とおまわりの記録



彼女役を受けたのは、友達だから。
友達だから、友達が困っているなら、全力で助けてあげたいって思った。

巻ちゃんと競争ができなくて、悔しいのをひた隠しにして必死に笑っている東堂を抱きしめたのも、友達だから。
友達だから、抱きしめた。抱きしめたくなった。悲しいことや苦しいことを他の誰でもないわたしにぶつけてほしくなった。

夜、電話したあとに嬉しくて足をばたつかせたのも友達だから。
友達と寝る前に話をしたから、楽しくて、興奮してしまっただけ。

抱きしめられて、戸惑いつつも嬉しかったのは、友達だから。
腰に回された手が離れた時、名残り惜しかったのも、友達だから。

時折出る普通の男子の口調、軽薄に見えて、とても冷静なところ、大きな掌、笑うと細くなる目が好きなのも、友達だから。

全部全部、友達だから。


「吉井さーん、呼ばれてるよ〜」

クラスメートの男の子が振り向きながらわたしを呼んだ。「はーい」と間延びした返事を返しながら、入口に向かった。違うクラスの友達だろうという予想は外れた。

目の前に立っているのはすらりとした綺麗な女の子。顔は見たことある。派手なグループに所属している女の子だ。

「吉井さん、急に呼んでごめんね。私、D組の福原美琴」

ぽかんとしているわたしに申し訳なさそうに自己紹介する福原さん。髪の毛をさらりと耳にかける姿がとても綺麗で一瞬見とれてからハッと我に返る。わたしも慌てて自己紹介をしようとしたら、「もう知っているから大丈夫」と笑ってとめられた。

福原さんって…、そうだ。確か顔も性格も良いって評判の女の子だ。そんな子がどうしてわたしに…?首を傾げていると、福原さんが言い辛そうにポリポリと頬を掻いた。

「あのさ〜、その…もしそうだったら私の存在なんかソッコーで忘れてほしいんだけど、吉井さんってさ…、東堂くんの…」

はい。なんでしょう。

「…彼女?」

東堂くんの…彼女?

福原さんは確かにそう言った。だけど、わたしの耳は聞こえたことをうまく脳みそに伝えることができなくて「…へ?」と間抜けな返答をしてから、やっと言葉の意味をわかることができた。

「ち、ちちちちち違うよ!!違う違う!!」

顔の前で手をぶんぶんと振った。顔が熱いから多分真っ赤な顔をしているだろう。

「違う…の?でも、よく一緒にいない?」

「違うよ!それは友達だからで…!あ、今ちょっと東堂のシミュレーションに付き合っていて…!ラブプラスでして…!!」

「ラブプラス…?」

「とにかく違うから!!」

最後に大きく否定すると、福原さんは「そうなんだあ…」とゆっくり頷いたあと、小さな声で「よかった…」と、ほっとしたように呟いた。

…え。

福原さんをしっかりと見ると、安心しきった表情を浮かべていた。まじまじと見ていると心の声が勝手に漏れていた。

「福原さん、東堂のこと…好きなの?」

福原さんが固まった。徐々に顔が赤くなっていく。唇を真一文字に結んでぷるぷる震えている。

「い、いやー、そ、そこまでではないよ!?気になるぐらいっていうか、委員会一緒で時々ちょこちょこ喋るぐらいで面白い奴だなーって思ってるぐらいで!」

顔を真っ赤にして茶化すようにして話す福原さんの姿はとても可愛らしくて、微笑ましかった。

なのに、わたしの心はどんどん冷え切っていく。

口の端が引きつっているのがわかる。

「じゃ、じゃあね!ごめんね変なことを聞いて!ありがとう!」

恥ずかしそうに笑って、福原さんは身を翻して足早に去って行った。すらっとした長い脚、綺麗な髪質のショートボブ。後ろ姿もとても綺麗で、東堂と並んだら絵になるだろう。二人が並んでいるのを想像したら、とてもお似合いで。そして。

「…っ」

胸が痛くなった。














二週間に一度の美化委員会。正直もっとなくてもいいと思うが、それが学校の方針なのだから仕方ない。面倒くさくてたまらないがサボるわけにはいかないので真面目に話を聞く。時間が経つのは遅く何度時計を見ても一分たりとも進んでいないことばかりでため息を吐きそうになる。

走っている時、登っている時、そして吉井と一緒にいる時はあっという間に過ぎるのにな。

…ん?ということは。吉井と一緒に坂を登ったらものすごく楽しいのでは…!?…いや、あの坂を吉井は登れんだろうな…。多分登り始めて十秒でバテるだろう。根性はあるから最後までついてくるだろうが、苦しんでいる吉井を見たいわけではない。

俺のとっておきの景色を見せた時に見せた顔を、もう一度見たい。目を輝かせて、綺麗だとはしゃいでいるのを見て、嬉しかった。吉井をこういう顔にさせているのは俺なんだと思ったら、たまらなく嬉しかった。何回かあの景色を見たことがあるが、吉井と一緒に見たあの景色が、今まで見た中で一番綺麗だった。吉井がいるかいないか。それだけの違いなのに。不思議なものだ。腕を組みながらうんうんと頷く。

吉井といると、昔から不思議な気持ちになることが時々あったのだが、最近はそれが加速しているような気がする。

はっきり言って、一年の始めの頃、吉井は俺の眼中に入っていなかった。話しかけたのは俺も好きなマイナーな作家の小説を読んでいたから。それだけだ。でも、初めて話した時、人見知りしながらもぎこちなく笑う姿がいじらしく思えて、次の日も話しかけた。昨日よりも少し話せるようになった。それが嬉しくて、次の日も話しかけた。みんなが話半分で聞き流す俺の話を、嬉しそうに聞いてくれることが嬉しかった。

昨日よりも今日、今日よりも明日。そうやって、少しずつ一緒にいることが嬉しくてたまらなくなっていった。

「不思議なものだなァ…」

ぽつりと独り言が漏れてしまった。慌てて口を抑える。幸い皆寝ていたりボーっとしていたりして誰も俺の独り言を聞いていなかったようだ。だが、ホッと胸を撫で下ろした時。

「なにが不思議なの?」

横の女子…福原がしっかりと俺の独り言を聞いていたようだ。きょとんとした面持ちで俺を見ながら、こっそりと訊いてきた。

「いや、練習も気持ちもなにもかも積み重ねのうちで成り立っているのだなあとしみじみと思って」

そう言うと、福原の顔にほんのり赤みが差した。「そ、そうだね」と口ごもりながらぼそぼそ呟く。何故顔を赤くする…?福原は初対面で『あー君がナルシストの東堂くんね!』と俺のハートを傷つけてきた人間だ。今更俺が美形だとかどうだかで顔を赤くするはずがないし…風邪か?

「福原、風邪でも引いてるのか?最近は寒くなってきたしな。気をつけろよ」

「…そういうとこ、ほんと東堂くんずるいよね。普段あんなナルシのくせに…」

「ん?どういうことだ?」

「わからなくていいですぅー」

いーっと歯をむき出してから、ニカッと笑う福原。整っている顔立ちなのに、全く気取らない。こういう女子は男女ともにモテるだろうな…。まあ、俺ほどではないだろうがな!

福原とこっそり話していると委員会が終わった。よし、部活だ部活!走るぞー!湧き上がる気持ちのまま立ち上がったら、「吉井さんと東堂くんって仲良しだよねー」と言われた。福原の口から吉井の名前が出たことに驚いて目を丸くする。

「吉井のこと知ってるのか?」

「東堂くんとよく一緒にいるからあの子ちょっと有名だよ」

「俺は周りの者すら有名にさせてしまう輝きをはなっているのか…。俺って本当に罪深いな…」

「ハイハイソーデスネー」

軽口をたたきながら一緒に廊下を出る。自然とそのまま一緒に歩いていく。

「今日初めて話したんだけど、癒しオーラすごいね。可愛くて癒された」

「だろう!?」

テンションが一気に上がった。今日で一番上がった。自然と笑顔になって、吉井のことを嬉々として話す。

「アイツはな、あまり自分に自信がないようだが、そこがいじらしくて流石俺の友人と言えばそうなのだが、もっと自分に自信を持っていいと思うんだ!いや、持つべきだ!おっちょこちょいなところもあるけどな〜。素直すぎてなんでも人の言う事信じるし。アイツ炭酸振って飲んだら美味しいと友人に言われたらしく、炭酸飲む前に振りだして飲もうとしたら炭酸が…っ、く…っ、ちょっ、直撃…っ、し、て…っ」

駄目だ。あの時のことを思いだしたら笑いが…!

肩を震わせて笑っていると、福原が「…東堂くんって」と静かに話を切り出してきた。

「吉井さんの話している時、すっごく楽しそうだね」

「そうか?」

「うん」

福原は寂しそうに笑った。不審に思いどうしたのかと訊こうとするよりも前に、福原は笑顔になった。

「まあねー、可愛いもんねー、いわゆるあれだよね、守ってあげたくなるってやつだよね!」

福原は何かを隠そうとするように大きな声で笑う。

「…守ってあげたくなる、か。確かにそうなんだが…」

『嫌だよ、わたし、そんなの嫌、東堂が悲しむところなんて、見たくないよ。嫌だよ、やだ』

涙声で苦しそうに言いながら、俺を抱きしめる吉井の両腕は小刻みに震えていたけど、しっかりと、俺を抱きしめてくれていた。吉井の腕の中は優しくてあたたかくて。なにもかも、ぶつけたくなった。八つ当たりなんて最低なことをしたのに、一言も俺を責めずに、穏やかに微笑んでいる吉井を見て、悟った。

「俺のが、守られてばかりなんだよな。情けないことに」

今まで俺は俺が吉井の面倒を見てきているのだと思っていた。守っているのだと思っていた。でも、実際は俺の方が守られてきたのだということに、ようやく気付けた。

「だから、守りたい。今度は俺が。いや、今度だけでなく、これからもずっと」

自然と優しい気持ちになる。その気持ちを映すかのように穏やかな微笑みを浮かべる。すると、福原がそんな俺をぽかんと口を開けて凝視していた。俺はたった今、自分がとんでもなく恥ずかしい事を口走ったことに気付いた。

「はっ、今のは!嘘ではないのだが…!頼む!ちょっと忘れてくれないか!?」

今のは流石に恥ずかしすぎる。守りたいとはなんだ守りたいとは!?俺はどこぞのゲームの勇者か!?俺ほど美形だったらゲームの主人公にもなれると思うが!

「…忘れられたらいいんだろうけど、忘れられないだろうねえ…」

「む、なんでだ?」

「これくらいの意地悪許してよ、馬鹿東堂くん」

「どういうことだ!?」

ぎゃあぎゃあと俺が喚いている後ろで、見ていることに気付かなかった。傷ついていることに気付かなかった。

この世で一番守りたいものが、すぐ傍で傷ついていたのに。






紡ぎ方を知らない




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