はじめて恋をした記憶


「ウサ吉ってなに?」

「うわっ、驚かせんなヨ!」

「あ、堀田さん」

新開くんと顔が怖い男子の話に、わたしは突如割り込んだ。ひょこっと入り込んだわたしを見て、軽く仰け反る顔が怖い男子。何故話に飛び入り参加したかというと、新開くんと目が合って、よ〜と軽く手をあげあって、二人とすれ違う直前に『ウサ吉』というキーワードを耳にしたからだ。ウサ吉。十中八九ペットの名前だろう。まあ、そのことを問い質す前に。

「はじめまして。わたしは堀田美紀と申します。新開くんにフラれた女子です」

ぺこっと頭を下げて、自己紹介をする。自己紹介って、大事だよね。顔が怖い男子が「あー…」と、しげしげとわたしを細い目で見下ろした。新開くんにむすっとした顔を向ける。

「新開くん、わたしを振ったこと話したんだね」

「ははっ、ごめんごめん」

「まったく。最近の若者は口が軽いものだよ。あ、今のすっごく東堂くんみたいな話し方!ちょっと古臭い喋り方するよね、東堂くん。ふふっ、ふふふっ、ふふふっ」

両手を口に当てながら肩を震わせて笑うわたしを見て、顔が怖い男子が「…やっぱ、変な女」と小さく呟き、新開くんが「面白いだろ?」と爽やかに笑う。変とか面白いとかよく言われる。何故だろう。まあいっか。

「えっと、きみ、ちょっと知っている。なんだっけ、えーっと…あら…あら…荒井靖史くん?」

「ヒュウッ!惜しい!」

「何がヒュウッだボケナス!!荒北だよ、荒北靖友!」

「あだ名はヤス?」

「んなあだ名ねーヨ!!」

「そっかあ。どうもどうも。名前間違えてごめんね。それで本題に入りたいの。ウサ吉ってなに?」

きらきらと好奇心を輝かせた目をふたりに向ける。

「ウサ吉は、オレが飼ってるウサギ。コイツ」

新開くんはケータイを取り出して、画面をわたしに向けた。葉っぱを食べている。女子高生風に言うとか〜わ〜い〜い〜。

「なかなか新鮮そうなレタスだね〜、美味しそう〜」

けど。どこまでも食い意地の張っているわたしはレタスに注目してしまった。嫌いな食べ物は特にない。瑞々しそうなレタスを目にして、口内の唾が増す。荒北くんが「ハァ…?」と珍獣を見る目をわたしに向け、新開くんはぶはっと噴出した。

「レタスに注目するって。さっすが堀田さん」

「コイツまじでおかしくナァイ?」

肩を揺らして笑う新開くんと、ますます変なものを見る目でわたしを見てくる荒北くん。その間も、わたしはウサギの写メをずっと見ていた。レタスにばかり注目していたけど、このウサギも可愛い。つぶらなお目目がとてもキュート。

「ウサギいいなあ。新開くんって、寮住みだよね?寮で飼ってるの?」

「ああ、そうだよ。…見たいの?」

「うん!!」

笑顔で大きく首を縦に振る。だと思った、と笑った新開くんは、やっぱりただのイケメンだった。


と、いうわけで。

「うお〜、食べてる〜!」

腰を下ろしつつもお尻を浮かした状態で、パイナップルを食べているウサ吉を見て、思わず感動の雄叫びをあげてしまった。まあ、なんて新鮮なパイナポー、羨ましい限り…じゃ、なく、て。

「かーわーいーいー!」

わたしなりに最大の可愛い声を作って、きゃぴきゃぴと褒める。すると、隣の新開くんがまた噴出した。この青年、噴出してばかりである。

「無理するなって。本当はパイナップルの方が気になっているんだろ?」

「いやいや、ウサ吉ベリーベリーキュートだよ。わたし、動物好きだし。ハムスター飼ってるし」

「へえ。なんて名前?」

「ハムスターだからブルータス」

「…“だから”って接続詞おかしくないか?」

「ハムスターだから、ハムレットじゃん。ハムレットと言えば、シェイクスピアじゃん。シェイクスピアといえば、ブルータスお前もか…!じゃん。と、いうわけでブルータス」

「名付け親絶対堀田さんだろ」

「…!! よくわかったね…!!」

驚きで目を見開くと、「そんな思考回路になるの、堀田さんだけだろ」と、また笑った。

「ウサ吉可愛いねえ。あ、でも、ウサ吉だから、男の子だよね。ウサ吉かっこいいぞ!パイナップルを食べてる姿は誰よりもイケメンだ!きゃー!!」

パイナップルをもっさもっさと食べているウサ吉に黄色い声援を送る。ウサ吉はわたしを無視してパイナップルを食べ続ける。

「あ、ウサ吉雌だよ」

「…え?」

「やー、キンタマ確認しないでウサ吉ってつけちまって」

「キンタマは確認しないと駄目だよ〜」

「だな。でも、一度ウサ吉ってつけちゃうと、定着しちゃってさ」

「うっかりさんだな〜」

あははは…と軽やかな笑い声が起こる。あれ、今新開くんキンタマって…イケメンがさらっとキンタマって言ったような…。わたしもイケメンの前で言っちゃったような気が…。まあ、いいか。

「そうか、ウサ吉は女子か〜」

パイナップルを食べ終えてご満悦そうなウサ吉の背中をそっと撫でようと手を伸ばす。あ、触っていいのかな。新開くんに触っていい?と眼で訴えかけると「いいよ」と笑って返された。やった〜!と万歳してから、そっと触る。新開くんも、ウサ吉の背中をそっと撫でた。嬉しそうなウサ吉。表情なんてないけど、なんとなくわかる。

「ウサ吉は、新開くんに飼われてしあわせだねえ」

気分が柔らかいものになって、ふふっと笑いかける。新開くんが、一瞬ぴくっと体を固くした。でも、わたしはそれに気付かないで、新開くんに顔を向けて話しかける。

「なんで、ウサ吉飼おうと思ったの?」

新開くんの微笑が固まった。ゆっくりと、瞬きをする。ごくっと唾を呑みこんでから、口を開いて、閉じて、また開く。

空気が張りつめたものに変わったのが、空気の読めないわたしでもわかった。

…あ。

「…それ、は、」

新開くんは、目線を下に落として、からからに喉が渇いたような声で、小さく言葉を紡いだ。

わたしは、それを。

「やっぱり、いいや」

掻き消すように、大きな声できっぱりと言った。

話したくないことのようだ。汗が噴き出ているし、いつも余裕たっぷりに浮かべている笑顔が、どこかに消え失せている。ウサ吉を飼った理由は確かに気になるけど、こんな顔をさせてまで、知りたいわけじゃない。

ニーチェは言いました。『友たるものは、推察と沈黙に熟達した者でなければならない』と。

「…え」

新開くんが、目を真ん丸にして、わたしを凝視していた。口が半開きだ。ぽかんとしている。あ、と口に手を当てながら、わたしは気付いた。どうやら、無意識のうちに偉大な人の言葉を口にしてしまっていたらしい。たまーに、こういうことがある。

「…まあ、そういうことです。わたし、新開くんの友達でいたいからね。推察と沈黙に熟達していたいのですよ」

腕を組んで、うんうんと実感を込めて頷く。新開くんは、真ん丸にした目を、ふっと緩めた。

「…そういう言葉って、どこで知るんだ?」

「酔っ払ったお父さんから」

「お父さんからなんだ、自分で本を読んで知ったとかじゃないのか」

「難しい本嫌い。絵本が好き。でもこういう言葉を知るのは好き。賢くなった気になれるから」

「…堀田さんらしい」

そっと、目を伏せて笑う。憂いを帯びた瞳を縁取る睫毛が長いなあ、なんて思っていると。新開くんがぽつりと呟いた。

「ねえねえって、問いただしてくると思ったんだけどな。意外」

「き、きみはわたしをどれだけデリカシーのない人間だと思ってるんだ…!確かにこの前幸子ちゃんのおっぱいのサイズを東堂くんに言っちゃったけど…!」

「え、マジで。何カップ?」

「Fカップ。…あー!!」

慌てて口を両手で塞ぐわたしと、あっはっはと快活に笑う新開くん。いつも通りの風景が、ウサ吉の前にあった。





噛みしめる不透明


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