ディア・マイ・ヒーロー


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運動場にあちこちに張り巡らされているテント。雲一つない青空の下、ぎらぎらと輝く太陽が眩しい。日焼け止め塗らなきゃ〜、と女子が楽しそうに話している。絶好の体育祭日和だ。

ぼっちにとっては全然楽しくないもの。それは、体育祭、遠足、文化祭。

…暇だ…。

テントの下で三角座りをしながら、棒取り合戦に励んでいる人たちをぼんやりと眺める。すると、見慣れた赤い髪の毛が目に入った。大勢の中にいても、すぐ目立つ。鳴子くんは「どらっしゃあああああ!!」と大声をあげながら、棒に向かって走って行った。

「小野田くんが相手でもこれは渡せんで!!」

「あわわわ」

「鳴子ォ!!良い度胸じゃねーか!!小野田踏ん張れよ!!」

「は、はいぃ」

「オッサンか!!相手にとって不足はないで!!」

「オッサンじゃねーつってんだろ!!」

総北の体育祭は、一、二、三年生、クラス毎に紅白に分けているので、違う学年、違うクラスでも、同じチームになることがある。どうやら、鳴子くんにとって、あの小さなメガネの男の子と大きな体の先輩は知り合いのようだ。ちなみに鳴子くんは紅組で、メガネの男の子とオッサンと呼ばれた先輩は白組。ハチマキがそう主張している。

『楠木さん、紅組?白組?』

『紅だよ』

『よっしゃー!同じチームや〜!頑張ろうな!!』

体育祭の二週間前のお昼の日。そう言って、イエーイ!とハイタッチされた。小柄な鳴子くんだけど、掌は私より大きかった。

「鳴子、オレ、もう、無理ッショ…」

「巻島さーん!諦めたらあかん!真矢みきも諦めないでって言うてますやん!!」

「はわわわ」

「ワーッハッハッハッハ!軟弱だな巻島鳴子!!いくぜ小野田ァーッ!!」

「は、はいい」

棒を取り合いながら、よくあんなに喋れるなあ…。鳴子くんが下唇を噛んで、目をぎゅうっと閉じながら、踏ん張っている。鳴子くんの後ろの緑の髪の毛の人は今にも白目を剥いて倒れそうだ。白組は…あの大きな先輩の力がほどんどだろうな…。

あ、そうか。

鳴子くんの周りにいる人を見て、見たことない人達なのに、どこかで見た覚えがある…って思ったら。そうか。鳴子くんが物真似で披露していた人達か。ということは、部活の人たちか。

紅組は、明らかに劣勢だった。白組に、あの大きな体の人がいるから、仕方ないのだろうけど。

…同じ組なんだし、応援、しといた方がいいよね。

「あ、紅組、頑張れー…」

体育祭のプログラム表をメガホンのように丸めて、鳴子くんに向かって、小さく叫んだ。なんだか気恥ずかしくなった私は、すぐに顔を俯けて、プログラム表を開く。次は私の番だ。借り物競争。…ぼっちの私が、誰かに何かを貸して、と頼まなければならないなんて…。

私はハァーッと大きく息を吐いた。

その時、棒取り終了の発砲音が鳴って、白組の勝ちー!という大きな声が響いて。その次に「クッソー!!」と悔しそうに叫ぶ、鳴子くんの声が聞こえた。




―――いちについて、よーい、…ドン!

発砲音が鳴って、私は駆け出す。運動神経は良くも悪くもない。真面目にやっていれば、二位はとれるだろう。そんなに変なお題も出ないだろうし。

そう思いながら、お題が書かれているメモのところまで、全力で走る。たどり着いて、ハアハアと息切れしながら、メモを開いてから、私は目を点にした。

『スカした男子』

…はい?

スカした男子、スカした男子、スカした男子…。

私にはこの学校に、知り合いが鳴子くんしかいない。けど、鳴子くんはどう考えても、スカした男子ではない。え、ど、どうしよう…!?

慌てふためきながら、辺りをきょろきょろ見渡す。周りの子達は「ツインテールの人〜!」とか「誰か眼鏡ふき持っていないー!?」と、大きな声をあげて探している。

「ス、スカしてる、男子っていませんか〜」

私は恥ずかしくて、大きな声をあげられず、小さな声で問い掛ける。はやくしないと。こういう、行事ごとはきちんとしないと、周りの女子に『楠木さんってさー、行事とかきちんとしないよねー』『ちゃんとやらないことがカッコいいって思っているんだよ〜』と白い目を向けられることになってしまう。

どうしよう、どうしよう。

頭が真っ白になる。

「―――楠木さん!!」

真っ白な世界に真っ赤な声が飛び込んできた。

声の先に目を遣ると、鳴子くんがグラウンドと観客席の間に張られているテープから身を乗り出すようにして、私に声をかけてきた。

「落ち着いて!何がいるん?」

「え、っと、その、スカした…男子…」

「スカした男子!?…ぴったりの奴おるわ!ちょっと待ってて!!」

ニカッと笑うと。鳴子くんは踵を返して走り出した。「スカシーッ!!」と大声をあげながら。ス、スカシ…。ほどなくして、鳴子くんは長身の綺麗な顔をした男子を連れてきた。

「こいつ、スカシ中のスカシやから!ぴったりやで!!」

ぜえぜえと息を切らしながら、連れてきた男子を指さす。

「誰がスカシだ、誰が…!」

「お前しかおらんやろ!!ええから行ってこい!!」

鳴子くんが、男子の背中を押す。「いってえな!!」と男子が怒った。私は男子に駆け寄って、「あの…ごめん、ちょっと、着てくれる?」とお願いした。

「別に、いいけど」

「ありがとう」

鳴子くんにお礼を言おうとしたら、「ほら、さっさと行ってき!」とはやし立てられた。

「じゃあ、お願いします」

私は男子の手首を掴む。あ、周りの女子の目がちょっと鋭く…。ああ…。けど、この男子は周りの視線を気にせず、私に連れられて黙々と走る。

そんなこんなで、私は無事、二番目にゴールすることができた。

「…あの、ほんとに、ありがとう。えっと…何くんかな?」

「今泉」

「今泉くん、ありがとう」

「だから、別にいいって。…あんたって楠木さん?」

今泉くんが私の名前を知っているとは思わなくて、吃驚して目を丸くしてしまった。

「鳴子がしょっちゅう、あんたのこと部活で言ってんだよ。物静かで笑うとかわゴファッ」

「黙れやスカシーッ!!」

鳴子くんの飛び蹴りが、今泉くんの背中に入った。今泉くんは蹴られた拍子で、四つん這いになった。鳴子くんは真っ赤な顔で今泉くんを怒鳴りつける。

「勝手なことべらべらぬかすなやこのアホ!!しかもいつまで楠木さんと一緒におんねん!お前なんかスカしとるから、楠木さんに手首掴まれただけなんやからな!!」

「鳴子、お前、いつか本気でぶったおす…!」

「お〜お〜、いつでも待ってるで〜!!」

切れ長の眼で鋭く鳴子くんを睨みつける今泉くんを馬鹿にするように舌を出して挑発する鳴子くん。間違いない。この二人は、犬猿の仲ってやつだ。

「まあ、でも。きてくれて、楠木さんの力になってくれて、おおきに」

ふと、変な顔をするのをやめて、鳴子くんはお礼を言った。今泉くんにお礼を言うのがよほど屈辱的なのだろう。お礼を言ったあと、ぷいっと顔を背けた。

「…お前に礼を言われると、なんか…きもちわりーな」

「そういうこと言うからお前気に食わんねん!!」

「あーうるさい…。オレ、もう行くから。…鳴子」

「なんやねん」

今泉くんは、意味ありげに、ちょっと意地悪く口角を上げた。

「ま、せいぜい、頑張れよ?」

鳴子くんの顔が真っ赤になった。

「お、お前に言われんでも既にがんばっとるわ!!」

今泉くんの背中に向かって、怒鳴り声を飛ばしてから、「あ〜クソ!スカシのくせに…!!」と頭をガシガシと掻く。今泉くんが鳴子くんに言った“頑張れ”の意味。…まあ、そういうことなのだろう。

…付き合う気はない。けど、力になってくれて、お礼を言わないのは失礼だ。私は、目の前の赤い耳をした、男の子の袖を引っ張った。鳴子くんが振り向く。少し、私より目の位置が高い。

「ありがとう」

そう言って、小さく微笑む。微笑んだ自分に驚いた。手短にお礼だけ言うつもりだったのに。自然と、笑っていた。目を少し見開いてから、口に手を当てる。鳴子くんは少しの間、私をぼけっと見ていたけど、ぼんっと火がともるように、顔を更に熱くさせた。

「え、えっと…!ま、まァ、ワイにかかればこんなもんやで!!かっかっか!スカシでもメガネでもロン毛でもオッサンでもグラサンでも無口でもパーマでも、なんでもどんとこいや!!」

大きな声で笑う鳴子くん。照れているのがバレバレだ。可愛いと思って、笑いそうになって、堪える。

「っていうか、楠木さん、ワイの棒取り、みとった?」

「え。うん、見てたよ」

「もしかして、応援してくれとった?」

「…え。よ、よく気付いたね…」

「やっぱり!?なんかな、ピーンッてきてん!!楠木さんの声聞こえたん、気のせいちゃうかったんや!!」

す、すごい、あんな小さな声が聞こえるなんて…。猫っぽいし、野生のカンが働いたのかな…。

鳴子くんは嬉しそうに笑っていたけど、次に、悔しそうな顔に変わった。くるくると表情が変わるなあ、本当に。

「でもなー、楠木さんが応援してくれたのに、負けるとかなあ〜…。はーっ、ダサッ!!もっと筋肉つけなアカンな!筋肉!」

体操服の袖をまくって、二の腕を揉む鳴子くん。華奢に見えたけど、意外と筋肉がついていて、驚く。まじまじと見つめていると、照れ臭そうに、鳴子くんが鼻の下を掻いた。

「そ、そんな見られるとはずいやん…?」

「あ、ごめんね」

「さ、触ってみ―――、」

「田所っちの筋肉ってすげーよな、マジで」

「ハッハッハッハ!!そうだろ!!触ってみるか巻島!!」

「いや、別にいいッショ。男の筋肉触ってもつまんねェ」

鳴子くんの声は大きな笑い声にかき消された。視線を走らせると、先ほど棒取り合戦で活躍していた人が、大きな力こぶを作っていた。

「…すごい」

とても力強そうな二の腕に、感嘆の息を吐く。たっぷり見惚れてから、再び、鳴子くんに視線を向けると、ぷるぷると震えていた。どうしたのかと聞くよりも先に、鳴子くんが小さく呟いた。

「オッサンの…」

「お、鳴子じゃねーか!どうした!」

「オッサンのドアホーッ!!下痢ピーになってまえー!!」

「んだとこのクソガキ!!」

鳴子くんは、少しだけ涙ぐんでいた。





きみの首が宙ぶらりん


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