臆病者感謝短編集
 

 季節は廻り時は流れ年を重ね、わたしはいつの間にか大人になっていた。だけど変わらない事もある。それは、総悟くんへの思いだ。この先も色あせる事なく、わたしはずっとずっと、彼に恋をしていくのだろう。
 変わらない。ずっとずっと、変わらない。
 わたしはずっとずっと、処女のまま。
 
 そう、処女。

「もう付き合って三年目なんですけどォ………!」
 机に突っ伏しながら頭を抱え、くぐもった声で小さく独りごちる。気づいたら総悟くんと付き合って三年経っていた。いやもうチューはしてる。チューはしてるんだよ。ただ、そこから先が一切合切ない。マジで。いや去年までティーンズラブしてる時間も余裕もなかったから仕方ないんだけどね。そんなアルタナが噴き出したりテロリストになってる時に『わたし達そういうのしない…の?』とか聞けないよ聞ける人間どんな人だよ。
 
一度相談しようと思い周りの人間を思い浮かべた瞬間に誰にも相談できないと絶望したわたしはネットに頼ることにした。ツイッターに偽名で登録し、同い年の同性の性事情を探ると彼氏との過激な性事情を赤裸々に投稿している子が多く読みながら赤面し、それから、思ってしまった。

 …いいなあ…。

 性の喜びを味わった事ない処女のわたしに性的な快感は欲するところではない。それはあまり現実味に乏しく、ピンとこないのだ。ただ、好きな人に激しく求められるという事が羨ましかった。

「いいなあー…」
「何が」
「そりゃあ…ひえええええええええええ!!」

 気づいたら背後に立っていた総悟くんに本音を零しかけたわたしは、驚きのあまり座ったまま飛び上がってしまった。

「き、聞いてた!?!?」
「聞いてたから訊いてんじゃねえか。何がそんな羨ましいんでィ」

 詳細まで呟いてなかったようだ。こっそり安堵の息を吐き「そ、それはねぇ」と笑顔を作って話を逸らそうと試みる。

「神楽ちゃんからLINEが来たの! 定春がものっそい大きなうんこしたんだって! わたし便秘がちだから羨ましくて!」
「へー」

 総悟くんは心の底からどうでもよさそうに頷いて、わたしの目の前に座った。時計に目を遣ると、長針と短針は十二時を指していた。恒例のお昼の時間になっている。

十八歳の頃の総悟くんはわたしのお弁当から好物を掻っ攫ったりお弁当を至極当然な顔で享受していたけど、今ではわたしのお弁当作る時間を考えてか近藤さんにお弁当手当を加算するように言づけるようになった。(近藤さんが教えてくれた)お金はあればあるほど嬉しいんだけど好きな人にお弁当を作る自分…!に酔いしれていたわたしは喜びとお金に換算されたくない気持ちで揺れ動いている。いつも美味しいよ、ありがとう。って直接言ってもらった方が嬉しいんだけど、まぁ、そういうところも含めて総悟くんなのだろう。

「今日のお弁当なんでしょ〜?」
「松坂牛のステーキ。フォアグラのなんか。キャビアのあれ」
「ぐる〇イのメニュー!? しかも高いとこのメニュー知らないからめちゃめちゃ有耶無耶な感じになってる!!」

 総悟くんのボケに突っ込みながら、顔を合わせてお弁当を食べる。何てことのない幸せに浸っていると、手を出されない事への不安感はいつのまにか隅に追いやられる。だけど、総悟くんがいなくなると、わたしの中に巣食う悪魔が意地悪く囁くのだ。

『健康的な二十歳の男子に手を出されないって、あんた相当ヤバイんじゃない?』

「ああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 総悟くんが部屋を出ていって、二十分後。わたしは伝票を片手に叫んだ。ていうか何この接待費五百万(ドンペリ代)って。税理士さんにまた怒られる。







 税理士さんへの言い訳を考え込んでいたらいつのまにか残業になっていた。いつもは残業すると神楽ちゃんに迎えに来てもらっている。けど今日神楽ちゃんは星海坊主さんとご飯を共にする日だ。めんどくせーアルとぼやきながらも口の端にじんわりと笑みが滲んでいた。新八くんはお通ちゃんのライブで銀ちゃんは長谷川さんと呑みに行っている。うーん。どうしようかな。…というかいつもわたしが残業してたらそろそろ帰りなよって誰かが声かけてくれるのに…。
 そういえばなんだか騒がしい。不思議に思い、わたしは襖から顔を出す。するとざわつきが耳に直接飛び込んできた。

「あの変態仮面出所してそうそうやらかしやがって!」
「変態仮面じゃないです! 怪盗ふんどし仮面です!」
「もうどっちでもいいわ! 十年以上前に一回出たキャラクターのこと覚えてられっか!!」

 どうやら下着泥の怪盗パンツ仮面がまた下着泥棒したらしい。あ、間違えた。パンツじゃない。ふんどしだふんどし…。
 それから最近、婦女暴行の事件が続いてる為警備の強化をしているらしい。深夜、ひとりで歩いている女の子を狙って車に連れ去るのだとか。おめーも気をつけとけよと総悟くんから注意喚起されたけどわたしは深夜動く事少ないのでどうにもあまりピンとこない。
 攘夷活動は下火になったもものの、江戸にはたくさんの事件が勃発している。明らかに忙しい人たちを前に『夜遅いんで送ってください』とは言いづらい。時刻は八時半だった。そんなに遅い時間でもない。まあ、大丈夫だよね。うんと小さく頷いて、わたしは持ち物を風呂敷に包む。お疲れ様でした、と小さく呟いて屯所を後にした。


「さっっっむ…!」

 北風が身に染みて、マフラーに顔を埋めた。まだ八時であるにも関わらず空は帳が降りたように暗闇に覆われていた。音楽でも聴きながら帰ろうかなぁ。イヤフォンを耳に押し込み、ポケットからスマホを取り出す。でもスクロールしようにも手がかじかんでスマホは思うように動かない。ちょっとわたしは髭男を聴きたいんだけど、今はお通ちゃんの気分じゃないんだけどおおおおお。何をどうしてもお通ちゃんの曲を選んでしまう。お前の母ちゃん何人だがわたしの聴覚を元気よく埋め尽くす。

けど次の瞬間、静寂が訪れた。

「うえっ」

 喉に何かが食い込んで、呻き声のようなものが自然と零れ落ちる。呆然としている間に顔を圧迫された。何かに、口を塞がれている。

 ―――はい?

 頭の中に大量の疑問符が宿り硬直してる間にも事態は進んでいく。わたしは誰かによってずるずると引きずられていた。血の気が引いていき、疑問符は危険信号に変わる。喉に食い込んでいた手がわたしの胸の位置まで下ろされた。鷲掴みにされた瞬間に鳥肌が総立ちし、

「ってえ!」

 体の細胞全てが、この人を拒絶した。
 わたしが全力で足を踏み手を噛んだことで男の人は悲鳴を上げた。そのまま後ろを振り返る事なく、わき目も振らずに一目散に駆けていく。

「おい逃げたぞ!! 何やってんだ!!」
「っせえなはやく乗せろ!!」

 後ろからエンジンの音が聞こえ、恐怖が更に煽られる。ヤバいヤバいヤバいヤバいこれ絶対そういうやつだヤバいヤバいヤバいヤバい…!

「た、たす、助けてぇぇええぇぇぇえぇぇ!!!」

 大声で声を張ったつもりが掠れた情けない叫び声だった。車が通れない狭い路地裏にわたしは飛び込む。少ししてからブレーキの音が響き、ドアの開閉音が続く。わたしは逃げ足に自信がある。だけど、男女の体格差とは無慈悲なもので。

「つ〜かまえた!」

 手首を覆われた瞬間、全身に悪寒が走った。「ほら、怖くないから〜!」と猫なで声が体に這いまわるようで、吐き気が込み上げる。この人達に捕まったら終わる、殺されなかったとしても、終わる、ヤバいことは絶対される、嫌だ、誰か、誰か、誰か、

 ―――そうごくん

「―――ぐえっ!!」

 ひゅんっと耳元で何かが風を切った次の瞬間、男の人は変な声を上げて倒れた。からん、と木刀が地面に転がり落ちる。

「ギャーギャーギャーギャー。やかましいんだよ。発情期ですかコノヤロー。…って、おい。何年ぶりに言わせんだよ」

 木刀の柄には、洞爺湖≠ニ彫られていた。

「ぎん、ちゃ…」

 名前は最後まで呼べなかった。見慣れた顔に、聞きなれた声。いつもわたしを守ってくれる人。せっかく助けに来てくれたのに恐怖で硬直した身体はうまく反応してくれない。銀ちゃんはわたしに視線を向けると、瞳に優しい色を浮かべる。

「安心しろ。銀さん岩の呼吸の使い手だからな」

 頭をわしゃわしゃと撫でられた拍子に瞼が下がる。次瞳を開けた瞬間には全員倒れていた。ぼうっと突っ立ちながら目の前の光景を眺めていると「歩けるか」と問いかけられた。声に誘われるように、銀ちゃんを見上げる。街頭に照らされた銀色の髪の毛が鈍く光っていた。
 ―――銀ちゃんだ。
 銀ちゃんの存在をようやくきちんと認識したわたしの胸に安心感がなだれ込む。しゃっくりをひとつこぼしてから、わたしは子どものように泣いた。
 銀ちゃんは茶化しながらも、面倒くさがりながらも、わたしが泣き止むことを急かしはしなかった。




 わたしは銀ちゃんといっしょに事情聴取の為またもや屯所に戻っていた。

「音楽聞きながら歩いてたら背後から口塞がれた、と。間違いねぇな。今まで俺らが追っていた奴らと同じ手口だ」

 土方さんが煙草の煙を吐き出し「つーかよ」と苛立ちと呆れを相半ばした視線をわたしに向ける。

「夜ひとりで歩いてる時に音楽聴くな。お前奴らにとってはネギを背負った鴨状態だぞ。このろくでなしが飲んだくれてたからいいものの」
「え? なに? 一般人に手柄取られたからってキレてんの? ちっさ〜」
「言っとくがお前は別件でも事情聴取あっからな。いい加減銃刀法違反で取り締まるからな」
「銃刀じゃありませ〜ん! 修学旅行でテンション上がって買った木刀です〜ただのお土産です〜そんなのもわかんねえの〜〜〜?」
「んだとコラァ!?」
「ひ、ひいいいい、あの、ふ、二人とも落ち着い、」
「落ち着きなせェ、二人とも」

 大の男二人の喧嘩を仲裁しようと割り込んだのは私だけじゃなかった。北に喧嘩や訴訟があれば面白いからもっとやれ…みたいな事を言い出しそうな人ナンバーワン・総悟くんもだった。いつものように淡々とした声で、二人をいさめている。

「土方さんはクズの聴取を頼まァ」
「総悟おめーがやらなくて…」

 土方さんは不自然に声を途切れさせ、総悟くんを凝視した。彼だけじゃない、銀ちゃんも、わたしも。

「俺がやったら、聴取が拷問になる」

 激情は感じられない。けど氷点下に達したような、冷たい声だった。
 土方さんは小さくため息を吐いて「じゃあ、ここは頼むわ」と言った。

「…人手が足りないから仕方ねぇが、冷静にやれよ」
「わーってますって」

 軽い調子で手を振る総悟くんを土方さんは訝しがるように見てから、踵を返す。パタン…と静かにドアが閉じられた。

「はい、名前と職業…は飛ばすと。いつ頃襲われた?」
「し、仕事終わって…多分十五分くらい経ってから…です」

 警察官として仕事する総悟くんにつられて、わたしも敬語で返答する。銀ちゃんは隣で鼻をほじっていた。あ、もうちょいで取れそう…と呟いている。どうにも緊迫感に乏しいけど、わたしを安心させてくれる。

「ひとりで歩いてたんですかィ?」
「は、はい」
「音楽聴きながらって調書に書いてあっけど、何で聴いてたんでィ?」
「スマホ、です」

 総悟くん、わたしが襲われたというのにめちゃめちゃ落ち着いているな…。というか大丈夫!? の一言もない。どうしてなんだろう。え、付き合ってたのって幻覚…? いやでもさっきすごい怖い事言ってたし、犯人に対して怒ってはいるんだよ…ね…?

 寂しさと疑念が綯交ぜになった膨れ上がっていく。ポーカーフェイスでわたしに質問を投げかける総悟くんからは何の感情も読み取れない。

「ふーん。で、あんたはスマホを普段何に使ってんの?」
「えーーっと…まあ今日みたいに音楽聴いたらゲームしたり…まぁでも一番は連絡ですねえ」
「なんで呼ばなかった?」
「へ?」
「なんで、帰る時に、俺を呼ばなかった?」

 声のトーンはさっきと何も変わらない。だけど、何かが切り替わっていた。
 銀ちゃんがちら、と総悟くんに何か言いたげな視線を寄越したけど、総悟くんはじいっとただわたしを見据えている。
 底冷えするような眼差しで、わたしを切り抜かんばかりだった。

「い、忙しそうだった、から」
「で、結局これか」
「それがお前らの仕事だろ。俺たちの税金分しっかり働け」
「低所得者は黙ってろィ」
「無理で〜す。低所得者にだって言論の自由がありま〜す」

 銀ちゃんと土方さんはともかく、銀ちゃんと総悟くんが険悪になっている。普段、二人とも気が合って、結構仲良さそうに喋っているのに。
 なんでこんなことになったんだろう。
 わたしか。
 わたしが変な事ばっか考えて、注意散漫に生きてきたからか。

「ごめ、ごめ、ごめんなっ、ふぐっ、ざ、い」

頭を下げながら、わたしは涙と鼻水をぼたぼたたらしながら謝る。銀ちゃんが「あーあー」と肩を竦める気配を察した。

「小春お前今すっげーーブスだぞ。顔洗ってこい。いいだろ、総一郎くん」
「…まあ、漏らされても困りやすからね。俺スカトロの趣味ねーし。どーーぞ」

 総悟くんの声は少しヤケクソ気味だった。ああ怒らせている。だけどここにいても、わたし泣くことしかできない。
 大人になったのに。色んな事を経験したのに。
 わたしは相変わらず馬鹿で、注意力散漫で、ビビりで、泣き虫だ。

 嗚咽を必死に殺しながら、部屋を後にする。最後に目玉だけ動かして総悟くんを視界の端で捉えた。涙で覆われた視界では、茶色の髪の毛は滲んでよく見えなかった。





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