はじめて恋をした記憶


初めて会った日に告白した。きゅーんと胸が高鳴ったから。こんなカッコいい男子が彼氏だったら、色んな人に羨ましがられると思ったから。そして見事に玉砕した。新開くんに言わせると、わたしの恋は恋ではないらしい。恋に恋してる状態。新開くんじゃなくて、恋という感情に恋をしていたらしい。まさか感情に恋する日がくるとは。自分がどれだけ恋愛若葉マークなのか、よくわかった。これは駄目だ。恋する前に、恋というものを学ばなければ。と、いうわけで今日は恋愛マスターにご教授をお願いしにきた。

「お願いします、東堂くん」

深々と頭を下げて、文字通り、お願いした。今、わたしは東堂くんの前の席に座っている状態だ。東堂くんは「えーと、だな」と困ったように薄笑いを浮かべている。

「幸子ちゃんと二年生の時一緒にプール行った水着写真をあげるから、わたしの質問に答えてくれない?」

「なんでもオレに聞いてくれ」

美形に拍車をかけるような、きりっとした真顔になった。とても良い表情だ。

「東堂くんって、いつから幸子ちゃんのこと好きなの?」

東堂くんは前髪を指でいじりながら「ふっ」と口角をあげた。なんだか様になっている。さすが、えーと、スリ、スリ…スリリングビューティ。あれ、なんか違うような…。まあいいや。

「そんな簡単な質問か!それはな!」

意気揚々と答えようとする東堂くん。わたしも思わず身構える。得意げに口から放たれる言葉を待つ。しかし、流れるのは静寂ばかり。東堂くんは「…ちょっと待ってくれ」と額に手を当てながら物憂げな表情で考え込み始めた。しかし、五分経過しても、東堂くんは答えを出さなかった。いや、出せなかった、の間違いか。

「わかんないの?」

「…そのようだな。すまない」

「そっかー。幸子ちゃんもわかんないって言ってたしなー。カマトトぶってるだけかと思ってたけど、東堂くんもわかんないんだねー」

「カマトト…?」

「まあ、それは置いといて。じゃあ、東堂くんは、幸子ちゃんのことどれくらい好き?」

これは、ちょっとしたテストだった。恋に恋してるわたしが、何を言うかという話だけど。試してみたくなった。東堂くんは、どうなのか。

「どれぐらい、か」

顎に手をあてながら、難しい顔で考え込む東堂くんは、様になっていた。知的な顔立ちをしているから、何か考える表情がとてもよく似合っている。写メってファンクラブに一枚1500円で売りさばきたいなあ…、と策略をめぐらしていると、東堂くんがわたしに視線を真っ直ぐ向けた。とても真剣な眼差しに、少し圧倒されていると「悪い」と、東堂くんの口は言った。

「…よく、わからない」

一転して、歯切れ悪く答えてから「や、その、アイツのことは好きなんだが」と言葉を並べたてる。きちんと答えられなかったことが悔しいのだろう。

安心するんだ。東堂くん。

そんな意味を込めて、わたしは東堂くんの肩をぽんと叩いてから言った。

「どんなに愛しているかを話すことができるのは、少しも愛してないからである」

「…え?」

ぽかんと口を開く東堂くんに、にっこりと笑いかけてから席を立ちあがった。

「フランチェスコ・ペトラルカっていう詩人さんの名言だよー。やー、ラブラブだねー、東堂くん。じゃあね。写真今度持ってくるね〜」

背を向けてから、ひらひらと手を振る。おお、背中に熱い視線を感じる。身近な人のあだ名や名前は覚えにくいのに、偉い人の名言とか名前は覚えられる。うーん、我ながらここは変だと思う。

恋なんてしたことないから、よくわかんないけど。本当に誰かを好きになったら『東京タワーの高さ並みに好きだよ!』とか『東京ドーム1000個分の愛だよ!!』なんて、例えられなくなるらしい。

好きで、好きで、ひたすら、好きだなあ、って。そう思うものらしい。

いやはや、恋とは難しいものだ。

好き、かあ。

廊下をあてもなく歩きながら、“好き”について思いを巡らせる。

例えば、東堂くん。東堂くんのこと好きかと訊かれたら、わたしは頷く。
東堂くんのこと、好きだ。二年生で同じクラスになって、イケメンだけど自分で自分のことカッコいいって言っちゃうのはちょっときついなあ、と思った。幸子ちゃんの友達だから、悪口を言っては悪いと思って言わなかったけど。けど、同じクラスで過ごしていくうちにいい人だなーとぼんやりと思うようになって、うん、好きだよ。

新開くん、は。

ふわふわの髪の毛を思い出すと、胸が苦しくなって、やり場のない想いを唇を浅く噛むことでなんとかしようと頑張る。

…新開くんは。

緩やかに細められる瞳。穏やかにほころぶ口元。新開くんに、落ち着きのある深い声で名前を呼ばれるのが、すごく好き。一緒にいると、落ち着くんだけど、ドキドキして、胸の奥が、きゅうっと疼く。

優しく笑いかけられて、呼ばれると。新開くんのこと、好きだなあ、と漠然と思う。

恋じゃないと諭されてなかったら。フラれてなかったら。わたしは今頃、盛大な勘違いをしていただろう。新開くんのことが、すきだって。

わたしと新開くんの恋愛は、始まる前に終わったも同然だ。なんせ、勘違いの想いを告白して、フラれたのだから。もう、何の変化も起きない。一生、このままだ。

胸の奥が、今度は痛くなった。う、と顔をしかめる。最近、こういうことが多い。何か、病気なのかな。帰ったら家庭の医学をきちんと読んでみよう。胸を抑えて、足元をふらつかせながら歩いていると「堀田さん?」と呼ばれた。

振り向くと、予想通り、新開くんが立っていた。わたしに近寄ってきて「なんか、しんどそうだけど大丈夫?」と片眉を下げた心配そうな表情を浮かべながら気遣ってくれる。

新開くんは、優しいなあ。

心の中が、ほんわかと暖かくなる。大丈夫、と答えたいところだけど実際に足はふらつくし胸は痛くなるし、なので深刻な表情で「大丈夫じゃないかもしれない」と答えた。

「マジで?なに、風邪?」

「うーん、風邪なのかなあ。とりあえず、帰ったら家庭の医学を引っ張り出してみようと思う」

「や、病院行こうぜ、そこは」

「ああ、そうだね!ナイスアイディア!」

パチパチと手を叩いて「新開くんって頭いい!」と褒めちぎると、噴出された。

新開くんはよく笑うなあ。

新開くんが笑っていると、というか、わたしが笑わせているんだって、思うと、たまらなく嬉しくなる。お笑い芸人になりたいわけではないのに。変な気持ちだ。

もう少し、話を続けたくて、わたしは「あのね」と話しかける。新開くんは「ん?」と優しく耳を傾けてくれた。

「さっき、東堂くんに、恋愛のこと色々訊いてみたんだけどね、全部わからないって言われちゃった」

「使えねえなあ」

「ふふっ、ほんと!ぜーんぜんつかえない!東堂くんって、なんか、幸子ちゃんのことになるとかっこ悪くなるよねえ」

「知ってる?アイツ、吉井さんにいつもの指さすやつやってーって言われたらこけたんだぜ」

「知ってる〜!ほんとださーい!」

そう言うと、新開くんは「あ、もう知ってたか」と言ったあとで、あははっと笑った。

…新開くんには、東堂くんみたいに、好きな子、いないのかな。

ふと、そんな疑問がおりてきた。わたしと会った日は、いなかったのだろうけど。あれから、ちょっと、時間が経った。誰かを好きになるには、十分の時間が。

思ったら、すぐ言葉がぽんぽんと出てくる性分のわたしは、この時も例に漏れず、言葉を出していた。

「新開くんは、好きな子、いる?」

新開くんの笑い声がやんで、沈黙がおりてきた。少しだけ目を見開いた新開くんがじいっとわたしを穴があくんじゃないかというくらい、凝視してくる。見られたところから、焦げるように、熱を帯びて、広がっていく。

なんで、なにも言わないの。
なんで、ずっと、見てくるの。
体が、すごく熱い。

言ってほしくない言葉だったのかもしれない、と思って打ち消そうと口を開こうとするけど、声が喉に絡まって、うまく出てこない。すると。

「いるよ」

真っ直ぐな響きを持った言葉が、耳に入ってきた。

熱が冷めていく。口の中がからからに渇いた。何故か、うまく口を動かせない。表情筋がとても固い。

「そう、なんだ。へえ、そうなんだあ。…そうなんだあー!」

3度繰り返して、やっといつもの調子で返せた。わー!と両手を合わせて、はしゃいでみせた。

「そっかそっか。そっ、かあ」

元気な声が、どこか空々しい。あれ、好きな友達に好きな子がいる。恋愛よくわかんないって言っていた新開くんにやっと好きな子ができたのに。なんでこんな乾いた声を出しているんだ、わたし。

あ、そっか。

「先に、好きな子作るなんて、置いてかないでよ、ずるい!」

こういうことだ。好きな子作るの、先越されたから、嬉しくないんだ。そうだそうだ。

腕を組んで、睨みつける。新開くんはどこか寂しそうに笑った。申し訳なく思っているのだろう。わたしといっしょに恋ってよくわかんないよねー、と言い合っていたのに、先に好きな子を作ってしまったものだから。マラソン大会で『いっしょに走ろうね!』と約束したのに先にゴールしてしまったような気まずさを味わっているのだろう。

「どんな子?」

名前を聞くのが、何故か怖くて、ピンポイントではない質問をする。

「…そうだな。なんていうんだろう、かなりボケてる子」

ボケてる子。ふむふむ。新開くん、そういう子が好きなんだ。なるほど。

「そっかあ。あ、そろそろわたし、教室に戻るね。ばいばい」

くるりと身を翻して、新開くんに背中を向けて、歩き出そうとした時。

「堀田さん、風邪ひいてるんだったら、無理すんなよ」

わたしを心配してくれる、優しい声が背中に届いた。心臓が泣き出す前のように、ぎゅうっと押しつぶされた。

「保健室、ついてこうか?」

優しくされるのは好き。優しい人も好き。新開くんも、好き。
だけど、何故か今はその優しさが辛い。新開くんに心配されていることが、辛い。

「…だいじょうぶ!」

振り向かないで、わたしは元気よく答えてから、元気ですよということをアピールするように、弾むような足取りで歩いた。

『いるよ』

熱を孕んだ声。真っ直ぐな眼差し。本当に、その子のことが好きだということが、伝わってきた。

新開くんめ。いつのまに、そんな子作るとは。やるなあ。

…フラれてなかったら。

フラれてなかったら、勘違いするところだった。もしかしたら、わたしかもしれない、って。よく、ボケてるって言われるし。

ズキンズキンと胸が痛む。胸の、奥の奥が、ぎゅうっとつねられたように痛い。

フラれた。フラれたということは、その人との恋愛は、もう終わったということだ。物語で言うと、完結したようなものだ。終わり。もうこれ以上ないですよ、ということを、あの時わたしは突き付けられたんだ。

胸の奥だけではなくてお腹の奥まで締め付けられるように、痛くなってきた。

教室に戻らず、保健室に行くために、階段を降りていく。

胸が尋常じゃないくらいに痛い。なにか、わたしは病気を患っているに違いない。

視界も潤んでいるし、多分、熱だろう。

目尻にうっすら浮かんだ涙を、ぐいっと丸めた拳で拭ってから、鼻を啜った。





きみの運命になりたかった


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