ディア・マイ・ヒーロー


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制服は夏服に変わり、肌にまとわりつく空気が生温かい。木々の合間を縫って差し込む光が眩しい。

すっかり、鳴子くんとお弁当を食べる事が“いつものこと”になった。いつものように、とりとめのない会話をしながら、お弁当を食べる。けど、今日の鳴子くんは、いつもと違った。いつもは、鳴子くんと私の会話は、鳴子くんの喋りが八割がた占めているのだけど、今日は、六割くらいだった。鳴子くんの口数が、いつもより、少なかった。

いつもより、パンも食べていないし、お腹でも痛いのかな…。

体調悪いの?と訊こうと口を開いた時、鳴子くんが私にこう言ってきた。

「楠木さん、寒咲幹って女子、知っとる?」

少し、歯切れ悪くそう言ってきた。知らない名前を出されて、目を丸くする。私は「知らない」と首を振った。

「自転車競技部のマネージャーやねんけどな、ええ子やねん。会ってみいひん?」

鳴子くんはパンを頬張りながら、伺うように、顔を覗き込んできた。

寒咲幹。鳴子くんの口から、初めて女の子の名前が出てきた。ちり、と胸が燻った。

…なんか面白くない。

「楠木さん、女子の友達、ほんまはフツーに欲しいやろ?」

「…」

機嫌が悪い私は、欲しい、と素直に言えなくて、黙り込む。

「隠しとってもバレバレやで。女子がきゃっきゃしているの、いつも羨ましそうに見ているやん。…まあ、女子としか喋れん話も、あるやろうしな」

鳴子くんは寂しそうに笑った。いつも元気な鳴子くんが、そんな顔をするとは思わなくて、吃驚した。そして、次に、胸が疼いた。

―――鳴子くんと一緒にいるの楽しいよ。

そう言いたいのに。言いたいなら言えばいいのに。胸に詰まって、うまく言葉が出てこない。鳴子くんはそんな私に気付かず、話を進めた。

「多分、気ィ合うと思うねん。五時間目のあと、会ってみいひん?」

「え、っと、あ、うん」

言えないまま、話の流れで、頷いてしまった。違う、それよりも前に言うべきことがあるでしょ、と心の中で自分を叱咤する。けど、鳴子くんが大きく笑って。また、胸が何かでつっかえた。

「んじゃ、五時間目のあと、4組の前でな!」

ニカッと笑うと、大きな八重歯が見える。でもその笑顔は、いつもと違って、少し無理しているように感じた。










「結衣ちゃんのお弁当ってほんと美味しそうだよね〜」

「出し巻き卵きっれーに巻くね、あんたほんと」

幹ちゃんとアヤちゃんが私のお弁当を覗き込んで、目を輝かせたり、ほう〜っと感嘆の息を吐く。同い年の女の子とお弁当を食べることが久々すぎて、私は強張りながら「あ、ありがとう」とお礼を述べた。

私は、鳴子くんに幹ちゃんを紹介された次の日から、幹ちゃんとアヤちゃんと昼食をともにしている。鳴子くんは、今、合宿中なのだ。学校に公欠届を出してまで合宿を行うのか、と目が丸くなった。

…私が一人で食べなくてもいいように、気を遣ってくれた、のかな。

その優しさを、素直に嬉しいと思う気持ちと、同い年の男の子にご飯を一緒に食べてくれる相手を探してもらったという、なんともいえない気恥ずかしさに包まれる。素直に嬉しい、とだけ思えばいいものを。ぼっちのくせに、無駄にプライドが高い。我ながら、可愛くない性格だと、ほとほと思う。

幹ちゃんとアヤちゃんを、こっそりと盗み見る。二人は、なんで私と仲良くしてくれるのだろうか。

私は、女子には、嫌われるか、腫れものに触るという態度をとられている。原因は中学の時同じグループの友達の男子が私を好きになったことが原因で、男好きというレッテルを貼られ、それは高校にまで続いている。事情を知らない女子にまで、中学の時の私の悪い噂がなんとなく伝わっているらしい。

『か、寒咲さん』

『幹でいいよー』

『あー私も、アヤでいいから』

…そう言われて、嬉しかった気持ちは否定しない。鳴子くんから幹ちゃんを紹介され、幹ちゃんからアヤちゃんを紹介され、友達の輪が広がっていくみたいで、嬉しい。けど、油断してはいけない。いつ、どこで、輪からはじかれるかわからない。それが女子社会だ。いくら鳴子くんからの紹介だとしても。

「ねー、今度三人で遊びに行こうよー」

「おー、いいね。いこいこ。カラオケ行きたい」

…本当に、なんで私と仲良くしてくれるんだろう。

私は、お箸を一旦、お弁当箱の上に置いた。「あの、」と二人に呼びかける。幹ちゃんが「ん?」と笑顔で首を傾げた。

「二人とも、私の噂、知らないの?」

「知っているよ?」

即答で返されるとは思っていなくて、へ、と間抜けな声を漏らしてから、数回瞬いた。

「女子の間じゃ、もう広がってるよね」

「まーねー」

幹ちゃんはウインナーを頬張りながら、アヤちゃんはジュースを飲みながら、なんてことなさそうに会話をする。

私の噂を知っていて。なのに、私とごはんを一緒に食べている。遊びにも誘ってくれた。意味がわからない。

「男好きで人の彼氏盗るって、噂、知ってて、どうして」

「うん。…だから、ごめんね。結衣ちゃん。私、鳴子くんのあれを見るまで、結衣ちゃんのこと誤解してた」

幹ちゃんは、お箸をお弁当の上に置いて、眉を顰めながら、頭を下げてきた。謝られて、動揺していると、アヤちゃんも「あー…。私も幹から聞くまで誤解していた。ごめん」と謝ってきて、さらに動揺してしまう。

って、ん?

「…鳴子くんの“あれ”を見るまで…?」

あれって、なに?と首を傾げると、幹ちゃんは目を丸くした。

「知らないの?」

「…なにを?」

「駄目だ、こりゃ。知らんわ、この子」

アヤちゃんが肩を竦めた。

「えー!そうなんだ、そんなに広まっていない感じ?」

「…、私、友達いなさすぎて、情報遮断されてるから、噂とか回ってこないんだよ」

「暗い暗い暗い」

「そうなんだ、じゃあ、これからは、私とアヤちゃんがいるから回ってくるね」

笑顔で、さらりと、自然に言われて。胸に熱い物がこみあげてきた。泣きそうになって、下唇を噛む。アヤちゃんが「幹の女泣かせ」と茶化してから、ぽつりと言った。

「まあ、ほんとの女泣かせは、鳴子くんだけどね」

…え?

「鳴子くんが、女泣かせ?」

アヤちゃんの言っている意味がわからず、オウム返しをしてしまった。

「鳴子くん、6組の女子泣かせたんだよ」

「え…!?」

鳴子くんは、確かに、無神経な物言いをする。うるさいし。でも、とても優しい。少なくとも、私が知っている鳴子くんはそうだ。

「私、鳴子くんに用があって、6組にいったんだけどね、」

幹ちゃんは、んー、と顎に人指し指を当てながら、記憶を取り出していった。





ふわ〜っとでかい欠伸をかます。やっと三時間目が終わった。じっと座っているのは性に合わない。口か脚か。どちらかを動かさないと落ち着かない。三時間目から、四時間目。この時間がとてつもなく長く感じる。あれや、相対性理論というやつやろう。退屈な時間ほど長く感じるという。そして、楽しい時間ほどあっという間に過ぎるという。

楠木さんは、口数が多い方ではない。表情の変化も乏しい。だから、笑わせた時の快感は大きかった。もちろん、自分の好きな子やからという前提があってこそのことやけど。

楠木さんの見た目は、好きな子やからというひいき目を抜いても、可愛い。クール系の顔立ちやから、近寄りがたい雰囲気を放っている。まあ、ワイはそんなん物ともせず告ったけど。男は度胸やで。

はよ会いたいなー。喋りたいなー。ワイが一方的に喋ってばかりやけど。

頭の裏に組んだ手を回しながら、椅子を前後に揺らす。すると、クラスメートの女子、二三人が、「ちょっといい?」と声をかけてきた。何か言いたげな顔をしている。

「なに?」

「…鳴子くんって、楠木さんのこと好きなの?」

おー、どっからその情報が沸いたんやろう。まあ、毎日昼休みの時突撃しに行っとるし、バレるか。

「うん、すきやで」

素直に頷く。けど、やっぱり少しだけ気恥ずかしくて「もー、こんなとこで何言わすねん、や〜らし〜」と冗談を言って恥ずかしいのを失くそうとする。けど、女子達はワイの明るい顔とは反対に曇ったり、眉を寄せたりした。

「…鳴子くん、あの子の噂知らないの?」

「知らんよ。ワイ、高校からこっちやし」

「だ、だよね。知らないから、そう言えるんだよね」

女子の一人が、ほっとしたように胸を撫で下ろした。意味がわからず、きょとんとする。安心している女子の隣にいる少しきつめの顔立ちをした女子が、立てた手を口に寄せながら、小声で言った。

「あのね、鳴子くん。楠木さんって、この子の好きな男子とったんだよ」

「…とった?」

とった、が、盗ったを指していることに少し経ってから気付くことができた。

「そ。とったの。楠木さん、この子がその男子のこと好きって知ってたのにさ、消しゴム貸してって言われたら貸したり、教科書見せてって言われたら机くっつけたり。同じバンドが好きだからってさ〜CD借りていたりしてたんだよ?」

…。

「え、そんだけ?」

大したことなさ過ぎて、拍子抜けする。それの何が悪いのか誰かワイにわかりやすく一から十まで丁寧に教えてほしい。思わず間抜けな声でそう問いかけると、「そんだけ、って…」と女子達がムッとした。

「あんな可愛い子がさ、そういうことしたら男子は勘違いするに決まってんじゃん」

「…あー…、まー、するやつはするやろうな」

男子というのは馬鹿で単純な生き物。目と目が合っただけであの子俺のこと好きなのかも!?という話で盛り上がれる。

「そうだよ。そうやってさ、何人も人の好きな男子盗ったんだよ」

「盗ったは大袈裟やろ」

「お弁当作ってくるとか、女子力アピールうざくない?やらしい」

「そらおかん忙しいんやからやっとるだけやろ」

なんや、めんどくっさー…。

無理矢理、楠木さんにケチをつけてくる女子達にげんなりとしてしまう。よくもまあ、こんなアホくさい理由を並べられるものだ。寝る方がよっぽど有意義な時間。くあ、と欠伸をかまして話半分にはいはいと流すワイに腹立ったのか、女子が語気を強めて離し始める。

「あの子、私たちのこと馬鹿にしてたんだよ、はぶったって、泣き顔ひとつ見せなかったもん」

欠伸する口がとまった。

「…なんやって?」

自然と、低い声が出てくる。男にしては高い声のワイから出てくる低い声。女子は、やっとワイがまともに話を聞くことになったのかと思ったようで、身を乗り出して話しかけてきた。

「私たちと楠木さんって同中で同じクラスでお同じグループだったんたけど、あの子を修学旅行の三日前にはぶってさー、楠木さん、一人で京都観光したの。ちょーウケる」

「ひとりで鹿に煎餅あげてたよね」

クスクスと、甲高い笑い声に耳にまとわりついて、鬱陶しくて仕方ない。

「男子のところにいれてもらえばいいのにね」

「男子だって、どうせあの子の見た目しか好きじゃないんだから、話したら面白くない子だってわかって、嫌になるでしょ」

「私らがさ〜大爆笑していても、あの子、上品ぶった笑い方しかしないもんね。そういうとこ、ほんと嫌いだった」

京都とか奈良が修学旅行やったんか。そうか。ここらへんの地域やと、そうなるんやな。

その頃に、楠木さんのことを知らんかった自分が、心底アホやと思う。高校から知り合ったんやから、しゃーないっちゃあ、しゃーないけど。

大阪から京都なら、一時間〜二時間あれば行ける距離。もし、今、そんな目にあっていたら。チャリ漕いで会いに行く。会いに行って、うざ絡みして。

『なる、こ…く…っ』

目尻の涙を拭いながら、右手は口を抑えながら、左手は腹にあてながら笑っている楠木さんの顔が浮かぶ。

息も絶え絶えになるぐらい、笑かしてやる。

「あっほくっさー」

腹の底からでかい声を出した。クラス中の視線がワイに集まる。視線を集めるのは大好きなので、丁度良い。

「貴重な休み時間がブスの僻みトークで潰れたわー。あーあ、最悪」

「ブ…ッ!?」

女子達が目をひん剥いた。性格のように悪い顔がいっそう悪くなる。ワイは耳をほじくりながら言った。

「性格ブスにブス言って何が悪いねん。鏡見てき。めっちゃブスおるから。いや、自分らしょっちゅう鏡見て前髪直してんのになんで自分のブスさ加減に気付かんの?アホ?」

最初、よかったと胸を撫で下ろしていた女子の目の縁にじわじわと涙が貯まっていった。「ひどい…っ」と震えた声で呟く。

「鳴子くんサイテー!女子にそんなこと言うなんて!ほら、この子なんて泣いちゃったじゃん!」

「泣けば済む思うてる女の涙なんかどうでもええわ。ええやん。泣け泣け。泣いたら、泣かした奴のこと悪い奴にできるもんなあ。悪者になったるわ。どうぞご自由に?」

楠木さんなんて、泣きたくても泣けなかったんやろう。大方、こいつが泣いて、私の好きな男子盗ったと泣きながら詰ってきて、泣くに泣けなくなったんやろう。まるで見てきたかのような言いぐさ。けど、ワイの知っているあの子はそういう子。

見た目ほどクールじゃなくて、面倒見が良くて、結構意地っ張りで、笑うとめっちゃ可愛い、そういう子。

物も、人も、見る目はあるワイが言うんや、間違いない。

女子のひとりがワーッと大声をあげて顔を手で覆いながら、教室から出て行った。ワイに最低!死ね!と暴言を叩き付けてから、泣き虫女子を追いかける女子二人。ぽかーんとワイを見ているクラスメート達の視線なんて痛くもかゆくもない。…ちょっと盛った。ほんまはちょっと痛い。

女子を泣かせるような趣味はない。どっちかというと、女子は好きやし。泣かせたくない。けど、好きな子をいじめるようなブスに優しくできるほど、ワイはできた人間ちゃう。自転車と友達と好きな子をこよなく愛する男やからな、ワイは。

…こよなく愛するんやったら、優しくせな、なあ。

前々から思っていたことがある。ワイはそれから目を逸らしてきた。

楠木さんは、女友達を欲しがっているということ。本人は口には出さんけど、楽しそうにはしゃいでいる女子達を、楠木さんはいつも目で追っていた。あの中に入りたいと目が言っていた。見てきたから、知っている。ワイも楠木さんのこと目で追っていたから。

知っていたのに知らない振りをした。

楠木さんが友達できんかったら、ワイだけを頼りにしてくれる。ワイにだけ、微笑んで、手を小さく振ってくれて。

楠木さんを独占したいというガキじみた独占欲から目を逸らしてきたけど。

「…よっしゃ!!」

ワイは自分を鼓舞する大声をあげながら立ち上がった。マネージャーのいる教室へ向かおうと、入口に出ると、マネージャーが目を丸くして、ワイを見ていた。なんや、ちょうどええところにおったわ。行く手間が省けて、思わず、笑顔になった。








「っていうことがあったんだよー」

幹ちゃんの話を聞いて、頭が真っ白になった。

どくどくどくと心臓が鳴っている。

幹ちゃんは、茫然としている私に、穏やかな暖かい声で語りかけてくる。

「鳴子くんからね、結衣ちゃんのこと、たくさん聞いたよ。何回も何回も、ほんまに良い子やねんって言っていた。ワイが惚れるくらいなんやで!?って、すっごく一生懸命になってて。それでね、私ほんとーに鳴子くんって、」

幹ちゃんは、にっこりと、嬉しそうに笑った。

「結衣ちゃんのこと大好きなんだなーって。なんか、私まで嬉しくなっちゃった」

その一言がきっかけとなって。涙がぼろっとあふれ出てきた。滲んだ視界で幹ちゃんとアヤちゃんがぎょっとしたのがわかる。やっとできた友達に面倒くさいって思われたくなくて、必死になって涙を止めようとするけど止まらない。思考回路だって、うまく回らない。
言葉が、さっきから、点滅しては、消えて、浮かんで、またなくなって。でも、ひとつだけなくならない言葉があった。

鳴子くん。

会いたい。

君に会いたい。

ここにいない鳴子くんの笑顔が、脳裏に大きく浮かんだ。




瞼は閉じても開いてもあなた


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