「すみまっせーん」
「は〜い」
…ん?この声、もしかして。そう思いながら小走りで向かう。
予想は見事的中していた。
「わ〜、みんな〜」
東堂と荒北くんと新開くんと福富くんが席に座っていたものだから、バイト中ということを失念して手を振ってしまった。荒北くんがまじまじとわたしを見ながら誰ともなしに独り言のように呟いた。
「あ〜、これか。東堂がここに行きたいつったのォ」
「あっ、荒北!」
東堂が少し頬を赤らめて荒北くんに大声を上げる。どういうこと?と思って東堂を見ると、気まずそうに視線を返された。
少しの間お互いに視線を交わしていると、ふいに、あの日のことを思い出して恥ずかしくなってきた。あれから何日か経ったけど、あのことについてはお互い何も触れない。ただ、わたし達の間に流れる空気が漠然と変わったように思える。
わたしが目を逸らすのと同時に、東堂も目を逸らした。荒北くんに視線を向けて食って掛かる。
「なっ、なに邪推している!」
「何も言ってねェだろーが」
「青春だな、尽八!」
「どういうことだ?」
わいわいと盛り上がっているみんなを見ているとわたしまで楽しくなってくる。うんうん、仲良しだなあ…そう思いながら暖かい眼差しを向けていると、ぴしゃりと額に軽く衝撃が走った。
「なにボーっとしてんだヨ。ドリンクバー四つとポテト大盛りとアップルパイとハンバーグセットとカレーと」
「わ、わ、わ」
エプロンのポケットからリモコンを抜いて、ピッピッと押していく。えーっと…な、なんだったっけ…わからなくなってきた…。冷や汗を垂らしているわたしを見て荒北くんは舌打ちを鳴らしたあと、もう一度ゆっくりと聞き取りやすいようにメニューを復唱した。
「はい、これで全部」
「あ、ありがとう」
「お前バイト中にぼーっとすんなヨ。そんなんばっかしてっとクレームくんぞ」
「うん…ごめんね」
荒北くんに厳しい口調で注意されて、しゅんとして謝ると、新開くんがまあまあととりなしてきた。
「おめさん女子にも容赦ないなあ」
「そうだぞ!そうだから荒北は全くモテんのだ」
福富くんが「いや…やはりアイスをのせるべきか…?」とぶつぶつつぶやきながら真剣に悩んでいる横で、東堂は腕組みをしながらうんうんと頷く。
「なんで?」
荒北くんがモテない理由が全くわからなかったので、わたしはきょとんとして首を傾げた。
みんなが「え」と固まった。福富くんだけは「いやしかし…」とまだアップルパイにアイスを乗せるべきか否かで悩んでいる。
「こういう風に厳しく言ってくれる男の子って、素敵だなあって思うんだけど。レースの時とか荒北くんすごくカッコいいし。モテモテなんじゃないの?」
思ったことをそのまま口にする。荒北くんはずっとぽかんと口を開けていたが、徐々に顔を赤らめていった。
「お…っ、お前なァ、そういう恥ずかしいこと、恥ずかしげもなく…っ」
荒北くんはわたしから目を逸らして手の甲で口元を覆いながらもごもごと言う。
「あ、荒北!なに照れているんだ!!」
荒北くんの向かい側に座っている東堂が、荒北くんを指さして大きな声を上げた。
「照れてねーよ!」
「顔真っ赤じゃないか!」
「あっちーんだヨ!それだけだ!何勘違いしてんだ死ね!!」
ぎゃあぎゃあと、いつも通りの東堂と荒北くんによる口げんかが展開されていく中、わたしは新開くんに注文の確認を聞いてもらって、福富くんにアップルパイにアイスをのせてくれと真剣に頼まれてから、厨房に戻って行った。それからファミレスは混雑して、わたしは東堂達のいる三番テーブルに行くことはなかった。
「は〜、疲れた〜」
バイト後のお風呂は最高に気持ちいい。どさっとベッドになだれ込んで、仰向けになりながら携帯電話を弄る。すると、画面が移り変わった。『東堂尽八』の文字が画面に映る。
がばっと身を起こしてしまった。え、と、東堂。あれ、なんでわたし東堂からの電話でこんなに緊張しているんだろう。意味もなくあたふたしてから、すうっと息を吸い込んで呼吸を整えてから通話ボタンを押した。
「も、もしもし〜」
『夜分遅くにすまんな』
「全然いいよ〜。どうしたの?」
『…少し、聞きたいことがある』
そう言うと、東堂が黙った。…と静寂が流れる。電話口の向こうで呼吸音が聞こえた。
意を決したように、東堂は言った。
『お、お前の好みの男のタイプってどんなのだ!?』
…。
「…へ?」
予想外の質問に、間抜けな声を返してしまった。
『い、いやあ、その気になってだな!前、ちらっと初恋の君について聞いたが、基本的にお前とそういう話をしたことがないということに、今更気付いてな!もうかなり長い付き合いになるのにな!ワッハッハッ!』
とってつけたような笑い声が少し気になるけど、うーんと首を捻って考える。好みの男の子のタイプ…。この場合。人間として好ましく思うタイプではなく、恋愛感情が動くとしての好ましく思うタイプのことを指しているのだろう。
『…荒北、とかか?』
「荒北くん?」
これまた予想外の名前が飛びでてきてきょとんとする。
『荒北みたいな男を彼氏にしたいと思うか?』
「荒北くん、か〜。かっこいいもんねえ。優しいし。ああいう男の子が彼氏になってくれたら幸せそうだよねえ」
『…そうだな』
「でも、それを言ったら、新開くんも優しいし、福富くんもいいねえ。楽しそう」
今まで彼氏とかいたことないからわからないけど、付き合ったら一緒に遊園地とか行くのだろう。荒北くんはゴーカートとか一緒に楽しんでくれそうだし、新開くんはゆっくりと優しくエスコートしれくれそう。福富くんは何事にも全力で付き合ってくれそうだ。
東堂は。
東堂が“彼氏”として遊園地に行ってくれるのを想像してみたら。急に心拍数がはやくなった。
彼氏だったら、手とかつなぐのかな。つなぐんだろうな。東堂のこと抱きしめたくせに、手をつなぐということを考えただけで恥ずかしくなるとか、おかしい。そう思いながら三角座りをして、足の指を弄る。
抱きしめたあの時。汗の匂いと、東堂の匂いがした。髪の毛を撫でると滑らかな感触が伝わってきて、腰に回された腕が思ったよりも太くて、力強かった。
『吉井ー!!』
「わ!!」
『お前…ほんとーにすぐぼーっとするな!!』
「ご、ごめん」
またしてもわたしは自分の世界にこもっていたらしい。東堂の大声でようやく戻ってこれた。
『…吉井、俺、かっこよくなる』
「え」
『顔は俺のが断然上だが、荒北は確かにかっこいい。男の俺だってそう思う。だから、もっと、精進する』
よし、頑張るぞー!と東堂の意気込みが聞こえた。さっきから結構大声出しているけど、うるさいとか言われないのかな…。電話の向こう側からバタン!とドアが開かれた音がした。『うお!吃驚した!…おお、すまんすまん、つい興奮してしまって』…。苦情がきたんだ…。
『夜にこんな話に付き合わせてすまんな』
東堂が電話を切ろうとしているのがわかった。だからわたしは「待って!」と慌てて引き留めた。『ん?』と東堂が不思議そうに言う。
「あの、もう、いいと思う。東堂はそのままで、いいって思う」
それ以上かっこよくなられたら、困る。
「だって、東堂、面倒見いいし、優しいし、お喋りも上手だし、一緒にいて楽しいし、山神なんて言われちゃっているし、副キャプテンやれちゃうくらい周りのこと目に見えているし、大人なところあるし、だから、その、もう十分っていうか…!」
あれ、何を言っているんだろう、わたし。
頭の中にある言葉を整理しないでそのままぶつけていくから、自分でも何を言っているのかわからない。言葉はとまらないまま、ぽんぽん飛び出していく。
「だから、えっと〜!」
『…吉井』
東堂が静かにわたしの名前を呼んで、ようやく黙ることができた。ひ、引かれちゃった…?と怖がっていると、はあっとため息を吐かれた。
や、やっぱりひかれちゃったのかな…。心がしぼんでいくのを感じる。
東堂の声は静かなものから一変して、騒がしいものになった。
『あのなあ、お前はなあ!!そうやって簡単に!!男を褒めるの!やめろ!!』
「え、ええ」
『女子にはいい!だが男は駄目だ!!男ってのは単純な生き物なんだ!!女子に褒められたらすぐ照れるし嬉しくなるし舞い上がるし!!荒北だってそうなっていたぞ!!』
「え、そうなの?」
『そうだ!』
っと〜にお前は…!と東堂がやりきれなさそうにつぶやく。
「…東堂は?」
『ん?』
「東堂も今ので舞い上がった?」
頬が異常に熱い。足の指は冷たいけど、頬だけ火照っている。電話の向こうで、東堂が息を呑んだような気がした。
『…舞い上がった』
ぽつりと恥ずかしそうに紡がれた東堂のたった一言は、わたしを嬉しくさせるには十分な効力を持っていた。
「わたしも、今ので舞い上がった」
今、ここに東堂がいないことが嬉しいような、残念のような。
東堂がどんな顔しているのかものすごく気になるけど、わたしの今の顔を見られるわけにはいかない。きっと、へにゃへにゃの緩みきった笑顔を浮かべているだろうから。こんなの恥ずかしくて見せられない。
『…』
「…」
『…っ、そ、そろそろ終わりにするか。明日もあるしな!』
「うっ、うん!じゃあね、おやすみ!」
『おやすみ!』
ぷつっと電源ボタンを押して、携帯電話を折って、ベッドの上で仰向けになった。頬に手を伸ばすとまだ熱かった。
なにかがおかしい。うまく言えないけど今までと何かが違う。何かが違う。
前からあったような気もするけど、それがどんどん明確になっていっている気がする。
『…舞い上がった』
東堂の一言が頭の中で再生された。ぼんっと体温が上がっていって、嬉しいんだけど恥ずかしくて枕に顔を埋めて、足をばたつかせる。
もう寝てしまおう。リモコンで電気を消して暗くする。
東堂と遊園地行く夢でもみないかな…。
そう思いながら、そっと閉じた瞼に浮かんだのは。
世界でいちばんのおやすみを
「…うおおおおお!!」
バタンッ!!
「だーっ!うるせーつってんだろォがァ!!寝ろ!!」
「寝れるかあんなこと言われて!!」
「しらねーよ!!」
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