臆病者感謝短編集
 



(本編よりも前の時系列の話)




そろーり、そろーり。足音をたてないように、こっそりと歩く。壁から、これまたこっそりと顔を出して、周囲を確認する。よし、誰もいない…。ばくばくと鳴る心臓を抑え、ほっと息を吐く。

わたしは、今、柳生邸にいる。とんでもなく広い御屋敷だ。何故そんなところにいるのかというと。妙ちゃん奪還のためである。

…妙ちゃん。

強くて、凛々しくて、背筋をまっすぐに伸ばして、わたしを叱ってくれる友達。大好きな友達。そんな妙ちゃんが、さようなら、と泣いた。きらきら光る涙が綺麗で、見とれることしかできなくて。友達が泣いているのに、わたしは、ただぼうっとしていた。

おかしいよ。結婚って、笑顔でするものでしょう?悲しそうな泣き顔で、するものじゃないでしょう?もっと、幸せいっぱいの笑顔での、さようなら、ならわたしだって、受け入れる。妙ちゃんがお嫁にいっちゃうのは悲しいけど、諦める。

でも、あんなの。

このお屋敷のどこかにいる友達のことを、思いめぐらせながらてくてくと歩く。そして、わたしは、とんでもないものを見つけてしまった。

わたしがこの世で最も苦手な人物、沖田さんの屍である。

顔がムンクのようになってしまった。衝いて出そうになる奇声を、口を抑えることで堪える。し、屍が…沖田さんほどの猛者が、何故…!?

ふと、ケータイが落ちていることに気付いた。こ、これに何か残っているかも…!ケータイを開く。すると。

得意げな顔で沖田さんを踏んづけ、自撮りしている神楽ちゃんが映っていた。

パタン、と高速で折り畳んだ。見なかったことに、しよう。うん。わたしは、なーんにも、見ていない。元の場所のケータイを戻した。

…それにしても。

気絶している沖田さんを見て、途方に暮れる。どうしよう。いつもはいがみ合っているけど、今は仲間なんだし、ていうかいくら苦手な人でも顔見知りの人が伸びているのに、ほっておくのは流石に良心が痛む…。

沖田さんを、仰向けにする。端正な顔立ちだなあ、ほんと。見た目はこんな儚げな美少年なのに、言動は…。ああ…。沖田さんの普段の言動を思い出して、恐怖で震える。

「し、失礼しまあす」

気絶しているから聞こえないだろうけど。一応、一声かけてから、沖田さんの腕を肩に回す。ずしり、と体重がかかってくる。お、重い…!気絶している人間って、ほんとに重い…!

ふらふらとよろめきながら、わたしは柳生邸を彷徨った。しばらくすると、ちょうどいい隠れ場所があったので、そこに沖田さんを下ろした。

「はあ、はあ、はあ…っ」

お、重かった…!!万事屋やる前のわたしなら、間違いなく、沖田さんを担ぐことなんてできなかっただろう。万事屋始めて筋肉がついた。袖をまくって、腕に力をいれてみる。おお、少し力瘤が…!

感動しながら、自分の二の腕を見ていると、手が伸びてきて、えっと目が点になる。そして、その手は、雑に、わたしの二の腕を掴んだ。

「うっわ、だるだる」

揉み揉みと、揉まれる。聞き覚えのある声の先に、視線を遣ると。沖田さんが、しげしげとわたしの力瘤を見ながら、揉んでいた。

世界で一番怖い人がわたしの二の腕を揉んでいるということに、頭が真っ白になる。

「おう、万事屋のビビり女」

「はい、ビビリ女こと、山川 小春です!!万事屋で働いています!!」

「知ってから」

「はい!!すみまっせん!!」

「おう、別にいいぜィ」

あれ、わたしなんで謝っているの…?そしてなんでそれを沖田さんは当然のことのように受け止めているの…?まあ、いいか。怖い人にはとにかく謝っとくのが一番だ。うん。

「あー、頭いってェ…。あんにゃろ、思い切りぶつけやがって…」

額を抑えながら、ぶつぶつと文句を垂らしている沖田さん。あ、あんにゃろ、ってやっぱり神楽ちゃんのことですかね…?こ、このことはご内密に…と土下座して頼むべき…?神楽ちゃんはまだ14歳で明るい未来が約束されている子で、だからその、傷害罪などでの逮捕の方は…。

「おい、聞いてんのか」

「いだいいだいいだいいだいいだいィィィ!!」

悶々と思い悩んでいると、頬っぺたを引きちぎらんばかりの勢いで、引っ張られた。すっげー伸びんな、としげしげとわたしの頬っぺたを見て感心している沖田さんを涙目で「ず、ずびばぜんが、ばなじでぐだざい゛」と懇願したら。何故か一層強く引っ張られた。なんでえええええ。

不意に離され、衝撃が頬に返ってくる。これまた痛い。ひりひりする頬を片手で抑えながら悶絶するわたしに、沖田さんは声をかけてきた。

「前から思っていたけどよ」

「ひゃい…」

痛くてうまく喋れないので、間抜けな返事をしてしまった。

「なんで、お前ここまで着いてきたんでィ」

「…へ」

瞬きをする。沖田さんは、いつも浮かべているポーカーフェイスで、わたしをじいっと見据えていた。空色の瞳に、間抜けな顔をしているわたしが映っていた。

「柳生んとこに喧嘩売りにくるとか、ビビリのあんたにゃ怖くて怖くて仕方ねェだろィ。おざなりの護身術でなんとかなるような相手じゃねえぜィ、あいつら」

皮肉を言われているのかと思ったけど、違う。沖田さんは、純粋に不思議に思っている。

…まあ、そりゃあ、そうだよね。わたしは、ビビリで、すぐ泣いて、喚いて、怖がって。戦うこともできなくて、逃げることしかできない。お荷物になることはあっても、みんなを助けることなんて、できない。

沖田さんは、わたしにとって一番怖い人なので、震えながら、声を出した。

本当は、ここから逃げ出したい。

喧嘩なんて、大嫌い。

怖い事なんて、大嫌い。

でも、それでも、今、ここにいるのは。

「…妙ちゃんが、泣いていたから、です。わたしの、大事な友達が、泣いていたから、です。怖いです、正直。さっきから、すごい音ばっか聞こえるし、銀ちゃんとも新八くんとも神楽ちゃんとも離れちゃうし…。でも、妙ちゃんが泣いていたから。だから…」

わたしがここにいる理由。

『妙ちゃんが泣いていたから』

わたしの、大好きな友達。涙の理由も知らないまま、お別れなんて、絶対に嫌だ。

ぎゅうっと、丸めた手を、さらに強く丸める。掌に爪が食い込んだ。

「…ふーん」

自分から聞いておいて、沖田さんはつまらなさそうに呟く。そっと横目で沖田さんを伺う。すると、前髪の割れ目から、怪我しているのが見えた。

「…あ、あのう、沖田さん」

「なんでィ」

「よよよよ、よかったら、これを」

巾着を開けて、絆創膏を取り出して、沖田さんに渡す。沖田さんはきょとんとしていた。あ、そうか。怪我していることに気付いてないんだ。

「そそそそそそ、その、おでこを、怪我しています、沖田さん。血が…流れていまして…」

「マジでか。お前らの仲間のせいでィ。あとでたっぷり慰謝料いただくからな」

「ひ、ひいいい、あ、あ、あの、その、うちはただ今、家計が火のタケコプターでして、」

「知らねェよ、んなの」

「ひ、ひいいいいい」

絆創膏を受け取った、沖田さんは前髪をかき分けて、額に貼った。ここであってっか、と顔を向けて訊いてくる沖田さんにこくこくと頷く。沖田さんは、へえ、と頷くと、額の絆創膏を指でなぞった。

…沖田総悟。18歳。わたしと同い年。土方さんの命を狙っていて、神楽ちゃんと犬猿の仲で。基本的に、いつも無表情。二つ名はサディスティック星の皇子様。

…綺麗な顔をしていらっしゃるなあ。

綺麗なものが大好きなわたしは、沖田さんのお顔立ちに、つい見とれてしまった。すると、沖田さんは、突然。

「何見てんでィ」

チョップを、わたしの頭に振りおろしてきた。

ズビシィィィィと、チョップの音じゃない音が、響く、頭にめり込むのではないかというくらい、強いチョップだった。

「い、いだ、いだ、いだい」

痛すぎてクラクラと眩暈が起こる。そんなわたしに、大袈裟でィ、ともう一度チョップを落としてきた。ちょっ、ほんとに、ほんとに痛いィィィィ。

やっぱり、この人…怖い!!

改めて思ったわたしは、この日を境に、さらに沖田さんを怖がるようになったのであった。






微かに香る


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