とおまわりの記録



彼女役も今日で終わりか〜、と、箒を持ったまま歩きながらぼんやりと思う。まだちりとりで集めた落ち葉を取っていないので箒を片づけることはできない。告白って、何分ぐらいかかるのかなあ。したこともされたことないからわかんないや。

告白って、なんて言うんだろう。えーっと、少女漫画では。最近読んだ少女漫画では、女の子が男の子に告白をしていた。まさに、今の東堂と福原さんの状態だ。えーっと、あの漫画ではなんて言っていたっけ。

わたしのこと、友達としか思っていないと思う。だけど、それでも、わたしは好きです。君が他の子を好きでも。

確か、そう言っていた、漫画の主人公は。

友達と好きな人の違いっていったい何なのだろう。

好きな人が笑っていることが幸せだというけど、そんなの家族にだって友達にだって思う。家族や友達が悲しんでいたらわたしだって悲しい。東堂が笑っていたら嬉しいし、悲しんでいたら悲しい。

あれ、でも。
東堂が、わたしじゃない他の人に幸せにしてもらっているのを見ると、なんだろう。

胸に空いた穴がどんどん広くなっていく。

目の前のことが何も入らないまま歩いていると、誰かにぶつかった。いだい。鼻を抑えながら見上げると、忌々しそうにわたしを見下ろす三白眼の持ち主がこれまた忌々しそうに言った。

「お前の目は何のためについてんダァ…?」

「あ、荒北くん…」

「俺はお前のぶつかり機じゃねーんだけどォ」

「ご、ごめん。そんなこと思ってないよ。荒北くんのことは人間だと…」

「嫌味に決まってんだろうがボゲェ!!マジに受け取んなバァーカッ!!」

容赦ない罵声が降り注いでくる。おおう、すごい迫力だ…さすが元ヤン…。

でも、言われても悲しくはない。すごい迫力だと感心してしまう始末。
東堂の怒声はボケとか馬鹿とか入っていなくて、言っていることも正論だったのに、言われたら悲しくなった。
荒北くんも友達。東堂も友達。
なのに、なんなのだろう、この違いは。

「荒北くんは友達と好きな人の違いってわかる?」

「はァ?」

突拍子もない事を言い出したわたしの顔を見る荒北くんの目は“何言ってんだコイツ”と言っていた。

「知らねーヨ」

「そうかあ…。東堂に彼女さんができるから、違いというものについてもんもんと考えていてね…」

「へーえ。…。……。………は?」

自然に行っていた会話は不自然な形で打ち切られた。荒北くんがわたしの顔を穴が開くぐらいまじまじと見ている。

「東堂に、彼女ォ?」

「うん。可愛い子」

「…ちょっと待て。…お前もしかして東堂のナルシが移ったァ?」

「どういうこと?」

「東堂の彼女って、お前以外の誰か?」

「…そうだよ〜。そうじゃなきゃ、おかしいじゃん」

にこっと笑ってみせる。荒北くんはポッカーンと口を開けながらわたしを凝視している。

「なにがどうなってそうなってこうなったァ…?意味わっかんねェ…」

「えっとねえ、福原さんっていう可愛い女の子が東堂のこと好きでね、今東堂に告白しているの」

それで、東堂も多分福原さんのことが好きでね。と続けようとした時、荒北くんが言葉を被せてきた。

「お前、本気でわかってねェのォ?」

苛々しながら問いかけてきた。なんで苛々しているのかも、わたしが何をわかっていないのかもわからなくて、首を傾げて「なにが?」と質問に質問で返した。

ぶちんっと、何かが切れる音がした。

「馬鹿かテメェは!!」

それは荒北くんの堪忍袋の尾が切れる音だった。

「マジで馬鹿だ!!どんだけ鈍感なんだヨ!!フッツーいくらなんでもそこで気付くだろ!!」

「え、え、え?」

何が何だかわからず、頭の上にハテナマークを浮かべるしかないわたしに、荒北くんは忌々しそうに怒鳴りつけた。

「お前、東堂に惚れてんだろーがァ!!」

頭が真っ白になった。

わたしの手から箒が離れて、からんという音をたてて、地面に転がった。

「面倒くさそうだから絶対首突っ込まねェって思ったいたけどよォ!もう無理だわ!馬鹿かテメェ!!テメェが惚れた男が他の女のモンになりそうだっつー時に何呑気にもうすぐ東堂に彼女ができる〜っつってんだヨ!馬鹿か!馬鹿だ!バァーッカ!!」

わたしが、東堂に、惚れている。
惚れている。それは、恋愛感情で東堂のことを好きということを意味している。

「好きな奴とのダチとの違いがわかるか、って訊いてきたナァ。たった今わかった。教えてやるヨ。ダチに惚れているなんて言われても、そんな顔しねーヨ!」

へ。
い、今わたしはどんな顔を…!?

頬に手を当てると、異常に熱かった。

「あっちーだろ。それが答えだヨ」

荒北くんは「なんで俺がこんな面倒くさい事を言わねェとなんねェんだ…」と吐き捨てるように呟いた。

冷たい掌とは逆に熱を持つ頬。それが全ての答え。

ああ、そうか。そうだったんだ。

ゆるやかに始まっていたんだ。多分。声をかけられた、あの日から。

毎日毎日、聞くことしかできないわたしの元に東堂はやってきた。自分の登りがいかに素晴らしいか、勝負の世界がどんなに楽しいものか。東堂の話を通して知った世界は、わたしの知らないものばかりで、わたしまで楽しくなって引き込まれて行った。

自信家で、お喋りで、面倒見が良くて、お調子者で、優しい東堂のことを、世界一かっこいいと思っていた時点で、どうして、気付かなかったんだろう。

こんなに、胸の中に東堂があふれているのに。

「…おい、なんで泣いてんだ」

「へ…」

気付いたら、ぽろりぽろりと、雫が頬を転がり落ちていた。

「今更、わかっちゃったからかなあ…」

「気付くの遅すぎんだヨ」

「東堂に彼女さんができるって、悲しいねえ…」

ぐすっと鼻を啜るわたしをしげしげと見てから「ブッサイクな面」と一言漏らし、後頭部をガシガシと掻いた。

「まァ、大丈夫なんじゃナァイ。東堂は告白を、」

「荒北ァ!!」

聞きなれた大好きな声が、怒っていた。目が見開く。振り向く暇もなく、びゅんっと風のような速さで、わたしと荒北くんの間に入ってきた。目の前にあるのは、大好きな背中。

「お前、吉井に何した!?」

東堂は荒北くんの胸倉を掴んで食って掛かっていた。

「はァ?なんもしてねーヨ」

「嘘つけ!!吉井が泣いているだろう!!」

「ち、違うよ。東堂」

シャツを引っ張って、東堂に言う。東堂は首だけ振り向いてわたしを見ると、荒北くんの胸倉を掴むのをやめて、わたしの方を向いた。

「じゃあ、なんで泣いている?」

東堂が心配そうに、眉を八の字にして訊いてくるのだけど、わたしは口ごもって何も言えない。真実を言えば、困らせることになってしまう。東堂に彼女ができたから、悲しくて泣いている。

言えない。そんなこと。

「荒北、お前は吉井が泣いている理由を知っているのか?」

東堂が荒北くんの方に向き直った。

今だ。

わたしは身を翻して、この場から脱出した。足には自信ないけど、学校の中に入ったらこっちのものだ。適当な教室に身を隠して、涙がでつくすまでそこにいとこう。泣き終わったら、なんてことない笑顔を浮かべながら『彼女さんできておめでとう!』と、お祝いしよう。

「…え、吉井!?」

東堂の驚く声が背中に届いた。

こんなに悲しいのに、むず痒くて、甘酸っぱい。
わたしって、東堂のこと本当に好きなんだな、と思って苦笑いが生まれた。

そんなこと、今更気付いたってもう手遅れなのに。








ガラッと勢いよくドアを開けて、ドアの横の壁にもたれるようにしてずるずると座り込んだ。息切れがいつまでたってもおさまらない。自分がいかに体力ないか痛感した。

ドアを閉めて、呼吸を整える。

今のうちに、出せるものを出しておかないと。
涙と、東堂への想い。この二つを出しておかないと、後々大変なことになる。
東堂のしあわせを喜ぶことができない。お祝いすることができない。
わたしは東堂のことが好きで、わたしが笑顔にしたいなって思っているけど、でも、それは叶わないのだから。
だから、今ここで。

「…う〜っ」

涙は我慢するのをやめたら、ぽろりぽろりと零れてきた。嗚咽が漏れる。

『わたしのこと、友達としか思っていないと思う。だけど、それでも、わたしは好きです。君が他の子を好きでも』

わたしも、そう思っているよ。この台詞と同じことを思っている。まさか、少女漫画の主人公にこんなに、胸が痛くなるほど共感する日がくるなんて、思わなかった。

なんで、もっとはやくに気付かなかったんだろう。気付いたってどうにかなるものじゃないけど、もっとはやくに気付きたかった。

だって、もっとはやくに気付けていたら。この気持ちをもうちょっと大切にできていた。東堂のことを好きだと思う期間をもっと長い間大切にできた。

わたしは今日気付いたから、今日しかこの気持ちを大切にできない。

明日からは、もう、この気持ちは捨てなきゃ。

誰よりも近く、東堂の傍にいたい。触れたい。抱きしめたい。抱きしめられたい。

抱きしめられた時、嫌じゃないよ、なんて言ったけど。本当は嬉しかったんだよ。もう一度、抱きしめてくれないかな、って思っていたんだよ。

「…っ、もう、やだ…ぁ…っ」

辛い、苦しい、悲しい。

好き。

大好き。

「ぐす…っ、ひっく…っ」

少し大きな嗚咽が漏れた、その時、ドアが勢いよく開けられた。

「ここに、いたか…!!」

はあはあと息切れをしている東堂がドアに立っていて、わたしは硬直せざるを得なかった。

「なっ、なんでここが…!」

「お前が逃げるからすぐに追いかけたんだ!途中でどこに行ったかわからなくなったから虱潰しに調べていったらお前の泣き声が聞こえてきて…!」

ぜえぜえ息を切らしながら説明している東堂を見て思ったことはただ一つ。逃げなくちゃ。

後ろのドアから逃げようとして立った。すると、東堂が一瞬で間合いを詰めてきた。わたしの顔の両横の壁を両手で叩いた。後ろには壁、右にも左にも東堂の腕。目の前には、東堂の真剣な顔。逃げられない。

「なんで泣いているんだ!」

「目、目にゴミが」

「目にゴミが入ってそんな泣き方をするか!なあ、何があった!?」

問い質してくる東堂は、どこまでも優しい。わたしがなんで泣いているのか純粋に心配してくれているのだろう。こういう、優しいところに、惹かれてきた。気付かないうちに、好きになっていた。

だから、もうやめて。優しくしないで。
ますます好きになってしまう。

「大丈夫、だから。うん、心配しないで。いちいちわたしが泣いていたぐらいでそんな心配していたら、東堂身が持たないよ?」

ね?と諭すように首を傾げると。東堂が一瞬固まってから、小刻みに震えだした。

「…ざけるなよ…、ほんっとうに。俺の気も知らずに…!」

怒っている。ああ、またわたしは東堂を怒らせてしまったのか。どうしてこうなっちゃうんだろう。福原さんみたいに、笑わせてあげることができないんだろう。

ごめん、と謝ろうとするよりも早く、東堂が大声で言葉をぶつけてきた。

「好きな女が泣いていて、放置できるわけないだろ!!」

最近、わたしは東堂を怒らせてばかり、だ。

って、え。

今の、なに?

目が見張っていくのを感じる。東堂も目を見張った。「今、俺…」と呟いてから、口元を手で覆って、はあっと息を吐いた。

「…言ってしまったものはしょうがない。もっと、きちんと落ち着かせてから言いたかったのだが」

わたしにきちんと視線を合わせる。東堂の瞳に吸い込まれそうになる。心臓の鼓動がどんどん激しくなっていく。

東堂の口がゆっくりと開いた。

「俺はお前が、好きだ」

一字一句を噛みしめるようにして、わたしに気持ちを伝える東堂の姿は真剣そのものだった。

「自分に好意を寄せている人間に、そのことを指摘するまで気付かないような馬鹿な男だ。人を傷つけて知った気持ちだ。でも、それなのに、嬉しかった。お前のこと好きだという事を自覚できて、嬉しかった。お前を好きな俺は、なんて女の趣味がいいんだろう、って、女の趣味すら良い自分が、誇らしくて」

真剣に話している東堂の姿から、余裕はどこにも感じられなかった。顔は真っ赤で、髪の毛はぐしゃぐしゃで。東堂が数学をわたしに教えてくれた次の日みたいだ。

「って、ああ、違う、そういうことを今言いたいんじゃないんだ。だから、俺は」

あー、もう、とやりきれないように言う東堂。
わたしは、瞬きもろくにしないで見続けることしかできない。

「好きなんだ、大切なんだ。人を傷つけてやっと自分の気持ちがわかるような男だが、俺と、その…」

言いにくそうにわたしから目を逸らす。意を決したように、もう一度わたしを真っ直ぐと見た。

「…っ、付き合ってほしい…!!」

叫ぶようにして言ったあとに流れたのは沈黙。東堂は唇を真一文字に結んで、下を見ている。

福原さんは、気付いていたんだ。知っていて、東堂に告白して。背中を押して。なんて優しい女の子なんだろう。東堂みたいだ。東堂にぴったりの女の子だ。

「付き合いたいくらいお前のことが好きなんだ、だから、せめて泣いている訳を、教えてくれ」

でも、それでも。福原さんがわたしの何倍も東堂よりお似合いでも、譲れない。

「好きな女が泣いている理由を知らないままなんて、それだけは絶対に嫌なんだ」

この人だけは、譲れない。

「…し、も」

声が震えてうまく紡げない。東堂が下を見るのをやめて、焦点をわたしに映した。緊張が増して、さらに声が震える。

でも、言わなきゃ。言わないと、始めることができない。

「わたしも、わたし、も…」

声が震える。足ががくがく震える。東堂の顔を見るのが怖くなってきて俯く。

こんなすごく緊張して怖いことを、東堂も、福原さんもしたんだ。わたしだけ逃げるわけにはいかない。

ぐっと手を丸めて、渾身の力を振り絞って、東堂を見据えた。

「わたしも、すき…っ」

自分の気持ちを伝える。

「わたしもすきなの、東堂のことが、すきなの、だから、福原さんと付き合っちゃうんだって思ったら、すごく悲しくて、」

それだけのことが、こんなにも怖くて緊張して、そして。

「それくらい、わたしも、東堂のことが、すき…っ」

心が温まることなんて。

「…ほ、本当、か…!?」

目を見開いてわたしを凝視する東堂。わたしはこくりと頷いた。

「…俺、お前と以外付き合わんよ」

だから、と優しい声がわたしを包んだ。

「だから、悲しまなくて、いいんだ」

ぽろぽろと涙がまた零れた。

ん?と東堂は首を捻った。

「と、いうことは、俺達…」

「…両想いってこと?」

まじまじと、互いを見つめ合うと。東堂が壁から手を離して、両手で頭を抱えた。

「…どーすんだ、嬉しすぎて、頭ん中が訳わかんねえ…!」

山神と呼ばれている人が、こんな情けないことを言うなんて。ぷっと噴出してしまった。

東堂が顔を真っ赤にしたまま、わたしを睨んで指を指す。

「おっまえなー!誰のせいでこうなっていると思ってんだ!」

「わたしも東堂のせいで頭訳わかんないことになっているから大丈夫。おそろいだよ」

ね、と促すように言うと。東堂が「うっ」と呻いた。何故か胸の心臓のあたりを抑えてぶつぶつ呟き始める。

「…こういうことを恥ずかしげもなく言うって、本当にコイツは全くもう…」

小さな声だから何を言っているのか聞き取れない。なので、「なあに?」と東堂の顔を下から覗き込んだ。東堂の体がびくっと震えた。わたしの顔をじーっと凝視したまま動かない。どうしたのかと訊こうとした時。

「…俺達、つまり、今両想いで、付き合っているということになるんだよ、な…?」

探るような口調で問い掛けてくる。改めて言われると照れる。「そ、そうなんじゃ、ない、かな」とボソボソ口ごもりながら答える。

「じゃあ、付き合っているのなら…」

東堂の喉がごくりと動いた。

「キス、してもいいか?」

「…え!?」

思いもよらなかった問いに、体温が一気に急上昇する。キ、キスといいますとあの唇と唇をくっつける愛の行為でしてそれを、ええ、わたしと東堂が、ええ、えええええ。

激しく動揺しているわたしとは対照的に、落ち着いている東堂。真剣な目でわたしを見据えながら、わたしの頬に優しく手を添えた。

肩と心臓がどくんと跳ね上がった。

「…駄目か?」

真剣な瞳と甘えを帯びた声が、電流のようにわたしの体を痺れさせて、蝕んでいく。

こんなの、ずるい。

断れるはずがない。

「だ、駄目じゃない、よ」

東堂の目を見続けることが苦しくなってきて、目を逸らしながら答えた。

「よかった…」

安心したような声色が聞こえてきて、顔を上げると優しく穏やかに微笑んでいる東堂がいて、またさらに心臓が激しく跳ねる。

右肩に左手を置かれた。大きな掌の感触にまたしても鼓動がはやくなる。

いまから、するんだ。緊張なんて言葉じゃ足りない。胸が苦しい。

恥ずかしくてまた俯いてしまったけど、意を決するように顔を上げた。
すると、その時。
時計が視界に入った。

東堂の顔が近づいてくるのにも関わらず、わたしの目は時計に釘づけになって、「あーっ!!」と大声をあげてしまった。

「な、なんだ!?」

「と、東堂!もうすぐっ、もうすぐで部活始まるよ!?」

「…な…っ、なにー!?」

「時計!後ろ!!」

わたしに言われるがままに振り向いて壁にかかっている時計を凝視したのち、東堂は「あーっ!!」と声を上げた。

「あと十分だよ、走ったらぎりぎり間に合う!!頑張れ!!」

ぐっと拳を作って力説するわたしを東堂は名残り惜しそうに見つめてから、口をもごつかせて言った。

「今度、させてくれるか?」

恥ずかしそうに言ってから、唇を真一文字に結んだ。でも視線はわたしに真っ直ぐ向けたまま。熱でもあるのかと思うくらい真っ赤な顔。

「…うん、わたしこそ、お願いします」

ぺこりと頭を軽く下げてから、恥ずかしいのを隠すようにして、へらっと笑うと、東堂の目が見開いた。俯いてからぷるぷる震えたかと思うと。

「あーっ、もー!!」

雄叫びを上げたあと、わたしをビシッと指さした。

「かっ、覚悟してろよ!!」

「う、うん」

「じゃあな!!」

踵を返して教室を出ようとした東堂の背中に向かって、わたしは言った。

「行ってらっしゃい」

東堂が首だけ振り向いて、一瞬ぽかんとしたのち、ふっと笑った。

「いってくる」

そう言うが否や、ものすごい勢いで走って行った。

走る音がどんどん遠ざかっていく。わたしは力が抜けて、へたりと座り込んだ。

「…へへ、うへ、へへへ」

我ながら気持ち悪い笑い声が出てくるなあ。だってだって、仕方ない。

わたしのこと好きだって思っていてくれたなんて。
これからは、彼女“役”じゃない。彼女、なんだ。

「うれしい〜…」

わたし達は、普通の何倍も遠回りして付き合うようになった。キスをするにしても、しようとしたところでこんな遠回りをすることになってしまうのだから。きっと、これからも遠回りをして、それでやっと何かにたどり着いていく。

それでいいや。それくらいで。わたしは鈍間だからそれが良い。

一緒に遠回りをするのが、東堂だから。遠回りすることすら愛おしくなる。
明日も明後日も明々後日も、ずっと二人で遠回りをしていこう。

「ファーストキスって、レモンの味がするんだよね…?レモン好きだけど…不思議だなあ…口ってレモンの味するんだなあ…」

とんちんかんなことを呟いたわたしはまた一歩、遠回りへの道へ進んだことに気付いていない。









とおまわりの記録

fin.


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