「(……暇です)」
「…………ふふっ」
理事長室横の一室。
もといメフィストの漫画保管部屋になまえとアマイモンはいた。
「……姉上、」
「んー? ……ぷっくく!」
「………」
何故二人がここにいるかと言うと、メフィストに遊ぼうコールを連発していたら"執務の邪魔、此処で時間を潰せ"と押し込まれたのである。
初めはぶーたれていたなまえだが、何気なく手に取った漫画がどうやら彼女好みだったらしい。
かれこれ二時間は読みふけっており、アマイモンの呼び掛けにも生返事しか返していない。
「(……暇です、姉上)」
いい加減痺れを切らしてきたが、楽しんでいるなまえの邪魔をするのは気が引ける…というより、
「(姉上、怒らせたくないしなぁ)」
昔、まだメフィストも虚無界にいた頃。
なまえの怒りを決して買ってはならないと、自分が無茶する度に複数の兄弟から釘を刺された事があるのだ。
そもそもなまえに楯突く気など毛頭ないわけだが…
怒らせて自分がどうこうなるより、それで嫌われる方がよっぽど脅威だった。
「(………)」
苛々する感情を抑え込もうと親指の爪の先をかじる。と、
ぴくり
と何かが動く気配。
「(……?)」
気のせいか、と再度かじるとまたも何かが動く気配。
しかし今度はその気配の正体を見逃さなかった。
確認するように少しだけかじれば同様に反応するそれ。
「(…ギリギリリ、)」
ぴくぴくんっ
「(……面白い)」
反応していた物、それはなまえの耳だった。
アマイモンが爪をかじると応えるように小さくぴくぴくと動く。
何度やっても反応するのが面白くて嬉しくて、つい力を込めてかじると一際耳障りな金切り音が。
「ッ」
「(あ、)」
なまえはブルッと背中を震わせアマイモンの方へ顔を向ける。
その顔は珍しくしかめられており、怒らせたかと一瞬身を固めるアマイモン。
「アマイモン、それ鳥肌たつからやめなさい」
「…はい、すみません」
案の定叱られ素直に謝り、指を口から離す。
それを確認するとまた視線を漫画に戻すなまえ。
…また暇になってしまった。
あわよくば自分が暇を持て余しており、構って欲しくてああしたんだと気付いて漫画を閉じてくれないかと期待したが、叶わなかった。
「(あんな紙切れ、何が面白いんだろう)」
自分が放置されているだけでもツマらないのに、その分ずっと漫画がなまえの視線と意識を独占していると考えると、更に苛々が募る。
早く読み終わるか、飽きて放り投げないかな、せめてコチラを向かないかな、と思っていると。
「……アマイモン」
「!はい、何ですか?」
想いが通じたのか、なまえが漫画を閉じアマイモンへ視線を移している。
何故かややしかめっ面になっているが、どうでもいい。
嬉しくてキラキラと顔を輝かせながら返事すると、なまえのしかめっ面が幾分和らぐ。
「っふふ、もう…気付いてないの? それ長年の癖だもんね」
「…? 何の事です?」
「つーめ、また噛んでたよ」
がじ、と自分の爪を噛むなまえ。
どうやら悶々と考え込んでいる内に、また爪をかじっていたらしい。
「…すみません」
「謝らなくていいよ、無意識なんだから仕方ないじゃない」
「でも…」
「てゆかそれ、どう噛んだらあんな金切り音が出るの?」
がじ、とまたなまえが爪を噛むが音らしい音は鳴らない。
「どうやって?普通にかじってるだけですが…」
がじ、とアマイモンが爪をかじると例の金切り音。
やはりなまえの耳はそれに反応しぴくぴくと動く。
「ッあぅ、それだよそれ、アマイモンの爪金属なんじゃないの? …ちょ、アマイモンもういいってば!」
「確かに爪で金属を切れますけど、それは姉上もじゃないですか」
「あぁそっか、じゃあ噛み方の問題…ッもう、やだったらその音!」
「すみません、姉上が可愛くてつい」
「いつだって可愛いわよ!」
「そうですけど、今は特に、こう…そそられるというか」
「へ!? ――ッぁ、」
あまりしつこいと本当に叱られてしまうかもしれない。
しかし何故だか爪をかじる行為を止める事が出来なかった。
今のなまえはもはや耳だけでなく体全体で小刻みに反応し、肌は粟立ち、声は聞いた事のないような頭に響くもので。
要は扇情的な雰囲気に飲まれかけているわけだが、アマイモンにはそれがそういう事だと判らずやはりかじり続ける。
「ん、も、アマイモン…!」
「あぁ、それいいですね」
「何がっ」
「その顔で名前を呼ばれると、ボクまで鳥肌が起ちました」
じわりとアマイモンの目に欲の色が滲み、流石になまえの背中に冷たい物が流れる。
「お、怒ってるの?漫画読みふけって相手、ぁ、しなかった、から…」
「怒る?ボクが、姉上に?有り得ません」
「なら「あぁでも、そんな紙切れが姉上の視線を独占してるのには苛々しましたけど」…そう」
そうこうしている内に壁際に追い込まれ、頭一つ分の距離でお互いの顔しか見えない。
「姉上、もっと名前を呼んで下さい」
「………、それ止めたらいくらでも呼んであげるよ?」
「…………」
「…………」
これでもサタンの長女。これしきの事で冷静さを欠いたりなどしない。
相手が要求を出してきた時、それは条件を出すチャンスである。
「……分かりました」
じっくり考えた結果、ゆっくりと口から爪を離す。
が、アマイモン自身は微動だにしないため至近距離のまま。
「アマイモン?狭いからちょっと退いて欲しいんだけど…」
「……今離れたら、巧く誤魔化されそうな気がします」
「(うっ…この子こんなに鋭かったかしら)」
「姉上、」
「な、なあにアマイモン?」
「姉上、」
「(ううっ)」
一段と距離を詰められ、もはやアマイモンの目には欲の色しか映っていない。
姉として色んな事を諦めるか、頭を無にして可愛い弟を突き飛ばすか。
「(………考えるまでもないか)」
なまえはそっと優しくアマイモンの頬に触れる。
アマイモンはそれを良い方に捉え、触れている手に己の手を添えた。
「…アマイモン、」
「…姉上」
「ごめーんね☆」
その言葉の意味を考える間も無く、アマイモンは意識を手離した。
と、ほぼ同時に扉が開かれる。
「…おや?アマイモンはお昼寝ですか」
「……メフィスト、アンタ状況判ってて入るタイミングずらしたでしょ」
ぐったりと力無くもたれ掛かるアマイモンを抱え直しながら睨みつける。
「おや怖いですね、本当に危なくなったら助けるつもりでしたよ?」
「どうだか?」
「…でもこれで分かったでしょう」
分かった?
その意図が分からず首を傾げる。
「この間の朝の事です」
「……あぁ、アンタが私の胸の中で眠りこけた時の事?」
「っその表現は止めて頂きたいッ!あれは完全に私の黒歴史として葬り去るべき過去で、というかそもそもあれは姉上が胸元に眠り薬を仕込んでいたから寝てしまっただけで…って話を逸らさないで貰えますか!!」
「(自分で逸らしたんじゃないの)」
仕切り直したいのか、コホンと一つ咳払いするメフィスト。
アマイモンを指パッチンでソファーへと運ぶ。
「…あんな格好で寝ていて、何かあったらどうするつもりだったんです」
「あらぁそれは心配?妬きもち?」
「話を逸らさないで貰えますか」
「…何も無かったじゃない」
「でも今回は有った」
「ぶー、未遂よ」
やれやれ、と実際に言いながら首を振るメフィスト。
「コイツは気紛れに欲のままに動く…何が契機になるか判らない事は今回の事で分かったでしょう」
本人に理解して貰わなければまた同じ事が起こりかねない。
出来るだけ優しく諭す。
「…なんかメフィスト、変わったわね」
「何百年前の話ですか」
「……そうね、正直あんな事で欲が出るなんて思わなかったわ…人間に憑依してる分、そういう欲が強まってるのかも」
「ふむ。確かにそれは有り得ますね」
「―――…で?」
で?
その意図する事が分からず、今度はメフィストが首を傾げる。
「たった一人のお姉様を敢えて危険に晒してまで伝えようとしたのは、心配したから?ヤキモチ妬いたから?」
「ぐっ…!」
真面目な表情から打って変わって、意地の悪いニヤニヤした笑みを浮かべるなまえ。
しかしメフィストとしてはこのまま自分有利な状況で終わりたかったし、弟にばかり良い思いをさせるのは癪だった。
また指を鳴らすとなまえの足が床に固定される。
「答えが聞きたいですか?」
動けないのを良い事に、ゆったりとした動作で耳元に顔を寄せ、体に響くように低い声で、
「……どちらも、ですよ」
「〜〜ッ」
僅かに背中を震わせ睨みつけてくる様に満足し、固定していた足を解放する。
「貴女が注意しなければならないのは、アマイモンだけではありませんよ☆」
「…言うようになったじゃないの…あーあ、姉上姉上ーって可愛かったメフィストちゃんは何処に…んっ」
「?」
パッとアマイモンを確認すると、眠りながら爪をかじっていた。
眉間には不機嫌そうに皺が寄っている。
「やだ可愛い、寝ながらヤキモチ妬いてるんじゃないの?アレ」
「貴女ね…本当に反省してます?」
「猛省してるよ?」
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考えが読めないのはお互い様、
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