臆病者感謝短編集
 

それはいつもの昼下がりに、突然起こった。

机の上に置いたケータイが振動を始めた。父ちゃん、という文字が画面に浮き上がった。またお見合いとかだったら嫌だなあ…と思わずげんなりしてしまう。父ちゃんには総悟くんとお付き合いをしていることはまだ言っていない。いつかは言わなきゃ、と思うけど、わたしも一応年頃の娘なので、父ちゃんにお付き合いしている男の子を紹介するのは恥ずかしいのだ。もしもし、と出ると、開口一番に父ちゃんは言った。厳かに、ゆっくりと。

「小春、お前付き合っている男の子いるだろう」

胃が口から飛び出掛けた。






「え、えーっとォ、こちらが、沖田総悟くん、です」

「はじめやして、沖田総悟っていいます。真選組で働いてます」

ぺこり、と総悟くんは父ちゃんに向かって頭を下げた。頭を下げた。総悟くんが、頭を下げた。しかも敬語を遣っている。にわかには信じがたくて、驚愕で目を見開いたまま凝視する。総悟くんは真っ直ぐに父ちゃんを見据えている。

今、わたしと父ちゃんと総悟くん、三人でファミレスにいます。何故、こうなったのかというと…。はい、回想入ります。


ヤバイヤバイヤバイヤバイ。頭皮から噴出した冷や汗がだらだらと背筋を伝っていく。ちらっと、こっそりとわたしの真向かいでお弁当を食べている総悟くんを盗み見る。

こっそりと江戸に来た父ちゃんは、わたしをこっそりストーキングして、わたしが真選組で働いていることを知ったらしい。真選組、はて、どっかで聞いたことあるような気が。ああ、あれか〜、チンピラ警察の…って。えええええええ!?と、顔面蒼白になった父ちゃんは、そのままストーキングを続行して、お昼の時間になって、わたしと総悟くんの間に流れている雰囲気を見て、感じ取ったらしい。

『あ、これ、できてますわ』

と。白目を剥きながら。

そのあとのことはよく覚えていないらしい。男手ひとつで天塩にかけて育てた娘がチンピラ警察に…チンピラ警察に…とふらふらした足取りで宿に戻り、一週間何もしないまま滞在して、このままではだめだとようやく思い至り、わたしに電話をかけたのだった。

父ちゃんにあの青年を紹介しろ、と。

もう一度、ちらーっと総悟くんを伺う。総悟くんに、『わたしの父ちゃんに会ってくれない?』と、訊いてみたら、彼は十中八九こういうだろう。

『めんどくせェ。嫌でィ』

…うん、すっごく、自然に頭に思い浮かんだ…!デスヨネー!と同調するわたしも容易く思い浮かんだ。はあ、でも、とりあえず切り出さなきゃ…、でもどうやって…と、もんもんと考え込んでいると。

「あがっ!?」

額に何かを弾き飛ばされた。呻き声をあげながら、額を両手で抑えると、いつも通りのポーカーフェイスを浮かべた総悟くんが「お、当たった。やりィ」と淡々と喜びを表していた。

「何ぼーっとしてんでィ。間抜け面に拍車がかかって見苦しくってありゃしねェ」

この人はいちいちわたしを傷つけないと気が済まないの…?ぷるぷると涙をこらえていると、「おおー、さらにブサイク」とパチパチと手を叩いたあと、ぐっと親指を立てた。無表情で。あまりのデリカシーのなさっぷりに気が遠くなる。

…言ってみるだけ、言ってみるかあ…。駄目だったら、うん…父ちゃんには総悟くんはお仕事でこられない、と言って…で、良い人なんだということを伝えよう…。や、良い人なの。優しい人なの。本当に。ただ、それが、ちょっと、いやかなりわかりづらいだけで…。

少しの間、逡巡したあと、わたしは恐る恐る、途切れ途切れの言葉を少しずつ総悟くんに投げかけた。

「…総悟、くん」

「なんでィ」

「わたしの、父ちゃんに、会っていただけないでしょうか…」

「いいけど」

「デスヨネー!めんどく…え?」

「いつ、どこで?」

淡々と、わたしに質問を投げかける総悟くん。わたしは狼狽えながら捕えて、おずおずと答えていく。へえ、と小さく呟くように言ったあと、わかったと、頷いた。

「…あ、会ってくれる…の…?」

予想だにしなかった事態に驚いて、目を丸くして問いかける。面倒くさそうに目を細めて、総悟くんは返した。

「会うから、場所とか時間訊いてんだろィ」

な、なるほど。

かくしてこうして。わたしと総悟くんと父ちゃん、三人で会うことになった。

え、マ、マジでか。



わたしと総悟くんの向かい側に、腕を組んでいる父ちゃんが気難しい表情で座っている。閉じた瞼が震えている。え、これ、怒っている?怒ってんの?え、ええ…!!

わたしひとりあたふたしていると、突如、痛みが胃を襲った。あまりの激痛にお腹を両手で抑える。いつか、ゴレンジャーになったとき、神楽ちゃんが下剤入りのカレーを食べて悶絶している時のような表情になる。わ、わたし緊張すると胃にくるタイプで…!!こ、これは…!!ぬおお…!!

「わ、わたし、その、ちょ、ちょっと厠に…」

「ウンコ?」

「そう…い…うこと…をきか…ない…で…」

無粋な質問を容赦なく投げかけてくる総悟くんに、蚊の鳴くようなか細い声で返し、よろよろと覚束ない足取りで、わたしは厠に向かった。ああ、あの二人を残していくなんて…、心配でたまらない…。そっと、後ろを見る。むっすりと目を閉じている父ちゃんの顔は見えたけど、総悟くんは背中しか見えなかった。

…は、はやく出しきって戻らな…ううっ。

不穏な音が胃から聞こえてきた。





厠によろめきながら入っていく小春の背中を尻目で見届けた後、小春の親父さんに向き直った。何か思うところがあるのだろう。ずっと、眉間に皺を寄せて、目を閉じている。

江戸に出稼ぎに行った娘が、得体のしれない天パんちに転がり込んで、さらに副業としてチンピラ警察として名高い真選組で働いて、そん中のひとりと、できる。ウワァー、最悪。同情するぜィ。

「…沖田、総悟くんと言ったね?」

小春の親父さんは、ぽつりと低い声音でゆっくりと問いかけてきた。はい、と頷く。

「…サド王子、として有名な、沖田総悟くん、だね…?」

あー、バレてら。

真選組の中でも、とりわけ俺は一般市民から嫌われている。器物破損のサド王子として。市民の税金で好き勝手やらかしている、と、しょっちゅう週刊誌にすっぱぬかれている。小春がよく『これどうやって税理士さんに説明しよう…』と俺が破壊した建物の請求書を見て頭を抱えている。

後頭部に手を回して、ぼりぼりと掻きむしりながら「あー」と意味を為さない言葉をぼやく。

自分という人間が、大人に受けが悪いということはとうの昔から自覚している。大人受けだけじゃねェ。この世の人間の殆どに対して受けが悪い。見てくれに寄ってきた女もいるが、俺が一発バズーカぶちかましたら、引き攣った笑いを浮かべながら静かに去っていく。まァ、それが道理だ。別段、冷たいとも思わない。

受け入れてもらおう、とか。認めてもらおう、とか。そんな考えははなからなかった。

小春の親父さんに向かって、俺は、深々と頭を下げた。

「遠路遠いところからはるばると、ありがとうございやす」

そんで、と言葉を継いだところで舌打ちをしたくなった。

ああ、そんでじゃねェ。そして、だろィ。あーめんどくっせェな。

なれない敬語を遣うのは煩わしかった。喋ることを面倒くさく思えてくる。でも、俺は、この真向かいにいる人にどうしても伝えたいことがあった。

「アイツを、…小春を、小春として育ててくれて、ありがとうございやす」

すぐにびえんびえんと泣くところ。つまんねェことでギャアギャア喚き立てるところ。大福みたいな頬。少し癖が強い髪の毛。ひっくい団子っ鼻。危機管理能力がおそろしく低くて、いつでも目を光らせなきゃなんねェところ。

へらりと情けなく笑った顔が、たまんねェところ。

アイツを作るひとつひとつに、馬鹿みたいに惚れていて、救われていて。アイツを作ったのはこのオッサン。そう思ったら、感謝で胸のうちが溢れ返って、仕方なかった。

頭を上げて、小春の親父さんの顔を見る。目を丸くして、俺を凝視していた。すげェ間抜け面に、小春の面影を感じて、ふっと口元が自然に緩んだ。視線を少し下にずらして、淡々と、小さくもでかくもない声で、吐露した。

「…俺ァ、はっきり言って、人殺しだ。攘夷志士っていう人間を斬って、金を貰ってる。いつくたばるかもわかんねェ。…んな状態で一緒になれっかって、惚れた女と一緒にならなかった奴も、いる」

脳裏に、厭味ったらしく紫煙をふかしている黒髪が思い浮かぶ。わかってた。気付かないふりをすることで。“悪い奴”を作りあげることで。俺は救われていた。そういう奴がいた方が、都合が良かった。全部“悪い奴”のせいにしていれば、“自分”が救われた。そんなちっぽけな男に、ビビりながら、泣きながら、一緒にいたいと望んでくれた。

泣きそうになるほど、ただ、嬉しかった。

「俺ァ、女を喜ばせるような話題も持ってねェし、女が好きそうな場所も全然知らねェし、女が欲しいモンとかも全然見当つかねェ。休みの日にどっか連れて行くとかもしたこと、殆どねェ。こんな男に、テメェの大事な一人娘、預けられっか、認めらんねえってキレるのが道理だ」

ずっとずっと、考えていたことを言葉にしていくので精一杯で、気付いたら敬語が抜け落ちていた。

大切にするやり方も、守り方も、幸せにする方法も、まだまだ模索中だ。

「きっと、俺はこれからも何回も、アイツを泣かせる。傷つける。俺ァ、頭が足りねェから、アイツがしてほしいこと、言ってほしいことを先回りしてやってやることなんて、永遠にできやしねェ。でも、」

前髪をくしゃっと右手で掴んだ。少しばかり逡巡してから、情けなくて、矛盾だらけで、自分本位極まりない、俺の本音を口にした。

「アイツを、小春を、この手で幸せにしてやりてェって、思って、る」

前髪の隙間から見える小春の親父が怖くて見られない。たくさんの血で染まった掌。俺が殺してきた奴らが、『お前が?』『幸せに?』と信じられないと言った調子で囁きかけてくる。わかってる。都合がいい話だ。両手じゃ数えきれないほど、人間を殺してきた奴が、望むことじゃねェ。

でも。

どうでもいいことで喜んで、どうでもいいことでキレて、どうでもいいことで泣いて、どうでもいいことで笑うアイツの隣に、いたいという気持ちは抑えきれない。

世界中の人間に、否定されたとしても。糾弾されたとしても。

小春の親父が、ややあってから、静かに、そっと物を下ろすように、言葉を口にした。

「もう、なってるよ、あの子は」

…は?

言っている意味がわからなくて、顔を上げる。小春の親父と目が合った。ふっと、柔らかく微笑まれる。小春によく似た目元だな、と思った。

「…母親がはやくに亡くなって、あの子には辛い想いも寂しい想いもたくさんさせた。私の脚が悪くなって、仕事も満足にできなくなって、そしたら、江戸に出稼ぎに行くって言ってね。臆病なお前に江戸なんて無理だって言っても、聞かなくてね。そしたら、よくわからない銀髪の年上の男の家に転がり込んでいて…。いやあ、知った時は気が遠くなったなあ…。万事屋ってなんだよ…って思ったね…あきらかに違法滞在者の女の子いるし…」

ふふ…と諦めたような笑いを零しながら、どこか遠くを優しい眼差しで見ている小春の親父。ご愁傷さん、と心の中で呟いた。

「まァ、でも、特にただれた関係を送っている訳でもなさそうだし、と思って様子見してね。なにより、あの子がとても生き生きしているし。…そしたら、最近、前にも増して、見合いを嫌がるなと思って、もしかしたら恋人でもできたのかと思って、こっそりスト…ついてってみたら、物騒な声が響く家に入っていって、こっそり双眼鏡で観察してたら、」

小春の親父はその時のことを思い出したかのように、笑った。暖かくて、優しくて、慈愛に満ちた笑顔が、広がっていった。

「…あの子は、好きな男の子の前では、あんなふうに笑うんだな。知らなかったよ」

でも、どこか寂しさも漂わせていて、小春がいかに大切に愛情深く育てられてきたのか痛感した。罪悪感で胸が軋む。でも、譲れねェ。生みの親でも、育ての親でも、だれでも、なんでも、譲れねェ。膝の上で丸めた手に力をいれる。

「あの子はもう、十分に、幸せになっているよ。君の隣で」

けど、その手は、アイツによく似た毒気を抜かすような笑顔を向けられたことによって、和らいだ。大きく目を見張らせる俺に、小春の親父は、気持ちをこめるように、ゆっくりと言った。

娘と同い年のガキに、頭を下げながら。

「あの子をあんなに、幸せにそうに笑わせてくれて、こちらこそありがとう」

小春の親父は、頭を上げて、もう一度、俺を安心させるかのように、朗らかに笑いかけた。

世界中の人間全員に否定されてもいいって、思っている。今でも。

なのに。

惚れた女の親に認められているということは、胸のうちを喜びで満たして、溢れ返って、泣きたくなった。

ぐっと唾を飲み込んで、嗚咽をこらえる息を必死にとめる。

慌ただしい足音が、近づいてきた。「お、お待たせ〜!!」とこれまた慌ただしく言いながら、俺の隣に座りこむ。ここが、自分の席だということに、何の疑問も抱いていない。

すう、はあ、と深呼吸をしたあと、恐々と、小春は問いかけてきた。

「な…なにか…その…あの…二人は何をお話でいらして…?」

「お前のウンコのでかさ」

「…へ!?」

「流れてなかったぜィ」

「え、うそ、え…え、え…!!」

「ウッソー」

「そ、総悟くんんんん!!」






しあわせすぎてくだらない


prev / next


- ナノ -