臆病者感謝短編集
 

昔、姉上に質問されたことがある。

「総ちゃんは、私と近藤さんが一緒に崖から落ちそうだったら、どっちを助ける?」と。

俺は慌てに慌てた。そんな俺を見てふふっと笑った姉上は、今にして思えばSっ気があるお人だったのだろう。流石俺の姉上。素晴らしい性癖の持ち主だ。嫌味ではない。俺が姉上に嫌味を思うわけねェだろィ。

姉上か近藤さん。どちらも違う感情で、同じくらい大切な人。

どっちも助けるというには、俺には力がなくて。でも、どっちかを見殺しにすることなんて、絶対嫌で。どうすればいいのかわからなかったから、とりあえず、どちらも助けられるように、稽古に勤しんだ。

…もし、姉上が俺に話しかけてきたら。あの人は、こう問い掛けてくるのだろうか。

『近藤さんと小春ちゃんが一緒に崖から落ちそうだったら、どっちを助ける?』と。







「やあ、小春くん」

目の前に一体のゾンビが現れた。

「ぎゃああああああ!!ゾンビィィィィ!!」

当然、ビビりのわたしは、怖すぎて叫んだ。

「ゾンビじゃないよ!!俺だよ俺!!」

「いやああああ!!ゾンビのオレオレ詐欺ィィィィ!!」

「俺だってばああああ!みんなのアイドル勲ちゃんだよおおおおお!!」

「へ」

頬を両手で抑えながら絶叫していた声が自然とやんだ。目の前のゾンビをきちんと見据える。本当だ。髪型とか体格とか声が、近藤さんだ。わたしの隣に立っている総悟くんが呆れた眼差しで近藤さんを見据えた。

「また、やられてきたんですかィ」

「いやー、お妙さんの愛情表現は過激でさー。全く、いつまでたっても素直じゃない方だ!」

近藤さんはガハハと大きく笑う。いや、近藤さん。妙ちゃん、すっごく素直だと思います。今日も素直にわたしに近藤さんの殺害計画を相談してくれました。『もうそろそろね、本気でね、殺ろうと思うの』と。

あの妙ちゃんの笑顔を思い出すと背筋が凍る。ぶるっと震えたわたしを近藤さんが心配そうに見た。

「もしかしたら…風邪か?大丈夫かい?」

「大丈夫です。近藤さんの方がどうみても大丈夫じゃないですよね?」

「ガッハッハッ!心配いら―――、」

ドッシーン、と巨体が廊下に倒れた。

「ギャアアアアア!!近藤さああああん!!」

「あーらら。もう限界だったんだねィ」

総悟くんはとりたてて慌てた様子もなく、しゃがみこんで、よっこらせと気絶している近藤さんの腕を肩にかけた。立ち上がって、近藤さんを一番近くの和室に運び込む。

「まったく、この人もいつまでたっても懲りねェ人だ」

「そうだねえ…」

「俺ん時もそうだったなァ」

ふたりで座り込んで、気絶している近藤さんを見ていると、総悟くんがぽつりとなにげなく言葉を落とした。

「俺ん時も、って…?」

気になって、どういうことかと意味を問い掛けると。総悟くんは「あー…」と、、ポリポリと頬を掻いた。

「俺ん時も、近藤さん、しっつこくしっつこく、声かけてきたんでィ。絵うめぇじゃねえか、手先器用なんだな、んなら、剣でも握ってみねェかって」

「…総悟くんの、小さいころの話?」

なかなか聞けない総悟くんの小さなころの話に、きらきらした瞳を向ける。総悟くんは、わたしの目を見てから、少しだけ目を逸らして、「つまんねェ話だけどな」と前置きしてあら、ぽつりぽつりと話し始めた。

俺は、昔から性悪だった。

テメェの気に入らねェことがあると、すぐ癇癪起こして。八つ当たりして。んなガキと誰も遊びたくねェってのが当然で、ダチなんかひとりもいなかった。

身から出た錆だけどよ、姉上の隣以外、俺の居場所なんかどこにもなかった。

姉上がいればそれでいいって思ってたけどよ。

どこまでも、俺は、我が儘で。“家族”以外の繋がりを求めていた。

そんな時だった。近藤さんが現れたのは。

生意気なクソガキの言うことを、いちいち真面目に受け捉えて、泣いて、怒って、笑って。馬鹿にしないで、最後まで聞いてくれた。

一回、俺が神社の賽銭箱、壊したんじゃねえのかって、疑いをかけられたんだ。

俺じゃなかったけど、全員俺を犯人だと決めつけていた。まァ、これも身から出た錆だけどよ。

姉上に言いつけられそうになって、目の前が真っ暗になった時、この人が現れて、言ったんだ。

『総悟がそんなちゃちい真似をするか!やるなら銀行強盗ぐらいするぞこいつは!!』

…俺、どんだけ信じられてねェんだ、って気が遠くなったのは覚えている。

それと。

最後まで、総悟が犯人じゃないと、何の証拠もないのに言い張り続けていた、あのでっかい背中を。


「何の縁もゆかりもないクソガキのために、犯人捜しまでしだしてよ。自分がコナン役やるからお前は光彦だとか言ってきやがって、バッカじゃねえの、って思った」

そういう口振りとは裏腹に、総悟くんの声色はとても暖かかった。

近藤さんは、すぐ下半身を露出するし、ストーカーだ。

でも、とてもお人よしで、人の悪いところより良いところを真っ先に見つけて、何の縁もゆかりもない人をガッハッハッ!と大笑いしながら受け止めてくれる、懐の大きな男の人。そんな人だから、みんな、ついていく。この人になら、命を懸けられる、と。

わたしの好きな人も、そうだ。


総悟くんは昔、土方さんを裏切ってまで、近藤さんを守ろうとした。

総悟くんを詰った人は、陰にたくさんいた。表だっては言わないけど、武州からの仲間を裏切るなんて、とんでもない性悪だ。総悟くんは、色んな人からバッシングを受けた。それでも、総悟くんは飄々としながら、なんてことなさそうに闊歩した。

わたしも訊いてみた。

どうして、総悟くんは、土方さんを裏切ってまで、伊東さんの側についたの?と。

『俺ァ、近藤さんのために、ここにいる』

『俺の大将は、ただひとりだ』

『幕府なんかどうでもいい。近藤さんが幕府に忠義を誓っているから、俺も誓っているだけでィ』

『ただでさえあの人はいろんな奴から命狙われてんのによ。妖刀なんぞに飲み込まれるような腑抜けた野郎、あの人の横に置いとけるかってんだ』

『あとそれから、土方がフツーに嫌いだから』

なんてことなさそうに言うけど。総悟くんの言葉の数々は、十八歳の男の子が言うものではなかった。自分の行くべき道を真っ直ぐに見据えた、凛々しい言葉の数々を聞いて。

ああ、わたしの好きな人だって、ただ、思った。

たったひとりの人に忠義を誓い、命を賭して、守ると決意している。

それが、わたしの好きな人だ。そういう侍だ。

沖田総悟という人は。

月明かりの下、帰り道の中で近藤さんへの思いを聞かせてもらった、あの日のことをそっと思い出す。

「…近藤さんは、かっこいいよね」

「目ェ腐ってんじゃねえの、お前」

そう言うくせに、その声色と瞳はとても暖かくて。嬉しそうだった。

口に出しては言えないけど、総悟くん。わたし、そんなあなたのことも、カッコいいと思っていますよ。

そう思いながら、ちらっと見ると。

「何見てんでィ、クソアマ」

「いだだだだだだ!!頬っぺた!!頬っぺたがちぎれるううううう!!」

頬をこれでもかというくらい引っ張られたので、前言撤回した。








それから、少し経った時だった。

「はー、タイムサービス間に合った〜。良かった〜。そ、それにしても…おばちゃん達すごかったな…」

スーパーの袋に両手を塞がれながら、よろよろと歩いた。お、重い…。けど、タイムサービスには絶対行かないと…。うちは家計が常に火のタケコプターなんだから…。

「志村妙だ!」

え、妙ちゃん?どこにいるの?

きょろきょろと辺りを見渡すと、ガシッと誰かに腕を掴まれた。見上げると、いかついお兄さんがとても良い笑顔でわたしを見下ろしていた。

「み〜つけた」

「…はい?」

「近藤の女がいたぞ!はやく車寄越せ!!」

「はい、え、ちょっ、ちが、」

ハンカチで口元を覆われた。途端に猛烈な眠気が襲ってくる。ああ、もう、なにがなんだか…わたしは妙ちゃんじゃ―――。

意識はそこで、ぷっつりと途切れた。





「―――くん、小春くん!!」

目が覚めると、ゴリ――近藤さんが心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。

「今ゴリラってモノローグの中で思ったよね!?思いそうになってたよね!?」

「こ…ここはどこですか、ゴリラさん…」

「とうとう台詞でも言っちゃったあああ!!」

きょろきょろ見渡す。わたしは綺麗な和室にいた。

近藤さんはひとしきり突っ込んでから、わたしに説明してくれた。ここはお城らしい。前、お通ちゃんが連れ去られたお城と一緒のところだそうな。わたしが攫われたことを訊きつけた真選組が、迅速にわたしの居場所を割り出して、お城に乗り込んだとのこと。そして、一番先にわたしを見つけたのが、近藤さんだった。わたしはグースカグースカと健やかに寝ていたらしい。…わたしって…一体…。

近藤さんはコホンと咳払いをした。そして、頭を深々と下げてきた。

「すまない」

「…へ、え!?な、なんで近藤さんが謝られてるんですか!?」

大の男の人に頭を下げられて、あたふたする。近藤さんはなお、頭を下げたまま、言った。

「真選組に恨みを持っている過激派浪士たちが、きみを、お妙さんと間違えて攫ったようだ。俺が執心している女性だと思って。…お妙さんにばかり気をとられていた。すまない。君をお妙さんと勘違いしている可能性も視野に入れておくべきだった。あいつらがここらへんをうろついてる情報を手に入れてたというのに」

…え。

それって、もしかして。元からストーキング行為をしていたけど、最近いっそう妙ちゃんへのストーカーが一層激しかったのは、妙ちゃんを過激派浪士さん達から、守るためだったってこと…?

「…すまない」

わたしに頭を下げたままでいる、大きな男の人を、見つめた。

総悟くんが忠義をかけている、近藤勲という男の人を。

近藤さんは、もう一度、わたしに頭を下げた。

「…近藤さん、頭を、上げてください」

「だが、」

「大丈夫です、こうやって、近藤さんが助けに来てくださったんですし…!無敵の真選組の大将、近藤さんが、わたしを助けに来てくださったんです!もう怖いものなしです!あ、えっと、もちろんわたしも何かお力添えをさせていただきますね!妙ちゃん仕込みの護身術があるんです!」

「小春くん…、いや…、きみ、ものすごく震えてるが…」

「むむむむむ武者震いですよ!!いやー久々の戦いかー!腕がなりますー!は、はは、あははは!」

指の関節をポキポキ鳴らそうと思ったが、鳴らなかった。ああもうわたしというやつは…!

近藤さんは呆けた顔をしながら、わたしを凝視している。あ、呆れられている…!?ビビリが頑張っちゃっているよ、みたいな感じで呆れられている…!?

って、ていうか。こんな敵陣のアジトにまで、局長さん直々に着てもらうなんて。なんて迷惑をかけているの、わたし…!

また迷惑をかけてしまっている、と思って、血の気が引いた。

「す、すみません、あの時、あんな簡単に何か嗅がされてしまって…こ、こんなところまで、その、えっと…!」

必死に謝罪の言葉を探していると、近藤さんに、ポンッと頭に手を置かれた。そして、雑に撫でられる。

「総悟が、君を好きな理由が、わかるよ。本当に」

「…へ!?」

ぼんっと顔に熱が集中した。な、なにを、こんな時に…!!近藤さんはガハハと笑ってから、「さあ、行こう!」と声高々に言った。

「―――どこへ?」

冷徹な、背筋を凍らせるような声が、背中に纏わりついてきた。振り向くと、冷徹に笑っているリーダー各らしき一人の男の人と、下卑た笑みを浮かべている多数の男の人たち。

近藤さんが、わたしの前に立った。

「彼女は、志村妙さんじゃない。ここから解放してやってくれ。俺が残る」

「―――駄目です!!」

「え」

「駄目です!!」

反射的に、言葉が出てきた。近藤さんが丸くした目でわたしを見下ろしている。わたしは必死に訴えた。

「駄目です!近藤さんがここに残るなんて、そんな危ないこと、しちゃ駄目です!!」

「君を置いて帰れというのか!?そんなことできない!そんなことをしたら、俺はどうやって総悟に顔向けをすればいいんだ!?」

「わたしだって、できません!!総悟くんは、近藤さんのこと大好きなんですよ!?」

いつも、ぞんざいな扱いだけど。知っているよ。

尊敬の眼差しを、近藤さんに向けていることを。

近藤さんに『よくやった、総悟!』と褒められると、いつもの仏頂面から、少し、あどけない顔つきになることを。嬉しそうな顔をするということを。

知ったかぶりじゃない。知っている。見てきた。

わたしは総悟くんのことが大好きで、見てきたから、知っている。

「どちらも、沖田にとって、重要な人物ってこと、なんじゃないのかな?」

不意に、柔らかくて冷たい声が耳の中に飛び込んできた。ひっと身を竦むわたしを庇うように、近藤さんが声を出す。

「なにが言いたい?」

「簡単な話だよ」

リーダー格らしき男の人は、綺麗で冷たい微笑みを浮かべた。



えーと。これは。

わたしは目が点になっていた。隣の近藤さんも目が点になっていた。わたし達は後ろで手を組まされ、見晴の良いところに立たされていた。単刀直入に言うと。屋根の上に立たされていた。

「近藤さん」

「なんだい」

「とってもきれいな景色ですね」

「そうだね」

ひゅるる〜と冷たい風が吹き抜ける。一歩動いたら、死ぬんじゃね?っていうか、死ぬなあ、これ。

「ひいいいいいいい!!無理無理無理無理ィィィィィィィ!!」

「うるっせええ!!人質は黙っとけえええええ!!」

泣きわめくわたしがうるさすぎて浪士さんが一喝する。いや無理だよ。こんな高さに立たされて、泣かない訳ないでしょう、この、ビビリのわたしが。

「落ち着け小春くん!落ち着くんだ!落ち着くんだ!決して漏らしたりしたらいけないぞ!!」

「近藤さん、股間の染みはなんですか」

「…気にするな!!」

近藤さんはとても良い笑顔を浮かべながら、親指をたてた。うわあ…。あはは…。

父ちゃん、わたし、先に天国の母ちゃんのところへ逝くかもしれない…。青く澄みきった空を見ながら、思う。

…死にたくないなあ。

下にたくさんのパトカーが集まっている。真選組のみなさんだ。あ、あれは土方さん。頭を抱えている…。あれは…山崎さん、原田さん…。涙でどんどん視界がぼやけてくる。会いたいあの人は、ここにいないようだ。そういえば、幕府のお偉いさんの警備だって、言っていたなあ…。

その時、一台のパトカーがやってきた。ドアが開いて、出てきたのは、総悟くんだった。わたしと近藤さんは顔を見合わせる。

「総悟くーん!!」

「総悟ォォォ!!」

遠すぎて、総悟くんがどんな顔をしているかわからない。もしかしたら、呆れているのかもしれない。でも、総悟くんが来たのならもう大丈夫…と、ほっと胸を撫で下ろした時だった。

ぐいっと髪の毛を掴まれた。

「いっ」

苦痛で顔を歪める。近藤さんの「小春くんに何をするんだ!!」という怒声が耳に飛び込んできた。

「やーっと、一番隊隊長、沖田総悟のお出まし、か」

リーダー格の男の人が、わたしの髪の毛を掴んでいた。容赦なく引っ張られているので、髪の毛が抜けそうだ。痛い。スピーカーに口を当てながら、彼は言った。

「沖田総悟、お前、どっちにする?」

どっち、って。なにを。

「どっちを、見殺しにする?」

自然と、目を見開いてしまった。

「近藤か、この女。どっちを見殺しにする?忠誠を誓った大将か、惚れた女か。どちらにする?」

サアッと顔が青ざめていく。この人、わたしと近藤さんが一緒にいる時から、この計画を思いついたんだ。

総悟くんは近藤さんのためなら、なんでもする。命だって懸けられる。だから、近藤さんを人質にとらえたら、絶対にやってくると踏んだのだろう。総悟くんは一番隊の隊長さん。真選組で最も剣の腕が立つと畏怖されている。そんな人だ。攘夷志士の皆さんからは、たくさんの恨みを買っているだろう。

「おい、何を言ってる!小春くんを離せ!人質は俺一人で十分だと言っているだろう!!」

近藤さんが眉を吊り上げて吠える。近藤さんは、わたしのせいで捕まった。コイツを殺されたくなければ、お前も人質になれ、と言われて、剣を捨てて、人質になったのだ。

遠いから、見えない。総悟くんがどんな顔をしているか。

きっと、すごく、悩んでいる。近藤さんは、総悟くんにとって、本当に本当に大切な人で。総悟くんは、近藤さんのためになら、死ねると本気で思っている。

近藤さんは必死に「小春くんを選べ!俺は腐っても真選組局長だ!!なんとかしてみせる!!」と怒鳴っている。総悟くんがどんな顔をしているか、やっぱり見えない。

けど。
奥歯を噛む。自惚れだって、笑われるかもしれないけど。

わたしも、総悟くんに、違う意味で大切にされている。

甘い言葉とか、優しい抱擁とか、そういうの皆無だけど。大切にされているとは、思う。口を開けば出てくるのは暴言ばかりだし、すぐに殴ってくるし、殴るどころかバズーカ撃ち込んでくるし。傍から見たら、最悪な彼氏かもしれない。

けど、わたしにとっては。

今までのことをひとつひとつ思い出す。総悟と呼んでいいのはお前だけ、と乱暴なキスをくれた。不器用に、安心させてくれた。ここに生きていると言うように、胸に顔を押し付けて証明してくれた。いらねえからやる、と、射的で当てたぬいぐるみをくれた。

そんな人の。好きな人の足かせに、わたしはなりたくない。

すうっと息を吸い込んで、叫んだ。

「そ、う、ご、くうううううううううううん!!」

ありったけの声で、あなたの名前を。

「近藤さんを選んで!!わたしなら、大丈夫!!」

「…な、何を言っている!?総悟ォォォ!!小春くんを選べええええ!!俺は侍だ!!死ぬ覚悟なんて、」

「近藤さん!!」

近藤さんの名前を大声で呼ぶ。覆いかぶさるようにして、呼んだ。近藤さんを涙目で睨みつける。

「あなたが死んだら、総悟くんはこれから、何を目的にして、生きていくんですか!!」

近藤さんの目が大きく見開かれた。

「総悟くんの武士道は、近藤さんについていくことなんです!!あなたが死んだら、総悟くんは、総悟くんは…!」

恐怖でなのか、なんなのか。涙がぼろぼろと零れ落ちてきた。総悟くんに、侍としての道標を示すことができるのは、近藤さんだけだ。それはきっと、誰にもできない。土方さんでも、銀ちゃんでも、もちろん、わたしでも。

「女の子なんて、この世に腐るほどいるんですっ、でもっ、近藤さんというお侍さんは、ひどりじがっ、いないんでずよぉ、総悟ぐんの大将さんは、近藤ざんだげなんでずよぉ」

鼻水が垂れてきて、口の中に入る。うええ、不味い。恐怖で体が震える。もう、やだ、ほんと、怖い。

わたしはいつまでたっても、エゴの塊だ。近藤さんを死なせたくないから、という思いも勿論あるけど、それ以上に、総悟くんの苦しむ顔を見たくないからというエゴで、近藤さんに生き残ってほしい、と喚いている。

無愛想で、不器用で、ぶっきらぼうなわたしの大好きな男の子は、お侍さん。

きっと、わたしが死んでも、総悟くんは新たな好きな人を作れるだろう。

けど、大将さんは。もう、近藤さん以外、ありえない。

近藤さんは呆然としながら、わたしを見ていた。そして、ふっと笑った。

「…総悟が、好きになる子、か」

ぽつりとつぶやいた言葉は、風が吹く音に消されて、よく聞こえなかった。え?と瞬きすると、近藤さんは顔を真っ赤にして、手首に巻かれている縄をとこうとしているようだ。

「無理だ、その縄をほどくことは、で…き…?」

リーダー格の男の人の眼が、徐々に驚愕で見開かれていっている。近藤さんはなにやらぶつぶつ呟いていた。

「…との…こい…じを…」

「はあ?なんて、」

「人の恋路を邪魔する奴は、このゴリラ13がゆるさああああああん!!」

そう叫んで、近藤さんは縄を解いた。

へ、え、はい?

わたしを含んだ、その場にいた全員が目を白黒させた。え、嘘、あの縄を…?どんだけ馬鹿力なの近藤さんんんん!?

「わ、わたしの縄も、」

「総悟ォォォォ!!」

近藤さんは、わたしの体を米俵を担ぐように、肩に担いだ。わあ、更に景色が綺麗になったあ…って、え、はい?

「惚れた女なんだろ!!ずぇぇぇったいに、落とすなよおおおおおおおお!!」

「え、ちょっ、ギャアアアアアアアア!!」

信じられないことに、近藤さんが、わたしを放り投げた。

景色が、ものすごい速さで移り変わっていく。どんどん地面が近づいていくのがわかる。

あの人何してくれてんのおおおおお!?

涙と鼻水が重力に逆らう。わたしの体もさからってほしい。めちゃくちゃだ。近藤さん、まだ敵に囲まれているし。よくわかんなくなってきた、ああ、もう。

自然と、声が出た。

「助けてえええええええ!!総悟くうううううん!!」

こういう時、真っ先に口から衝いてくるのは、銀ちゃんだったのに。

いつのまにか、総悟くんに変わっていた。

背中に衝撃を感じる。ずっしりと、何かに、支えられていた。

い、生きて…る…?

恐る恐る目を開ける。茶色の髪の毛が目に入った。俯けている顔に、茶色の前髪が垂れているので、どんな表情をしているかよくわからない。彼は、ただ、息を切らしていた。

「そう、ご、く…うわあっ」

総悟くんはわたしを横抱きにしたまま、へたりと、座り込んだ。周りから、真選組の隊士の皆さんが「小春くん大丈夫!?」と駆け寄ってくれる。

「あ、大丈夫です」

「いや全然大丈夫じゃないよね。顔が涙と鼻水ですごいよ。ちょっとそれ、18歳の乙女がしていい顔じゃないよ。とりあえず、こっちに来て」

山崎さんがわたしに手を差し伸べる。その手を取ろうとするのだけど、総悟くんがわたしの背中に腕を回してきたので、できなかった。

「え、ちょっ、そ、ご、く、」

こんなにたくさんの人がいる前で抱きしめられて、恥ずかしい。名前を呼んでも、返事はない。さっきから、一向に何も喋ってくれない。どうしたのかと言おうとした時、総悟くんの体が小刻みに震えていた。

カタカタと震えている。小さな子供がお化けを怖がっているみたい。

いや、違う。

何かに置いてかれそうになっているのを、怖がっている、震えだ。

周りの人も、冷やかすこともしない。総悟くんのこんな姿、誰も見たことがないのだろう。

「そう、ごくん」

「…」

「わたし、生きてるよ」

「…」

「総悟くんが、抱き留めてくれたからだね」

「…」

「本当に、ありがとう」

自然と、声が、暖かいものになる。

掠れている総悟くんの声が、聞こえてきた。

「この、馬鹿女」









小春は疲れ切ったのか、俺の部屋でぐうぐう寝ている。原田が「狼になっちゃいけませんよ沖田隊長〜」とくだらねェことを言ってきたのでバズーカ撃っといた。土方に気軽にバズーカ撃つんじゃねえええと怒鳴られた。

埃塗れだ。汗臭い。泥臭い。コイツだけじゃなく、俺もだろうけど。

普通の女の幸せすら、約束できないのに、小春に執着している自分に、反吐が出る。

近藤さんと小春が人質だと聞いて、神様ってのはものすげェ、サディストなんだなと思った。

よりにもよって、その二人かよ。

どちらも、大切だという言葉では片づけられないくらいの存在だった。かけがえのない存在、なんて臭い言葉を、この二人に、本気で思っていた。

俺に剣の道を教えてくれた人と。
俺の傍で、なんだかよくわかんねェけど、楽しそうに笑ってくれる女。そっと、傍にいてくれる女。惚れた女。

そのどちらかを選べ、ということは、残酷極まりない選択だった。

どちらか見殺しにしろ、と突き付けられて。頭がぐるぐると回った。自分の弱さを呪った。大事なモンを、同時に助けられる強さを持っていない自分に、吐き気を催した。

そうしたら、大事なモン同士が、お互いを助け合うんだから。

「…こいつらには、敵わねェな」

小春の頬を、ぶすっと人差し指で押した。

「んん…総悟くん…?」

小春が、ぼんやりした目で俺を見る。そして、かっと目を見開きながら、起き上がった。

「そ、総悟くん!近藤さんは!?」

「無事でィ、無事どころか、浪士全員ひとりで捕まえちまった。人の恋路と俺の恋路を邪魔する奴はゆるさーんって喚きながら」

「近藤さんの恋路、特に誰も邪魔していないんだけどね…。妙ちゃん以外…」

力なくツッコミを入れてから、小春は「はあーっ」と安心したように息を吐いた。

「でも、よかったあ…」

“よかったあ”…?

イラッときたので、俺は小春の頬を両手で引っ張った。

「いだいいだいいだいいだい!!千切れるうううう!!」

「何が、よかった、だァ?よくねェよ」

「い、いいじゃん、近藤さん助かって、ばんばんざ―――、」

「よくねェよ」

引っ張る手をとめた。小春をじいっと見る。埃塗れの顔、まんじゅうみたいな顔。お世辞にも絶世の美人とは言えない、田舎臭い顔。

一歩間違えば、この顔を、もう。

「よく、ねェよ」

小春の肩に顔を埋めた。汗臭さ、埃の匂いの中に、コイツ自身の甘い香りがする。

「俺ァ、確かに、お前の言った通りでィ。近藤さんがいなくなったら、何を標として生きていけばいいか、わかんねェ。あの人以外の下につく気なんて、さらさらねェ。お前の言うとおり、女なんて、腐るほどいる」

けど。

一旦言葉を区切る。嗚咽を喉の奥に必死に追いやって呼吸を整えた。それでも吐き出した声は、情けないほど掠れていた。

「お前は、ひとりしかいねェだろ」

戦慄くように震えた声につられるように、体も震えた。

一番隊隊長の名が、聞いて呆れる。

どこにでもいるような女に執着し、なくしかけるとタマが縮み上がるほどビビった。

惚れた女なんて作るもんじゃねェ。

足枷にしかならねェのにないと駄目になる。下手な麻薬より性質が悪い。

顔を埋めていた小春の肩が、震えはじめた。

ああ、どうせ、また。

呆れながら、顔を上げる。小春は、ぼろぼろと涙を零していた。

「へ、変なこと、言って、いい?」

「お前が変なこと言うなんて、いつものことだろィ」

「ひ、ひど、」

ごん、と頭突きをした。小春がイタッと苦痛で顔をゆがませた。額に額を合わせる。じいっと、小春を射抜くようにして、真正面から見据えた。

「おら、さっさと言いなせェ」

小春は言い辛そうに目を泳がす。ああ、面倒くせェ女。ぐりぐりと額を押し付けると、「わ、わかった!」と顔を赤くして声を上げた。

額を額をくっつけたまま、視線を合わせる。小春が、恥ずかしげに、視線を下に向けた。

「そ、総悟くんは、近藤さんのためなら、いつでも死ぬ覚悟できてるかもしんないけど、だから、その、そのかわりに、」

視線を下に向けていた小春は、意を決するように潤ませた目を、しっかりと、俺に向けた。

「わ、わたしのために、生きてください」

しいんと静寂が空間を包み込む。

俺は、ぽつりとつぶやいた。

「くっせェ…」

小春の顔が更に赤くなって、眉が下がった。“ひどいぃぃ”と泣き出しそうな顔をしている。

「だ、だから変なこと言うって言ったのに…!そ、それに、臭いって、ひどいぃぃぃ」

「くせェもんはくせェもん、よくそんな恥ずかしいこと言えんなァ。あ、動画撮っとけばよかった。笑顔動画にあげるチャンスを逃しちまったぜィ。チッ」

「ま、まままたそういうこと、ふぐっ」

うるさいことを言う唇を、言葉ごと塞いだ。小春の眼が見開く。

唇を離して、息がかかる距離で言う。

「んなもん、言われなくたって、とっくの昔からやってんだよ、バーカ」

そう言って、せせら笑ってやった。






君と羊と青


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