臆病者感謝短編集
 

 子どもの頃のわたしは。

 大人になったら颯爽と風を切って歩き、問題ごとに直面したらスマートに対処して、駆け引きに満ちた恋をするのかもしれないなあ、なんてぼんやりと思い描いていた。

 そして大人になった―――二十一歳になった今。

「もう終わり、もう終わりぃぃいぃぃ、うう、ひぐっ、うあああああああああ!!!」

 友達のバイト先で泣きながらでろんでろんに酔っぱらっていた。

「小春ちゃん。ここは駆け込み寺じゃないのよ?」

 隙のない笑顔から『はやく帰れやオラ』という圧を感じる。素面の時なら恐ろしいけど今は酩酊している為大分鈍感になっており、ビビることなく「だあってえ〜」と泣きながら言い募った。

「大丈夫よ。沖田さんも相当馬鹿だから。馬鹿同士、お似合いよ」
「何のフォローにもなってないよおぉおぉ!!」
「小春くんいったいどうしたんだい? 先ほどから怪獣の叫び声のようなものをわめき散らしているが…まさか、出産前の力みか!?」
「ちょっとあんた誰との子よ!! 銀さんだったらその子宮私に移植しなさいよ!」
「グロいわ」
 スパーン!
「痛いじゃないのツッキー!!」

 再びうおおおおんと泣きわめくわたしを取り囲むように、最近キャバ嬢として働いている皆が現れる。(なんでキャバ嬢やってんの?)あまりの騒々しさに辟易したのか妙ちゃんが小さくため息を吐いた。妙ちゃんはもともと大人っぽかったけど二十歳を超えたら更に艶めいて、たおやかな大人の女性へと成長した。それなのに、わたしは、わたしは…。

「こんなんだから、総悟くんに手を出されないんだあぁぁああ…」

 地を這うような声で呻いたその時、喧噪が止んだ。しいんと静寂が空間を支配する中、わたしのむせび泣く声が響き渡る。
 けど。三泊間を置いてから。

「なにそれ! なにそれ! 超面白そう聞かせて!!」

 他人の不幸は蜜の味。目に大量の星を散らばせた妙ちゃんが嬉々として顔を覗き込んできた。砂糖に群がる蟻のように他の皆も続く。なにそれどういうこと気になるまぁ私は銀さんと××××××までやってるけどね…。さっちゃんに至っては虚言のマウントを取ってきているが酔っぱらっているかつ悲しみに暮れているわたしには突っ込む思考が残されてなかった。ぐだぐたと管を巻きながらぽつぽつと恨み言のように呟く。

「どうもこうも、ひくっ、ないよォ。わたし、ずーっと、手を出されてないんだよ、ひくっ。ツイッターだと三年も付き合ってたら普通はもうしてるもんらしいのにぃ…………わたし、わたし、わたし………

 ………処女…………」

 …と間が空いて、妙な静寂に包まれる。

「そうだったの…」


 しばらく経ってから、妙ちゃんがとしみじみと吐息混じりに呟いた。

「私、小春ちゃんはもう純潔を散らした阿婆擦れだとばかり思ってたわ…」
「そんなこと思ってたの妙ちゃん!?!?」
「いや。妙ちゃんがそう思うのも仕方ない。僕も君と彼は大分付き合いが長いし、まぁ…チョメチョメはとっくにしてるのだろうと…」
「チョメチョメって言い方なんか嫌なんですが!!」
「小春、沖田って幾つじゃ」
「…二十一歳…」
「……………まぁ、人には人のペースがあるんじゃろう。気にするな」
「間が長い!! そして優しい!!!」
「あらあらぁ、大変ねぇ。私なんか銀さんと毎日ズンズンドコドコ。そういう悩みとは無縁なの。ごめんなさい、良いアドバイスできそうにないわ」
「そうなんだ。よかったね」
「適当に流すんじゃないわよ!!!!!!」

 お酒が入っている為、いつもより若干気が強く出れたわたしにさっちゃんは飛び掛かった。ってやっぱこわスンマッセン!!!

「だいたいあんたいつまで銀さんと同棲決めてるつもりよいい加減出なさいよ!!」
「ひいいぃいぃぃ! 待ってさっちゃん!! 同棲なんてんな甘いモンじゃないよあの人との暮らしは!! うんこ流さないしいたるところに二日酔いのゲロはあるしていうか神楽ちゃんも定春もいるし!!」
「なんですって!? 4Pスカトロプレイ!?」
「人の話を聞いてえぇぇぇえぇぇええ!」

 信じられない勢いで放送禁止用語を繰り出すさっちゃんにビビりながら突っ込む。恋する乙女の剣幕怖い。すごい。マジでヤバい。いやでも確かに自分の好きな人が女の子と暮らしてるのって確かにちょっといや大分…嫌だな…。

「出てった方がいいかなぁ…」
「…ちょっとしんみりするのやめてよ。私が悪いみたいじゃない」
「実際ぬしの発言のせいじゃろうが」
「しかしそれもひとつの手かもしれない」

 腕を組んだ九ちゃんが真っすぐにわたしを射抜いた。九ちゃんが女の子なのはとうに知れ渡った事実だけどやっぱかっこいいんだよね…。十兵衛さんの時とか信じられないくらいかっこよかったし…。邪な思いに駆られているわたしとは対称的に、九ちゃんは淡々と語っていく。

「小春くんが沖田と一線を越えられなかったのは二人きりになる機会に恵まれなかったからではないだろうか。それに一度身を清めた方がいい。加虐性癖を嗜んでいる彼も流石に汚物塗れで性交するには抵抗があるだろうし」
「九ちゃんわたしは別にうんこに塗れてないよーーーー泣くよーーーー」
「もう泣いてるじゃない。そうねぇ…でも、銀さんも神楽ちゃんも定春くんも寂しがるわねぇ…」

 妙ちゃんのしんみりとした呟きに釣られるように、わたし達も押し黙る。

 銀ちゃんと神楽ちゃんと定春の暮らしはいつだって荒唐無稽だ。酔っぱらっている銀ちゃんに神楽ちゃんが毛布をかけて、わたしがお水を出す。時々二人で同じ布団に入って、しょうもうない動画を見て笑う。定春にご飯をあげてから、散歩に行く神楽ちゃんを見送る。習慣化したその暮らしを手放してまで、総悟くんに、だ、だか、抱かれ…ああああ言葉にするの恥ずかしい!! ほにゃららされたいのだろうかと聞かれると頷けなくなってきた。絶賛処女更新中のわたしはせ、せ…あああ無理だ! チョメチョメって言う! チョメチョメに至るまでの独り立ちの過程を想像できていなかったようだ。ツイッターのみんなすごいな…と感心する。

「でも。三年間一緒にいて二人きりにならなかった事ってあるの? 本当に? 二人きりのいいムードにならなかったこと、一回もないの?」

 さっちゃんが疑わし気にわたしを見つめてくる。その問いかけにわたしは。

「…………」

 思い当たる節があったので目を逸らした。

「小春さん今目を逸らしたわね!! 私は見過ごさなかったわよ!」
「あああ待って!! 助けて妙ちゃん!!!」
「わかったわ、任せて!」
「ってなんでわたしを羽交い締めにしてるのォォォォォォォ!?」
「だって気になるもの! 九ちゃんよろしくね」
「了解。すまない、小春くん」
「ひっ、わ、うひゃひゃひゃひゃひゃ! あははははは! ひひひひひひ! 脇、脇やめ、うひゃひゃひゃひゃひゃ! たす、たすけ、月詠ちゃ、ひひひひひひ!!」
「…もう吐いた方が早いと思うぞ」
「そ、そんな、あひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 人の恋路に首を突っ込む野次馬軍団に囲まれたわたしに勝機はなかった。やっとくすぐり攻撃から解放されて荒い呼吸を必死に整えているわたしを「はやく言いなさいよ〜」と急き立てる。鬼なの? 無惨様なの?

「……えーーーっと。その。真選組が大変だった時、なんだけど…………回想入りま〜〜〜す」







 神様仏様ご先祖様。お願いします。

「総悟くんの居場所を教えてください………」
 
 パンパン! と目を合わせながら手を合わせて神様に祈りを捧げる。瞼の裏に、総悟くんの背中が浮かんだ。どんな表情をしているのかはわからない。
 だって、ずっと会えていないから。

 真選組が解体されてから、わたしは総悟くんに会えていない。
 総悟くんの姿を見かけた人もいるので江戸からは離れていないようだ。けど、会えない。行きつけのお団子屋。地愚蔵くん。猫の集会所。どこに行っても、総悟くんはいなかった。総悟くんを見かけたと言われる場所に行っても、いなかった。

『真選組の隊服着た男の子でしょ? さっきまでいたんだけどねぇ』

 不思議そうに首を傾げるお団子屋のおばさんの言葉から推測されることはただひとつ。

 わたしは、避けられているのかもしれない。

「なんで……」

 鼻をすすりながら、力なく呟く。
 確かにわたしは頼りなくて、情けなくて、ビビりのヘタレだけど。だから、仕方ないかもだけど。

 自分の不甲斐なさに顔を俯けると地面に水滴が滴った。目が熱い。鼻の奥に尖りを覚える。ああまたわたし泣いてるんだな。ほんっと、いつまでたってもわたしはこうだ。自嘲を零してから顔を上げる。その先にわたしを待ち受けていたものは―――。

「―――は、」

 木の枝に縄をくくりつけた長谷川さんだった。

「は、はせ、長谷川さんんんんんんんんんんんんんんんんん!!!!」

 わたしはさっきとはまた別の涙を大量に流しながら、長谷川さんの救出を図った。


 無事、長谷川さんの救出を終えたわたしは一旦落ち着くために、二人で公園に訪れた。ベンチに二人並んで腰を掛ける。わたしはぐったりとベンチに背を預けて空を仰ぎながらぜえぜえはあはあ荒い呼吸を繰り返していた。

「はあ、はあ、はあ、はあ…」
「小春ちゃん、大丈夫かい? 水でも飲むか?」
「それわたしのセリフですからね…!! 長谷川さんこそ何をしてるんですか…!!」
「この不景気だろ? 日雇いの仕事も見つからなくてな。だったらここでもういっそ楽になっちまおうと思って。ハハッ」
「……奥さんに頼るとか、しないんですか?」
「ハツに? …そいつぁ、ちょっとなァ」

 長谷川さんは口の端をわずかに緩ませて、静かに笑った。

「アイツにはちゃんとした姿で会いてェんだよ」

 力なく自嘲混じりの声だったけど、そこには確固たる意志が宿っていた。
 ぎゅうっと胸の奥が締め付けられて、釣られて、わたしは下唇を噛みしめる。悔しくて、腹立たしかった。

 なにそれ。なにそれ。なにそれ。

「…知らないですよ、そんなの」

 普段、皆と違って長谷川さんを罵らないわたしの責めるような物言いに呆気にとられたのか、長谷川さんはきょとんとした面持ちでわたしを見つめる。わたしは、キッと長谷川さんを睨んだ。

「そんなの、長谷川さんの自己満足じゃないですか。悲しいとか辛いとか愚痴とか全部自分の中にため込んで、なにも言わなくて、なにも言わせてくれなくて、ねえ、そんなの、そんなの、っ、う、」

 瞬きをひとつした瞬間、眼球が涙に覆われた。視界が曇って、ぐちゃぐちゃになる。

「知らないよおおおおおおおおおおおお」

 うわーん、と大声で泣きわめき始めたわたしに長谷川さんはぎょっとする。

「ちょ、小春ちゃん小春ちゃん! あのそんな泣かないで! 今周りの目がものっそいヤバイ! 視線で俺殺されそう! いやさっきまで死にたかったけどやっぱ実際死に瀕すると生きたくなってくるね!」
「知らないよおおおおおお、なに、なにあのドS馬鹿、なんでよ、なんでよおおおおおおおおお、ガラスの剣のくせにいいいいいいいい!」

 何も言ってくれないあの人がムカついて、生まれて初めて大声で悪口を言ってやる。聞こえてたっていい。というか、聞こえてほしい。
 聞こえて、ムカついて、わたしに会いに来てよ。

「どうしてぇ、なんでぇ、なんで、避けるの、う、ひくっ、えぐっ」

 鼻水が鼻の奥に詰まってうまく呼吸ができない。ひどい顔をしているだろう。総悟くんがここにいたら、きっと写真を撮って、SNSにアップしようとしているに違いない。
 アップしたっていいから。
 ひどいこと言ったっていいから。
 だからだからだからだからお願い。

 姿を、見せてください。

「…そういや小春ちゃん。あの茶髪の兄ちゃんとデキてたなァ」

 しみじみと呟く長谷川さんにデキてるって言い方やめてと突っ込みたいけど、嗚咽が止まらない為、わたしは何も言えなかった。長谷川さんは遠くを眺めながら、懐かしがるような口調で続ける。

「喋った事ねえけど、アイツが小春ちゃんに会いたがらねえ訳何となくわかるぜ。相当頑固で、片意地張ってる野郎だろ。
 ―――情けねぇ姿、見せたくねえんだろうな」

 しみじみと感情のこもった声に、反発を覚えて恨めし気に長谷川さんを見やると苦笑で返された。

「わーってるわーってる。んなの小春ちゃんからしたら知るかボケって話だよな。けどな。男は、惚れた相手には格好つけときてェもんなんだよ」
 わかってやれ、とまでは言わねえけどな。
 そう付け足して、長谷川さんは煙草吸いてェなァと空を仰いだ。釣られるように、わたしも空を見上げる。
 雲が少し晴れて、青い空が見える。総悟くんの瞳と同じ色をしていた。

「………わたし、どうしたら、いい、です、か」
「俺みたいなオッサンに聞くなよー。若造の思考回路なんて理解できねぇよ。…まぁ、でもそうだなァ…」

 日に当たったサングラスから瞳が透けた。死んだ魚のような瞳がにたりと細められた。

「好きなようにやってやりな。存分に困らせてやれ」

 俺の十倍の年収を持ってるであろう若造が苦しむところが見たい。ヒヒ、ヒヒヒ。
 長谷川さんの不気味な笑い声は、青空に吸い込まれていった。



 暗闇の中、息を潜めて身を縮こまらせる。物音は立てない。絶対に立てない。立てたら死ぬと思って、わたし。必死に言い聞かせながら、ただ一点を見つめる。

 穴が開いたその先を、わたしはずっと見つめていた。
 ………天井裏から。

 総悟くんは絶対真選組の屯所に戻ってくる。それは、確信していた。
 わたしの中で、沖田総悟は真選組一番隊隊長。それは空が青い事と同義だった。
 何があっても、総悟くんは絶対戻ってくる。
 だって、たくさんの期待を投げ出すような、そんな腑抜けた人間には真選組の一番隊隊長なんて務まらない。だから、絶対に戻ってくる。
 もし、折れかけたとしても。総悟くんを鼓舞し、発破をかけてくれる人間はたくさんいる。
 だからわたしがやるべきことはただひとつ。わたしがやりたいことは、ただひとつ。
 …と思って屯所に忍び込んだのはいいものの、めっちゃくちゃ怖いよォォォォォォ!
 
 幕府に差し押さえられ、封鎖されていた屯所に忍び込み総悟くんの帰りを待つのは本当に怖い。見廻り組いるんだもの時々入ってくるんだもの見つかったら絶対打ち首獄門だよォォォォォォォ。

 総悟くんと違い、普通に腑抜けのわたしはビビり倒していた。はやく戻ってきてお願い会いたいという気持ちももちろんあるけど普通に怖い真夜中にひとりで屯所にいるのめっちゃ怖い!
ギシッと畳を踏む音が聞こえて、ビクッと肩が跳ね上がる。だ、誰か…誰か入ってきた。ごくりと唾を飲み込み、気を引き締める。また見廻り組の人かな…。息を詰めて穴を覗き込んだ。
縁側から差し込んだ月光が栗色の髪の毛を淡く透かして、きらきらと光っていた。
 わたしが会いたくてやまなかった人物が、総悟くんが、そこにいた。空色の瞳がわたしを捉え、素早く抜刀し、菊一文字RX-78を放り投げ―――ん?

「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!!」

 目をひん剥かせながらわたしは剣を避けた。




「わりーわりー。普通に鼠だと思ってたわ」

 総悟くんは顔色ひとつ変えず、軽めの謝罪を口にした。わたしはというとさっきの投擲のショックからまだ立ち直れずえぐえぐ泣いている。

「いつまで泣いてんでィ。引っ張りすぎだろィ」
「殺されかけて泣くのって普通だよね!? わたしがビビりだからとか関係ないよね!? 普通に泣く事だよね!?」

 涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにしながら食って掛かると「自分の基準を人に押し付けてはいけねェ」と諭された。

「なんでここにいるんでィ」

 その一言を皮切りに、ぴんと一本の糸を張ったように緊迫感が胸に迫った。総悟くんは静かにだけど苛立ちを宿してわたしを見据えている。

「今、ここがどういう状況なのかわかってんのか」

 淡々としただけど責めるような口調だった。総悟くんは怒っていた。何あぶねぇことしてんだ馬鹿女。空色の瞳はそう言っている。
 わたしは目を閉じて、深呼吸した。オラに元気ならぬ勇気を。瞼の裏に万事屋の皆の顔を思い浮かべて、長谷川さんの後押しを思い出して、わたしは、言ってやった。

「うるさいドS馬鹿」

 空色の瞳が、大きくぱちくりと瞬いた。
 心臓がものすごい勢いで早鐘を打っている。ヤバイ。マジで怖い。殺されるかも。逃げたい。ビビりのわたしがいたるところから顔を出してくるがモグラたたきの要領でつぶし、必死に平静を装った。

「ドS馬鹿くんがさ。その隊服を脱がないで、真選組で在り続けるのと同じ。わたしも、ここに居続けたい。ここで、山崎さんとミントンして。近藤さんの恋バナを聞いて。土方さんからドS馬鹿くんを匿って。仕事をサボってるドS馬鹿くんが無駄に破壊した建物を税理士さんにどう言い訳するか考えて。そうやって、わたしは、わたしなりの力で真選組を守りたいし、そうやってここにいたい」

 真っ直ぐに、目の前のドS馬鹿くんを見つめる。ぱちぱちと大きな目を瞬かせている。少し、驚ているのかいつもよりあどけない表情だった。

「危ないって怒るだろうなとは思った。だけど、そんなの知らないです。ドS馬鹿くんが好き勝手するなら、わたしも好き勝手する。わたしだって、ここで待っててやる。危なくても、死にかけても、真選組の…超ド級のドS馬鹿が帰ってくる場所で、待ち続ける」

 淡々とでも一言一言に真摯な想いを込めて、わたしは言った。いつものように泣かずに、慌てず、落ち着いて、ゆっくりと。わたしの気持ちがきちんと届くように、祈りを籠めて。
 ドS馬鹿くんは何も言わず、じいっとわたしを見続けていた。沈黙が空間を支配し、時が流れる。
 
「ごめんなさいやっぱ怒ってる? あの、その言い過ぎました、ほんと、ほんとすみまっせんん、ちょ、ちょっと気が立ってて、あは、あははは!!!」

 十秒経過した頃、秒針の音によって頭を冷やされたわたしは今更総悟くんに暴言を浴びせかけた恐怖に襲われ、手を揉みながらへりくだることにした。すみませんやっぱりビビりですわたしの芯はトイレットペーパーの芯のようなものです。
 総悟くんはずっと瞬きだけを繰り返していた。何か言いたげにわたしを見つめているが、その思考は読めない。ふう、と小さく息を吐いてから淡々とわたしを呼んだ。

「小春」
「は、はい! なんでしょう総悟大閣下様!」
「こっち」

 手招きされて、わたしは総悟くんに近寄った。距離が縮まり視線の濃度が強まる。腕を伸ばされて、柔らかく抱き寄せられた。
 総悟くんの匂いが鼻孔をくすぐり、とくんと胸の奥が高鳴った後、無性に泣き出したくなった。
 あ。そうか。会いたかったんだ。わたし、この人に会いたかったんだ。
 喉の奥から熱い塊がせり上がってきて嗚咽がこみあげた、その時だった。

「誰がドS馬鹿だって?」
「ぎゃああああああああああああああ!!!!」

 わたしは、総悟くんに締め上げられていた。ミシミシミシミシミシ、あばらが軋む音が体の内側から聞こえる。

「六回も言いやがって。お巡りさんの心がきーずついた〜。公務執行妨害で逮捕〜」
「ぎゃああああ、かぞ、かぞえ、ああああああああ! ほんっとすみまっせんビビりが調子乗りましたァァァ!! あの、ほんっと、ほんっと! すみまっせん!! もう二度と言いません!!! 神山さんがドS馬鹿と言った時確かにとか思ってすみまっせん!!!」
「へ〜そんなこと思ってたんだ〜〜〜」
「あだだだだだだだだだだ!!!」

 ミシミシミシミシミシ…依然締め上げられ続け、気が遠くなっていく。あれ、綺麗なお花畑が見える…あれは…ミツバさん? お久しぶりです〜〜〜!
 ミツバさんが目を丸くしてわたしを見つめた後、柔らかく目を細めたその時、力が弱まった。現実世界に引き戻されたわたしは、背中から畳に倒れた。

「ぐえっ、…はあ、はあ、げほっ、げほ…っ」

 せき込みながら前を見ると、茶色いつむじが視界に入った。総悟くんのつむじだ。あまり見慣れないなぁ…。気絶寸前まで追い詰められた脳みそは、そんなことをぼんやりと思う。
 わたしより、総悟くんの方が大きいから。
 子ども達の間に入ってムシキングしたり、神楽ちゃんと張り合ったり、土方さんに悪戯を仕掛けたり、ミツバさんに、甘えたり。総悟くんは子どもだ。
 だけど冷静に周りを見渡して、きちんとお勤めを果たして、街の人達を守ってきた。十八歳の男の子が成し遂げる事ではない。
 そのつむじが今少し、震えていた。微かに、よく目を凝らさないと、見えないほどだったけど、震えている。

 総悟くんはわずかに体を動かして、わたしの首筋に顔をうずめた。

「疲れた」

 ぽつりと。掠れた声のつぶやきが落とされる。小さな心もとのない声だった。総悟くんの体から力が抜けていくのが触れた皮膚から伝わる。熱く湿った息が首筋に当たった。だけどドキドキと心臓が高鳴る事はなかった。ただ、どうしようもなく、愛おしくなった。

 上京する前から、ずっと一緒だった人達。
 初めて自分を受け入れてくれた家族以外の人間。自分が自分である定義を与えてくれた居場所。
 それをいっぺんに失くしかけたにも関わらず、総悟くんは立ち続けた。

「頑張った」

 鼻の奥がつんと尖って鼻声になる。だけど嗚咽を必死に喉の奥に押しやった。誰よりも泣きたい人が泣いてないのだから、わたしが泣く訳にはいかない。
 
「総悟くん、頑張ったね」

 だからわたしは、呼吸を整えてからいつも通りを心がけて、もう一度言った。

「うるせェ」
「うん」
「俺が真選組だなんて当たり前だろィ」
「うん」
「わかってること何回もわざわざ言うんじゃねえよどいつもこいつも」
「うん。ごめんね」

 ぽつぽつと憎まれ口が小雨のように降り落ちる。だけどやがてそれも止んだ。
 総悟くんの声にならない声が吐息となって、肌に触れた。背中に手を回される。子どもが縋りつくような手つきだった。

 わたしも、総悟くんの頭を柔らかく包むように抱き寄せた。
 水面に落ちた花びらを、そっとすくいあげるように。













「「「「へえ〜〜〜〜〜」」」」

 わたしの思い出話を聞き終えた皆は感慨深げに頷いていた。

「良いムードではないか。そのまま盛り上がって生殖行動に至りそうじゃな」
「ゴリラもいないしねぇ」
「屯所なんだからお妙さんがいないのは当然でしょう」
「おい何しれっと失礼なボケかましてんだコラ…ぶふっ」

妙ちゃんが突然噴き出した。笑いを必死に噛み殺した表情で耐えている。他の三人も同様に。

「や、やめんかお前ら。奴はあの時は一大事だったんじゃ」
「ツッキーだって、顔、わら、笑って、」
「君も人の事は言え…ブフォッ」
「九ちゃんやめ…あはははははははははははは!」

 四人とも顔を見合わせた時に、一斉に大きく噴き出した。ゲラゲラとお腹を抱えながら爆笑している。

「あのスカした人が! あはははははは! あはははははは! あははははは!」
「超絶ウケるんですけどなんかしゅんってしてる!!! 甘えてる!!!」 
「あははははは! あははははは! ひーひっひっひっひっひ!」
「ひくっ、そんな、ひくっ、面白い、ひくっ、こと〜〜〜?」

 なかなか話したがらないわたしの口を緩めるために、みんなはわたしにお酒を注ぎまくった。元からお酒に弱いわたしはたらふく呑まされた事により、周りが見えなくなっていた。だから、気づかなかった。

 二人が同じ空間にいるということに。
 大分離れた席で、銀ちゃんが声を殺して号泣しながら爆笑しているという事に。
 総悟くんが、能面のような顔でずっと聞いていたという事に。



(続く)




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