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ごほっ、ごほっ、と息苦しそうに咳をしたあと、「あーくそ」といつもよりしゃがれた声で忌々しそうに呟く。わたしは総悟くんに「お、お水を飲む?」と心配から眉を八の字に寄せながら訊いた。膜が張られて潤んだ瞳をわたしに向けてから、ゆっくりと頷いた。のろのろと上半身だけ起こして、わたしからお水を受け取る。熱い指先に触れて、その熱がわたしの指先にまで広がった。どくんっと、少し心臓が跳ね上がる。わ、わたしの馬鹿野郎。総悟くんが熱を出しているというのに、邪なことを考えるな…!
総悟くんはそんなわたしに気付かず、お水をぐびぐびと飲んだ。喉仏が潤いでこくりと動いた。男の子だなあ、と見惚れてしまいそうになったところで、また邪な思いで脳みそがいっぱいになりかけていることに気付き、雑念を払うように、慌てて首をぶんぶんと左右に振る。
「も、もう一杯、いる?」
「いい」
総悟くんがちらっと横目でわたしを見て、そしてもう一度視線を前に戻してから、顔を俯けた。形の良い唇が開く。
「あり―――、」
そこまで言うと、総悟くんは口を閉ざした。すうっと総悟くんの周りを冷気が包む。
「…くっ、あ、あのっ、あの沖田隊長が、小春くんに甲斐甲斐しく世話をやかれ…っ、ぶくくっ」
「おいザキ笑ってやんなよ、沖田隊長だって、風邪の時くらい愛しの彼女に甘えたいに決まっ、ぶくっ、くくっ」
「おいお前ら笑うな…ぶくっ、くくくっ」
障子の向こう側から、笑いを噛み殺したような声が聞こえてきた。総悟くんが能面のような顔になっている。どこからか、バズーカを持ち出して、何やら小さく呟いたかと思うと。
ドゴォォォォン!!
バズーカをぶっ放した。うん、もう、わかるよ。わかっているよ。障子が破壊され、その向こう側に白目を剥いている山崎さんと一番隊の隊士の方々が二人、仰向けになって気絶していた。総悟ォォォォ!と怒鳴り声を立てている土方さんの声が聞こえ、ドタバタと慌ただしい足音が近づいてきて、それはやんだ。
「お前は熱出している時ぐらい静かにできねーのかァァ!!」
そう怒鳴る土方さんは、般若のように顔を歪めていて。屍は二、三体転がっていて。総悟くんはわざとらしく寝息をたててしらばっくれていて。ああ、もう、なにがななんだか。怖い。地獄絵図だ。恐怖でうっすら涙を浮かべながら「あはははは…」と力なく笑うわたしだった。
今日、いつも通りお仕事に来たら、腕を組んで待ち構えるようにして出迎えてくれた近藤さん直々に局長命令をくだされた。
『総悟が熱を出した。だから、看病をしてやってくれないか!…いや、してくれ!するんだ!局長命令だ!』
え、とぱちくりと瞬きをしていると、『ではそういうことで!俺は今からお妙さんのところに行ってくる!君たちも愛を育んでくれたまえ!おったえさ〜ん!』と浮かれながら出ていった。
ぽかんと口を開けて茫然とする。そして、やっとひとつのことを理解できた。
総悟くん、熱を出しているんだ。
頭に思い浮かんだのは、コホコホと苦しそうに咳をしている総悟くん。想像の中だけだとしても、苦しそうな総悟くんを見ると、胸の奥がぎゅうっと締め付けられた。わたしは総悟くんのような性癖は持っていないので、好きな人が辛そうだったら快感を覚えず、わたしも辛くなる。よし、と小さく意気込んでから、総悟くんのお部屋に向かったのだった。
「あー、ったっく。こんな部屋じゃ風邪悪化するだろーが。他の部屋に移動すんぞ。おら、俺の肩に腕回せ」
「わかりやした」
「おい、なんだそのロープは。なんでコナンの犯人のように顔が真っ黒になってんだ」
「ちゃーんちゃーんちゃーんちゃーん」
「おい何でコナンが推理している時に流れるBGMを口ずさんでいるんだァァァ!?…あー、もういい。山川、わりーがそいつに肩貸してやってくれ」
「わ、わかりました」
総悟くんは今こそ土方さんを抹殺する千載一遇のチャンスと考えているようだから、本当に実行に移しかねない。わたしは総悟くんの腕を肩に回した。
「立て―――、」
“る?”と続きの言葉は、息を呑んだせいで言うことができなかった。総悟くんの顔が、思ったよりも近くにあった。空色の瞳が潤んでいるせいで、輝いている。熱のせいでうっすら赤くなった顔立ち。不規則な呼吸音。
…! わ、わたしの邪変態野郎…!!
目と目が合ったのは、多分一瞬だけ。でも、その一瞬の瞳の奥の熱が、わたしを捉えて離さない。動揺で呂律がうまく回らず、出てきたのはなんちゃって武士語だった。
「た、立て、立てるでごじゃりましゅか…!?」
「…まあ」
「で、ではいくでごじゃりましゅる!」
せーの、と前置きを置いてから、立ち上がった。ずしっと重みが肩にのしかかる。お、重い。
「いけっか?」
土方さんが疑わしげな眼差しで問い掛けてくる。
「だ、大丈夫です。よく、酔っ払った銀ちゃんをこうやって布団にまで運んでいるので…」
「…あの天パ何やってんだ」
土方さんがハァッとため息を吐いた。ははは…と乾いた笑い声を返す。銀ちゃんが何をやっているかと言われますと…深夜までキャバクラでお酒を呑んでいる、ということだなあ…。鼻くそをほじくっている銀ちゃんが思い浮かんだ。とほほ、と笑うと、肩の重みがさらに増した。圧迫感すら感じる。
「っ、お、おも、い」
「…はやく連れていきなせェ」
何故か不機嫌丸出しの声。不思議に思って総悟くんの表情を見ようとして、やめる、今顔を横にしたら、距離が近いんだった。ドスの効いた低い声に恐怖を覚えつつ、ハテナマークを浮かべながら、わたしは隣の部屋に総悟くんを運んだ。うしろで布団を抱えている土方さんが「…ガキ」と呟いた後、くっと喉を鳴らして笑っていたのには、気付かなかった。
隣の部屋に移って、総悟くんは土方さんが敷いてくれた布団に寝転がって、殊勝そうに言った。
「土方さん、ありがとうございます。いつか俺の靴を温める役目を担わせてあげるので、楽しみに待っていてくだせぇ」
うん。総悟くんは、どんな時も総悟くんだ。
土方さんがこめかみに血管を浮かばせながら「そりゃあどーも、楽しみに待ってらァ」と口の端をひくつかせた笑顔で言う。
「…じゃあ、俺は仕事に戻る。…山川」
土方さんは、ちょいちょいとわたしを手招きした。ん?と首を傾げた後、土方さんの元へ小走りで近寄る。土方さんは声を潜めながら、わたしの耳元で言った。
「――――」
「―――え」
言われた内容を理解した後、わたしまで熱を出しているのではないかと言うくらい真っ赤になった。弾かれたように飛びのく。
「え、ええっ、そっ、そんなことをしたら、わたし命の危険が…!!」
「大丈夫だ。マヨネーズ懸ける」
「いやマヨネーズを懸けられましても…!」
「ああん!?お前マヨネーズを馬鹿にしてんのか!?」
「いえいえそんな滅相もございません!マヨネーズ様様ですマヨネーズバンザイです、マヨネーズ閣下様様です!!」
「…ふん、わかりゃあ…って、オイ、こら。総悟、なにお前バズーカ抱えてんだ?」
驚愕で目を見開く土方さんは、わたしの肩越しにあるものを見ていた。え、と振り向いたあと、血の気が引いていくのを感じた。総悟くんはバズーカを肩にのっけながら、殺意に満ちた眼差しで土方さんを睨んでいた。
「殺そうと思いまして」
「言っちゃったァァァ!!今までオブラートに包んでいたのにとうとう包み隠さず言っちゃったァァァ!!ひ、土方さん、逃げ―――、」
涙目で半狂乱になるわたしの背中を、土方さんは総悟くんに向かって押した。首だけ振り向いて土方さんを見る。涼しげな目元が、意地悪くにやついていた。『やったら、今月の給料倍にしてやる』という悪魔の囁きをしたのは、目元と同様に意地悪い笑みを湛えた口元。
きゅ、給料、倍。喉から手が出るほど欲しい。神楽ちゃんはお肉が食べたいと泣いていた。銀ちゃんは甘いものをたくさん食べたいと苦しんでいた。定春ももっと食べたいというように、きゅーんと悲しげに泣いていた。わたしも、たまには鶏肉ではなくて、牛肉が食べたかった。
そして、なにより。総悟くんに、無茶をしてほしくなかった。
ぎゅっと丸めた拳に力を入れてから、恐々と総悟くんの隣に腰を下ろす。総悟くんはまだバズーカを土方さんに向けて構えていた。微動だにしない。
「そ、総悟くん。駄目だよ。熱出しているんだから安静にしないと…」
「土方クソヤローを地獄に送ってからならいつまでも安静にしてやらァ」
「だ、駄目だって。もう今日既に一発撃っちゃっているんだし…!」
「地獄に送ってからつってんだろィ」
駄目だ。聞く耳を持たない。土方さんに困惑の視線を送る。余裕たっぷりに腕を組んで、わたし達を見下ろしていた。瞼を閉じてから、静かに目を見開く。『やれ』と、その瞳は物語っていた。流石は鬼の副長、すごい眼力だ…ひいい…!
「ご、ごめんなさい!!」
先に大きな声で謝っておく。総悟くんの顔が、わたしの方に振り向くのと、わたしが総悟くんの寝間着の袖を引っ張るのは、同じだった。
熱のせいでうっすらと紅潮している無防備な頬に、唇を掠らせる。離れる時に、ちゅうっという恥ずかしい音が鳴った。
「あ、あああ、安静に、し、しましょ、う…!!」
顔が尋常じゃないくらいに熱い。目があっちこっちに泳ぎまくっていて、一か所にとどまることができない。そのせいで、総悟くんの顔をまともに見ることができなくて、俯く、すると、がしゃん、と何かが落ちる音がした。顔を上げると、バズーカが畳の上に転がっていて、そして。
「…え、そう、ご…くん?」
総悟くんが、フリーズしていた。
38.5℃のくちどけ「総悟がバカやらかしかけたら、頬にキスでもしとけ」
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