新開くんにフラれてから、少し時間が経った。フラれたら、毎日うわーんうわーんと泣いてごはんも喉を通らなくなるのが通説らしいけど、わたしは毎日にこにこと笑っているし、ごはんも美味しくいただいている。今日もお米が美味しい。毎日楽しくてしあわせだ。だからこそ。
「彼氏が欲しい!」
手をぎゅうっと握りしめて、熱く語る。もっと、毎日を楽しく生きたいから、彼氏が欲しい。できればかっこよくてみんなに自慢できるような男子。美紀ちゃん、あんなイケメンをものにできるなんて…!すごい…!と、みんなからキラキラした羨望の眼差しを受けたい。
「そうかそうか。あ、これも食う?」
「かたじけない」
「かたじけない、って」
新開くんはおかしそうに笑いながら、わたしにポッキーを差し出す。さっきはいちご味のポッキーをくれたが、瞬く間に二人で食べつくしてしまった。いちごのポッキーも、この極細ポッキーも、クラスの女子にもらったものらしい。イケメンはずるい。貢いでくれる人がいて羨ましい。わたしなんか自分で買っているのに。あ、幸子ちゃんもくれる。幸子ちゃんは美紀ちゃんの飼育係、とクラスで言われているらしい。失礼な。
トイレのあと、廊下を歩いていたら、新開くんに「堀田さん」と窓から声をかけられた。ポッキー、食う?と爽やかな笑顔を向けられて。
「フラれてなかったら、わたし勘違いしているよ今頃。新開くんわたしに気があるって思って告白したと思う」
口の中に三本詰め込んだポッキーを噛み砕きながら、じとーっと睨みつける。でも、新開くんには痛くも痒くもないみたいだ。ごめんごめん、と笑って謝っている。はーあ、とため息を吐いた。
「彼氏が欲しいなあ。彼氏」
「なんでそんなに彼氏が欲しいんだ?」
「楽しそうだから。…って言ったらね〜、依里ちゃん、あ、依里ちゃんってのはわたしの友達でね、この子顔は大人しいんだけど結構毒舌でね、美紀ちゃんってそのうち生活習慣病になりそうって言われてね。でもさ、食べ物がおいしすぎるのが悪いと思うの。この前ね、甘いものと辛いものを交互に食べたらほんとに幸せでね、ポテチのあとにチョコ、チョコのあとに、柿の種、柿の種の後に、」
「堀田さん堀田さん、話脱線してる」
「あ、ほんとだ。ごめんごめん」
「なんで彼氏欲しい話から、そこまで話が脱線…ぶっ」
新開くんは噴出した後、顔を俯けて、くつくつと喉で笑う。
「はー、ほんと面白い」
ひとしきり笑い終わったようで、目にうっすらと浮かんだ涙を親指で拭いながら言う。
「ねえねえ、なんでわたしのことそんなに面白がっているのに付き合ってくれないの?少女漫画じゃ絶対に『お前って、面白いな』って言われたら、もう勝ちなんだよ?あ、あとね『お前って、変な奴』も勝ちになるね」
拗ねた口振りで、非難がましく言うと、新開くんは顎に手を当てながら答える。
「うーん。面白いからって恋愛対象として好きになる訳じゃないんだな、これが。堀田さんだって、面白かったら、誰だって好きになる訳じゃないだろ?」
「なるほどー」
ぽんっと掌の上で拳を叩いた。確かに、面白いイコール好きだったら、お笑い芸人はたくさんの人に恋愛対象として好かれてしまう。
新開くんは、ポッキーを食べながら、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「堀田さんの場合、まずは好きな奴見つけることから始めたらいいんじゃないかな」
「好きな奴?」
「そう。堀田さん、恋に恋してるんだよ、今」
「ええー、わたし恋のことが好きだったの?」
「うーん、…まあ、そんな感じかな」
吃驚して、顔を両手で包み込む。ここにて衝撃の事実。わたしは感情に恋をしていたのか。なんたることだ。絶対に叶わないじゃないか。
「勝ち、とか言ってるしさ。恋愛に勝ちも負けもないと思うよ」
「ほほー。なるほど。あ、じゃあ、わたし、新開くんにフラれちゃったから負けたと思っていたんだけど、あれも負けじゃないの?」
「負けてないよ」
「やった〜」
嬉しくて、ぱちぱちと手を叩く。わたしは負けていないようだ。すると、新開くんは突然苦笑した。
「まあ、偉そうなこと言ってるけど、オレも恋愛よくわかってないんだよな」
手を叩くのをやめて、丸くした目で新開くんを凝視する。口を半開きにして見据えているわたしは、とても滑稽だろう。その証拠に新開くんがわたしの顔を見て噴出した。でも、わたしはそれに構わないで、質問を投げつける。
「ええ…!?し、新開くんって恋愛マスターじゃないの!?たくさんの女子とウェーイってしてきたんじゃないの!?」
「中学から部活でずっと忙しかったしなあ。カップル未満?みてえな関係には何回かなったけど、新開くんってわたしのこと本当は好きじゃないでしょー!って怒られて、フラれてばっか」
「へえー。新開くんでもフラれちゃうんだー」
意外な事実にびっくりして目を見張らせながら、ほうほうと頷く。イケメンでもフラれることはあるのか。東堂くんにも教えた方がいいかなあ。まあ、幸子ちゃんが振るということはないだろうけど。それに、わたし東堂くんと話したことあまりないしなあ…。まあ、いっか。言わないでおこう、と思っていると。
「フラれても、そんな悲しくなかったし。オレ、人のこと好きになれんのかなーって、時々ちょっと怖くなるよ。冷たい奴って、自分でも思う」
少しだけ、トーンを暗くした声色で、新開くんは寂しそうに呟いた。少し伏せられた睫が長い。わたしよりも長い。羨ましい。
こんなイケメンでも、そういう心配するのかあ。
人生イージーモードに見えた新開くんが漏らした寂しげな本音。友達が寂しそうなのに、なんていうことだろう。わたしはちょっと嬉しく思ってしまった。性格悪いなあ、わたし。でも仕方がない。親近感を、覚えてしまったものは、仕方ない。
わたしは、ぽんぽんと新開くんの肩を叩いた。新開くんが不思議そうにわたしを見て、わたしは暖かい眼差しを新開くんに向けた。
「ふたりとも、孤独死しそうになったら、一緒にルームシェアしよっか」
…と、静寂が流れた。新開くんの瞳がものすごく真ん丸だ。口をぽかーんと開けている。わたしはどこか遠くを見ながら、浮世離れした声でとうとうと語る。
「わたし最近ね、彼氏できないまま生涯を終えるような気がしてね…。その時は友達とルームシェアしようと思っているんだけど、周りの友達みんな彼氏いるから、ルームシェアしてくれそうな子いなくてね…。孤独死は…やだなあ…と思っていましてね…」
幸子ちゃんは東堂くんがいるし、依里ちゃんにも彼氏がいるし、他の友達にも彼氏いるし…、っていうか友達の数自体少ないし…。
すると、空気を裂くような笑い声が、響いた。
「はは、あはははっ!!ははは!!堀田さん、もう…!!本当に…!!」
新開くんがお腹を抱えて笑っていた。え、と、きょとんとする。真剣な人生プランを持ちかけていたのに。何故だろう。しばらく笑ったあと、新開くんはぜえぜえ息を吐きながら、わたしに目を合わせた。
「ははっ、もう、堀田さんサイッコー。まさか孤独死にまでぶっとぶとは思わなかった…!!」
「わたしは老後の計画もばっちりなんだよ」
得意げに胸をそらす。新開くんは「腹いてえ…」とひいひい苦しそうに笑っている。
「大丈夫だよ、堀田さん、絶対彼氏できるから」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
笑いながら言われても説得力がまるでない。むうっと膨れながら、小指を差し出した。きょとんとしている新開くんに向かって強い口調で言う。
「じゃあ、わたしに彼氏できるって誓って」
新開くんは、また、ぷっと笑ってから、指を絡ませてきた。ごつごつしていて、男子の指だなあ、と感心する。
「わたしに彼氏できなかったら新開くんに針千本のーます、指切った!」
小指が離れる。イケメンと小指を絡ませてしまった…。視線を感じる。周りを見ると、女子が憎々しげにわたしを睨んでいた。中にはハンカチを噛んでいる子もいる。えっへん、と得意げに胸を反らす。いいでしょう、わたしこのイケメンと友達なんだよー!すごいでしょ〜!とメガホンを持って自慢したい。
「とりあえず、好きな奴を作ろうな」
「はーい」
まるで先生と生徒のようだ。同い年なのに、変な感じ。そういえば、と不意に思う。イギリスの詩人、テニスンが言っていた。『一度も愛したことがないよりは、愛して失った方が、どれほどましなことか』と。
恋に恋をしてばかりで、人間に恋したことがないわたしと、多分、誰も好きになったことがない新開くん。つまり、一度も誰かを好きになったことがないということ。テニスンに言わせると、わたし達は、とんでもなく不幸な人間なのだろう。
「うーん、実感が沸かないなあ」
「なにが?」
「いや、今すっごく楽しいし…」
うーん、と首をひねるわたしを、興味深そうに見ている新開くん。偉い人の言葉は難しすぎて、時々よくわからなくて、頭を抱えて考え込む。
「…新開くん、今、楽しい?」
頭から手を離して、新開くんに問いかける。藪から棒に聞かれて、新開くんはきょとんとした。が、すぐに可笑しそうに破顔してから、よく通る声ではっきりと言った。
「楽しいよ」
「おお、わたしもだよ」
嬉しくて、うんうんと顔を綻ばせる。
もしもし、天国のミスターテニスン、わたし達、誰かを好きになったことなんてないけど、今、楽しくやれています。
…でも。
恋をしたら、もっと楽しくなるんだろうなあ。
好きな人の傍にいて、心底幸せそうな友達の顔を浮かべながら、ぼんやりとそう思った。淡い想いは濃くなっていき、羨望は嫉妬に変わり、思いは、切実さを伴って口から出た。
「彼氏が欲しいよー!」
「はいはい」
幸福なるふこう
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