とおまわりの記録



はあ、と息を吐くと。真っ白だ。息が白いこの季節がわたしは結構好きで、何回も息を吐く。はあ、とまた息を吐く。白い息だ。もう一度、息を吐く。もう一度。もう一度。もう一度。すると、肩をポンと叩かれた。振り向くと、不思議そうにわたしを見ている東堂がいた。

「おはよう。…何しているんだ?」

「おはよ〜。息を吐いてるんだ。ほら、息白いから。面白いよ〜」

そう言って、わたしはまた息を吐いた。また白い息が飛び出る。息が白い。面白いなあ、と目を細ませる。東堂はじーっと、わたしを見てからしみじみと「お前って時々変なことするよな」と呟いた。

「そうかなあ」

「そうだ。まあ、楽しいなら何よりだが」

東堂はコホン、と咳払いしてから「もうすぐクリスマスだな」と言った。

「そうだね、なんか楽しいよね、クリスマスって。電飾とか見てるだけで、綺麗」

「一緒に過ごさないか」

東堂はいつもより、ほんの少しだけ、早口で言った。まさか誘われるとは思わず、口を少し開けて東堂に顔を向けると、何故か慌てふためきながら「い、いやー、その!」と裏返った声をあげられた。

「ほら、オレ、ものすごく不思議なことに彼女がいたことがないからだな、クリスマスを女子と過ごした事がなく!だから、」

「あ〜そっかあ。なるほど。ラブプラスだね」

「ラブプラス…?」

「わかった!わたしじゃ、彼女と過ごすクリスマスとは全然違うと思うけど…、わたしなりに、頑張るね!」

そう言ったあと、ふふっと笑い声が漏れた。頬が自然と緩む。

「東堂とクリスマス遊ぶの、楽しみ」

へへっと笑いかけると、東堂の頬がほんのりと赤く染まったような気がした。でも、東堂はすぐにマフラーに半分顔を埋めてしまったから、見間違いかもしれない。

「ワ、ハハ、そりゃあ、このオレと神聖なるクリスマスを過ごせるのだからな!存分に楽しみにしとくがいい!」

「うんうん。楽しみだよ〜。そうだ、あれやってほしい、洋服、選んでほしい〜。前、二人乗りしてくれたときに言ってくれたやつ」

「おお、あれか。いいぞいいぞ」

「ありがとう!」

こうして。わたしは東堂とクリスマスを過ごすことが決まった。友達と過ごすクリスマスは実は初めてのことで、とても楽しみ。息が白いほど寒いのに、ふわっとした暖かさが、体の中を満たしていった。













12月24日。クリスマス・イヴ。周りの人々は、ただ歩いているだけだと言うのに、なんだか幸せそうだ。待ち合わせ場所に立って、吉井を待つ。それだけのことなのに、何故か、緊張する。待ち合わせの時間よりも一時間早く来てしまった。女子の視線を感じる。いつもなら、『流石オレ…』と得意げになるのだが、今日はそんな気分になれなかった。

女友達と、クリスマスを、いっしょに過ごす。

それだけのことなのに、誘うのも緊張したし、こうして当日になると、もっと緊張が増した。腕時計をもう一度見る。待ち合わせ時間まであと三十分、か。と思った時、のんびりとした声がオレの名前を呼んでいるのが聞こえた。顔を上げると、吉井が「お〜い」とひらひら手を振りながら、小走りで駆け寄ってきていた。

女友達が、小走りで駆け寄ってきた。それだけだ。
それだけのことなのに、心臓が少し跳ね上がる。

「ごめんね、待たせたね」

「いや、待ち合わせ三十分前だから、お前は全然悪くない」

「えっ。…うわあ、本当だ。はやく着すぎちゃった。…ん?ということは、東堂はいつきたの?」

「一時間前だ」

「うわあ、はやい…!ぬかりないねえ」

「ワッハッハ!このオレに隙など存在しておらん!」

腕を組みながら大きく笑うと、吉井も釣られて笑った。だが、次に心配そうに眉を寄せた。

「でも、三十分も待ってたら、寒かったよね?」

爪先立ちをして、オレの頬に掌が触れた。暖かい掌だった。触れられたところが、火を灯したように熱くなって体が固まった。

「わあ、冷たい!わたし、体温高いからしばらくこうしてれば、あったかくなるよ〜」

もう片方の手も、オレの頬を触った。こちらも暖かい。そして、触れられたところが熱くなる。何か言えばいいのに、うまく、声が出ない。あれ、どうした、オレ。ご自慢のトーク力はどこへいった。

「…東堂?」

何も言わないオレを不審に思ったのか、吉井が不思議そうに首を傾げた。

「えっ、あ、何もない。あ、もういいぞ。暖まった。ありがとう」

「ほんと?よかったあ」

吉井はオレにへらっと笑うと、手をゆっくりと離した。触られていると、熱くて苦しくて仕方なくて、快感とは程遠いはずなのに。離されると、心が安泰するにも関わらず、名残惜しく感じる。

「冬は平熱高い甲斐があるなあ。友達にも重宝されるんだよ〜」

「…、子供体温ってやつだな!吉井は子供っぽいからなー」

オレは調子を狂わされっぱなしなのに、吉井は平然としている。そのことが悔しくて、少しからかうと、吉井はむっと面白くなさそうに頬を膨らました。そう、それでいい。

一年の頃からちょくちょくはあったのだが、最近、顕著になった。オレは、吉井には、どうも調子を狂わされてしまう。他の女子みたいに、キャーと黄色い声をあげたりもしないし、また、普通に会話する派手な女子とは違う空気を纏っているからだろうか。最初から、吉井はオレの中で最も不思議な女友達だった。派手でもない。ファンクラブにも入っていない。

…不思議な奴だな、吉井って。

「へっくしょん!」

掌で口を抑えながら、くしゃみをしている吉井の間抜けな顔を、じいっと見下ろしながら、ぼんやりと思った。


とりあえず、オレ達はファッションモールに入った。吉井が服を選んでほしいとのことだったので。中学まではお洒落にしか興味がなかったオレだ。センスには自信ある。山神だしな。ワッハッハッ。

「わ〜、わたし、こういうところあまり来ないから緊張するなあ〜」

吉井は辺りを物珍しそうにきょろきょろ見渡しながら呟く。

「お前はいつもそういう服を着てるよな」

「うん。中はこういうの」

吉井は白色のダッフルのボタンを外して、中身を見せた。白色のフリルのブラウスに茶色のチェックのスカート。悪くはない。だが。どこか、野暮ったい。

「…小学生のピアノの発表会…?」

「あはは、それよく言われる」

失礼なことを言ったのにも関わらず、吉井は一向に気にしていないようだ。それどころか声をあげて笑っている。

「女子らしいのが好きなんだな」

「そうだねえ。お母さんの好みの服を着てたら、自然とわたしもそうなって…」

「じゃあ、ここ、入ってみるか?」

「わ、わ〜、お、お洒落さんの入る店だ…。う、うん」

たかだか、店に入るだけだというのに。吉井は深呼吸をしていた。大袈裟だろ、と笑ってしまった。


「じゃあ、試着してくるね」

吉井は何着か服を持っていた。全部、オレが『これが似合うんじゃないのか』と言ったやつだ。よくわからない満足感が胸の中を満たす。…征服欲…?いやいや、そんな、たかだか女友達がオレ好みの服を気に入っただけの話だぞ、と頭を振っている間に、吉井は店員に話しかけていた。

「これ、試着したいんですけど」

「かしこまりました〜」

店員は笑顔で頷くと、オレに視線を走らせた。店員までも虜にしてしまったのか…と鼻を高くする。店員は羨ましそうに息を吐いた。

「良い彼氏さんですね〜、買い物に付き合ってくれるなんて〜。私の彼氏じゃ、絶対ありえませんよー!」

「…へ?」

「…え?」

間抜けた声が、オレと吉井の口から漏れた。けど、店員は構わず話し続ける。

「それになんていったってイケメンだし…。お姉さん良い彼氏捕まえましたね〜」

「あ、あの、ちが、」

「彼氏さん、試着室の前で待たれてはいかがです〜?彼女の可愛い姿、一番に見たいでしょう?」

彼女じゃない、と否定しなければいけないのに。『可愛い姿、一番に見たい』という言葉が一瞬にして脳みそにこびり付いて。言われるままに、はい、と頷いてしまった。

カーテンの向こう側へ、吉井が入る。後ろ見る吉井の姿は、耳まで赤くなっていた。

店員は忙しいのか、少し外しますね〜と笑顔で断ってから、どこかへ行った。特にやることもないので、吉井が出てくるのを大人しく待つ。カーテンの下は、足首だけ見えていた。ファスナーが開く音がして、次に、足元にスカートが落ちた。

…ということは、吉井って今…。

脳みそが邪念に犯されそうになって慌ててぶんぶんと首を振る。違う違う違う。そうじゃない。何馬鹿なこと考えているんだ。こんなの、吉井を嫌らしい目で見ているあいつらのこと何も言えない。

小さく深呼吸をする。落ち着け、落ち着くんだ。吉井はそんな目で見る女子じゃない。クラスでも、女子からはマスコットみたいな存在として扱われている。そりゃあ、少し、胸はでかいかもしれないが、って、だから、オレは。

カーテンが開く音にも気づかないほど、考え込んだ。

「…東堂?」

「えっ、なん―――、」

吉井の声がした。慌てて顔を上げる。そして、目を見張らせた。吉井は、制服のスカートも膝上スレスレという微妙な長さにしているから、普段は見えない領域まで、見えている。ベージュのショーパンを履いていることによって、太ももを露にしていた。ニーハイの上に、微妙に肉がのっている。

初めて、太もも、見た。

制服は体の線が出にくいものだし、遠足の時に着てきた服も、体の線が出るものじゃなかったから、気付かなかったが。こうやって、線が出る服を着ると、わかる。

大きな胸、くびれた腰、肉付きの良い太もも。

吉井って、スタイル、良い、のか。

「おーい、どうしたの?」

吉井に顔の前でひらひらと手を振られるまで、どこか遠くの世界に行っていたようだ。はっと我に返る。

「わ、悪い」

「何か調子悪いの?」

「いや、別に」

吉井と何故かうまく目を合わせられない。女子と目を合わせられない?いつからそんな純情な奴になった、オレは。吉井の心配そうな視線を感じる。女子からの視線なんて、いつも受けているのに、吉井からのだと、どうして。

「変、かな」

ぽつりと落とされた悲しそうな声に、反射的に、ばっと顔を上げて、声が口を突いて出た。

「変じゃない!」

シーン、と店が静まり返った。客が全員オレを凝視している。やっちまった、と冷や汗が額に垂れた。

「そ、そこまで力説しなくても…あ、あはは…。ありがとう…」

吉井は恥ずかしそうに顔を赤くして、試着室の中に引っ込んだ。もう一度、カーテンが閉められて、衣擦れ音が聞こえる。パサッと、ショーパンが足元に落ちたのが、見えて。

…何やっているんだ、オレ…。

ハァッと、ため息を吐いてから、片手で口を覆う。頬が異常に熱かった。



吉井はせっかくなので、このあと、買った服で歩き回ると言った。東堂の未来の彼女さんはきっとお洒落さんだと思うんだ、と笑いながら。大分暗くなってきて、きらびやかなイルミネーションが存在を主張し始めた。

「お腹空いたねえ」

「そう、だな」

いつもは露出されていない部分に、ちらちらと目がいってしまう。いつも露出されていない分、肌が生まれてから一度も日焼けしてないように、白い。

…自分が嫌になる。こんなの、あいつらと一緒だ。

「わ、すみません」

吉井は、違う。そういうのじゃないんだ。女子だけど、そういうのじゃないんだ。そういう、男の下劣な欲望の対象にされるような人間じゃなくて、もっと、綺麗なんだ。

「わ、わー。すみません」

性的対象にされていると知ったら、吃驚して泣いてしまうかもしれない。だからオレが、そういうのから、守ってやらなければいけないのに。どうして。

「と、東堂〜待って〜」

「…え。って吉井ー!?」

くだらないことを悶々と思っていると、気付いたら吉井が人ごみに流されていた。人をかき分けて、慌てて救出しに行く。腕を掴む。細いのに、柔らかいことがコートの上からでもわかった。

「ごめんね、人にぶつかって謝ってたら、いつのまにか」

「いや、いい。オレもぼーっとしてた。悪い」

辺りは人、人、人塗れだった。それにしてもカップルが多い。みんな、手を繋いだり、腕を組んだり、そういった行動をしている。

この手を。腕から、吉井の掌に移動したら。どうなるのだろうか。

「東堂ー?」

「あ」

「ほんとにすごくぼーっとしているねえ」

「そう、だな」

クリスマスのせいか。いつもと違う吉井のせいか。なんだかわからないが、今日は上の空だ。自分でも訳がわからない。

吉井が、おずおずと言い辛そうに訊いてきた。

「もしかして、つまんない?」

「…え?」

吃驚して、何も言えなくなる。なにがどうしてそうしてこうなった。吉井はあははと作った笑い声をあげる。

「ごめんね、予行演習にもならないよね。わたし、男の子と外で遊んだことないから、よくわかんなくて、もうちょっと研究とかしてくれば良かったなあ」

「…ちょっと待て」

「え?」

「今の、もう一度、言ってくれないか」

オレは吉井の肩を掴んで、詰め寄った。吉井はたじたじとしている。

「え、っと。ごめん、予行演習にもならないよね、ってやつ?」

「その次だ」

「男の子と外で遊んだことないから」

「それだ!」

「わあ!び、びっくりした…!」

オレの迫力に圧されたのか、吉井の体がびくっと動いた。目を白黒させている吉井に質問攻めをする。

「こうやって、遊ぶの、オレが初めてなのか?」

「う、うん。ていうか、男の子の友達、東堂が初めて」

「そうなのか!?」

「う、ん。…そ、そんなに驚くこと…?」

オレが初めての男友達で。初めて、吉井と一緒に遊んだ人間。たったそれだけのことなのに。なんでだろう。胸の奥がじわじわと暖まっていく。

「そう、なのか」

そのせいか。吉井と一緒にいるせいか。頬がだらしなく緩んだ。吉井を見ると、目を丸くしていた。

「? どうした?」

「と、東堂の、そんな笑い方、初めて見た…」

「えっ、オレ、どんな顔をしていたんだ?」

「なんか、こう、へにゃっと」

「へにゃっと!?」

慌てて自分の頬を挟んだ。この山神が“へにゃっと”なんて擬音語を使われるような笑い方をするなんて。吉井を見る。ぽけーっとしていた。頬が風呂上りのように蒸気している。こいつのせいだな。吉井の、こういう、のんびりとした雰囲気にやられてしまったようだ。危ない危ない。気を引き締めないと。

「吉井は危険な奴だな!」

「え、ええ…!?危険…!?」

「そうだ!このオレにへにゃっと、なんていらん!」

「え、ええ…!可愛かったのに…」

「可愛いなんてオレにはいらん!それから!」

吉井をビシッと指さした。「わ、わあ」と驚く吉井に向かって、真っ直ぐに言う。

「吉井と一緒にいて、友人と一緒にいて、楽しくないわけ、ないだろ!」

突き付けるように言ってから、ご満悦の笑みを浮かべて、オレは腕を組んだ。しばらく、目を白黒させていた吉井だが、

「そっかあ」

嬉しそうに、へにゃり、と笑った。




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