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すっかり恒例となったお昼の時間。
「沖田さん、今日のお弁当はです、ねえ…」
はらりはらりと風呂敷を解いて、わたしは驚愕のあまり目を見開いた。浮かべていた笑顔が不自然に固まる。
「お、沖田さん」
ぎこちなく首を持ち上げ、沖田さんに顔を向ける。なんでィと頬杖を突きながら、真顔で問い返す沖田さんにわたしは言った。
「お、お弁当忘れてしまいました…!!」
沖田さんはぱちくりとゆっくり瞬きをした。
桜柄の風呂敷の中には、わたし用のお弁当しかなかった。
おうおうドジ踏みやがったなァ。流石お前でさァ。といつものポーカーフェイスでわたしを茶化す沖田さん。わたしは沖田さんのからかいに何かを返す余裕はなく、パニックになりながら、沖田さんに自分の分のお弁当を差し出した。
「わ、わたしのお弁当あげます…!沖田さんには足りない量だと思うんですけど…!」
「や、別にいいけど。なんか買ってくるし。お前それ食べときなせェ」
慌てふためくわたしとは対照的に、沖田さんは落ち着いた口ぶりで言う。
「いや、でも…!」
が、わたしは沖田さんの言葉に素直に頷けなかった。何故かと言うと。わたしの不注意で沖田さんの手を煩わせるのも嫌だっていうのもあうけど、なにより今日は最近の中で一番里芋の煮っ転がしがうまくいったのだ。沖田さん美味しいって言ってくれるかなあ。そうだ、デザートもつけよう!と調子にのって沖田さんの分だけデザートをつけた結果が、これだよ。ああ、もうわたしってやつは…!
沖田さんに食べてもらいたかった、のに。それで、まずくはねェな、って言ってもらって。
自分の馬鹿さ加減にまたしても目尻に涙がうっすらと浮かんだ、その時。すみませーんと聞きなれた声が襖の向こう側から聞こえた。
「…新八くん?」
襖の向こうに声を投げると、小春さんと明るく跳ねた声が襖越しに返ってきた。がらりと静かに開けられる襖。開いた先には、新八くんがいた。呆けづらのわたしと目が合うと新八くんはにこりと笑って、とあるものを掲げた。
「これ、届けにきました」
新八くんの手には、藍色のお弁当包みに包まれたお弁当がぶら下がっていた。
新八くんの後ろから、光が…後光が…!
わたしはがばっと立ち上がって新八くんの手を両手で包み込みながら号泣した。
「新八くん!!ありがどう!!本当にありがどう!!」
「い、いえ…。小春さんちょっと鼻水拭いた方が…」
新八くんはわたしから若干のけ反りながら、わたしを引いた眼差しで見る。だが、たとえ引かれても感謝の気持ちは消えなかった。
「新八くんほんっと!ほんっとありがとう!!このお詫びは今度…そう、今度あんみつ奢るね!この前行ったところで奢るよ!」
「いや、別にいいですって」
「ううん!お礼させて!!」
鬼気迫る表情で顔を近づけるわたしに新八くんは無理矢理あげた口角を引きつらせながら、「じゃ、じゃあ」と了承した。
「よし!じゃあ、明日行こう明日!明日わたし休みだし!あんみつ食べたかったし!」
「いやそれちょっと待って。小春さんがあんみつ食べたかったってのもあるでしょうソレ」
「でっへっへ〜」
新八くんの鋭いツッコミに口元をにやつかせ、後頭部に手を回して摩って笑って誤魔化すと、ものすごい衝撃が走った。衝撃の方向に目を遣ると、右側にひとつ纏めた髪の毛を誰かに握られ、引っ張られ、そして。
「つおおおおお!?」
投げ飛ばされた。
わたしはものすごい勢いで後転し、壁にずどーんと激突した。痛い。ものすごく痛い。見上げた先にひよこが舞っている。
「小春さんんんんんん!?」
「届けたんならさっさと行きなせェ、くそメガネ」
「いや、ちょっ、あんた小春さんになんつー理不尽な暴力を、」
「行けつってんのがわかんねェのか?」
「そうだ僕銀さんに頼まれていたことがあったんだ小春さんさようなら!」
わたしの身を案じていた新八くんは沖田さんにドスの効いた声で凄まれるやいなや、ものすごい勢いで声のトーンを変え、そしてこれまた物凄い勢いで帰って行った。いくたの困難を一緒に乗り越えたわたしたちの絆っていったい。ねえ絆ってなんだろう。わたしの上でいまだに踊っているひよこさん達に話しかけたが、返事は返ってこなかった。
「あ、あたま、あたま打った…」
たんこぶに触りながら、よろよろと元の位置に座る。
「大げさなんでさァ、てめえはいちいち」
沖田さんはいつもと同じトーンに若干苛々を含ませた声で答える。だから、いや全然大袈裟じゃないですよ!!と返したいものの、返せなかった。だってね、うん、やっぱりね、沖田さん、怖いから!まだ怖い時あるから!苛々してない時だったら反論できるけど、苛々してたら、ね!うん!
だからわたしは、むすっと口を噤んだ。卓袱台に置かれた藍色のお弁当が視界に入る。
…まあ、沖田さんが気難しいのは今に始まったことじゃないし…なんで苛々しているのかわからないけど、とりあえず、気分を変えよう。
「お、沖田さんお待たせしました〜!どうぞどうぞ!」
沖田さんにビビリながら、こわごわとお弁当を沖田さんに向かって差し出す。
沖田さんが無言でそれを受けとろうとした時、わたしの手と、沖田さんの手が、触れあった。
びりり、と電流が体中に走ったような感触が身を包みこみ、過剰に反応してしまって、不自然に身をのけ反ってしまい、ばっと手を離してしまった。
沖田さんと視線を交わしたまま、…と気まずい静寂がわたし達の間に流れる。
「…きょ、今日の里芋の煮っ転がし、お、おいしく作れたので、すすすすっごく沖田さんに食べてほしかったんですよー!!アハハー!!」
その気まずさを払しょくするかのように、わたしは無理矢理テンションを上げる。
抱きしめられたことは一回ある。キスしたことだって一回、ある。抱きしめられたことがあるなら、キスしたことがあるなら、たかが手と手が触れあったぐらいで、こんな過剰に反応にすること?と、自分でも思う。
でも、それでも。
わたしにとって沖田さんに触れる、触れられるということはすごくて、まだ全然慣れることができないのだ。
「そ、それから今日はデザートがありましてですね、沖田さん!」
へらへらと笑いながら説明するわたしの顔を、沖田さんはじいっと何も言わず見つめてくる。
「お、沖田さん?どうしたんですか?」
「総悟」
「え」
「総悟って、呼びなせェ」
言われた意味を飲み込んで砕いて理解するのに、少々時間がかかった。
総悟。それは近藤さんや土方さんがだけが口にする、彼の下の名前。
「え…っ、えええええ!?!?」
「それから敬語禁止」
「ぬおおおおお!?」
「同いなんだからタメなのが普通だろィ。今までがおかしーんだよ、ほら、やってみろって」
沖田さんは顎をくいっと動かして、やれ、と催促してきた。けど、わたしはあまりの展開の速さについていけず、ぶんぶんと手を振って、無理の意を唱える。
「ちょっ、ちょっと待ってください!そそそそんな急に!!」
「はい既に敬語ー」
「お、沖田さん!!」
「はい苗字呼びー」
「うぎゃあああ!まっ、待ってください!!」
「旦那やメガネは呼び捨てでタメじゃねえか」
「そ、それは、沖田さんは違うっていいますか」
「違うって、なにが」
真っ直ぐに不機嫌な眼差しをわたしに向けてくる沖田さん。けど、言えるはずないじゃないか。
沖田さんのこと、好きだから、言えないんです、だなんて。
目を泳がせて、それはその、とぼそぼそと口をもごつかせているわたしに、沖田さんの苛々は右上がりに上がるだけだった。小さな固く尖った声でなにか呟き(多分、いただきやす、と言った)、お弁当を食べ始めた。
その日、わたしと沖田さんが言葉を交わすことはなかった。
***
「はあ…」
夕飯の後片付けも終わり、お風呂に入り、ソファに背中を預けてテレビを見る至福の時間。の、はずなのだが。今日に限っては至福の時間ではなかった。
「お疲れですか、小春さん」
と、いう声が上から降ってきた。ことりとテーブルに湯気をあげている湯呑が置かれた。声の先に視線を辿っていくと心配そうに笑いかける新八くんがいた。ぽすっとわたしの隣に腰を下ろす。
ああ…なんか…新八くんって癒されるなあ…。
…。そういえば、新八くんと沖田さんって二歳差なんだよね。同年代なんだよね。
それなら、十代の男の子の、男心ってやつ、わかるかなあ。
銀ちゃんと神楽ちゃんはコンビニにアイスを買いに行っていて、今はいない。あの二人にこんな話を聞かれたら恥ずかしくて切腹する。なら、今がチャンス。
わたしは意を決し、膝の上で手を丸めて、新八くんに向き直った。
「あのさ、新八くん。わたしの友達の話を聞いてくれる?」
「? いいですよ」
「あのね、その子、お、お付き合いしている人がいるんだけど、今まで、さん付けで敬語だったのに、急に下の名前呼びにしてタメ口で話せって言われて、でも、そんなの急に無理だからできなくて、そしたらその、付き合っている人が、すっごく、口には出さないけど、怒っちゃって。新八くんは、付き合っている女の子が、自分の名前を呼ばなくて、敬語だったら嫌?」
恥ずかしいので友達の話ということにして、つっかえつっかえになりながらも話す。新八くんはわたしの話を聞き終えると、少し眉を下げて、困ったように笑った。
「…僕、彼女いたことないからよくわかんないんですけど…そりゃあ、好きな子には名前で呼ばれたいし、ため口の方が嬉しいんじゃないですか。男女関わらずに」
「そ、そっか…」
そうだよね、と消え入りそうな声で呟き、わたしは項垂れた。湯呑に手を伸ばし、底の部分に手を当てながらゆっくりと喉にお茶を流しいれる。
「それに、僕や銀さんには名前呼びで敬語遣わないんですから、そりゃあ沖田さんだって、気に食わないでしょう」
「そっか…」
と、言った後。言葉の意味に気が付くやいなや、驚きのあまり目を見開いてむせ返ってしまった。
「ゴホッ、ゴホッ、ゲホッ!!」
「ちょっ、大丈夫ですか!?」
大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃないよ、新八くん。
「なんっで、わかったの…!?」
むせ返りもようやく収まり、喉に手を当てながら、顔を真っ赤にして、息も絶え絶えになって問いかける。
「なんでって…。小春さんわかりやすいですもん。それに小春さんの友達に恋人の下の名前で呼ぶのが恥ずかしいなんて女の子いないじゃないですか」
と、あっさりと返ってきた。新八くんの声から呆れ返った声色が節々から感じられる。わたしはただぱくぱくと口を動かすことしかできなかった。なにこれ。なにこれ超恥ずかしい。
「恥ずかしい気持ちもわからなくはないですけど、この機会に名前で呼んで、ため口になるのもいいじゃないですか。同い年なんだし」
新八くんはあっけらかんと言う。
確かに、そうなのだ。同い年だし、せっかく恋人同士なんだから、下の名前で呼んでため口になって、そういう砕けた付き合い方をしたらいいと、頭の中では理解している。
けど。
「…だって、沖田さんは、銀ちゃんや新八くんとは違う“すき”だから、恥ずかしいの」
総悟って、呼びたくない訳ではない。どちらかと言うと呼びたい。銀ちゃんや新八くんとお話しするときみたいに、砕けて話せたらいいな、と思う。
でも。
「どうしても、緊張、しちゃって。だって、沖田さんは銀ちゃんや新八くんとは違う。沖田さんは恋愛的に、すごく好きなの。…大好きなの」
わたしを呼ぶ声とか、眠そうに欠伸をする時の顔だとか。気まぐれに少し動かされた指ですら、沖田さんはわたしの心を強く動かす。
熱い顔を俯かせて、肩を震わして、消え入りそうな声で言う。少し時間が経ってから、小春さんと新八くんがわたしの名前を優しく呼んだ。
「練習、しましょう」
「…練習?」
「そう。名前を呼ぶ練習を。今は無理かもしれませんが、呼べるように。小春さん、沖田さんのことがすきなんでしょう?」
諭すように問いかけられて、どくんと心臓がはずむ。茶色の髪の毛のぶっきら棒な男の子が頭に浮かんで。
こくり、と首を縦に動かした。
「じゃあ、沖田さんが喜ぶこと、したいですよね?名前で呼んであげたら、きっと喜んでくれますよ」
にっこりとメガネ越しの瞳を優しく細める。それは妙ちゃんの笑顔に似ていて、ああ姉弟なんだなって、実感する。
「…ありがとう」
「いえいえ。いつも小春さんにはお世話になっていますし。…それになんか、こう、いじらしくて…。いじらしい女性とか本当に僕の周りになかなかいないからなんかもう手助けしたくて…」
はははと乾いた笑い声を上げ、虚ろな瞳をどこか遠くにやる新八くん。ぼそぼそと話しているから何を言っているのかはよく聞こえなかった。
「っていうか、なんか、恥ずかしいね。新八くんにこういう話するの。銀ちゃんとか神楽ちゃんに聞かれていたらもっと恥ずかしいなあ」
恥ずかしさのあまり破顔し、後頭部に手を当てる。
「『沖田さんは恋愛的に、すごく好きなの。…大好きなの』」
不自然に声のトーンを上げた男声が耳に飛び込んできた。
声がした先に、目を遣ると。
「ただいま〜」
「小春ー!私のことは好きじゃないアルか!?どういうことネ!」
死んだ魚のような瞳に嘲笑を宿らせている銀ちゃんと、アイスの棒を口の端に咥えて憤慨している神楽ちゃん。
「や〜お前ちゃんと沖田クンとラブラブランデブーしてんだな〜。いつまでもガキのままごとやってんのかと思ってたよ〜」
にたにた、にたにた。
銀ちゃんはわたしをしつこくからかう。
わたしはすくっと立ち上がり、壁と真顔で向かい合った。
「ああああああああああああああああ!!!」
そして、それから。
壁にめり込むほど、何度も何度も壁に頭をぶつけた。
「あああああああああああ」
「わかった!銀さんが悪かった!だから頭突きやめて!家が!家が壊れる!」
「小春!私は!?そんなにあのサド野郎に骨抜きにされたアルか!?」
「ああああああああああああああ!!」
「火に油を注ぐな神楽ァァァァァ!!」(続く)
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