ディア・マイ・ヒーロー


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私は部活をしたことがない。ずっと帰宅部だ。なので、仲間と切磋琢磨したことなんてないし、ライバルと競い合ったこともない。負けて、本気で悔しくて泣いてしまうことなんて、今まで一度もなかった。

『前やった、一年生レースでなあ、ワイ、二位やったんや』

すごいね、と答えようとするよりも、雄叫びが覆いかぶさってきた。

『あーッ、今思い出してもめっちゃ悔しいーッ!!』

キーン、と耳を鳴らした。頭が痛い。それぐらい、大きな声だった。鳴子くんはべらべらとまくし立てる。

『言い訳はせえへん!負けた!負けた!スカシに負けた!!クソーッ!!スカシめーっ!!』

力んでいるせいで、鳴子くんが持っているメロンパンが、潰れた。ぐしゃあっと。私はポカンと口を開けながら、鳴子くんを見る。二位だから、いいんじゃないの?と私は思うのだけど、鳴子くんは二位だと、ものすごく嫌らしい。

『ずぇぇぇったいに、今度は、勝つねん!』

『は、はあ』

『楠木さんにはな、言っとかなアカンって思っててん!』

『は、はあ』

『こんなダサいこと、楠木さんには知られたくないけど、知らせとかなアカンって思ってな!そんで、楠木さんに宣言しといたら、余計に負けられんくなるからな!だって、好きな子に負けへん言っておいて、負けたらダサいの極みやろ!』

力強くそう言うと、満足そうにニカッと笑った。さあ、メロンパン食べよ、と手にしたメロンパンの悲惨な姿を見て『なーっ!?』と目を見開いていた。

…ここまでストレートな表現は、ほんと、初めてされる…。…恥ずかしい人だな…。

頬が熱くなるのを感じながら、からあげを口に運ぶ。噛むと肉汁が沸いた。うん、我ながら美味しい。

『鳴子くんって、ほんとに部活大好きだよね』

『まあな!自転車競技部があるから、総北選らんだようなもんやしなあー』

『ふうん』

鳴子くんは、自転車のことになると、元々高いテンションを更に高くする。小さな子供のように目を輝かせて、心底楽しそうに喋る。こんなに、何かに夢中になっている人を初めて見た私は、ただただ圧倒されるばかり。口に出したら、調子に乗りそうだから言わないけど、そういうところは良いな、と、思った。

『なんか箱学?っちゅー強いところあるらしいけどな!ワイの敵ちゃうわ!かっかっか!』

うん、絶対調子に乗るから、言わないでおこう。








「オレさー、マジで、たくさん遊び方とか知ってるし、ねー」

ちゃらちゃらしているニコ上の先輩からの長ったらしい告白を、鳴子くんとの会話を思い出すことで、なんとか苛々を減らそうと頑張るのだが、こうやってひっきりなしに喋りかけてくるので、全然減らなかった。むしろ、増すばかりだ。

「…すみません」

「別に、好きな奴とかいないんでしょ?物は試しって言うし」

「私、好きな人とじゃなきゃ付き合いたくないんです」

「そこをなんとか」

あー、もう、鬱陶しい!!と叫び出したい気持ちをぐっとこらえる。

先輩だから、きつく当たれない。苛々する。昼休みに何分拘束するつもり?お腹減ったんだけど。

「結衣ちゃん、固いな〜」

気安く下の名前を呼ばないでください。と睨みつけようとした時、睨む代わりに、目を見開いてしまった。先輩が私との距離を詰めて、肩を掴んできた。鳥肌が立って、反射的に、ふりほどいてしまった。目を見開く先輩に、私は鋭い視線を向けた。

「やめてください。先輩とは、お付き合いできないって、何回言ったら納得してくれるんですか」

我慢できるレベルの苛々の量を超えてしまい、私は相手が“先輩”であるにも関わらず、強い口調で言った。ぽかんと口を開いていた先輩は、ハァッとため息吐いてから、小さな声で言った。

「…ぜんっぜん可愛くねえな」

…その全然可愛くない女子に声かけてきたのは、一体誰。

むかっとして、反論しそうになるけど、反論したら面倒くさいことになりそうなので、ぐっと堪える。

「顔は可愛くても、性格がそれじゃあな。あーいいよ。こっちから願い下げだよ」

それでいいよ。私だって、あんたなんか願い下げ。

「そんなんだから、友達できないんじゃねえの?」

憎々しげに言われた言葉に、ぴくっと眉が動いた。鉄仮面を貫いていた私が、やっと反応を見せたことが嬉しかったのか、先輩は下卑た笑みを貼り付けた。

「あんたさ、中学の時、友達の男とりまくってたんだろ?」

冷水を頭から浴びせかけられた気分になった。目が見開く。体が強張って、小刻みに震えはじめた。

「ちが、い、ます」

動揺を悟られないように、顔を俯けながら、片手で二の腕を掴んで、震えを治まらせようとする。

「嘘はいけないよー?オレ、結衣ちゃんと、おな中の奴から、結衣ちゃんのこと聞いたもん。友達の男とりまくって、はぶられるようになって、修旅もひとりで行動してたんだろ?カワイソー、って言いたいところだけど自業自得だよね」

先輩の声で、ある日突然、グループからはじき出された日のことが、思い出される。

男好き。

サイテーだよね。

忘れ物を取りに帰った教室で、私のことをそう話していた、元・同じグループの子達。私、結衣ちゃんのことずっとずっと嫌いだったんだよね、と、一番仲良いと思っていた子に言われた時の衝撃。

『男子はさー、ああいう、何にも喋らない人形みたいな子好きだよね』

『マジで男子って馬鹿!』

『でもさー、あの子の見た目だけが好きってことじゃん。そんなの、エロいことしたい目的で好きってだけじゃん』

『え、やだ、そこまで不潔じゃないでしょ』

『ほんとだって。だって、大宮が結衣ちゃんで抜いたっていうの聞いたもん』

『抜くってなに?』

『やだー、みっちゃん知らないの〜?オナニーってことだよ〜』

『きゃーっ!』

周りの眼なんて気にしたら負けだ、っていう意見もあるけど。私は気にする。大いに気にする。

“お前のことなんて嫌いだ”と嫌悪の目で見られることと。性的な目で見られること。

どっちも、怖い。

「そうやって、都合の悪いことになったらだんまりするってことも聞いたよー。そういうのさあ、」

「いい加減にせんかい!!」

聞きなれた怒鳴り声が、私と先輩の間を裂いた。顔を上げる。少し高い位置にある、赤い髪の毛が、視界の大半を埋めていた。

「告白を邪魔するのは野暮やと思ってなァ、黙ってきいとったけど!なんやねんお前!楠木さんのこと好きなんちゃうんか!?好きな子傷つけて泣かす性癖もっとるんか!?あれか!?Sってやつか!?」

先輩につかみかからんばかりの勢いで、鳴子くんは怒鳴る。

「…は? ちょっ、お前、誰」

「ワイは鳴子章吉じゃボケェ!!」

「…お前、結衣ちゃんのなんなの。彼氏ってわけじゃねーだろ?」

「せやな!!立場的にはアンタと同じや!!だから、アンタが楠木さんのことを口説くのをワイにとめる権利はない!!けどなァ!!」

すうっと息を吸い込んでから、学校中に聞こえるのではないかと言うくらいの大きな声で、叫んだ。

「楠木さんのこと、人づてでしか知らん奴に、楠木さんのこと知った風に言われるんだけは、我慢ならんねん!!」

そのまま、とても大きな声で、鳴子くんはまくし立てる。

「お前知っとるんか!楠木さんはなあ、おかんが共働きやからって、代わりに弟の分まで弁当作っているところとか、クールぶっているくせに、結構笑いのツボが浅いところとか、無駄に引っ込み思案なところとか、面倒見いいところとか!!何も知らんくせに、何も知らんくせに…っ」

「勝手なこと、言うなやぁぁぁぁ!!」

とても、大きな声で叫ぶものだから、ぜえぜえと息切れをしている。肩が上下に動いていた。

「だからな、その…ゲホッ、ゲホゲホッ、ちょっ、痰が喉に…ゲホゲホッ」

「…いきなり出てきた一年のくせに、何、言ってんだよ。ヒーロー気取り?」

鳴子くんの剣幕に圧されつつも、一年生にビビっていると思われたくないためか、先輩は必死に虚勢を張る。鳴子くんよりは身長高いけど、どうしてだろう、小さく見える。

「ヒーローだと、思います」

そう見えるからか。鳴子くんが近くにいてくれるからか。するりと声が出てきた。

「鳴子くんは、ヒーローです。ロードレーサーをやっているんです、彼。先輩が色んな遊び場所を探索している間、鳴子くんは、インターハイに向けて、ずっと、自転車を漕いでいるんです。先輩には、ありますか。負けて、悔しくて仕方ないっていうこと。

―――少なくとも、私にとっては、」

すうっと息を吸い込んだ。鳴子くんみたいな大声は出せないけど。いつもより、少し大きな声を、真っ直ぐに、ぶつけた。

「毎日遊びほうけてばかりのあなたなんかより、鳴子くんの方が百億倍ヒーローだと思います!」

見たことないけど。

小柄な体で、懸命にペダルを漕いでいる鳴子くんは、ヒーローみたいなんだろう。赤が好きだから、戦隊ものの、レッドの位置にいるのかもしれない。

そんなの、まぎれもなく、ヒーローだ。

鳴子くんが、振り向いて、ぽかんと口を開けていた。目と目が合う。恥ずかしくて、鳴子くんから、目を逸らした。

「…、意味、わかんねェ」

先輩は心底不愉快な表情を浮かべ、舌打ちしてから、踵を返した。

「あ、こら、逃げるんか!!このヘタレ!!ウンコ!!」

「鳴子くん、」

「アイツ、楠木さんに謝ってへん!あんな失礼なこと言っといて!!絶対に、あや、まら―――、」

途中で、鳴子くんの言葉が止んだ。自意識過剰かもしれないけど、私が、鳴子くんの背中に、こつんと額をぶつけたからだと思う。

「ありがとう」

小さくお礼を言ってから、ぱっと体を離した。

「お腹、空いた。鳴子くん、もう食べた?」

「えっ、ええっと、ま、まだ」

「…あの、さ」

最初は確かに、迷惑に感じていた。でも、気付いたら、昼休みの時間を何よりも楽しみにするようになった。軽い足取りで中庭に向かって、ベンチに座る。まだかな、と周囲に視線を遣りながら、鳴子くんが来るのを待っていた。それなのに、私はいつまでたっても、鳴子くんが来ようが来なかろうがどうでもいい、なんて体を装って。なんて可愛くない奴だ。

たまには、私も、鳴子くんを見習って、素直になりたい。

「一緒に、お昼食べてくれない?」

シーン、と静寂が漂った。背中を向けていた鳴子くんが、勢いよく、私に体を向けた。

「食う!!食います!!食う!!」

両手をぎゅうっと丸めて、鼻息荒く、答えた。

「…今日、お弁当、多く作り過ぎたから、あげるよ」

「え…っ!?ちょ、楠木さん…。ワイのことしばいてくれへん…?」

「は…っ!?な、なんでよ」

「ちょっと…幸せすぎて…。これ、夢なんちゃうか…?え、これほんま夢なんちゃうん!?ええっ!?」

鳴子くんは頭を抱え込んで、聞き取れない速さで自問自答を始める。ふうっと息を吐いてから、私は、鳴子くんの額をぺしゃりと叩いた。

「…え」

鳴子くんは、額を抑えながら、ぽかんと口を開けて、私を凝視する。力強い視線を一身に受けていることが恥ずかしくて、強い口調で言った。

「ほら、夢じゃないでしょ。馬鹿なこと言わないの」

ああ、なんて可愛くない言い方。

こんな可愛げのない口調で言ったのに、鳴子くんは。

「やったああああああああ!!」

「…うるさい」

「うるさくせずにはいられんわ!!ひゃっほー!!イエーイ!!」

こんなに喜んでくれるのだから。

「…単純」

「え、なんか言った?すまん!もっかい言ってくれへん?」

「別に聞いてなくてもいいことだよ」

「ええー!?」

「ねえ、鳴子くん。今度、その、」

「ん?」

「…なんでもない」

「ええー!?」

『今度、ロードに乗ってるところ、見せてくれない?』

そう言ったら、とんでもなく調子に乗るだろうから、呑みこんだ。





ヒーロー業は儘ならず


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