とおまわりの記録



わたしは東堂とお昼ご飯を一緒に食べていた。アツアツのラーメンが美味しい。ちゅるんと啜る。東堂は楽しそうに得意げに喋っていた。

「そう、そこでオレはこう言った。天はオレに三物与えたのだから、仕方がない、と!」

「それで、荒北くんは?」

「忌々しそうに舌打ちをしていた」

「ありゃりゃ」

「美形はねたまれる生き物だからな。仕方ない」

「うーん、妬みではないんじゃないかなあ」

ふう、とため息を吐きながら憂いの瞳を下に向ける東堂を見ながら、ラーメンをずるずる啜る。すると、隣から楽しげにはしゃいでいる声が聞こえてきた。ちらりと横目で見ると面識はあるけど喋ったことはない同級生のカップルが弾んだ声で会話していた。

「今年、どういうチョコがいい?」

「えーっとなー」

二人からピンク色のオーラを感じる。ハートがわたしにまで飛んできている。幸せそうでなによりだ。うんうんと微笑ましく頷く。って、そうか。

「もうすぐバレンタインか〜。東堂、去年凄かったねえ」

「ワッハッハッ!そうだろう!袋から溢れだしてしまったな!」

「わたしも紙袋あげたもんね、そのあと東堂のお昼が毎日チョコになって…」

「…ハハハ…」

「全部食べたんだよね?」

「当たり前だろう。オレのために作ってくれたんだから」

東堂は真面目な顔して、至極当然のように言い放つ。東堂のことを好きな人はこういうところが好きなんだろうなあと自然と思い、胸がぽかぽかと温かくなる。

でも、去年の東堂は辛そうだった。毎日、チョコ、チョコ、チョコ。辛いもんが食いてえ…と机に突っ伏しながらぼやいていた。友達だからチョコを渡したけどチョコ以外のものにすればよかったなあ、と後悔した。なので、東堂に打ってつけの提案を出すことにした。

「今年、わたしはやめとくね」

東堂が目を見張らせて「え」と声を上げた。

「去年、東堂苦しそうだったじゃん。だからチョコ以外のものにするね。そうだ、ラーメンとか奢ろうか?ホワイトデーに東堂もラーメン奢ってくれれば、おあいこでちょうどいいと思うし」

我ながら良いアイディアだと満足する。笑顔で提案したのだけど、わたしとは反対に東堂の顔は曇った。ラーメン、嫌いだったっけ?と、きょとんと首を傾げながら「東堂?」と呼ぶ。

東堂は言い辛そうに、口を開いた。

「気を遣ってくれているのは有難いんだが、オレ、吉井からのチョコ、ほしい」

へ。予想外のことを言われ、ぱちぱち、と数回瞬きをした。

「今年もたくさんのチョコ、絶対もらえるよ?」

「そりゃあそうだろうな」

地球は青いと言われたかのように、東堂は頷いた。東堂がモテるということは呼吸をすることと同義なのだ。

「わたしのより、美味しいチョコたくさんもらえるよ?」

「でも、欲しい。手作りのが欲しい」

「去年作ったチョコブラウニー、そんなに美味しかった?」

「美味かった」

「へえ〜…」

ほうほうと頷く。自分で味見した時はまあ普通に美味しいな、という程度のものだと思っていたけど。どうやら東堂の口には合ったようだ。

「じゃあ、今年も作ってくるね」

東堂の顔がぱあっと輝いた。「サンキュ」と嬉しそうに綻ぶ。可愛い笑顔だ。普通の、男の子の笑顔。可愛い。

「どういうのがいい?」

「お前が作ってくるものならなんでもいいぞ」

「お任せか〜。じゃあ、当日のお楽しみってことで」

「ああ」

義理チョコとか友チョコとか、お菓子会社の陰謀だ。こんな面倒くさいことをやらせて、と依里ちゃんがぼやいていたけど。わたしはこの制度が大好きだ。だって、この制度があるから友達の東堂にもチョコをあげられる。友チョコというものを考えた人に、ノーベル平和賞を与えたいと本気で思った。




当日になって東堂にチョコをあげようと思ったのだけど。

「東堂〜呼ばれてる〜」

「東堂〜一年生が〜」

「東堂〜」

東堂は、休み時間の度呼ばれていた。東堂もわかってきたようで「と」と呼ばれた瞬間に立ち上がっている。東堂が呼び出されていることを伝えている西川くんもだんだん面倒くさそうになっていた。

「人気者だねえ…」

チョコチップクッキーを食べながら、教室を出ていく東堂の背中を見送る。美紀ちゃんが作ったチョコチップクッキーは形はいびつだけど美味しかった。

「彼女“役”としては何か思うところないの?」

依里ちゃんがわたしが作ってきたチョコ味のマドレーヌを食べながら横目でわたしを見る。美紀ちゃんは美味しい美味しいと言いながら貪っていた。

「うーん、なんか、と言われましても。チョコあげたいならチョコあげるべきだと思うし。東堂はモテることに生きがいを感じてるし…」

女の子から声援を受けると誇らしげにワッハッハッと高笑いする東堂が脳裏に浮かんだ。楽しそうでなにより…。こんな濃い友達、もうできないだろうな…。

東堂が戻ってきた。そろそろわたしもチョコを渡そうと立ち上がろうとした時、気付いた。東堂の表情に、ほんの少し、疲れと悲しみが滲んでいた。吃驚して動けなくなる。

その時、チャイムが鳴って先生が入ってきた。美紀ちゃんと依里ちゃんが慌ててチョコを飲み込んで席に戻っていく。

…お昼はいっしょに食べるんだし、その時渡せばいいか。

美紀ちゃんが零したクッキーのカスを払いながら、そう思う。けど、東堂の表情が頭から離れられなくて、いつも以上にぼーっとしてしまった。

四時間目が終わった。さあ、東堂のところへ行こうと立ち上がると後ろから脇腹をくすぐられて「ひゃっ」と声をあげてしまった。

「幸子〜、お腹減った〜」

犯人は、よくわたしをいじってくるギャルの友達だった。

「もうごはんだから食べれるよ?」

「幸子のチョコ、もう一個ほし〜」

「はいはい、どうぞ」

「ありがと〜」

ギャルの友達はにっこりと嬉しそうに大きく笑うと、派手めなグループの中に戻っていった。さて、東堂のところへ…って、あれ?

東堂は教室から姿を消していた。きょろきょろと辺りを見渡すと西川くんに声をかけられた。

「東堂探してんの?」

「うん」

「アイツ、多分、あっち、屋上の方に行ってる」

「ありがと〜」

お礼を言う。わたしはお菓子がたくさん入っている紙袋の取っ手を強く握って、教えてもらった場所に向かった。


階段に差し掛かったところで、ぼそぼそした話し声が聞こえた。よく聞こえない。チョコあげます、とかそういうことかな。

わたしは色恋沙汰には、本当に疎くて。誰かを好きになったことは幼稚園の年長が最後で、誰かからも好かれたことのない色気のない人生を送っていて。バレンタインは、友達とお父さんにしかチョコを贈ったことがなかったから。あと、このぼけっとしている性格のせいで。バレンタインの本質を、すっかり忘れていた。

バレンタインとは、もともと、恋愛対象として好きな人にチョコを贈る日だということを。

顔を俯けている女の子が階段を駆け下りてきた。渡し終わったのかな、と東堂が出てくるのを待っていると、女の子がわたしにぶつかってきた。

「わあ!」

どんっと肩がぶつかってきて、二、三歩、後ろによろめいてしまった。女の子が顔を上げる。わたしは思わず目を見張らせて凝視してしまった。綺麗な顔立ちの女の子が泣いていた。大きな瞳から溢れる大粒の涙が頬を伝ってぽろりと転がり落ちた。

「…ごめんなさいっ」

「え、あ、わ、わたしこそ、ごめ、あ、」

女の子は謝るが否や、踵を返して去って行った。わたしはただただ間抜けな顔でぽかーんとするばかり。すると、階段を降りてくる音が聞こえた。

「…吉井」

東堂が、目を丸くしてわたしを見下ろしていた。わたしは曖昧な笑顔を浮かべながら「や、やっほ〜」とひらひらと手を振った。シーンと気まずい沈黙が流れる。

やっと、思い出した。気付けた。バレンタインって、告白する日なんだ。

東堂が階段を降り切って、わたしの隣に立った。気まずそうに「あ〜…」と言いながら、ぽりぽりと頬を掻いている。

「告白、されてた、んだよね?」

指の動きがとまった。唇を真一文字に結んでから、ゆっくりと開いて「ああ」と、言いづらそうに呟いた。

「…振った、んだよね?」

「…まあ、な」

「なんで?」

東堂が言葉に詰まったのがわかった。口を開いて、閉じたあとに、もう一度口を開いた。

「…好きじゃないからだ。好きじゃなかったら、付き合えない」

そう言い終わると。心苦しそうに、眉を寄せた。

「彼女、欲しくないの?」

「欲しい。でも、前も言ったが、オレは好きな女子とじゃなきゃ、付き合えない」

「…そっか」

試しに付き合ってみる、という選択肢もあるのに。東堂は対人関係では超がつくほどの真面目な人だから、できないのだろう。

東堂のことを、付き合うのはちょっとねー、と苦笑する女の子も多い。けど、だからといって、東堂と本気で付き合いたいと思わない女子がいないわけではない。それどころか平均より遥かに多いだろう。

だって、女の子を振って、泣かせてしまって、こんな辛そうな顔をする優しい男の子、モテないわけがない。

東堂は、まだ、沈痛な表情をしていた。わたしはつま先立ちをして、東堂の頬を両手で引っ張った。大きく目を見張らせた東堂がわたしを見ている。

「東堂肌綺麗だね〜」

痛くないように、頬を引っ張ったり、挟んだりして遊ぶ。すべすべした滑らかな肌の感触が心地よい。

「にゃにをしゅていりゅんだ」

「顔のマッサージ?犬って、こういう風に顔のマッサージをしたら喜ぶんだよ」

東堂の眉間に皺が寄った。わたしの両方の手首をやんわりと掴んで、のけた。

「誰が犬だ、誰が」

「あはは」

面白くなさそうにじとっとした眼差しをわたしに向ける東堂を、笑う。

「あのね、東堂」

わたしは東堂に向かって、真っ直ぐに話しかけた。

申し訳なさそうに肩を落としている東堂を、少しでも元気づけたい。そんな思いから、わたしは話を始めた。

「わたし、そういう恋愛の意味で好きな人できたの、幼稚園が最後だからそういう気持ちあやふやだけど、東堂のこと好きになった子達は、幸せ者だと思うよ」

ちょっとうるさいところもあるけど。お喋りが上手で、周りのことをよく見ていて、意外と冷静。誠実で真っ直ぐな男の子を好きだと思えた、ということは、高校時代で最高級の思い出なんじゃないかな。

「わたしも、幼稚園の時、友達のお兄ちゃん好きだったんだ。でも、友達のお兄ちゃん彼女さんがいて失恋しちゃったんだけど、今でも思い出して、あーあんな優しい人好きになれてよかったなーってしみじみと思うもん。今はまだ辛いかもしれないけど、いつか、あー東堂くんのこと好きになってよかったなあ。あんなカッコいい子好きになるわたし見る目ある!って思うはずだよ」

東堂が、目を丸くして、わたしを見下ろしていた。いつもはよく動く口が少し開いている。

「少なくとも、わたしだったら、そう思うよ」

にっこりと、安心させるように笑いかけた。

東堂の頬に赤みが差した。少し項垂れてから、うなじに手を回して、やりきれなさそうに呟いた。

「…吉井って、なんか、時々、ずるいよな」

「えっ、なんで?」

「何をどういえばいいのか、わかんねーけど、ずるい」

どこが、と訊こうとするよりもはやく、頬に手が伸びてきて引っ張られた。やんわりと引っ張られているので、痛くはないけどうまく喋れない。

「ずるいから、お仕置きだ」

「ええー」

わたしの顔を引っ張ったり、挟みこんだりしていくうちに、東堂が難しい顔をやめて、破顔した。

「なかなか愉快な顔をしているぞ」

「ゆひゃひなかほにほーどーがひてるんだよ〜」

痛くはないけど、顔を見て笑われているので、変な気持ちだ。東堂の手が頬から離れた。

「…ありがとな」

穏やかに、微笑まれて。驚いてから、“わたしが、元気づけることができた”という事実が嬉しくて、じわじわと幸せな気持ちが胸に広がっていった。

「チョコ、持ってきたよ」

「おお!」

「お昼食べたら、あげるね」

「よし、じゃあ、はやく食堂行くぞ!」

「は〜い」

肩を並べて、食堂に向かう。当たり前だけど東堂の方がわたしより肩の位置が高い。視線を強く感じたので、見上げると、東堂がわたしのことをじーっと見つめていた。

「どうしたの?」

「や、吉井って、初恋もうしてたのかと思って」

「したよー。かっこいいお兄ちゃんだったなあ…」

記憶を引っ張り出して、初恋の思い出にうっとりと浸る。東堂が「ふむ…」とわたしの隣で、難しそうな表情を浮かべて、顎に手を当てていた。そういうポーズ絵になるなあ、なんて呑気なことを、わたしは思った。




午後0時のアンニュイ


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