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強い風が窓を打ち付けて、ガタガタと震わす。ううっ、怖い。台風が江戸に直撃した。わたしが帰ろうとするよりちょっと前に「ハァイ」と上陸してきた。なので、今日は屯所にお泊りすることになった。そう決まった時、隊士の皆さんが「ヒャッホォォォォ!」と万歳をした。こ、これがモテ期というやつなのかな…!?と、後頭部に手をやりながら「いや〜」とでれでれしていたら、総悟くんがバズーカを構えて以下略。台風が上陸しているのに、今屯所のとあるところが破壊されています。土方さんがぶつくさ文句を垂らしながら修理しています。山崎さんに八つ当たりをしながら。
シャンプーで髪の毛を洗い、お湯で流す。お湯の粒がすっぽりと包み込むように降り注いできて気持ちいい。くんくんと髪の毛を嗅ぐと、どこかで嗅いだ匂いだった。あ、そうか。総悟くんか。総悟くんはこれをつかっているのか。そうか。
それは、なんだか。
嬉しくて、恥ずかしくて、ちょっとむず痒くて、やっぱり嬉しい。
「…へっへっへ」
総悟くんが聞いたら『気持ち悪ィ笑い方』と真顔で毒を吐いてくるんだろうな、と思いながらも、わたしはだらしない笑い声を漏らしてしまった。
お風呂から上がると、ばったりと総悟くんに出くわした。
「あ、総悟くん。お風呂ありがとう!」
ポケットに手を突っ込みながら、わたしをじいっと見る。不意に、視線を少しだけずらした。
「飯、食いに行くぜィ。お前が泊まるからって、馬鹿みたいにテンション上げた連中がドンチャン騒ぎしてらァ」
そう言ったあと、忌々しそうに舌を鳴らした。何故かどす黒いオーラが総悟くんから放たれている。いや、この人はいつもどす黒いオーラを放っているけれども…。総悟くんは、もう一度わたしを見据えた。綺麗な瞳に射抜かれて、心臓がざわつく。総悟くんは隊服を脱いで、わたしに乱暴に押し付けてきた。
「湯冷めすんだろィ。これでも着とけ。風邪でも引いて移されたらかなわねェ」
心なしか、いつもより少しだけ早口のように感じた。でも、いつもと同じポーカーフェイスだし、多分わたしの勘違いだろう。
…こういう、わかりづらい優しさ。いつもいつも、まわりくどくて、少し余所見をしたら、見落としてしまいそうになる、小さな優しさ。
「…ありがとう!」
でも、わたしはいつも総悟くんを見ているから、見落とすことはしない。小さな気遣いが嬉しくて、頬が緩みすぎて落ちそうになる。
「…今日の晩飯はからあげだってよ」
「えっ、そうなの!?…あ、余った分タッパーに入れて持って帰ってもいい?銀ちゃんと新八くんと神楽ちゃんにも食べさせてあげた、」
「俺がこの世で一番好きな食い物からあげだから、残らねェよ。全部食い尽くす」
「え、そ、総悟くん、この前一番好きな食べ物パンケーキって言ってなかった…!?わたしのパンケーキ横から掻っ攫って頬張りながら言っていたあれはなんだったの…!?」
「過去のことにいちいち捕らわれてんじゃねえよ」
アメリカ人のように肩を竦める総悟くんに、うぐぐと呻くわたし。いつものように意地の悪い事を言われなが肩を並ばせて、一緒に食堂に向かった。
「うっ、ひ、ひどい…っ」
涙目でもさもさとからあげを頬張っている総悟くんを非難する眼差しで見る。が、総悟くんは全く意に介さない。ちらっとわたしを一瞬見て、ふっと意地悪く目を細めた。ごくり、とからあげが喉を通っていったあと、げふっとこれみよがしにげっぷをしてきた。う、うぐぐぐぐ。
わたしがからあげを好きだという事を言ったら、隊士の皆さんが『俺のあげるよ』『俺のも』とわけてくださったのに、それを総悟くんがすべて平らげてしまったのだった。
「総悟、お前なァ…」
土方さんが呆れたような眼差しを総悟くんに投げかけていた。
「ガキか」
「18は未成年だからガキでィ」
「未成年なら酒呑むんじゃねえよ」
「細かいこと言ってっから土方さんはいつまでたっても土方さんなんでさァ」
「お前なに土方の存在そのもの否定してんの?土方であることってそんな駄目な訳?土方のままでいたら駄目って訳?」
ツッコミを入れる土方さんを無視して、総悟くんはぐびぐびとビールを呑んでいく。そしてまたげっぷする。せっかくの綺麗なお顔立ちが台無しだ。
わたしの周りの人もみんな、お酒を嗜んでいた。日本酒やビール、お、鬼嫁…?など、様々なお酒があちこちのテーブルに置かれている。
「小春くんも一杯いるかい?」
「あ、はい」
大分前呑んでみた時、ふわふわと良い気分になれた。隊士さんにコップに梅酒を注いでもらう。
「土方さんが土方さんであるということがこの世に許しがたい軋轢をのこしていて…え、おい、ちょっ」
総悟くんの少し焦ったような声がわたしに向けられてたのだが、気付かなかった。ぐびーっと飲み干す。
「おお、良い飲みっぷり!さー、どんどん行こう!」
「ひゃい…」
ひくっとしゃっくりをあげながら、コップを隊士さんに向ける。コップに梅酒が注がれていくのをじいーっと見ていると、総悟くんがわたしのコップを取り上げた。
自然と、目が見開く。
「バカ。コイツ酒異常に弱いんでィ、そのへんに、」
総悟くんの口の動きがとまった。何故だろう。口の動きをとめるようなことはしていないのに。
「返せェ〜」
腰に腕を回しているから、体が動けないのはわかるのだけど。
「お酒〜、呑む〜、呑むぅ〜」
ぐりぐりとお腹のあたりに頭を擦りすけてから、「呑むぅ〜」と懇願する。空色の瞳がほんの少しだけ揺れていた。
「おおーっ、小春くんだいったーん!」
「ひゅーっ、ご両人おあつ〜い!!」
ヒューヒューと冷やかしの声が四方八方から飛んでくる。総悟くんが「お前ら…」と血の底から這うような低い声で小さく呟いていた。
「あれ、どーしたんだァ?いつもより酔いが回るのが早ェみてェじゃねえか、総悟?」
揶揄をたっぷり含ませた土方さんの声色のあとに、総悟くんから負のオーラが放たれた。わたしは総悟くんのお腹に頭を擦りつけているので、どんな表情をしているかわからない。だから、見ようと思って、少し離れる。ぼんやりとしていてよく見えない。頭が回らない。遠くから総悟くんと土方さんの声が聞こえる。ふらふらと頭を揺らめかしたあと、わたしは机の上でうつぶせになった。
◆
ハァーッと。マリアナ海溝の如く深いため息を吐いた。それもこれも、今背中にある重みが原因だ。ふがっとブタのように鼻を鳴らしている。忌々しい。足で襖を開けたあと、小春を畳の上で適当に転がした。仰向けの状態でむにゃむにゃ、と何やら口の中で呟いている。布団を敷いてやる。背中と太ももの裏に手を滑り込ませて持ち上げて、そっと布団の上に下ろした。
すやすやと寝息をたてている。人の気も知らねェで、良いご身分なこった。片膝をたてながら、気持ちよさそうに寝ている小春を見下ろす。
耳の中でヒューヒューという冷やかしがまだ残って消えない。それから土方のあの目。完璧に馬鹿にしくさった目。今日あたり本気で寝首掻いてやらァ…。
「んぅ…」
不意に、小春がごろんと寝返りを俺の方に向けて打った。瞼がぴくぴくと動いて、ゆっくりと開かれた。
「そー、ご、くん」
俺の名前をゆっくりと声にのせたあと、へらっと間抜けに笑った。少しだけ、心臓がごとりと動く。今日は本当に酒がよくまわってんな、俺。
「…もう、寝ろ」
小春から目を逸らして、出ていこうと腰を上げようとしたら、小春が「待って」と言った。とろんとした瞳と目が合う。寝間着が少し崩れていて、胸元から谷間が少し覗いていた。小春は、また、へらっと笑った。
「だーいぶぅぅ」
そう言いながら、小春は俺の首に腕を回して飛びついてきた。咄嗟のことでうまく反応ができず、そのまま背中を畳みに預けてしまう。小春は俺の胸元に頬を擦りつけながらぐふぐふと気持ち悪く笑っていた。
「そーごくん〜、そーごくん〜、そ〜ごく〜ん」
甘えるような声。シャンプーの匂い。柔らかい感触。
「痴漢容疑で逮捕すんぜィ」
平静を装うことは得意だ。いつも通りの、淡々とした口ぶりでそう軽く脅すと、小春の動きがとまった。俺の上にさらに乗りあげてきて、タコ焼きのように頬を膨らました顔を、俺に向ける。
「なんでお付き合いしているのに、くっついたら駄目なのぉ」
眉間に皺を寄せて、潤んだ瞳で睨みつけてくる。
「自分は時々急にさわってくるくせにぃ…ふこーへーだ!ふこーへーだ!」
息がかかる。酒臭ェ。熱で浮かされた二つの瞳が、じとっと俺を睨んでいて。金縛りにあったように体が固まる。
「ふこおへえだと、おも、うぅ…」
呂律が回らない舌で、抗議を上げていた小春は突然糸が切れたように、すとんと寝落ちた。俺の首筋に顔を埋めているので、息遣いがダイレクトにかかり、ぐうぐうと規則正しい寝息が静かな部屋に広がった。
全力疾走をした時のように、心臓がばくばくと鳴っている。ここだけ酸素が薄いようで、息がしづらい。首筋に当たる髪の毛から、俺と同じシャンプーの匂いがする。俺の固い胸の上に、柔らかいもんがのっかっている。華奢な細腕は、俺の首から離れる気配がない。
なんだ、これ。からあげ盗った復讐か?
白目を剥きそうになる。すると、ふふっというくぐもった笑い声が聞こえてきた。それに合わせて、息もまた首筋にかかる。
「そーごくん、すき」
ぶち犯してやろうか。
明けない夜があってもいいじゃない
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