臆病者感謝短編集
 

 
 母親に抱かれている赤ん坊とすれ違う時、小春は頬を和らげて嬉しそうに綻んでいた。でかいカゴに詰め込まれて運ばれていく幼児を見かけると姿が見えなくなるまで目で追っている。

『お前ガキ好きなの』
『ガキって言い方…。でもまぁ、うん。そうだよ。なんか見ちゃう』
『同族嫌悪ならぬ同族好意ってやつだねィ類は友を呼ぶってか』
『わたしと総悟くん同い年だからァアァァァ!』

 江戸を離れている頃。
 泣きわめきながら眼鏡仕込みの突っ込みを入れる小春を思い出してると「総悟ォォォ!」と土方さんの怒声が飛び込んできた。

「てめぇ俺のマヨネーズになんか妙な薬入れただろーが! マヨネーズ零しちまったらテーブルに穴が開いたんだけどつーかマジで何入れやがった!?」
「マジですかィ。土方さんはおっちょこちょいだな〜」

 話の論点をずらしながらマジで斬りかかってくる土方さんの刃先を避ける。その間も、アイツの顔が浮かでいて、アイツの声が鼓膜に残っていた。

 世界が終わっちまうかもしれねェって時だ。
 妙な烏には手も足も出ず、将軍様だって守れなかった。やるべきことは山ほどある。女の事など考えている余裕はない―――それなのに。

『そ、総悟くん、ゴゴゴゴゴキ、シェイプアップダウン!!!!』

 いつまでもいつまでも脳髄にこびりついてくる。
 しつこくて、うるせえ。






「総一郎くん、君、もう思春期じゃないのよ」
 
旦那はチョコバナナパフェを頬張った状態で呆れながら諭しかけていた。年を取ったら説教臭くなるのってマジなんだな。俺はこんな風に大人にならないよう気をつけねばならねぇ。

「おいおめーのモノローグ全部声に出てっからな。おっさん扱いすんじゃねえ俺今…あれ俺今何歳なんだっけ…」
「旦那は公式で年齢不詳でさァ」
「そうそう。俺はそうなんだよ。あと俺実写化したら小栗旬だから」
「ふーん。ちなみに俺は実写化したら吉沢亮でィ」

 どこからか花より男子のDVDボックスを持ち出してきた旦那に対抗して俺は仮面ライダーのベルトを見せつける。スナックすまいるで女を侍らさずに野郎だけの空間でマウントを取り合っているのは俺と旦那だけだった。
 何故、俺が今キャバクラで旦那と膝を突き合わせているのかと言うと以下回想。
 近藤さんがまた姿をくらまし、どうせ姉御のストーカーでもしているのだろうと踏んでスナックすまいるに足を向けると何故か旦那がいた。

『よォ』
『何してんですかィ』
『情報収集だよ。乙女心のアンケート開催中だ。襲われて傷ついてるところに彼氏からお前何やってんだよって言われた時なんて思う? って聞いて回ってる』
 
 無言の返事を返す。旦那はわざとらしく声を潜めて『サ・イ・ア・ク』と言った。

 そんで冒頭に戻る。回想終了。

「心配したって言えばいいだけじゃねーか。何もあんな小姑みたいに責めねェでもいいだろ。ゴリラじゃねえんだから」
「姉御ー」
「ごめんほんとごめん俺も言い過ぎたごめんね吉沢くん」

 手を合わせて謝ってくる旦那にプライドは一匙たりとも見受けられない。この人はいつもこうだ。俺が言うのもなんだが飄々としてつかみどころがない。だが俺と違うのは他人の事などお構いなしといった風情なように見えて、その実誰よりも周りを見渡せていることだ。今こうして俺にいちゃもんつけているのも落ち込んでいる小春を見かねての事だろう。
 きっと昔だったら、旦那と小春の絆を見せつけられたようで己の浅さを突き付けられたようで腹立たしかっただろう。無論、今だって全く腹立たない訳ではない。だがそれ以上に。

「まァ、そうですねィ」

 納得する気持ちの方がでかかった。素直に頷くと旦那は死んだ魚の目を少し見張らせて驚いている。

「なんでさァ、その間抜け面」
「間抜け面じゃねえよ、小栗旬面だ。いや、まァ、あっさり納得するとは思わなくてな」
「正論だからねィ」

 ソファに深く背を預けながら天井を仰ぐ。きらびやかなシャンデリアがまぶしくて目を細めた。田舎には見られない江戸特有の派手な飾りを実際に目にすると江戸に帰ってきた実感がゆるやかに込み上げてくる。
 世界は亡くならなかった。俺も捻くれずに素直に物事に向き合えるようになれた―――と、思っていたんだが。

「あいつを前にすると、中二に戻っちまうんだ」

 ぽつりと、掠れた声のつぶやきはざわめきにあっという間に吸い込まれた。

「心配した。無事でよかった。怖かったな。もう大丈夫だ。そう言えばいいのはわかってんでィ。けど、あいつを前にすると駄目だ。危険な目に遭わせたこととか、呼ばれなかった事とか、全部が全部、ムカついて、頭が熱くなって、…あ゛〜〜〜…」

 小春の泣き顔が浮かんで胸の中を罪悪感で埋め尽くされる。自然と呻き声が漏れて更にソファに身を沈ませた。ずぶずぶずぶずぶ。

 二年と半年の間放置してそれでも待っててくれた。
 だけど照れくさくて感謝の言葉も未だに伝えられていない。何となくわかってくれてんだろ、とずっと逃げている。
 それがどれだけ愚かで傲慢で臆病な事か知っているにも関わらずに。

「へ〜〜〜」

 旦那はクッソどうでもよさそうにパフェを食っていた。流石に普通に腹立って忌々し気に睨みつける。

「だってへぇ〜しか言う事ねえもん。人ごとだし。俺に言われてもって話だし。つーかあそこに本人いるから言ってくれば?」

 旦那はパフェを食いながら見向きもせずに指だけ後ろに向けた。つられて視線を辿っていくと同時に聞きなれた泣き声が沸き上がる。

「もう終わり、もう終わりぃぃいぃぃ、うう、ひぐっ、うあああああああああ!!!」

 脳髄に響き渡る、しつこい声だった。




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