はじめて恋をした記憶


友達の紹介で知り合って、きゅーんと胸が高鳴って、彼氏にするには打ってつけの男子だと思って告白して、フラれて、友達になった。

フラれた。フラれたんだから、もう、終わり。これ以上、ない。

『オレ、堀田さんのことそういう対象で見られない』

困ったように笑った顔が、苦味を伴って脳裏に浮かぶ。苦味を打ち消すために、チョコを口の中に放り投げる。チョコの味が広がる。甘くて美味しい。でも、もうひとつ食べる気にはなんだかなれなくて、チョコを持ったまま握りしめる。わたしの温度でチョコが溶けていく。

わたしの想いは勘違いでしかなくて、その気持ちを新開くんにぶつけただけで、わたしは新開くんにとって“そういう対象”じゃなくて、だから、新開くんの部屋でも寛いで、だから、だから、だから。

「美紀ちゃん」

顔を上げると、幸子ちゃんがいた。わたしの前の椅子を引いて、腰を下ろす。気まずいことなんて、何もないのに、目を合わせづらくて、幸子ちゃんから微妙に視線を外しながら「なにー?」といつも通りの声を出す。

「頭痛いの?難しい顔してる。だいじょうぶ?」

「うん、なんか最近ちょっとねー、不調気味なんだ」

「薬いる?」

「いい。薬嫌い。ありがと」

「そっか」

いつも通り、とりとめのない会話を交わす。心配そうにわたしを見ている幸子ちゃんに「なんか話あったんじゃないの?」と問いかけると「そうそう」と手を合わせたあと、弾んだ声で訊いてきた。

「美紀ちゃんって、新開くんと仲良いよね」

幸子ちゃんは、にこにこと、楽しそうに笑っていた。

「まあ、うん。友達だし」

「そっかそっか。うんうん」

にこにこと、幸せいっぱいという表情を浮かべている。

…人の気も知らないで。

ちり、と胸の奥で何かが焦げた。ああ、もう、まただ、と苛立ちがじっとりと湧き上がる。

「最近、よく二人でいるよね」

「…たまたまだよ」

本当は、新開くんと幸子ちゃんを二人っきりにさせてあげて、色々画策を立てるんだけど、なんでかうまくいかない。気付いたら、わたしが新開くんといる。違う違う、そうじゃない、って心の中で地団駄を踏みながら、嬉しく思っている。計画が失敗したのに、喜んでいる。新開くんは、ああまた吉井さんと二人で喋れなかったなあ、と悲しんでいるかもしれないのに。

色々な方面に対して、苛々が募っていき、モヤモヤした想いが胸を支配する。

「二人でいるところ見たら、カップルみたいだなあって思うよ〜」

へらっと、嬉しそうに頬を緩ませて、幸子ちゃんはそう言った。

…え。

「新開くん、美紀ちゃんと一緒にいるとすっごく楽しそうだし」

にこにこ、にこにこと。幸子ちゃんは笑いながら話し続ける。

わたしはただ、茫然と目を見開くことしかできなかった。

「…やっぱり、美紀ちゃん。しんどい?だいじょうぶ?保健室ついてこうか?」

何の反応も返さないわたしを不審に思った幸子ちゃんが、心配そうに眉を八の字に寄せながら、そっとわたしの額に手を伸ばそうとした。

その手を、振り払った。

へ、と目を見開く幸子ちゃん。

わたしは、すうっと息を吸い込んで、大きな声で怒鳴った。

「馬鹿ー!!」

シーン、水を打ったように静まり返った教室で「へ」と間抜けな声を漏らす幸子ちゃんの小さな声が響いた。

ぽかんと口を半開きにして、目を白黒させている幸子ちゃんを、キッと睨みつける。

「なんで!気付かないの!!東堂くんの時も!!新開くんの時も!!」

「え、えっと」

「東堂くんの時なんか、依里ちゃん『んもぉぉ、まどろっこしい、鬱陶しぃぃ』が口癖で、苛々して、大変だったんだからね!!わたしはそれを…それを特になにもフォローしなかったけど!!」

「…、え、美紀ちゃん幸子ちゃんどうしたの。喧嘩?」

トイレから戻ってきた依里ちゃんがハンカチで手を拭きながら、怪訝な表情を浮かべて、わたし達に問いかける。幸子ちゃんは「え、えっと」と困ったように横目で依里ちゃんを見た。わたしは、幸子ちゃんを睨みつけたまま。

「可哀想だよ、ぐすっ、二人が、ずっと、ラブラブな、の見せ、つけら、れて」

怒りを帯びている声が、徐々に、悲しみに変わっていった。視界がぼやけていく。ふやけた世界で、幸子ちゃんが驚いているのがわかった。泣きたくなんかないのに、途切れ途切れに嗚咽を漏らしてしまう。ぼろぼろと涙が零れ落ちていく。

「なのに、えぐっ、わたしとカップ、ルみた、い、とか、そんなの、好き、な子に言わ、れ、る新開く、ん、へぐっ、可哀想」

「…へ?」

「…なんか面倒くさい勘違いしてるんじゃないの、美紀ちゃん」

「ひどいよお、ひどいぃ、幸子ちゃんのバカァ、カマトトォ」

鼻水が垂れてきた。ずずっと啜るけど、それでも垂れてくる。泣いているせいか、頭が熱っぽい。

「え、えっと、えっと」

「もお、馬鹿、ほんと馬鹿、馬鹿ァー!!」

おろおろしている幸子ちゃんに一方的に罵声を浴びせかけて、大声で泣いて迷惑かけてている。ああもうこんな自分嫌い。嫌い嫌い、大嫌い。

大好きな友達に八つ当たりして。
大好きな友達の幸せを願えない。

そんなわたしが、一番ひどい。誰よりもひどい。

よく考えたら、わたしはあの時とんでもなく失礼なことを言った。自慢したいから付き合ってください、なんて、失礼にも程がある。それなのに、嫌な顔ひとつしないで、笑って、面白いから友達になりたい、って言ってくれた。

暇さえあれば彼氏がほしい、と口にするわたしに、いつまでも付き合ってくれた。

他の男子が一蹴するつまらない話に、きちんと耳を傾けてくれて、楽しそうに笑ってくれた。

一緒に過ごしていくうちに、本当ならどうでもいいことがどうでもよくなくなっていって、ちょっとしたことでも知りたいって思うようになっていって。走っている時のあのすごい顔も、知ることができて、嬉しかった。また一つ、新しい新開くんを知ることができた、と嬉しくなった。

それくらい、大好きなのに。
どうして。
どうしてどうしてどうして。
どうして。

「も、う、やだ、あ、じんが、い゛くん、が誰か、好き、えぐっ、に、なん、の、やだって、おも、う、自分が、やだ、あ」

掌で顔を覆って、嗚咽をあげながら、泣く。涙の粒が頬から転がってきて、掌に落ちていく。

正体不明の感情と、性格の悪い自分に、振り回され過ぎて、もう疲れた。
谷口くんにフラれたあの日よりも心が痛い。元カレの谷口くんよりも、勘違いの片思いをしてフラれた新開くんに関することの方が、胸が痛くて仕方ないなんて、変な話だ。

だって、新開くんへの想いは、恋ですらないのに。恋に恋してただけなのに。

恋じゃない。
わたしは、まだその感情に出会ってない。

…本当に、なんなんだろう。
この、胸の中に、いつからか存在している、この想いは。

ぽん、と頭に何かがのせられた。何回か、感じたことのあるこの感触。大きくて、固くて、少しゴツゴツしている。掌を顔から退けて、視線を遣る。

「うわ、すっげえ顔」

ははっと快活に笑う新開くんがいた。あの夜、迎えに来てくれた時もこんな風に笑われたなあ、と、鼻を啜りながら見ていると、ぐいっと手を引っ張られて、半ば無理矢理立たされた。

「ちょっと、堀田さん借りてくな」

依里ちゃんと幸子ちゃんに笑いかけてから、わたしを引っ張って行く。え、え、え、と丸くした瞳で後ろを見るんだけど、どんどんみんなが遠ざかっていく。クラスメート達がぽかんと口を開けて、わたしと新開くんを凝視していた。廊下を歩いていた東堂くんが、わたし達に気付いた。ちら、と視線を走らせてからふっと口元を緩めた。何もかも見透かしているような、余裕を湛えた微笑だった。

「ど、どこ、いく、の?」

「んー、もうちょい、待って」

鼻を啜りながら問いかけると、のんびりした口調ではぐらかされた。やっぱり、つかみどころがない。わたあめみたいだ。食べたら、すぐに溶けてなくなってしまう。甘さだけを、口に残して。うん。やっぱり、新開くんは、わたあめだ。

「ここなら…よし、誰もいないな」

新開くんはきょろきょろと、見渡してから、音楽室の中に入り込む。わたしの手を握ったまま。今は昼休みだから、音楽室には誰もいなかった。しいんと静まり返っているので、ぐすぐすと鼻を啜っている音がよく聞こえる。

「あーあ、すげえ泣きっ面」

おかしそうに目を細めながら、わたしの涙と鼻水をセーターの袖で拭う新開くんに、今にも消えそうな声で、わたしは謝った。謝らなきゃいけない、と思った。

「ごめん」

「なにが?」

小さな子供に諭すように、言葉を紡ぐ新開くん。その優しさがなんだか辛くて、再び涙をぽろぽろと零し始めた。ああ、また泣き始めた、と新開くんは笑った。

「だって、わた、し。新開くんが、幸子ちゃんのこと好きなの、知ってるのに、応援しようって、思ったんだけど、ほんとは、ほんとは」

心の中でひっそりとでも確かに根付いていた感情。
汚くて、みっともなくて、どろどろしていて、とても醜いもの。

新開くんの顔を見るのが怖い。耐えられなくて、わたしは俯いて。
それから、懺悔するように、吐き出した。

「全然、応援できなかった。したくない、って思った。一応、頑張って二人っきりにさせようって思ってたんだけど、なんか、うまいこといかなくて、」

新開くんは黙って、わたしの話を聞いていた。

「応援できないとか言って、信じてもらえないかもしれないけど、わたし、新開くんのこと、大好きなんだよ。ほんとに、すっごく、大好きなんだよ」

なんて薄っぺらい“大好き”なんだろう。幸せを祈れないのに。

「でも、ほんとにほんと。ほんとなの」

声が震える。好きって、友達に言うだけなのに。なんでだろう。告白した時の、何倍も、緊張する。

「大好きなのに、応援できなくて、ごめ、ん、なさっ、いっ」

ああ、また涙声になったせいで、うまく声に出せなかった。きちんと、謝りたいのに。

「…んー。堀田さん。謝る必要、どこにもないよ」

だって、オレ。

「吉井さんのこと、好きじゃねえもん」

…。

……。

………。

「え?」

驚きすぎて、嗚咽がとまった。顔を上げると、困ったように笑っている新開くんがいた。

「だ、だって、幸子ちゃんのこと、好みのタイプって、」

「おお、それどっから聞いたんだ。好みのタイプは好みのタイプだけど、だから好きになるってわけじゃねえよ」

「ほ、ほうほう」

「ていうか、オレの好きな子、堀田さんだから」

さらりと言われた言葉に、パニックを起こしていた脳みそがついていけるわけがなかった。へ、と声を漏らす暇もなかった。後頭部に右手、耳に左手を添えられて、すぐ目の前に、瞼を閉じている新開くんがいて。

柔らかい何かが慈しむように、唇に触れた。

そっと熱が離れていく。近すぎて見えなかった新開くんの顔が、ようやく見えるようになった。ぽかんとしていると、腕を掴まれてやんわりと引き寄せられて、暖かい体温に包み込まれる。何が起こっているのかさっぱりわからない。混乱しきっているわたしに、雨のように降ってくるのは、優しい声音。

「…すっげえ、すき」

その声音は、いつかわたしが『好きな子、いる?』と訊いたあとに返ってきた視線と、同じ熱を孕んでいた。

「え、ええ、えええ」

「おお、すっげーパニクってる」

「だ、だって、あれ、わたしのこと、そういう対象で見られないって」

「見れるようになっちまったんだなあ、これが」

ははっと楽しそうに笑う声は、いつもと同じ。けど、この体勢は、“いつも”から、かけ離れている。

「し、新開くん、駄目だよ」

「なにが?」

「だ、だって、わたし、新開くんのこと、そーゆー風に好きじゃないんでしょ?」

もぞもぞと身じろぐと、腕の力が緩んだ。ようやく視界が開けて、きょとんとしている新開くんが見える。可愛くて、胸の奥がぎゅうっと疼いた。でも、これは、そう。新開くんがイケメンだから。

「だって、新開くん、言ったじゃん。わたしは恋に恋してるだけって、だか、んむぅ」

ぱくっと食べられるようにして、言葉と唇を呑みこまれた。さっきよりも深く押し付けられる。駄目だって言わなきゃいけない。抵抗しなきゃいけない。友達同士はこういうことをしてはいけない。理性がそう訴えてくる。けど。心が、叫んでいた。もっと、こうしたいって。

後頭部に回された掌があたたかい。背中に回された掌がおおきい。重ねられる唇は熱くて柔らかくて甘ったるくて、どろどろに溶かされていく。

やっと離されて、ぷはあっと息を吸い込んで、新開くんを見る。新開くんは「んー」と唇を合わせていた。

「堀田さん、チョコ食った?」

「え、あ、うん。食いました」

「やっぱり。チョコの味がした」

「そうですか」

「ぷっ。なんで敬語。…堀田さん」

「はい」

頬に手を添えられた。顔を近づけられる。綺麗な二重瞼を縁取る長い睫がすごく近くにあってドキドキする。ドキドキがとまらない。心臓が破裂しそうだ。

イケメンだから?
違う。新開くんだからだ。

「キスされて嫌じゃないってことは、そういうことなんじゃねえの?」

緩む瞳はどこか意地悪い。けど、愛情に満たされていた。『そういうことなんじゃねえの?』の意味を、ぐるぐる回る脳みそで拙く処理していく。

「わたし、新開くんのこと、好き、なの?」

小首を傾げて、問いかけてみると。ははっと笑われた。「相変わらず、直球」と言ってから、うん、と嬉しそうに頷いた。

「堀田さん、オレのこと、すきだよ。すきになったんだよ」

その言葉に、目を見開く。そして、悟った。

最初、わたしの恋は、恋に向けられていた。
でも、少しずつ、少しずつ、変わっていって。

新開くんのことをすきになってから、『恋に恋してる』のキーワードに悲しむようになったのは、好きな人に、すきという気持ちを否定されて、悲しかったからなんだ、と。

でも、もう悲しまなくていい。我慢しなくていい。
他ならぬ、新開くんに肯定されたのだから。

「新開くん!」

「うわ」

タックルするように、飛びついた。新開くんの腰に腕を回して、ぎゅーっと抱きしめて、胸に頬をこすりつける。

これからは、思う存分、大好きという気持ちをぶつけられる。

箱根学園の三年生、堀田美紀は言いました。
とても大きな声で言いました。
新開隼人くんの顔を覗き込みながら、言いました。
ありふれた言葉。どこでもある言葉。けど、たっぷりの想いをこめていいました。

「だいすき!!」

たった四文字の言葉。想いの半分も伝えきれているか、心配になる。でも、それは杞憂だったようだ。

ははっと嬉しそうに笑う声。くしゃっとした笑い顔。顔を持ち上げられて、再びキスをされた。とろんとろんに溶かされきったあと、耳元で、甘い熱を孕んだ声で囁かれた。

「オレも、だいすき」

どんな偉い人の言葉よりも、心に響いて、そして、すきだなあと思った。





はじめて恋をした記憶

fin.

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