことを考えていたのだろう。「えっと」と三ツ谷君が躊躇いがちに話し始めた。

「ドラケンはこの子と面識あんだな」
「まあ。二回くらい? しか喋ったことねえけど」
「そっか。川原サン。オレ、三ツ谷。三ツ谷隆。東卍の弐番隊隊長。よろしくな」

 弐番隊の三ツ谷君。何回か、マイキー君の話に出てきたな……。確か、『タケミっちさー、何番隊に入れるか悩んでたんだけど、三ツ谷が一番面倒見いいからとりあえず弐番隊にぶっこんだ。アイツならまあなんとかするだろ。知らねーけど』と言ってたな。うん、思い出した。三ツ谷君全部丸投げされてる……と同情したのを思い出した。

「わたしは、マイキー君と同中同クラの川原菜摘。元吹部で、まあ、特にチームとかは入ってない。よろしく」
「見りゃわかるって」

 三ツ谷君は「ははっ」と笑った。見た目怖いけど中身は案外親しみやすい。面倒見が良い性格が滲んでいる。三ツ谷君と話している内に少し緊張がほぐれた。わたしも「そだね」と釣られて笑う。

「連絡こねーしマイキーからちょくちょく聞くからつるんでんなとは思ってたけど、まさかヨメにするとはな」

 龍宮寺君か感慨深げに紡いだ言葉の内のひとつ、ヨメ≠フ意味がわからず一瞬引っ掛かりを覚えたけどすぐにわかった。話の文脈的にヨメとか彼女のことを指すのだろう。マイキー君まだ15だしというかわたしマイキー君と結婚してないし。

 …………結婚、なあ。

 マイキー君と結婚という単語はものすごくかけ離れていて、ヨメ≠ニいう単語を遣われてもピンと来なかった。多分、マイキーの彼女≠ニかそんな風に形容されていたら、無性に恥ずかしくなっただろう。だけどヨメという結婚を意識させる単語を遣われると、遠い国の出来事を話されているようだった。
 いずれマイキー君も大人になるはずなのに、わたしは大人になったマイキー君が全く想像できなかった。

「連絡って?」

 不思議そうに問いかけた三ツ谷君に龍宮寺君は「あー」とばつが悪そうな顔をして言葉を濁す。昔、わたしがマイキー君に関係を断ち切るかどうか悩んでいた事を口にしていいかと悩んでいるのだろう。確かに、あまり吹聴されたい話ではない。だけど三ツ谷君は、マイキー君が見つけた瞬間に満面の笑みで喜ぶような信頼している友達だ。この人なら知られても構わない。そう判断を下し、わたしは龍宮寺君に言っていい≠ニ目くばせをする。龍宮寺君は小さく頷いてから、話し始めた。

「川原サン、オレとマイキーが喧嘩した直後にマイキーに会っちゃってさ。八つ当たりされたんだよ」
「げ…っ。最悪じゃん」

 三ツ谷君が眉を寄せて口の端を引き攣らせる。龍宮寺君も「だろ?」と深く頷いた。

「川原サン、マイキーにビビっちまってよ。切るか切らねえかで悩んでたから、切りてえならオレに連絡しなってケー番教えた」
「はーーー。アンタ、大変だったな……」
「いや、まあ、……わたしも知ったかしたし……」

 三ツ谷君から同情の眼差しを受ける。けど、わたしもわたしでわかったような口を叩いたので、一から十までマイキー君が悪い訳ではない。一応断りを入れるけど二人は「いやいや」と首を振った。

「一般の女凄む事ねーだろ。マイキーがわりぃよ」
「同感。アイツ、マジでガキ。つか、アンタよくマイキーに惚れたな」

 龍宮寺君が物珍し気にわたしを見つめ、しげしげと呟く。三ツ谷君も「同感」と珍種の動物を見るような視線でわたしを見ていた。マイキー君、きみ、友達にめちゃめちゃ言われてるよ……。今トイレでうんこをしているらしいマイキー君を想いながら、「ハハハ」と乾いた笑い声を上げる。

「……正直言うと、今も、本気で怖い時あるよ。理解できない事がほとんどだし」

 ジュースをストローでかき回しながら、独りごちる。

 いつから好きになったのか。どうして好きになったのか。記憶を探ってもよくわからない。
 何かがきっかけでマイキー君を好きになった訳ではないのだろう。
 会って、喋って、そうして過ごしていく内に、気付いたらわたしはマイキー君の事が好きになっていた。
 心の真ん中で、マイキー君が息づくようになっていた。
 笑った顔も怒った顔も、殺意の滲んだ顔も。全部全部全部、知りたいと願うようになった。

「きっとそばにいても、わたし、マイキー君のことわかんないままだと思う。何か今も、いつの間にか付き合う事なってたし」
「え゛」
「アイツ……何やってんだ………」

 三ツ谷君が顔を引き攣らせ、龍宮寺君が頭を抱えた。わたしは乾いた笑い声を上げる。やっぱりマイキー君って無茶苦茶なんだなと二人の態度から更に強く実感する。

 誰から見ても無茶苦茶で、ワガママで、強引で。本当に、マイキー君って人は。
 
 心の底から嘆かわしく思っているのに、しょうがない人だとマイキー君を思い浮かべると、口許が緩み、胸の奥がほんのりと暖まった。
 突然キスしてきていつのまにか付き合うことになってほぼ強制的にデート。ハチャメチャすぎる行動をなんだかんだ受け入れてしまってる理由はただひとつ。

「でも、いいや。嬉しいし」

 好きだから、という。何ともチープでお花畑な理由だ。
 
「わかんないし、怖い時あるし。だけどやっぱ傍にいたい。わたし、マイキー君の事知りたい。マイキー君の言う通り、わたし、マイキー君の事好きだから」

 龍宮寺君と三ツ谷君がぱちぱちと瞬きを繰り返していたけど、やがて、にたぁっと笑みを広げる。わたしをからかう時のマイキー君と同じ表情だった。な、なんか嫌な予感。

「マイキー愛されてんなー」
「なー」

 龍宮寺君がにやにや笑いながら三ツ谷君に問いかけ、三ツ谷君もまたにやにやしながら頷く。ぶわあっと羞恥心が募った。「あ、あんまそーゆーこと言わないで」とストローで氷を激しくかき混ぜまながら言う。

「わりーわりー」

 龍宮寺君は笑いながら謝ったあと、「川原サン」とわたしを呼んだ。優しい声だった。

「マイキー、ガキだし意味わかんねーけど、オレが初めて死ぬほどかっけーって思った奴なんだよ。半端な思いの女に、アイツの傍にいてほしくねぇ。……今の聞いて、安心したわ」

 淡々と、でも優しさが滲む声で独りごちるようにそう言うと、龍宮寺君は歯を見せてニカッと笑った。龍宮寺君は笑うと幼くなり、年相応に見えた。

「マイキーはさ。東卍の誇りなんだ。全員がアイツに憧れてる。
 ――オレ達の総長を、よろしくな」

 三ツ谷君の心の底からマイキー君を思う声は、一言一言に真摯な重みが宿っていた。

 尊敬とか、敬愛とか、そんな言葉では足りないと思った。それよりももっと熱く眩しいなにか。二人のマイキー君への並々ならぬ情熱が、わたしの胸を強く穿つ。思わず唾を飲み込んだ。

「わたし、やっぱとんでもない男子好きになっちゃったんだな……」

 ぼそっと呟くと、二人はきょとんとしてから爆笑した。

「そーだな! 川原サンよくやるよ! オレ女だったら絶対マイキーやだ!」
「まあ頑張れ?」

 ギャハハハと笑う二人に他人事だと思って……とじんわりと恥ずかしさと苛立ちが沸き上がる。話題を変えたくて、「二人は何にすんの」とメニューを指しながらつっけんどんに問いかけた。

「あー、カレーにすっかな。ドラケンは?」
「肉にするわ。つか、マイキーおそ、」
「菜摘ケンチン三ツ谷ーーー!」

 マイキー君が興奮しながら走って戻ってきた。龍宮寺君が「店ン中で走んな!」と怒鳴るが、鼻息の荒いマイキー君は龍宮寺君の正論を右から左へと聞き流し「聞いてよ聞いてよ!」と昂っている。

「こんっくらいのデッケーうんこ出た!!!」

 目をキラキラ輝かせながらうんこの大きさを表現するマイキー君。三拍置いてからわたし達は、一斉に肩を落とした。

「……カレー食おうと思ったのに……」
「いーじゃん食えよ」
「おめー絶対うんこ食ってるとか言い出すだろ!」
「うん」
「二人とも大変だね……」
「川原サンその目やめて。余計堪えるわ。マイキーオマエ東卍の名前を落とすような事すんなマジ頼むから」




 ぎゃあぎゃあと喧嘩しながらもご飯を食べ終わり(男子はどうしてすぐふざけるのか)、龍宮寺君と三ツ谷君と別れた後、わたしとマイキー君は。

「あーーー! 菜摘オマエ生意気!」
「何がよ……」

 ゲーセンに訪れ、マリオカートで戦っていた。マイキー君に『勝負しよ!』と持ち掛けられ乗ったものの、三回中三回わたしの勝ちだった。負けっぱなしのマイキー君は不貞腐れ、むうっと頬を膨らませている。

「バイクはオレの方がうめーし」
「まあそうだろうね」

 当たり前の事実を遣って負け惜しみを言われても……。マイキー君はぷんぷん怒りながら「他の奴やろっと」と座席から降りた。

「次、太鼓の達人で勝負しよーぜ!」
「マイキー君。一応言っておくけど、わたし、元吹部だからね」
「やっぱ違うのにするか。よし、エアホッケーだ!」

 この人は…………。少し距離のあるエアホッケーに向けて走るマイキー君の背中を白い目で見ていく内に、感慨深いものが沸いてくる。

 お子様ランチを頼んだり、うんこネタで興奮したり、小さな子みたいに負けず嫌いだったり。そこらへんの馬鹿な中学生みたいなところもあるのに、それを東京卍會の人達は知っているのに、マイキー君を総長≠ニして崇め、従っている。
 マイキー君しか放てない強烈な光が、人を集めるのだろう。
 きっと、色んな人を。

「マイキーちゃーん? 今日はひとりなんだー?」

 物思いにふけっていると、揶揄るような粘着質な声が聞こえてきた。マイキー君が走って行った方からだ。慌ててマイキー君の後を追うと、マイキー君は数人の大柄な高校生に囲まれていた。全員奇抜な髪型をしている。どこからどう見ても不良で、身が竦む。だけどマイキー君は少しも怯えることなく、飄々と対応していた。

「今オレ忙しいんだけど」
「つれねぇなー。せっかくひとりなんだから、オレらと遊んでよ」
「やだよ。エアホッケーすんだから」
「そんなこと言わずにさぁ!」

 マイキー君に向かって、拳が振り上げられた。目を見開きながら思わず口元を抑えると、鈍い音が鳴った。マイキー君を殴ろうとした不良が、顎を蹴られて白目向いている。

「あ〜〜〜、めんど」

 マイキー君はかったるそうに肩をポキポキ鳴らし、それから、一瞬目を閉じた。もう一度マイキー君が目を開けた時、彼を纏う空気がいっぺんに変わった。わたしと一緒にいた時のような穏やかな雰囲気は消え失せている。今はナイフのように鋭く、冷たかった。
 不良達は怖じ気ついている。だけどもう後には引けないことがわかっているのだろう。「行くぞコラァ!」と自分を奮い立たせながら、マイキー君に飛び掛かっていった。

 ど、どうしよう。マイキー君なら、大丈夫なはず、だけど。店員さんを呼ぶべきか、いや、でもその間にマイキー君がやられたら――
 数メートル先で行われている喧嘩にただただ狼狽えていると、不意に、思考が止まった。最初にマイキー君を殴りかかろうとした人が震えながら立ち上がり、背後から、マイキー君に殴りかかろうとしていた。

 体が、勝手に動いていた。
 無我夢中になって走り出す。

 嫌だった。
 
「死ねええええ!」

 不良が叫びながらマイキー君の後頭部に拳を振り落とそうとするのと、わたしが不良の頭を参考書で殴り付けたタイミングと、振り返ったマイキー君の蹴りが不良の顔面に決まったタイミングが、すべて、重なった。

 マイキー君は目を丸くして、わたしを見ていた。

 どさり、と不良が倒れるのを息切れしながら見届ける。無我夢中で動いていたわたしはようやくハッと我に返った。な、殴ってしまった。おもいっきり。不良を確認すると彼は白目を剥いていた。傷害罪≠フ三文字が浮かび、サーッと血の気が引いていった。しゃがみこんで彼を必死に呼び掛ける。

「え、ちょ、も、もしもーし! もしもーし! ちょ、マイキー君、この人大丈夫かな!? し、死んだ……!?」

 慌てふためいているわたしを、マイキー君は鳩が豆鉄砲を食ったような表情で見下ろしている。一向に返事を返さないマイキー君に「聞いてる!?」と問いただすと、マイキー君はハッと我に返ったようだった。けど、言葉を返さない。代わりに何故か、笑い始めた。

「はは! あはははははは!」

 お腹を抱えながら爆笑しているマイキー君にわたしは目を丸くする。一体何が爆笑ポイントなのかさっぱりわからない。「マ、マイキー君、ちょっと」と狼狽えながら呼びかけると「こらー!」と怒声が遠くから飛んできた。ぎょっとして振り向くと、店員さんと警備員さんが必死の形相でこちらに向かっている。

「お! やっべ!」

 マイキー君も気づいた。けど、なんか、嬉しそう。いやどこに喜ぶポイントがある!? と戸惑っていると、マイキー君に手を握られていた。

「逃げるぞー!」
「え。ちょ……っ」

 マイキー君はわたしの手を握りながら、床を蹴った。だけど、何故か警備員さんと店員さんの方に向かっていく。淀みなく非常口へ向かい、階段を駆け下り、裏口から出る事が出来た。一瞬で的確な逃走ルートの算段を立てたマイキー君に舌を巻く。やっぱマイキー君、頭良い。だけどまだ油断はできないので、走り続けた。

「菜摘遅い!」
「まい、まいきーくん、が、はやすぎ……!」

 化け物レベルのマイキー君の脚力と体力にわたしはぜえぜえ息切れしながら引っ張られていく。マイキー君が「そーだけどさー」と眉を潜めながら振り向く。すると、マイキー君は目を点にした後、爆笑した。

「菜摘きたねー! 涎出てる!」
「え゛……っ」

 慌てて裾で口元を拭うと、確かに、涎が垂れていた。パーカーに涎の染みがついている。カァーーッと頬にものすごい勢いで熱が集まっていく。恥ずかしいやら、しんどいやら、もう、何が何だか。

「あははは! ひーーっ、ぎゃは、げほっ、やべっ、ごほっ」

 笑い過ぎたマイキー君は走りながらむせ返る。マイキー君はマイキー君で噎せたり笑ったりで忙しそうで。
 二人して、無茶苦茶だった。





「はー。笑い死ぬかと思った」

 適当なビルに入り込み、わたし達は階段に腰をかけながら息を整えていた。マイキー君は長い睫毛についた涙を拭いている。綺麗な顔をしているのに言う事は小学生なんだよな……となんとも言えない気持ちになりながら、わたしはそれを眺めていた。
 だけど、喧嘩になると強烈なオーラを放つ。触れるものすべてを、焼き尽くしてしまうような。

「……マイキー君って、ああいう風に絡まれること多いの?」
「一昨年辺りは多かったけど、最近はほぼないよ。東卍でっかくなったし。でもたまーーにオレのすごさ理解できない奴がでてくんだよなー。オレに勝てる訳ねーのに」

 マイキー君にとって突然暴力を奮われる事はどうでもいいらしい。蚊にまとわりつかれてだるい、ぐらいの口振りだった。不良なら当たり前の事かもしれないけど、わたしは、嫌だった。
 
 マイキー君は、人を惹きつける。良くも悪くも。
 龍宮寺君や三ツ谷君のようにマイキー君に敬意をもって接する人もいれば、さっきの不良のように、問答無用で傷つけようとする人もいる。
 そう考えたら、胸の奥に影が差した。ぐるぐると不安感が渦巻き始める。

 マイキー君は強い。強いけど、でも、嫌だ。
 今ならヒナちゃん≠フ気持ちがわかるかもしれない。
 理屈じゃない。相手が自分より強いとかそんなの関係ない。

 好きな人が傷つくのが、ただ、嫌だったんだ。

「菜摘が加勢しに来た時吃驚したなー。しかも参考書振り回すとか」

 マイキー君はけらけらと笑う。からかうような口振りにむっとしながらわたしは「だって」と唇を尖らせた。

「……嫌だったんだもん。マイキー君が、殴られんの」

 全然役に立てなかったけど。わたしが参考書で殴らなくてもマイキー君は自分で対処できていた。ちょっと考えればわたしが出ても無意味ということはすぐわかるのに、あの時は何も考えられなかった。

 ただ、とにかく、嫌だった。頭の中には、それだけしかなかった。

 マイキー君はぱちくりと瞬く。それから、ふっと柔らかく笑った。

「ありがとな。でも、もうああいうことしちゃ駄目。あぶねぇから」

 マイキー君はわたしの瞳を覗き込みながら、真剣な調子で言う。ふざける様子やからかいの色は微塵もなかった。

「オレ、オマエがヤられんの、絶対嫌」

 わたしに向ける瞳が、切々とした色を宿している。憂うように、微かに揺れていた。

「……マイキー君って、わたしのこと、好きだったりする?」

 好きだと言われても乏しかった実感が、マイキー君の瞳を間近で見たことでようやく追いついてくる。マイキー君はぱちぱちと瞬きを繰り返してから、はぁっと息を吐いた。

「だから、言ってんじゃん。菜摘の事好きだって」

 苛立ったマイキー君に目を真っ直ぐに見られながら好き≠ニ告げられると、一瞬、わたしの中で時間が止まる。
 どくん、と胸の奥で心臓が鼓動する音が聞こえた。呆けている間に心臓を中心に、熱が広がっていく。
 特に、頬が熱かった。しかもむずむずする。体中をほわほわした何かが包み込んでいた。

「そっか」

 もっと他に言うべき事あるはずなのに、わたしの頭は熱に浮かされてうまく動かない。マイキー君が、わたしの事を好き。その事実を確認するだけで脳みそはいっぱいいっぱいだった。今のわたしでは、中一の一学期の問題すら解けないだろう。

「菜摘、今日、髪型違う」

 少し沈黙が流れた後、マイキー君が藪から棒に違う話題を突っ込んできた。今その話題……? と面食らいながらも「う、うん」と頷く。

「髪、下ろしただけだけど。ていうか気づいてたんだ」
「エマが髪とか服とかにうっせーから。気付かなかったらすっげぇ責めてくる」
「佐野さんお洒落だもん、」

 ね≠ニいう語尾は、マイキー君によって塞がれた。クリスマスの時と同じ感覚が、再び蘇る。

 冷たくて柔らかななにかがわたしのくちびるに、触れた。
 
 わたしのくちびるに冷たいぬくもりを残し、マイキー君はキスをやめる。だけどまだ感触は残っていた。一瞬にして思考を止められたわたしはぼうっとしながら、マイキー君を見つめる。

 マイキー君は真顔だった。特別熱に浮かされている訳でも、冷え切っている訳でもない。ただわたしを、見透かすような眼差しでじっと見据えていた。

 真っ黒な二つの瞳は、水をたたえているような静けさを宿していた。特別力強い眼差しではないのに、逸らせない。

「オマエ、なんで目瞑んないの?」
「急、だから」
「ふーん」

 そう言ったのに、マイキー君はまた断りなくキスをしてきた。くちびるを塞がれて、まだおさまってない動悸が更に速まる。急だからって言ったのに、また急にする。人の話、ちゃんと聞いてんの?

 苛立っているはずなのに怒る気が沸かない。脳髄がとろとろに溶かされていた。マイキー君は、なんで目を閉じるんだろう。長い睫毛を眺めながら、ぼんやりと思う。

 真似して目を閉じてみる。すると、マイキー君のくちびるの感触がより伝わった。吐息や熱や息遣いが、わたしの中に強く流れ込んでくる。さっきよりもずっと、マイキー君を近くに感じた。

 ああ、だからか。納得が胸の真ん中にストンと落ちる。

 どうしてキスの時目を閉じるのか。ようやく、わかったような気がした。







 
 

You know you’re in love when you can’t fall asleep because reality is finally better than your dreams.



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