ディア・マイ・ヒーロー


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今何見てるんだろう、とか。

今何食べてるんだろう、とか。

今何聞いてるんだろう、とか。

そんなことばかりで、頭が埋め尽くされていく。メールを打ってみようか、と新着メールを作成する。アドレス帳を呼び出す。あ、か、さ、た、な。な行のところで指をとめると、『鳴子章吉』という文字がでてきた。

鳴子章吉。

ただの人間の名前なのに、目にしただけで、心臓がどくんと跳ね上がる。動悸がはやくなる。呼吸するのも苦しい。お腹の奥が熱くなる。

鳴子くんって、メドゥーサみたい。目が合っただけで、石にしてくる怪物。

「…何思ってんだろ、私」

こんな妙にファンタジーなことを思うなんて。私はリアリストだ。バカバカしい。こんなバカバカしいこと、今までなら思わなかったのに。携帯電話の電源ボタンを押して、畳む。明日から、鳴子くんとまた顔を合わせるようになるのだから、わざわざ『今何しているの?』なんてメール打つ必要なんてないのだ。

「…はあ」

息を吐いて、ベッドにごろんと寝転がる。今日のごはん、どうしよう。お父さんもお母さんも今日は帰ってこない。弟は友達の家に泊まりに行った。自分の分だけご飯作るのも気乗りしないし。

…外に出るか。

一人でご飯食べれない〜という考えは私にはない。みんながワイワイ昼食を摂っている中、一人で黙々と食べていたのだ。すき家の牛丼をおじさん達に混じって一人で食べるなんて造作もないこと。

鳴子くんって、牛丼好きそう。

牛丼にまで鳴子くんを結びつける自分に、三秒経ってから気付いて、少し頬が熱くなった。


ファミレスで適当なもの食べるか、とドアを開けた時、飛び込んできたのは、いらっしゃいませーという店員さんの声。次に飛び込んできたのは。

瞬きをして目を大きく見開いている鳴子くんだった。

…え。

私も瞬きをする。何度瞬きしても、視界に鳴子くんが入っている。赤い髪の毛。小柄な体躯。意志の強そうな瞳。

「楠木さんやん!うわー久しぶり!!」

ぼうっとしていると、鳴子くんが距離を詰めてきた。合宿に行く前と、変わっていないマシンガントークを私に放ってくる。

…いや、変わってる?

吃驚して目が回っていたから気付かなかかったけど落ち着いてよく見ると、日焼けしているし、顔立ちが少し凛々しくなっているような気がする。何かを山をひとつ越えたようだ。決して驕っている訳ではない自信が鳴子くんから溢れている。

なんか、すごく、男子って感じがする。

「楠木さん、どないしたん?」

「あ、ごめん、ちょっと、うん」

何も言葉を返さない私を不思議に思ったのか、鳴子くんが不思議そうに問いかけてきた。しどろもどろになって、意味を為していない言葉を返すと「何言ってんのか全くわからん!」とカッカッカッと大きく笑っていた。

すると、鳴子くんの肩に太い腕がまわされた。

「おいコラ鳴子、何ナンパしてんだ?」

言葉とは裏腹に、顔ににやにや笑いを貼り付けている大きな体の男の人。鳴子くんは「ハァ!?」と顔をほんのり赤く染めて声を荒げた。

「この子あれだろ、お前が口説いている女子だろ、いやー合宿後でも口説くのを忘れないとは…。チビのくせに色気づくのだけは一人前だなァ?」

「田所っち、生まれたての小鹿達をあまりからかうなッショ。鳴子はともかく、そっちの女子が可哀想だ」

「鳴子はともかくってなんなんスか巻島さん!?」

なんか、この三人すごく濃いな…。変な語尾がある人、私に助け舟を出してくれたから良い人なんだろうけど、緑色の…長髪…。すごい…。

「皆さん、どうしたんですかー?」

「もう席に案内されて…って、アンタ」

続いて、メガネの男の子と、今泉くんが現れた。今泉くんは私を見て、少し驚いていた。

「鳴子に無理矢理呼び出されたのか?」

「ちゃうわ!なんでお前らと飯食うのに楠木さん呼び出すねん!楠木さんとなら二人っきりで飯食いたいわ!」

「わあ〜、ふ、二人とも落ち着いて〜」

いがみ合う鳴子くんと今泉くんを、メガネくんが必死になって仲裁している。大変だな、あの子…。鳴子くんは「ああもうスカシになんて構っとる場合ちゃう!」と喧嘩を切り上げて、私に向き直った。

「おとんとかおかんとかと、一緒に来た訳ちゃうん?」

「うん。どっちも出張で弟も泊まりで、ご飯作る気になれなくて、何か食べに来たの」

「っちゅーことは、一人ってことか…。なら、一緒に食わん?」

「えっ」

予想外の申し出に吃驚する。鳴子くんは、部活の人たちと一緒に食べに来たんじゃ、と顔に出ていたらしい。

「あー、楠木さんが良かったらって話やけど。この人ら、うるさいし性格悪いしコミュ障二人おるけど、まあ、根は悪くないから。特にメガネの奴はええ奴やで〜、スカシは悪い奴やけどな〜」

「鳴子全部聞こえてんぞ」

「コミュ障で悪かったな」

今泉くんと緑色の髪の毛の人が鳴子くんを後ろから睨みつけていた。鳴子くんがぎょっとしてから跳ね上がった。

鳴子くんが言うのだから、良い人達なんだろうけど、でも、部外者の私が入っても、いいんだろうか…。

鳴子くんが緑色の髪の毛の人に謝っている(今泉くんには謝っていなかった)向こう側に視線を走らせると、クマのような人と目が合った。

「かまわねーよ。つーかオレは大歓迎だぜ。こいつらと飯食ってもむさ苦しいだけだしな!ハッハッハッ!」

大声で笑いながら、緑色の髪の毛の人の背中を叩いて、緑色の髪の毛の人が前によろめいた。

「田所っち、力の加減を…!」

「お、わりーわりー。な、巻島もいいだろ?」

緑色の髪の毛の人は、巻島さんと言うらしい。クマのような人は田所さん。巻島さんは、私に目を向けてきた。

「…オレも、別にいいけどよ」

少し視線を私から外して、頬をほんのり赤く染めながら、そう言った。

「あー!ちょっ、巻島さん何顔赤くなってるんすかー!?」

「あ、そういえばあの女子巻島の好きなグラビ―――もごもごっ」

「田所っち頼むその先は!その先は!!」

こうして私は、合宿帰りで同じ家の方面の自転車競技部の皆さんと夕飯を一緒にすることになった。


この場で鳴子くんしか知り合いと言える知り合いがいないから、私の席は当然のように、自然と、鳴子くんの隣になった。私は一番奥で、鳴子くんがその隣。

…なんか、むず痒い。

鳴子くんと私の肩の間にある空気が、なんか、むず痒い。緊張する。距離が近い。

「俺はとりあえず焼肉定食とハンバーグ定食とそれからポテトと…」

「…田所っち…」

「ええーっと僕は…カルボナーラで」

「小野田くんめっちゃ女子やな!」

「え、僕男子だよ?」

「マジレスされたで」

「俺は…俺は…」

「なんやスカシ、お前めっちゃ優柔不断やな〜。女々しいわ〜」

「…喧嘩売ってんのか?」

メニューを開きながら、こっそりと鳴子くんを伺う。鳴子くんって、いつも部活の人たちとこういう風に話しているんだ。やっぱり、よく喋るなあ。常に口を動かしているし、笑っている。

前、少しだけ部活の人と一緒にいるの見られたけど、こうやって、きちんと見るのは初めて。なんだか、嬉しい。鳴子くんがどういう風に他の人と関わっているのかを知ることができるのって、嬉しい。

自然と緩みそうになる頬を、メニューで隠す。

「楠木さんは決まった?」

「…カルボナーラにしようかな」

「女子やー!」

いちいち大袈裟にリアクションする人は苦手だ。でも、鳴子くんの大袈裟なリアクションは、苦手じゃない。…なんなんだろ、これ、一体。

不思議な依怙贔屓に、心の中でこっそりと首を傾げる。料理が運ばれてくるまでの間、鳴子くんは何も知らない私を場に溶け込めるように、常に話を振ってくれた。無神経な発言も多いけど、鳴子くんはとても優しい。一緒にいると、干したての布団のように、心が温かくなる。

…いい人だなあ。

料理が運ばれてきて、カルボナーラをフォークで巻いていると、不意に、田所さんが私に話しかけてきた。

「楠木さん、あのよ。鳴子、インハイメンバーに選ばれただろ?」

「…へ?」

インハイ…メンバー?

何のことを言っているかよくわからず、目が点になる。すると、鳴子くんがお箸をおいて、慌てたように声を荒げた。

「ちょっ、オッサン!」

「何慌ててんだよ。え…お前言ってなかったのかよ」

当然言っているものだと思っていた、と言うように、田所さんは目を丸くした。今泉君も「お前ならもう自慢していると思っていた」とハンバーグを頬張りながら、鳴子くんを横目で見る。

鳴子くんは、ぷるぷる震えたかと思うと、勢いよく立ち上がった。

「オッサンのアホーッ!!もっと…もっと派手に言うつもりやったのに!!なんでそんなウンコしてくるわ、みたいな気軽なノリで言うんや!!」

田所さんを指さしながら、噛みつくように言う。

「鳴子…お前人がカレー食ってる時にウンコの話すんじゃねえ…」

「ま、巻島さん!ぼ…、僕のカルボナーラ食べますか!?」

「あーそうだったのか。わりーわりー。まあ、いつ言っても結局同じだから、気にすんな!」

「アホーッ!ワイはなあ、もっとこう公園とかで…ロマンチックに言うつもりやったんや!そんで楠木さんに『南を甲子園に連れてって』ならぬ『結衣を箱根に連れてって』って言ってもらう予定やったんやー!それこんな、むさ苦しい男だらけの、ファミレスで暴露してええ!!」

「しょうもねえ」

「スカシーッ!!」

今泉くんに食って掛かっていた鳴子くんのTシャツの裾を引っ張った。え、と鳴子くんが吃驚した顔を私に向ける。

「鳴子くん、インハイメンバーって、つまり、インターハイってことで、インターハイのメンバーに選ばれたってこと?」

真剣に問いかける私に気圧されて、鳴子くんは「ま、そ、そうやな」とたじたじになって答える。

鳴子くんが、インターハイに行ける。インターハイで選手として走れる。

心の底から、喜びが湧き上がって、それはあふれ出た。

「おめでとう…!」

インターハイが、どれほどすごいものか私は知らない。けど、鳴子くんが、出たそうだったから。きらきらと目を輝かせて、インターハイへの情熱を熱く語っていたから。鳴子くんがそんなに出たいなら、出られたらいいのに、と漠然と思っていたけど。

「おめでとう、よかったね、ほんとによかったね…!」

まさか、私までこんなに嬉しくなるなんて。自然と、満面の笑顔になる。

「え、えーっと、えーっと…お、おおきに」

鳴子くんの顔は真っ赤だった。いつもよく動いている口が、同じ言葉を繰り返したあと、小さくお礼を紡いだ。そんな鳴子くんを見て、やっと少し冷静になれた私は、はしゃぎすぎたことに気付いて、恥ずかしくなる。釣られて私の顔も赤くなった。

「な、なんだ、この甘酸っぱい空間はよ、巻島…」

「…生まれたての小鹿ッショ。そっとしとこうぜ」

「小野田悪い、そこのしょうゆ取ってくれ」

「わかった〜」

久しぶりに鳴子くんの顔を見ながら食べる。肩と肩の間の空気がくすぐったい。カルボナーラはとても美味しかったのに、胸がいっぱいで、すぐにお腹がいっぱいになってしまった。




やわらかな腫瘍

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