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わたしは激怒した。かの邪知暴虐の沖田総悟を除かなければならぬ…というほどではないが、とにかく激怒した。ものすごく激怒した。わたしはビビリである。だが、そのビビリのわたしがこう怒鳴りつけるほど、激怒したのだ。
「総悟くんの、バカァァァァ!!」
ビビリ故に、偶然そこに現れた銀ちゃんの背中に隠れて、怒鳴ったのは、許してほしい。ビビリだから面と向かっては言えないのだ。怒鳴るがいなや、銀ちゃんの腕を引っ張って、万事屋にどたばたと駆けこんだ。
「…なんか俺、めんどくっせェことに巻き込まれてね?」
戸に背を預けて、はあはあと息切れをしているわたしを見下ろしながら、銀ちゃんが面倒くさそうに呟いた。
「マジでか!小春もやっとアイツの残虐さに気付いたアルか!キャッホォォォ!!」
わたしと総悟くんが喧嘩したことを知ると、神楽ちゃんはお箸を持ちながら、万歳三唱した。わたしはガツガツと白米を口の中に駆け込ませる。わたしはストレスを、食欲を満たすことで解消させるタイプだ。よって、ストレスが貯まったら、太る。
「小春さんがここまで怒るなんて珍しいですね。どうしたんですか?」
「聞いてくれる…!?」
わたしはガシッと、新八くんの肩を掴んだ。え、と新八くんが引いた顔になる。あのことを思い出すと、もう、腹が立って腹が立って…!回想!始まります!!
暖かなオレンジ色の夕日にふんわりと優しく包み込まれるようにして、わたしと総悟くんは肩を並べて歩いていた。万事屋方面に用があるんでィ、と断りを入れてきてから、ついてきた。送ってくれようとしているのが伝わる。そっか、と笑顔で頷くと、何故かデコピンされた。訳がわからない。なんでデコピンするのォォォ、と、額の痛みを両手で抑えながら聞くと、そこにデコがあるから、と答えられた。何故山に登るのか。そこに山があるから。みたいなノリで。
『…あっ』
声を上げてから、巾着の中身をごそごそと漁った。な、ない…!がーん、とショックに打ちひしがれているわたしを見て、総悟くんは「どうしたんでィ」と訊いてきた。
『わ、忘れた…!恋色マジックの五巻を…忘れちゃった…!』
恋色マジックとは、わたしより少し年下の女の子の間で流行っている少女漫画だ。くっつきそうでくっつかない、あ〜じれったい!と思わず胸を掻き毟ってしまうような漫画で、ここ最近で一番好きな少女漫画。
今日、休憩時間に読んで、帰ったらまた読もうとしていたのに…!総悟くんは「ああ、あれか」と合点がいったように頷いた。わたしの馬鹿…!
『明日も来るんだし、別にいいじゃねェか』
『うう…。まあ、そうなんだけど…』
今すぐにでも続きが読みたかったのに…。はあ、とため息を吐く。すると、無遠慮な声が上から降ってきた。
『あれ、そんな面白いか?クッソつまんなかったぜィ』
…ホワッツ?
目を点にして瞬かせるわたしに、いけしゃあしゃあと、真顔でいかにつまらなかったかを、総悟くんは語り出す。
『あんな顔の良い男と女が惚れあわねェ訳ねえだろィ。っつーかあの女、男の趣味悪すぎ。女の頭軽すぎ。男性格悪すぎ。話安直すぎ』
今一番好きな漫画の悪口を言われて、眉間に皺が寄っていくのを感じる。なにもわたしの前で言わなくたっていいのに。
『…じ、次郎丸くん素敵だよ…!』
『どこが。ただ腹黒いだけの男だろィ』
にべもなく言い捨てられて、わたしの苛立ちは増した。
『…ちゃ、ちゃんと優しいところあるのに、上っ面だけ見て判断するなんて。そ、そういう見方って、どうかと思う』
声に、思い切り苛立ちが現れていた。あ、と口を抑えた時にはもう既に遅かった。恐々と総悟くんを見上げる。口元は笑っている。が、空色の瞳は笑っていなかった。言うじゃねえか、と呟いたあと、せせら笑うようにして、言った。
『まァ、こういう馬鹿女なら騙せんだろうなァ』
ふんっと、鼻で笑い飛ばして、フィニッシュ。
ば、ば、ば、馬鹿女…ですと…!?
ふつふつと沸いてくる程度だった小さな怒りが、どんどん大きくなっていく。ぐつぐつと腸が大きく煮立ちはじめる。
『きのこよりたけのこのがうめェとか言うし。テメェの感性意味わかんねェ』
『な…っ、た、たけのこはまんべんなくチョコがかかっていておいしいじゃん…!』
『きのこみてェにチョコはチョコ、クッキーはクッキーって分けなせェ。はっきりしろィ。鬱陶しいんだよ』
『た、たけのこ派に対する侮辱だ…!』
『たけのこ派なんて地面に埋まっちまえ』
そういう風に、口論をする。そして、最後に、総悟くんはこう言ったのだ。
『お前、頭沸いてんじゃねェの?』
心底、蔑むような眼で見下ろしながら。
「もォォォォォ!!」
わたしは怒りで拳を卓袱台に叩き付けた。卓袱台に並べられたお皿が飛び上がる。
「次郎丸くんとタケノコとわたしの脳みそを!!総悟くんはいっぺんに馬鹿にしたの!!いっぺんに!!ひどい!!ひどすぎる!!」
悔しくて、うわーん、と机に突っ伏してさめざめと泣く。
「…銀さん、すっごくどうでもいい内容で喧嘩しているように思えるのは僕だけですか」
「大丈夫だ新八。俺もそう思ってる」
「くだらないけど、小春がアイツと喧嘩するのは良いことアル!」
好き勝手喋っている三人。わたしは顔を上げた。うわっ、すげぇ顔…と銀ちゃんがわたしの泣き顔を見て、おののく。新八くんは引いていた。
「いっつも、わたしから謝ってばかりだけど…。今回は、謝らない!向こうから謝ってくるまで、許さない!」
「よく言ったアル小春!」
「新八ー、しょうゆ取ってくれ」
「はい、どうぞ」
鼻息荒く憤然と誓うわたしを横目で見て、銀ちゃんはしみじみと感慨深そうに言った。
「…あの沖田さん怖いよーってつってた小春がなあ…」
その言葉は、聞き取るには小さくて、誰にも拾われないまま、消えていった。
わたしは、それから、避けて避けて、避けた。とりあえず、顔も見たくないほど怒っているんです!アピールをしようと思って。
総悟くんへのお弁当は作った。けど、毎朝山崎さんに『これを総悟くんに渡しておいてください』と押し付けてから、逃げるように局長室でお仕事をした。そう、わたしは仕事場も局長室に移させてもらった。ここなら総悟くんもわたしを苛めにくいと考えたのだ。局長室でお仕事してもいいですかとお願いしたら、近藤さんは快く引き受けてくださった。今度妙ちゃんに殴られていたらいち早く介抱してあげようと固く誓った。お昼も局長室でご飯を食べた。近藤さんと食べるご飯は美味しくて、楽しくて。わたしの趣味を馬鹿にすることもなくて。なのに。
…なんで寂しいとか思っているんだろう、わたし…。
はあ、とため息を吐く。今日は万事屋のお仕事です。神楽ちゃんと二手にわかれて迷子の子猫を探している。
もう一度、ため息を吐きながら、角を曲がると。
ばったり、と、総悟くんに出くわした。
ぱあっと顔を輝かせそうになって、慌てて引き締める。わたしは今総悟くんに怒っている。そう、激怒している。メロスのように激怒している。激怒のあまり走り出しそうだ。いや走らないけどね。
ぷいと顔を背ける。すると、不穏な空気を総悟くんから感じ取った。恐ろしくて、横目でちらっと確認すると、叫び出しそうになった。ゴゴゴゴゴゴ…というどす黒い怒りのオーラを放っていた。
「…つっまんねェことでいつまでキレてんだ…?」
総悟くんが地の底から湧いてくるような低い声を出しながら、じり、と近寄ってくる。ひいぃぃ、と、小さく叫びながら、わたしは後ろに後退した。すると、総悟くんも近寄ってくる。もう一歩下がる。総悟くんが一歩、詰め寄ってくる。そんなことを繰り返していると。
「ホワチャアアアアアッ!!」
けたましい叫び声のあとに、爆発音が鳴り響いた。
もくもくと土煙が湧き上がり、わたしはゲホゲホ咳込んだ。そんなわたしを隠すように、神楽ちゃんは仁王立ちしながら、土煙の向こう側にいる総悟くんに向かって、番傘を向けた。
「美少女戦士神楽、尻小玉に代わっておしおきアル!」
「…上等じゃねェか」
一陣の風が吹いて、土煙が晴れる。それを合図に、二人が地を蹴った。あとは、はい、もう、お決まりのパターンです。
「おーい、猫見つかった…って、うわー」
「銀ちゃああああん、だずげでええええ」
目の前で繰り広げられる戦場が恐ろしすぎて、腰を抜かしたわたしは、銀ちゃんに縋り付いたのだった。
腰を抜かしたわたしは銀ちゃんに背負われながら、その場を静かに去る。ちら、と後ろを見ると、神楽ちゃんの蹴りを総悟くんがすんでのところで躱したところだった。その瞬間、目と目が合う。綺麗な空色の瞳に、吸い込まれそうになって、慌てて目を逸らして、銀ちゃんの背中にしがみつく。
「どーした」
「…なんにもない」
「…総一郎くんがそろそろ恋しいんじゃねーの?」
からかうような銀ちゃんの問いかけには答えない。悔しいことに、それは、本当の事だったから。
『小春くん、今日原田が手柄をあげてだな。ささやかな祝いをしようと思うんだ。どうだ、参加しないか?帰りはパトカーで送っていくから夜道の心配はいらんぞ!』
局長室でごはんを食べている時に、そう誘われたので、わたしは参加することにした。パトカーの私物化については、まあ、うん、触れないでおこう。原田さんには普段お世話になっているし、御酌とかさせていただこうと、呑気に構えていたわたしは、大馬鹿者だ。
「てめぇら呑んでるかゴルァァァァ!!」
「たりめーだろォォォォ!」
「局長、いつもの腹踊り頼みます!!」
「ほいきた!!任せとけ!!」
…うわー。
大の男の人たちが酔っ払った姿はすさまじかった。怒声と罵声と大声が飛び交う。お酌させていただこうという話ではない。
…総悟くんは…。
こっそりと、部屋の隅いる総悟くんに視線を走らせると、目が合った。弾かれたように飛び跳ねてしまい、慌てて目を逸らす。
「は、原田さんどうぞどうぞー!浪士さん大量確保素晴らしいですー!!」
「はっはっは、ありがとよ小春くん!!」
誤魔化すように、原田さんにお酌する。総悟くんの視線を痛いほど感じる。ううっ、絶対睨まれている…!わたしは恐怖の眼差しから逃れるために、原田さんにお酌を続けた。
―――三時間後
う、わあー…。
部屋には、たくさんの屍が転がっていた。あっちを見ても、こっちを見ても、真っ赤な顔で倒れている隊士のみなさん。今攻め込まれたら真選組は終わりだ…。
パトカーで送ってもらうのは、無理だな、これは。銀ちゃんに迎えに来てもらおうかなあ…。…でも、これを放って帰るのもなあ…。
うーん、と、正座をしたまま、顎に手を当てて考えていると。
後ろから、ぐいっと引き寄せられた。
背中に感じる暖かみに、目が点になる。首に腕が回されている。お酒臭いけど、何回か近くで嗅いだことのある匂いなので、一発でわかった。
「そう、ご、くん?」
恐る恐る、振り向くと、見慣れた茶色い髪の毛が、わずかに視界に映った。総悟くんは何も言わず、わたしの肩に顎に額を擦りつける。どんな表情しているかはよくわからない。
…って、ん?
こ、これって…!
今、自分がどんな状況にいるのかわかったら、途端に恥ずかしくなってきた。わたし、後ろから、総悟くんに抱きしめられている…!?
「そそそそそそそそそそ総悟くん、ちょっ、あの、一回、離し、」
「ヤダ」
総悟くんは離すどころか、さらにぎゅうっと、力を入れてきた。ひ、ひいい…。頭がパンクしそうになる。
皆さん、寝ているとは言え、一応人前なのだ。人前で抱きしめられるのは恥ずかしくてたまらない。わたしは腕の拘束から抜け出そうと、もぞもぞと動いた。
「…また逃げんかよ」
拗ねたような声が聞こえてきて、「へ?」と返そうとするつもりだったのに。
うなじを吸うようにちゅうっと甘噛みされて、びりっと電流が流れたように、体が熱くなって、口から漏れたのは、「ひゃっ」と甘みを帯びた声。
ちょっ、えっ、はい、今の、わたし…!?
周りの人はみんな寝ている。わたしか総悟くんしかいない、今の声を出せるのは。でも、総悟くんじゃない。
その証拠に、総悟くんは。耳元で「やらしー」と笑うように囁いてきた。
カーッと湯気が頭から出そうだ。鼓動が早い。血のめぐりも早い。体中の血液が沸騰しそう。
「ちょっ、あのっ、こ、これはね、み、皆さん寝てらっしゃるとは言え、こういうのはね…!」
必死にもぞもぞと動いて抵抗する。けど、抵抗するばするほど、総悟くんの力も強まっていく。ぎゅうっと抱きしめられたまま、視界が反転した。熱に浮かされた空色の瞳と視線がかち合う。酔っているせいか、若干瞳が潤んでいて、きらきら輝いていて綺麗。
「…久々に、ちゃんと顔見た」
綺麗な瞳、と見惚れていたら、総悟くんが何を言っているかよく聞き取れなかった。
「へ…」
間抜けな声を漏らした時に、口を開けてしまった。その隙を逃さずに、唇を塞がれて、舌が入り込んでくる。羞恥で目を見開く。熱い舌に翻弄される。酸素すらも邪魔だというように、呑みこまれていく。
人がいるのに。
酔っているからって、こんな。
「ふ…ぁ…っ、んぅ…っ」
うまく呼吸ができないので、酸素が脳にいかない。脳みそがまわらない。恥ずかしくて仕方なかったはずなのに、いつのまにかうまく酸素を吸えない苦しみの方が勝っていた。苦しい。本当に、呼吸困難で死んじゃうのかもしれない。そう思った時、やっと唇を離された。滲んだ世界では、総悟くんが、どんな顔をしているのかもよくわからなかった。
「なァ」
まだ、息を吸う事しかできない。返事を返せない。
「避けんなよ」
はあ、はあ、と酸素を求める。胸が上下している。
「避けんなって」
親指で、涙を拭われた。やっと、視界が開ける。開けて、驚きで目を見張ってしまった。綺麗な空色が、不安定に、揺れていた。眉間に、わずかに皺が寄っている。
心細そうな表情。
「…頼む」
震えるように紡がれた、不安定な声は、わたしの胸を切なく締め付けるには、十分な効力を持っていた。真綿の糸で心臓を締め付けられているような痛み。総悟くんのことを好きになってから、何度この痛みを味わっただろう。
謝るまで許さない、と決意したわたしの覚悟はとてもちっぽけなものだった。
謝られるどころか、
「…ごめんね」
謝ってしまうのだから。
総悟くんの後頭部に、恐る恐ると手を伸ばして、髪の毛を梳くようにして撫でながら、そっと、肩に寄せた。お付き合いする前、この髪の毛に見惚れた。夕陽が髪の毛を照らして、輝いていた。
「ごめんね、つまんないことで、怒り過ぎた。無視とか、しちゃって、ごめんね」
神楽ちゃんが訊いたら、小春は甘いアル!と怒るだろう。そう、わたしは甘い。好きな人やモノにはとことん甘い。
…ああ、でも、やっぱりわたしが折れたか…。ほんと、掌の上で転がされているなあ…。
とほほ、と息を吐いた時、総悟くんがわたしの耳元で囁いた。震える空気がくすぐったくて、目を細める。信じられない言葉が鼓膜を駆け抜けた。
聞こえた耳を疑って、「…へ!?」と驚きの声を上げると、総悟くんがわたしから少し距離をとった。両方の手首を捕えられる。視界が、ほのかに頬を赤らめた総悟くんでいっぱいになる。
「ちょ、ちょ、ちょっと、あの、な、何をする予定で」
「エロいキス」
「うぎゃああ!!言わないで!!そういうの言わないで!!」
「満更でもなさそうだったじゃねェか」
「いやあのでもそれはあのそれはあの」
「何言ってっかわっかんねェ。はい、仲直りの、チュー」
顔がどんどん近づいてくる。距離が、もうすぐでゼロになる。お互い目を開けているので、空色の瞳の中に、目をぐるぐる回しているわたしが映っている。もう駄目だ、と観念した時だった。
僅かな物音がして、総悟くんが振り向く。その先に、顔を真っ赤にした山崎さんが、わたし達を凝視していた。
その後、一週間ほど、山崎さんは姿をくらました。
曇り、晴れ後、時々ゴメン
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