臆病者感謝短編集
 

 妙ちゃん、さっちゃん、九ちゃん、月詠ちゃんは笑い過ぎて死にかけていた。
 九ちゃんと月詠ちゃんは必死に笑いを押し殺そうとしていたけど妙ちゃんとさっちゃんはお腹を抱えてゲラゲラ爆笑していたからか瀕死の状態だ。最終決戦の時よりも疲れている。流石に笑い過ぎじゃね? そんなに笑う事じゃなくね?

「可愛い、ひくっ、と、ひくっ、思うけどなぁあぁぁ」
「ブーーーッ! かわ、かわ、かわ……!」
「小春ちゃんもうやめてえぇええぇ…私たちの腹筋をこれ以上壊さないでぇえぇあはははははは!」

 可愛い総悟くんは爆笑の象徴らしい。そういえばミツバさんに甘えていた総悟くんも原田さんから爆笑されていた。あの時はわたしも一緒に爆笑していたけど今は母性本能がくすぐられて可愛く思える。

「ところで小春くん。ひとつ疑問があるのだが」
「ひゃ〜い、なんでひょ〜」

 完璧にただの酔っ払いになったわたしに、九ちゃんはクソ真面目に問いかけた。

「きみは万事屋なのか? 真選組なのか?」

 ―――へ。

「あ。それ私も地味に気になってたやつ」
「確かに。万事屋でも万事屋でもどちらでも働いてるわよね」
「わっちらもここ(キャバクラ)と本来の仕事のダブルワークじゃろう」
「では本業はどちらなんだ?」

 四人の視線がわたしに集中した時、三年前の出来事が脳裏に過った。
 今でもちゃんと、覚えている。
 屋根を叩く雨の音。土煙と埃に塗れた総悟くんに真正面から問いかけられた。

『一緒に来るかィ』

 減らず口を叩いてばかりの総悟くんが、てらうことなく、ただ、問いかけた。


「なにこれ回想始まる感じ?」
「始まるなら始まるって言ってくれないとわからないぞ、小春くん」
「わーった、わーった、かいそ〜はじめまひゅよ〜〜〜〜」

 芋焼酎をお猪口に注ぎ、一気に煽る。そうでもしないとやってられなかった。
 あの日の事を思い出すと、泣いてしまいそうだから。






 雨粒が屋根を叩く音が強く耳に残り、いつまでも反響を続ける。誰もいない屯所は空洞のように空虚で、すべての音がよく響いた。
 縁側に座り込んで、ぷらぷらと足を宙に泳がせる。風に運ばれた雨粒が時折、つま先を濡らした。

『みんな私を置いていってしまったわ。振り向きもしないで』

 いつかの、寂しそうに笑うミツバさんが浮かび、わたしは足を止める。屋根の中に引き戻して、腕の中に抱え込んだ。体育座りをしながら膝小僧に額を合わせる。

「ほんとですね」

 ぽつりとつぶやくけど、拾う人は誰もいない。ただ、雨が降るだけ。

 最初は怖かった。お金を稼ぐためだけに、真選組のバイトを始めた。

 全員男の人でガサツでむさくるしくて、だけど、優しかった。

 どこからか美味しいお菓子をいただく度に、必ずわたしを呼んでくれた。道ですれ違ったら『小春くん!』と手を振ってくれた。

 山崎さんからミントンの指導を受けたなぁ。カバディに乗り換えたんじゃ…と不安になっていたけど、山崎さんの腕前は昔と変わらず、素晴らしかった。

 そうだ、斎藤さんからは綺麗な字の書き方を教えてくれって頼まれたなぁ。読めない、と言われたことがあったらしい。別に汚くないと思ったけど…。その後ケーキを奢ろうとしてくれたんだけど、斎藤さんが書いてる内にどんどんお客さんが来てわたしが代わりに注文したんだよね。

 土方さんには一度『税理士の野郎に…うまい言い訳考えてくれて…マジで助かってる…』とやつれた顔でお礼を言われたなぁ。本当に、参ってた。誰か彼を助けてあげてください。

 近藤さんは。…わたし普段あれだけお世話になっているのに、妙ちゃんに殺されかけててもいつも何もできなかったな…。見殺しにしかけてすみませんと謝ったら『気にすることない! それにあれは…お妙さんからの愛のメッセージだからな…』と頬を染めてたな。愛のメッセージってなんですか。月の光は愛のメッセージってことですか。セーラームーンってそんな暴力的なお話でしたっけ。

 総悟くんは。

 ひとりの男の子が浮かんだ瞬間、一瞬、ぱたりと思考が途切れた。でもすぐにたくさんの思い出が浮かんだ。

 初めて会った時、総悟くんはバズーカを構えていた。何故か土方さんに向けて撃っていたなぁ。怒鳴られているのに全然気にしていない総悟くんをうっすらと覚えている。

 顔は綺麗だけど、変で怖い人。

 わたしが総悟くんに対して思う事はそれだった。

 事あるごとにバズーカをぶっ放すし、何故か巨大カブトムシを飼っているし、神楽ちゃんとは死闘を繰り広げるし、土方さんの抹殺を図るし。飄々とした言動に感情の出ないポーカーフェイス。何を考えているかさっぱりわからず、わたしにとって宇宙人のような存在だった。

「不法侵入罪で逮捕されてェみてえだな」

 物思いに沈んでいると、聞きなれた声がわたしを呼び覚ました。はっと我に返り、声の先に振り向くと、そこには。

「ど、どどどどどどどうしたのその怪我!!!!」

 ものすごい大怪我をしてる総悟くんがいた。

 しかも総悟くんはびしょぬれだった。傘もささずにここまできたのだろう。ということは、町中で襲われたということになるのだろう。

「こっち、こっち来て!」
「おうおう、強引だねィ。エロ漫画広告の男みてェ」
「なに読んでんのォォォォォォォ! ってもう茶化してる場合じゃないの!」

 わたしは無理矢理総悟くんを座らせて救急箱を引っ掴み、けがの手当てを始める。総悟くんをここまで痛めつける事ができるなんて…。

「一体、誰がこんな……。ひどい……」

 ガーゼをアルコール消毒液に浸しながら呆然と呟く。総悟くんは淡々と問いかけた。

「とんでもねェ野郎だったぜ。話してたら急に橋から突き落としやがったからな」
「ひ、ひどい…! 総悟くんみたい…!」
「おいお前、いやとりあえずツッコミは後にしとくわ。お前、許せねェと思うか?」
「当たり前だよ! そんな総悟くんみたいな人許せるはずないよ!」
「そーかそーか。そいつ、お団子頭してんだけどよ」

 ―――ピシリ。怒りに眉を吊り上げたわたしの表情は氷漬けられたように固まった。
 反対に、総悟くんの口角はニタァッと吊り上がっている。わたしの肩にぽんと手を置いて、蛇が舌なめずりするように囁いた。

「愛する俺の為に、仕返し頼んだぜィ」

 目を見開いて口をパクパクさせて動揺しているわたしに、総悟くんは軽い調子で言づけた。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさいいいいいい! あのわたしが代わりに謝るから!! 違うのきっと神楽ちゃんも悪気は…悪気はある…かもだけど!!!」
「女の友情って儚ェなァ。さてどっちが勝つか賭けるか。チャイナに五億」
「当たり前でしょおおおおおおおお! ていうかそんなにお金ないでしょ総悟くん!!!」
「お前はどうする」
「な、なにが?」
「俺とチャイナだったらどっちに賭ける?」

 空色の瞳が探るようにじっとわたしを見つめていた。いつになく真面目な雰囲気に虚を突かれ、一瞬、言葉を失う。

「…そう、だなぁ…」

 うーんと腕を組んで、首をひねって、考える。
 わたしは今まで、何回も二人の喧嘩を見てきた。両者一歩も引けを取らず。肉弾戦を得意とする神楽ちゃんと、剣術を得意とする総悟くん。神楽ちゃんは寸でのところで総悟くんのの攻撃を躱し身を転じ蹴りを食らわせ…あれわたしなんかヤムチャみたいだな。今までの二人の戦いを思い返し終わり、わたしの中でひとつの答えが導き出された。

「どっちにも、賭ける」
「何言ってんでィ」
「いだだだだだだだだだだ!!!」

 総悟くんは信じられないくらい強い力でわたしの頬を引っ張った。信じられないくらいわたしの頬が伸びている。ハイジのチーズみたいになってる。

「おめーはどこぞのパイロットか。お前たちが俺の翼だか」
「だだだだってぇ! どっちも強いし! 時と場合によって強さって変わるし!」
「正論ぶっぱなしてんじゃねえ。生意気でさァ」
「理不尽んんんんんんんんんんんんんんんん!」

 チーズのように伸ばされ続けた頬から不意に指が外され、強い反動を受けたわたしは畳の上に倒れる。いだい…。シクシク泣きながら、わたしは「だってぇ」と更に言い募る。

「わたし、総悟くんに出会った頃は、この人神楽ちゃん対等に戦えててすごいなぁ、だったんだもん。うっうっ。神楽ちゃんと渡り合えてる人、総悟くんが初めてだったんだよぉ、うっうっ。どっちも強いよぉ〜〜〜」

 うっうっ。シクシク。ああ痛い。まだヒリヒリするぅ。泣き言をべそべそ独りごちるわたしの隣で、総悟くんはぱちくりと目を瞬かせていた。何かを思い返すようにまぶたを閉じて小さく笑う。

「何ほざいてんでィ。俺のが強ェよ」

 どことなく嬉しそうな声に、わたしは泣くのをやめて総悟くんを見つめる。微かに上げられた口角は満足気で誇らしげで、楽しそうだった。
 きっと今日の喧嘩はいつもと違う。気に食わないから、だけで始めたものじゃなくて。お互いがお互いを認め合う、鼓舞し合う、そういったものだったのだろう。
 …見たかったなぁ。
 いつもは怖くて仕方ない二人の喧嘩なのに、そう思った。

「…今日はどっちが勝ったの?」
「俺」
「嘘」
「あ゛?」
「だだだだってぇ! 神楽ちゃん強いもん!!!」
「だとしても間髪入れず嘘って言うんじゃねえ。まあ嘘だけど」
「いやほら嘘じゃん!」
「お前最近キレやすいねィ。カルシウム不足じゃねえか。っ。…あ〜〜ってえな」

 肩をすくめた瞬間、痛みが走ったようだ。総悟くんは顔をしかめてから忌々し気に舌を鳴らす。だけど、さも当然のような顔つきで独りごちるように呟いた。

「簡単に負けるような奴に任せらんねえよ」

 ―――あ。
 その一言で、胸の奥が漠然とした不安がぐるぐると渦を巻いて疼き始める。わたしの心を支えているなにかがぐらりと傾くのを感じた。
 少しずつ、少しずつ、それが、じりじりとにじり寄ってくる。
 総悟くんがここに来た理由をわたしはわかっていたのに、気づかない振りをした。それを形にされるのは、すごく、怖かったから。

「明日発つ」

 言葉にされたそれは―――お別れの言葉はすごく呆気なくて、あっという間に、ほろほろと、くずおれた。
 ずっと、覚悟をしていた。言われても泣かないようにずっと練習してきた。その甲斐あって、わたしは今、泣かずに済んでいる。浅く息を吸って笑顔を心がけて、いってらっしゃいと告げようとしたその時だった。

「一緒に来るかィ」

 思わず目を見張らせて、総悟くんを凝視する。総悟くんはじいっとわたしを見据えていた。力強い眼差しを真正面から受けて、息が詰まる。
 冗談じゃない。本当に、本心で、言っている。
 減らず口や憎まれ口を交えながらでないと喋れないような、総悟くんが。

「お前は弱っちいしビビりだが、小賢しいからねィ。お前が来てからだーいぶ経費で落とせるようになったって土方さんが感謝してたぜィ」

 褒めてるんだけ貶してるんだかわからないけど、総悟くんはわたしの仕事ぶりについて話す。わたしの仕事、見てくれてたんだ。吃驚してから、じわじわと喜びが胸に差し込む。

「俺も含めてそういう金勘定に俺たちはてんで疎い。剣を振るうだけの集団だ。すぐに酒呑むし、女に貢ぐし、馬券やらマヨネーズやらしこたま買う馬鹿ばっかだ。ドラえもんも真っ青の家計が火のタケコプター製造機でィ。やっと最近マシにってきたっつーのに、お前が消えたら元の木阿弥だ。今まで通りの給料は保証しまさァ。元・公務員の懐はすげーぜ?」

 総悟くんは真顔でおどけるように付け加えてから、押し黙った。少しだけ間を置いてから、距離を詰めて、真っ直ぐにわたしに向き直る。矢を射るような、強い視線だった。ただただとても真摯な光に貫かれて、胸がいっぱいになり、思わず強く息を吸った。

「お前は真選組でィ。俺たちにとって必要な人間だ。んで、俺はお前に惚れてる」

 ………、へ。
 思いを告げられた時以来聞かなかった言葉はあまりにも久しいもので、意味合いを理解するのに時間を要した。目を大きく見開いてポッカーンと口を大きく開けてるわたしに、総悟くんは抑揚のない口調で続ける。

「だからお前を傍におきたい」

 ぽつりと、独りごちるように。総悟くんは想いを零した。
 普段の総悟くんらしからぬ素直で誠実な言葉だった。少しずつ、少しずつ、胸の真ん中に染み込んでいって、やがて、体中に広がった。心が震えている。嬉しかった。寂しかった。切なくて幸せで、嬉しかった。
気づいたらぽろぽろとわたしは涙を零していた。ぎゅうぎゅうと胸の奥が狭まって、息が苦しい。心の底から嬉しいのに、苦しかった。

「あり、が、とう。ありがと、ひくっ」

 息も絶え絶えになりながら、わたしは頭を下げる。後悔するかもしれない。間違っているかもしれない。だけど、どうしても譲れない事があった。

「ごめん、なさい」

 だからわたしは、一緒に行かない。

 嗚咽を混じらせながら、わたしは必死に言葉を継いだ。総悟くんの事は大切だ。自分以上に、大切だ。この世の何よりも大好きだった。それだけはどうしても、伝えたかった。

「わた、わた、わた、し、ひくっ、ず、ず、ぐすっ、うえっ、」

 だけど、何から伝えたらいいかわからなくて言葉はどんどんもつれていく。はやく軌道修正しないといけないのに、焦燥感から更にもつれていった。

「よ、よろ、よろず、えぐっ、ひぐっ」

 違う違う違う。ああなんでこんな時に鼻水が出てくるの。泣いてばかりじゃなにも伝わらないのに。
 こんなんじゃ、誤解させてしまう。寂しがり屋のこの人を。

「あ、あのっ、っ、ふごォッ!?」

 気づいたらわたしの視界はなにかに埋め尽くされていた。ていうか鼻も一緒に塞がれていて息ができない。ちょ、ナニコレ、えええええええ!?

「そ、そう、もごごごごご!」
「鼻水拭いてやってんでィ。感謝しな。後でクリーニング代請求すっからな」
「もごごごごごごごご!」

 ごしごしと乱暴に拭われていく。鼻の下を強くこすられてめちゃめちゃ痛い。再び視界が開けた先には「うわすっげーブス」としげしげとつぶやく総悟くんがいた。そんなしみじみと言わなくても…! 

「聞いてやるから、ゆっくり言いなせェ」

 穏やかな口調に吃驚して、目を丸くする。総悟くんはいつも通りのポーカーフェイスだった。「なんでィ」とつまらなさそうに問いかけられる。さっきとは対称的な対応にああ、照れてるんだと気づいた。わかりやすく優しい対応を取る事に慣れていない、不器用な男の子。わたしが好きになった男の子。そう思うと、優しくて暖かくて泣いてしまいそうになって、鼻の奥がつんと尖った。
 すうと息を吸って、呼吸を整えた。総悟くんに焦点を合わせて、ゆっくりと言葉を紡いでいく。しっかりと、届くように。

「わたしね。出稼ぎの為に江戸に出てきたの。右も左もわかんないまま、空腹で倒れてたところを拾ってくれたのが、万事屋の皆だった。
 なし崩しで万事屋に就職したけど…いやもう、最初は訳わからなかったよ。銀ちゃんは適当過ぎるし、神楽ちゃんは破壊力すごいし、新八くんは基本常識人だけど、時々どこかおかしくなるし……怖い事に巻き込まれる事多いし、最初は後悔してた、んだけども」

 強く頭を振ってから、真っ直ぐに総悟くんを見つめる。わたしの言葉を変わらず待ってくれていた。

「今は全然、後悔してない」

 瞬きをした瞬間に、まぶたの裏側に三人と一匹が浮かび上がる。全員そろっての共通点なんて、なにひとつない。だから喧嘩ばかりだった。毎日くだらない事がいがみ合ってた。だけどそれなのに、すごくすごく、楽しかった。
 馬鹿で自分勝手で、だけど優しい人達。あの人達に出会えた事は、わたしの誇り。

「高杉さんの事とか、神楽ちゃんのお兄ちゃんの事とか、万事屋として関わっていきたい。………あと、総悟くん、大事なことを忘れてる」

 総悟くんはぱちくりと目を大きく瞬かせた。わたしは眉を寄せて、真剣な表情を浮かべながら人差し指を突き立てて、問題点を提議する。

「誰もいなくなっちゃったら、屯所、すごいことになるよ………!」

 おごそかに伝えると、総悟くんはゆっくり周りを見渡した。すでに埃が溜まりつつある部屋に気づき「あ」とつぶやく。

「わたし、だから、万事屋としてここにいる。だけど、真選組の留守番としても待ってる。だから、行かない。
 …誘ってくれて、ありがとう」

 深々と頭を下げてから、もう一度総悟くんを見つめた。わたしなりに、思いを真っすぐに込めて。
 
 あなたの事が好きです。大好きです。
 だけど、一緒には行けません。
 高杉さんの事。神楽ちゃんのお兄ちゃんの事。まだひとつも、終わっていない。
 わたしがいたって何も変わらないだろう。真選組に着いていったら、みんな、文句を言うだろう。でもきっと、最後は笑って見送ってくれるだろう。
 だけどそれは、わたしが嫌だ。

 わたしだって、万事屋だから。
 みんなといっしょに、万事屋の事に向き合いたいから。

 総悟くんはじっとわたしを無言で見据え返していた。
 けど、ふっとまなじりをやわらげると「あーあ」と呆れたように声を上げてから、大きく欠伸をした。

「やーっぱり、お前たちが俺の翼だエンドかィ」
「…えっ!?」

 素っ頓狂な声を上げて慌てふためいてるわたしを他所に、総悟くんは伸びをしてから後ろに倒れ込んだ。

「メインはあいつらでサブは俺ら。へいへいそーゆーこったね」
「あっえっまっ」
「あっえっまっ」
「物まねしないでえぇえぇええ! 違うの違うのちょっと待って!」
「浮気がバレた時の野郎みてぇな反応だねィ」

 総悟くんの軽口が耳から耳を通り抜ける。それくらい、わたしは慌てていた。一番大切な存在が万事屋だと言いたかった訳じゃない。確かに万事屋はかけがえのないもの。代わりなんてない

「たっ、確かにわたし、虫のいいことを言ってるけど、でも、」

 けどそれは真選組でもあって、その中でも特別に、総悟くんは。

「わかってら」

 寝転がりながら総悟くんは呟くように言った。籠った声だけど芯が通っている。総悟くんは起き上がって伸びをする。「ま、そりゃそうだろィ」と仕方なさげに肩を竦めた。

「俺だって真選組捨てらんねェしな。今の、こんな状態放置してよ。おめーもそれと同じって話だろィ。だから、まァ」

 総悟くんはわたしの頬に手を伸ばし、少し困った口ぶりで言った。

「泣くんじゃねえ」

 目の淵からどんどん涙が溢れ出して、総悟くんの掌を濡らしていく。視界はあっという間に滲んで、総悟くんは見えなくなった。肩を震わせながら何度も何度も、わたしは謝る。

「ごめぇ、ん、ひくっ、ごめ、ん、なさぁあい」
「おいコラ泣くなつってんだろィ。俺とお前どっちも同罪でさァ。つーかお前も行かないでとか言ってみろィ。情にほだされて残るかもしんねぇだろ」
「行かないでええええ」
 嘘だぁと思いながらも試しに懇願してみる。言ってほしくなかったから。ずっとそばにいてほしかったから。
「行ってきやーす」
 だけどやっぱり嘘だった。ひらひらと手を振りながら軽い口調で別れの言葉を告げる彼に「ちょっとおおおおおおお」とツッコミを入れる。

 この時間が永遠に続けばいいのに。
 人を食ったような言動に飄々とした態度。どこまでが本心かわからない、変な男の子。
 だけど好きです。
 大好きです。
 この人の事が死ぬほど大好きで、離れたくないです。

 普段のビビり具合はいずこへ。わたしは本能の赴くまま総悟くんに抱き着いた。「うおっと」と驚きながら、総悟くんはわたしを抱きとめる。わんわんと大きな声で泣きわめくわたしに「うるせェ」とぼやきながらも、突き放す事はなかった。

「お前太った?」
「うわあああああああん」
「最近顔でけーなって思ってたところだったんでィ」
「うわあああああああん」
「おい」
「うわあああああああん」
「……………」

 ぎこちなく、わたしの後頭部に手が回される。撫でることなんてほとんどしたことがないのだろう。銀ちゃんと違って下手くそな撫で方だった。
 
 だけどいつまでも撫でられたかった。さわられたかった。ずっとずっと。
 ずっとそばに、いてほしかった。

 現実は非情で、わたしの気持ちを置いてあっという間に時は過ぎていく。気付いたら眠りについていたわたしは、万事屋に運び込まれていた。泣き疲れて頭がぼんやりする。総悟くんの姿は、当たり前だけどなかった。
 一瞬だけ、ふわりと総悟くんの匂いが鼻孔をかすめる。だけどすぐに湿気の中に消えていった。

 残り香を一匙残して、総悟くんは消えてしまった。
 振り向きもしないで、遠くに。











「あなた達一回別れたってこと?」

 ズバリと妙ちゃんが切り込んでくる。切れ味の良すぎる言葉のナイフに貫かれたわたしは「グハァッ」と思わず吐血した。

「つまりあれでしょ。仕事と私どっちが大事なのよ! ってあの坊ちゃんに聞かれて仕事! って答えたら振られたって事でしょ?」
「さっちゃん〜〜〜! 大まかに纏めたらそうなるかもだけどでもあのわたしの話を、ひくっ、ちゃんと、ひくっ、聞いて、た、ぁあぁ!?」
「聞いてたけどあなた今活舌悪いのとしゃっくりがひどすぎてあまり聞き取れなかったのよ」
「ああ。僕も途中から何言ってるかさっぱりわからなくなってきてだな…。君は振ったのか? それとも振られたのか?」
「どっちもじゃない?」
「当人たちの問題に首を突っ込むんじゃなかろう。最終的に今は元の鞘に収まったんだから良いではないか」
「そういえばいつのまにか元鞘に戻ってたわね。いつヨリ戻したのよ」
「いや別れたって訳ではなくうぅ、ひくっ、いやほら、真選組帰ってきて、なんかこう、おかえり、ただいま、ってなって、ひくっ」
「何故そこで性交渉しなかったんだ。一番の盛り上がり時ではないか」
「だから当人たちの…………」

 呆れたように場をいさめようとした月詠ちゃんの動きが不自然に止まった。もしかしてとでも言わんばかりに目を見張らせている。

「ちょ、なによツッキー」
「いや、これは、その…」
「勿体ぶらないでくださいよ。なんですか? 一度は私を負かした余裕ですか? まあその後の人気投票では私が勝ちましたけどね」
「今その問題持ち出すなややこしい! ………もしかしたら、の話じゃ」

 月詠ちゃんは気分を落ち着かせるためか、煙管を一服してから厳かに言った。

「奴は不能なのかもしれん」

 ―――不能

「それは、」
「つまり、」
「バベルの塔が」

 わたし達は顔を見合わせながらごくりと唾を飲み込んだ。

 ―――動かない

 わたし達五人は、その時同じことを思ったのだろう。しいんと水を打ったように黙り込んだ。

「……沖田さん、そんな悩みを抱えていたのね」
「可哀想に……まだ下の毛も生えそろってないだろうに…」
「いや流石に生えてるじゃろう。…まぁ、奴も疲れてるんじゃろう。戦い通しだったからな…」

 しみじみと、総悟くんを労わる。わたしもわたしでしおれていた。総悟くん。そうだったんだ…。それなのにわたしは何で手を出されないんだろう、と落ち込んで……。申し訳ない………。焼酎瓶を抱きしめながら「ごめんね…ひくっ」と謝る。

「あの若さで……。東城に相談してみてはどうだろうか」

 重々しい口調でひとつの提案を上げる九ちゃんに「どういうこと?」とわたしは首を傾げた。しかし月詠ちゃんはすぐにピンときたようだ。

「確かに。その手の事ならプロに任せるのが一番じゃな」
「ああ。プロの手にかかれば再び動き出すかもしれない」

 少しずつ二人の言わんとしたいことを理解していく。つまりそれは。

「蘇らせるってことね………」

 さっちゃんがゲンドウポーズをしながらつぶやいた。眼鏡がきらんと輝いて、完璧に碇司令だった。

「ええええ〜〜〜〜…」
「ええええ〜〜〜〜…じゃないわよ。解決策はこれしかないでしょ」
「あと病院だな」
「そういうのに効き目のあるいい薬があると聞いた事がある。仕入れてくるからちょっと待ちなんし」
「ええええ〜〜〜〜やだよ〜〜〜〜〜〜」

 焼酎瓶を抱えながらいやいやと駄々っ子のように首を振る。わたしはもう大人なんだけど、嫌なものは嫌だった。

「総悟くんが、だれか、ひくっ、他の人と、ひくっ、そういうことするの、嫌だ。別に、ひくっ、一生、ひくっ、EDでいい」

 そういう気になれないのなら仕方ない。わたしはの願いはもう叶えられていて、これ以上を望むのは我儘だ。みんなと同じじゃないからって何を不安になる事があるのだろうか。

「わたしの願いは、ひくっ、よく、考え、ひくっ、たら、みんなと同じになる事じゃない。総悟くんの、ひくっ、傍ること、ひくっ、だった」

今より少し幼い総悟くんを思い浮かべる。
 涼しい表情の下で土方さんにコンプレックスを募らせていた総悟くん。寂しいことを口に出せない、へそ曲がりな男の子。
 ミツバさんが亡くなった時、わたしは強く願った。肩に彼の重みを感じながら、この人の鎧の紐を解く場所になりたいと。

 あの時小さく芽吹いた願い。
 今もこの胸の中に、確かに灯っている。

「だからわたし、もっと、ひくっ、ちゃんとしたら、ひくっ、今度はわたしから言おうと思うの。
 わたしの傍にずっといてくれませんかって」

 ―――ズコォォォォォン!

 …………はい?

 気づいたらテーブルが破壊されていてあちこちから煙が上がっていた。みんなの姿は煙に隠れて見えなくなっている。

「なにこれ!?」
「曲者よ曲者!」
「気をつけろ!」

え、え、はい? ときょろきょろあたりを見渡していると首に何かを嵌められた。ガチャンッ。…ガチャンッ? 首元を見ると懐かしの首輪………って。

「そ、―――ぎゃあああああああああああああ!?」

 そのまま問答無用で引っ張られて、わたしはどこかに連れ去られる。酔いが冷めた脳みそは、ひとつの答えを導き出す。こんなことをするヤバイ奴を、わたしは一人しか知らない。

「そ、そうご、総悟くん、ぐえっ」

 首輪が喉元を圧迫してうまく喋れない。あまりにも強く引っ張られているから足が宙に浮かんでいた。

 ええ〜〜〜!? わたし、これからどうなっちゃうの〜〜〜〜〜!?





「言い残したことはあるか」
「本当にすみませんでした」

 無理矢理少女漫画ムーブに持ち込もうとしたけど無理でした。殺意を滾らせた瞳でわたしを見下ろす総悟くんに土下座しながら命乞いをする。いやまさかあの場にいたなんて。全部聞かれてたなんて。だらだらと冷や汗が全身をつたう。今のわたしはさながら無惨様を前にした下弦の鬼だった。もう何言っても殺される。

「よりにもよってバキューム達にべらべら喋りまくりやがって。死ぬ覚悟はできてんだろうな?」
「動乱篇の時のセリフを口にするくらい怒られるのも本当にごもっともです本当にすみませんですがわたくしめも時には誰かに相談したい時がございまして」
「死ぬ覚悟はできてんのかできてねえのか聞いてんでィ」

 チャキ、と鞘からわずかに引き出された刀が銀色に光る。これあれじゃないですか答えは聞いてやせんけどに繋がる奴じゃないですかぁあぁぁぁぁあ!

 すみませんほんっとすみませんすみませんんんんと首を亀のように縮こまらせながらひたすら謝り倒す。ドカッと大きく腰を下ろしたのが気配でわかった。怖すぎて顔を見れないのでどんな表情をしているかはわからないけど、剣呑としたオーラは相変わらずだ。

「てめーの罪を数えな。お前の運命は俺が決めてやらァ」
「色んな仮面ライダーが出てる! もう色々と渋滞してる!」
「はいまず無駄口叩き」
「はい! 数えさせていただきます! まず総悟くんの弱った姿をみんなに言っちゃった事、あだだだだだだ!」

 いざ言葉にされるといたたまれないのか、総悟くんは真顔でわたしの頬を引っ張った。ちぎれる、頬がちぎれるうううううううう! そのまま急に離された衝撃が頬に帰ってきて痛いの何の。痛みに泣いているわたしを見つめながら総悟くんは舌打ちを鳴らした。これが今問題となっているデートDVというやつなのでしょうか。心も体もズタボロです。

「なんなんでィ。お前は。マジで。ビビりのくせに」
「うううう…すみません…しくしく…」
「美味しいとこ持ってくんじゃねえ」

 苛立った声だけど剣呑さは薄まっていた。思わず顔を上げて、総悟くんを見つめる。ぎゅっと眉を寄せて、苛立ちと悔しさを混ぜたような、複雑な表情を浮かべていた。いつも真顔の総悟くんらしからぬ、感情を表に出した表情に面食らい、言葉を失くす。「あ゛〜」と唸りながら、総悟くんは頭をガシガシときむしった。

「俺がちっとばかし足踏みしてる間に、いつもいつも、お前は飛び越えてくる。生意気なんでィ。ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな」

 子どもが駄々をこねる様に何回も『ふざけんな』を繰り返し、総悟くんは片膝を立てた。膝小僧に額を寄せてからもう一度「ふざけんな」と小さくひとりごちた。静寂の帳が降りて、わたし達を包み込む。
 膝小僧に顔を隠して黙り込んでいる姿が、ちいさく感じられる。気付いたら手を伸ばしていた。まあるい頭を包むように、そっと抱きしめる。

「………何してんでィ」
「ハ、ハグ、です。……嫌?」

 恐る恐る問いかけると総悟くんは黙り込んだ。ややあとあいまって、抑揚のない声で返答が返ってくる。

「おっぱい当たってる」
「…えっ!?」

 反射的に離し、距離を取る。総悟くんは平然とした顔で「あーあ」とわざとらしく肩を竦めた。

「黙っとけばよかったぜィ。うっかり口滑らしちまった」
「な、ななななな…………って、ん?」

 わたしは首を傾げ、総悟くんをしげしげと見つめる。違う、のかな? 吉原出身のそういうことに通じている月詠ちゃんの見立てだから当たっている可能性大だと踏んでいたんだけど…。わたしの視線の意図に気づいた総悟くんが「なわけねーだろィ」と吐き捨てるように言った。

「こちとら現役でさァ。二十代舐めんな」
「………でも、その…わたし達…………」

 続きの言葉を口にするのは恥ずかしくて口を噤んで目を泳がせる。不自然な間が横たわる。鉛のように、重かった。ああああああ、ちょっと誰かこの空気、なんとかしてええええええ。

「まだ、言えてねぇだろィ」

 水面に雫が落ちるように、ぽつりと声が落とされる。
 暗闇の中で手探りしているような口調だった。総悟くんは躊躇いがちに言葉を重ねていく。

「俺はお前に、まだ、礼を言えてねェ」

 少し恐々としているように見えた。逡巡するように視線を左右に泳がしてから、わたしに焦点を合わせる。静かな決意が、空色の瞳に宿っていた。
 すうと息を吸い込む音が、わたしの鼓膜を揺らした。

「…傍にいてくれて、感謝してる」

 少しだけ震えたその声を聞いた時、今までの事が駆け巡った。花が咲き誇るように、ぶわっとたくさんの想いが溢れ出す。視界が拓けて、抜けるような青空の中に浮かんでいるようだった。

 目頭が熱い。耐えきれずに瞼を下ろすとまた涙が出てきた。たくさんたくさん、数えきれないくらい。
 普段はひどいことばかり。だけど時々、わかりづらい優しさを灯す。
 目を凝らさなければ見えない、そんなささやかな光に、わたしはずっと惹かれてきた。



「……ってのと、もういっこ、ある」

 え。感動で胸がいっぱいになってるところに気まずそうな声が届き、なんとも言えない気持ちになる。拍子抜けしたわたしから目を若干逸らしながら、総悟くんはボソッと呟いた。

「………………………………手ェ出すタイミングが、わかんねえ」

 それはそれはあまりにも、あまりにもあまりにもな理由で。わたしは。思わず。

「えっダサ………」

 本音を漏らしてしまった。

「あああああああごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃいぃいぃ!」
「てめぇも似たようなモンだろうがつか欲求不満ならてめぇから来いやあっでもやっぱそれもムカつく合図出せ合図」

 両頬を片手でぎゅうううううと鷲掴みにされわたしは顔をすごい力で圧迫されていた。顔の輪郭が変わっている気がする、頭蓋骨が砕ける音が聞こえてくる、死ぬうううううううう!!!!
 けど砕ける寸前で離された。やっと解放されたと喜びもつかの間。唇を掠める様に塞がれて、わたしは目を丸くする。

「間抜け面」

 意味を理解し顔を赤くさせているわたしを総悟くんは容赦なくせせら笑う。なんて憎たらしいのだろうか。でもこの人はそういう人。
 ドSでバカな、わたしの好きな男の子。素直に何かを伝える事が信じられないくらいに下手くそ。

「おいなんでィそのにやけ面」
「べ、別にぃ〜〜〜?」
「調子乗んじゃねえぞクソアマ」
「あだだだだだだだだ!」

 くだらなくて、しょうもなくて、馬鹿馬鹿しい。
 だけどそうして戯れに過ごす“今”が、かけがえのない“これまで”に繋がることを、わたしはもう知っている。



 瞼の裏を閉じたら、ほら。
 あなたと過ごした日々が、まばゆい光をはなっている。





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