臆病者感謝短編集
 

「ほんとその簪すごく似合っている」

「え〜!ありがとう〜!ゆうきくん素敵な簪屋さん知っているよねえ」

「小春ちゃんに似合いそうな簪がたくさん売っているな、って思って目をつけといたんだ」

「え〜!!」

「きっと、可愛いって思ってくれるんじゃない?」

「…でっへへ〜、そ、そううまくいかないと思うけど、でっへっへ〜!」

でれでれと、筋肉が抜けきった笑顔を浮かべながら、綺麗な面をした男の腕に絡みつけた自身の腕の力を強めたようだ。ぎゅうっと胸を押し付けているような形になっている。軽やかな笑い声をあげながら、ふたりは、軽快な足取りで歩いていく。

「いででででっ、畜生、くそっ、離しやがれええええ!!」

俺はというと。攘夷浪士を捕縛している真っ最中で。腕を捻りあげながらも、俺は、小春と男に吸い付くように凝視していた。







「隊長、そこ、目です」

「…え」

気付いたら、俺はメンマを瞼の上に押し付けていた。メンマから垂れたラーメンの汁が頬を滑っていく。山崎は怪訝そうな表情を浮かべていた。口に入れたつもりが、目に押し付けていたようだ。あちィ、と小さく呟いてから口の中に乱暴に放り込む。メンマ独特の噛み応えを堪能しながら、思い浮かぶのは、楽しそうに男と笑い合う小春。

追いかけて、何してんだと肩を引っ掴みにけば良かった、と夜寝る前に思った。それまでは、ただ、ぼうっと同じシーンを何回も巻き戻しして、再生して。心臓が嫌なざわつきであふれかえっているのを、為す術もなく傍観していた。

小春は三日間の有給をとっていた。なんでも、どうしても外せない用事があるとか。どうしても外せない用事って何だ。男と遊ぶってことか?しかも、あんな、腕とか絡ませやがって。

「沖田隊長、そこ鼻の穴です」

昨日は突然の出来事を目にして驚きすぎて情報を処理することで精いっぱいだったが、なんとか処理することができ終えた今、腹の中がどす黒いものに覆われていく。

「隊長ー、そこ、鼻の穴、なんですが…」

ふざけんな、ブスのくせに調子のんじゃねえや、触んな、触らせんな、そんな顔、見せんな。

「隊長ー、そんなにメンマ押し付けても入りませんよー!ぐえっ!!」

バキィッと、割りばしが折れて、割れた半分が山崎の鼻に当たった。勢いよく当たったので、声も出さずに悶絶している。メンマがラーメンの中に帰って行く。

「ラーメンの残りやらァ」

慈悲深い俺は部下にラーメンを恵んでやり、ついでに領収書も恵んでやった。なんて良い上司なのだろうか。今年の上司にしたい有名人ベストスリーには間違いなくランクインするだろう。

「ありがとうござ…ひっ」

不機嫌さが最高潮に達し、凶悪面の俺を店員が恐れおののいて、一歩後ずさりした。ビビリのあいつが見たら、ムンクのように泣き叫ぶかもしれねえなと思い、次に、またアイツのことを考えていることに苛立ちが沸いた。

浮気をできるほど器用な女じゃねェ。危機管理能力が著しく低いアイツにとっては、男も女もみんな等しく“友達”というやつなのだろう。それが、たまたま、男で、俺と同い年ぐらいで、見栄えもよくて、遊び慣れていそうというだけで。たまたま、という話なだけだと頭では理解できているのに、どうしても苛立ちが湧き上がる。苛立ちを持て余しながら、ずんずん歩いていく。すると。

「美味しかったねえ、ゆうきくん」

「だね」

螺子の緩みきったようなだらしない声が聞こえてきて、耳がぴくりと反応した。この声、どこからだ。角からそっと顔を出して、声の持ち主を探していく。目をきょろきょろ泳がしていると、へらへらと笑っている小春が、男の腕に絡みついているのを捕えた。ピシッ、ピシッと、怒りでこめかみに血管が浮いていくのがわかる。

「あ、小春ちゃん」

「ん?」

きょとんと首を傾げる小春の口の端に、生クリームがついていた。そっと、頬を包み込むように右手が添えられ、親指で生クリームを拭った。

「生クリーム、ついていたよ、小春ちゃん」

爽やかな笑顔を浮かべながら、そう言う男。

それに対し、小春は。

「え、え〜、もう、ゆうきくんったらあ〜!」

満更でもなさそうに、頬を赤らめて、浮ついた調子で恥ずかしそうに頬を包み込んでいた。

目が、自然と見張らせていく。

俺以外の手が、アイツに触れている。それだけのことと言っちゃあ、それまでだが。俺には“それまで”で片づけることができなかった。

人は、キレすぎると。頭が真っ白になるらしい。

バズーカを右肩に乗せて、照準を絞った。

「…な、なんか、嫌な予感が…、危ないゆうきくん!!伏せて!!」

「え」

小春は男の着物の袖を引っ張って、無理矢理しゃがませた。頭皮すれすれのところを、砲弾がかすった。ちゅどーん、と爆発音と供に建物が破壊される。土煙がもくもくと巻き上がる。風が吹いて、土煙が晴れた中、仁王立ちして小春を見下ろしている俺の姿は、さながら阿修羅のようだった。

「随分とお楽しみなようで、何よりなこった」

にたり、と笑いかけると、引き攣った顔の小春がぶるっと震えあがった。別段驚いている様子もなく、ほうほうと頷いている男をぎろりと睨む。へらっと笑い返された。

男に触られて、しかも、嫌がらない小春の警戒心の無さに俺は腹を立てている。死ぬほど。

でも。

男の嫉妬は男に。女の嫉妬は女に。なんて言葉がある。その通りだ、と強く思った。

男の胸倉を掴んで、無理矢理立たせて、壁に打ち付けた。いった、と顔をしかめる男に、血の底から這うような低い声を出す。

「触んな」

攘夷志士を相手にした時だって、こんな氷のような冷たい声は出ない。鋭い眼光で睨みあげる。少し俺より目線の位置が高い。

「そ、総悟くん、やめて!」

小春が俺の腕を掴んできた。ぎろっと睨むと、ひいっと声が漏れた。だが、涙目になりながらも、震える声で「や、やめて」と懇願してくる。苛立ちが一層濃くなる。腕を絡ませて、触らせて、庇って。ぎりっと奥歯を噛む。

俺は、今まで剣しか奮ってこなくて、頭もからっきしで、女が喜ぶような食い物も着物も遊び場所も知らなくて。だから、コイツの男友達にそういうことしてくれる奴がいて良かったじゃねえか、と胸を撫で下ろせばいい話なのかもしれねェけど。

イラつくもんは、イラつく。

触んな、見るな、そんで、小春も。

小春を横目で見る。どうしたらいいのかわからないと、困っていた。俺にはそんな面するくせに。苛立ちがまた湧き上がってくる。

俯くと、俺の靴と男の草履が見えた。やりきれない苛立ちを吐き出すように、叫ぶようにして、声を荒げた。

「あんな顔、他の男に見せんな…!!」

普段抑揚のない喋り方をしている俺が出すにしては、切羽詰まっている、珍しい響きを持った声音だった。

ぎゅうっと、胸倉を掴む手をさらに強める。

静寂が流れた後、能天気な声が響いた。

「私、女だよ?」

…。

……。

………。

え。

顔を上げて、男…いや女?を見ると、にこにこと呑気に笑っていた。形の良い唇が、穏やかに言う。

「私、女なんだ。男みたいな見た目と言動しているから、間違いなく初対面では男って思われるけどね」

あっはっはと快活に笑う…女、を、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で見る。小春は横から切羽詰まりながら口を挟んできた。

「そ、そうなの!ゆうきくんは、やさしいひめって書いて優姫って言う、女の子なの!」

「それね〜、ほんと姫って柄じゃないからさ〜、だから、小春ちゃんにもくん付けで呼んでもらっているの。あ、ちなみに私と小春ちゃんはミントン協会で知り合いました。他に聞きたいことはある?」

「…」

「ないみたいだね。それじゃ、とりあえずこの手を離してくれる?」

言われるがままに、手を離した。女は「やー、吃驚した〜。あはは〜」とぐるぐる腕を回しながら面白そうに笑う。

えっと、つまり、これって。

俺の、ただの、勘違い。

熱が顔に集中していくのを感じて、俺はその場でしゃがみこんで、顔を俯けた。「総悟くん!?」と驚きながら俺を呼ぶのは、小春の声。俺の顔を覗き込もうと、しゃがみこんできた。

「どうしたの、急、―――ぬあっ!?」

ぐいっと頭を引き寄せて、肩に顔を埋めさせる。猫っ毛の髪の毛に指をくぐりとおらせる。身動きをとれないように背中に手を回した。

「あらま〜、お熱いですこと。それじゃあ、私はお先に」

「ま、待って、優姫く、むぐぅ」

小春の後頭部に回した手の力をさらに強めて、目も、鼻も、口も、俺の体に押し付ける。ふわっと漂ってくるシャンプーの匂いが、頭をくらくらさせる。頬が熱い。ああ、糞、もう、死ね。

「…オイ、小春」

「ふごふごふご」

「女だから、まだ許してやっけど。男だったら、ぶち殺すかんな」

「!? ふ、ふごふごふご」

「…他の男に、あんな顔、見せたら、絶対許さねェ」

…女でも、面白くねェけど。ぼそっと呟いて言葉を足す。少し、腕の力を弱めた。もぞもぞと身をよじっていた小春の動きが止まった。そして、小刻みに震えはじめる。

「ふ、ふふ、ふふふ…」

「…オイ、何笑ってんでィ」

「ふふ、ふへ、へへっ、へへへ。気にしないで、ふへへ」

胸の中で、なんだか知らないが嬉しそうに笑っている小春。気に食わないので、もう一度腕の力を強めた。骨が折れるぅぅぅと小春が泣き叫ぶくらいの強さで。






愛してるなら言ってくれなきゃ

口元を拭われた時、いつかの総悟くんが重なって、嬉しくなって、笑ってしまいました。



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