臆病者感謝短編集
 

「へくちゅっ」

「風邪か?」

「はいー…。昨日お風呂の中で寝てしまいまして。銀ちゃんに起こしてもらわなかったら朝までぐっすりでした…」


「昨日ソファーでうたた寝していたら新八くんが毛布かけてくれたんですよ。あの子絶対いい旦那さんになると思うんですよね」


「これうめえな。どこで買ったんでィ?」

「すみません。貰い物なんでわからないんです」

「貰い物?」

「昨日スナックすまいるに万事屋で遊びに行ったら、娘さんがお嫁に行ってさびしい方がいましてですね。その方の娘さんがわたしによく似ているんですって。だから可愛がってもらえまして…その方が何故か感極まられて、わたしにくださったんです」




俺が惚れた女は、危機管理能力というものが著しく低い女だった。

万事屋なんて家族同然だし、山川も旦那やメガネも、互いのことを異性として意識なんてしてねえだろう。山川に似ている娘がいるっつーおっさんも邪な感情は持ってないだろう。
けど、山川をばりばりの異性として見なしている俺は、そういう話を知って、胸中穏やかじゃねえわけで。胸中大雨洪水警報な訳で。
そんな俺の心情も知らずに、このクソアマは、今も。

「小春くん、なんかいい匂いするけどなんかつけている?」

「えっ、そうですか?やったー!お香を買ってみたんですよー」

「あー、なるほどー。何の匂い?」

ザキと呑気に会話している山川。それだけならまだいい。
山川はくるりとザキに背中を向けた。着物の袖がふわりと舞う。

「じゃじゃん!問題です!さて、何の匂いでしょうか?」

山川は、ガキがなぞなぞを出すみたいな得意げ声色で、ザキに問いかけた。

大雨洪水、プラス、暴風警報発生。

俺は廊下をわざと音を鳴らして歩いて二人に近づき、山川の襟首を乱暴に引っ掴んだ。ぐえっと色気のないうめき声が山川から漏れる。

「お、沖田隊長!?小春くん白目剥いていますよ!?泡吹いていますよ!?死にますよ!?」

「土方さーん、ザキがサボってらァ」

「山崎てんめええええええ!」

「ギャアアアアアア!!」

ギャアギャアバカ騒ぎをしているバカ二人は放置し、オレはバカの首根っこを引っ掴んだままずるずる廊下を引きずっていた。あれバカ言い過ぎて訳わかんなくなっちまった。





「ゲホッ、ゲホッ…!しっ、死ぬかと思った…!」

「あんなんで死ぬかよ。っとにこれだから最近の若者は」

「同い年ィィィィィィ!!沖田さんとわたしッ同い年ですぅぅぅぅぅ!!」

山川はメガネ仕込みのキレのいいツッコミを一通り終えると、そっぽを向いて沖田さんは本当いつ怒るかわからないんだから…と小声でぶつぶつ文句を言い始めていて、ぶちんっと、とてもきれいに堪忍袋の尾が切れた。

山川の結わえている髪の毛をぐいっと掴んで引き寄せる。ふわりと空気に乗ってやってくる花の匂いが鼻につく。

「どうやら俺が切れている理由がちっとも理解できてねェらしいなァ」

「き、聞こえて!?」

山川の顔色は見る見るうちに真っ青に染まっていき、すっすみませ…!と蚊の鳴くような声を震わせて謝ってきた。

「こんなヘタレで、色気のないうめき声をあげて、年齢の割にガキみてえで周りに甘やかされている女が、一丁前に色気づきやがって。そのくせ危機管理能力はクソで」

べらべらまくし立てる俺を見て、山川は目を白黒させている。苛々が最高潮に達した。

「沖田さ…わ!?」

俺は山川を無理やり後ろに振り向かせ、首のまわりに腕をまわし、うなじに齧り付いた。


「いっ」


花の匂いに、眩暈がする。



「桃」

「…え?」

「桃の匂いだろィ」

「え、あ、えと…はい」

背後からなので表情はわからないが、どうせ今ぽかーんと間抜け面をしているのだろう。
自分が今、どれだけ危険な状況かも全く理解しないで。

総悟ォォよく考えたらてめえもサボってんじゃねえかァァァどこだァァァ

遠くから土方コノヤローの怒声が聞こえた。ドタドタと廊下を走る騒音と伴に、だんだん近づいてくる。チッと舌打ちを鳴らす。土方から逃げるために立ち上がると、視界に山川が入った。白いうなじに赤い噛み跡は存在感をはなっていて、否応なしに目に入った。


きっと怖がらしただろう。罪悪感で胸がうずく。
けど、これで、自分がどんだけ危機管理能力がないか、わかったことだろう。
ざまァ、そんなことを思いながら、俺は無言で襖を閉めた。
















「ふ、ふはー…」

緊張で固まっていた筋肉が一気に緩み、わたしは崩れ落ちるように寝ころんだ。

沖田さん、なんか最初はすごく怒っていて、怖かったなあ。
でも、それを忘れるほど。

うなじに手を回すと、まだ熱を帯びていて、そこから伝染するように体中に熱がまわる。

そのまま、鼻に手を持ってきて、匂いを嗅ぐ。桃の香りが鼻孔をみたして気持ちいい。

わたしは子供っぽくて、色気もなくて、美人でもなくて、可愛くもなくて。
妹扱い、娘扱いはよくされるけど、女の人扱いをされたことは、ない。

他の人ならそれで十分。

でも、沖田さんには。沖田さんだけには、女の子として見てもらいたい。絶えず意識していてほしい。傲慢な考えだと思うけど、わたしという存在にときめいてほしい。

「ゆーわく、できたのかな」

本当はザキさんにいい匂いって確認してもらってから、実行したかったんだけど。


「てっ、そういえば!沖田さん怒ってたよ!!ひ、ひいいい恐ろしや…!!」

サド王子との異名を憚らせる沖田さんの怒りだ。あまりにドキドキしてしまって忘れてしまっていたけど…!やばいものっそい怖いいいいい!

「ていうか、沖田さんなんで怒っていたの!?あの人本当意味がわかんないよ!」

ぶつぶつ不満を漏らしていくうちに、だんだん怒りが湧いてくる。

『一丁前に色気づきやがって』

沖田さんの忌々しそうな物言いがフラッシュバックする。あの時は急にまくし立てられて、よく頭が回らなかったけど、冷静になった今となっては、正直、腹が立つし、それに、悲しい。じわりと目頭が熱くなる。誘惑なんか、できてなかったのかな。勘違い女って思われたのかな。

「わたしだって、沖田さんの前では色気づくもん。誘惑だってしたいよ。沖田さんだから、なのに」

零したひとりごとは、ただ空気に溶けていくはずだったのに。

スパーン!と勢いよく襖が開いたかと思うと、目の前には沖田さんがいて。
わたしは、沖田さんの腕の中にいて。

「お、沖田さん…?」

「黙りなせェくそあま」

「え、えええ」

「これだけで済んでんでさァ。我慢しなせェ」

「は、はい(これだけで、って…じゃあこれ以上は…む、鞭で縛り上げたりとか!?)」











後味悪くなって帰ってきてみたら、これだから。このアマ。ほんっとーに、タチが悪ィ。







prev / next


- ナノ -