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今日だけでいいから!(覇→淮)

 夏侯覇殿は人懐っこい笑みを浮かべながら、こちらへずずい、と近付いてきた。なんでしょう、と持っていた筆を硯に置いてから問えば、いきなり私の手を掴んできた。
「げふっ……どうかしたんですか、夏侯覇殿」
「今日だけでいいから、殿を付けずに呼んでくれよ!」
「は?」
 部屋に遊びに来たからの第一声が、名前を呼び捨てにしろ、だなんて予想も出来ない事をされたものだから(誰にも予測出来ないに決まっている)思わず疑問符を漏らしてしまう。そうすると、夏侯覇殿は「いやいやいや、これは、その、」と歯切れが悪い弁明を始めた。これはすぐに帰ってくれそうにないと判断し、机の上の荷物をひとまず一纏めにして端っこへ追いやった。
「どうしたんです、いきなり」
「殿、って付けられると、なんだか他人行儀な気がして嫌でさ」
 私の向かいの椅子に座った夏侯覇殿は、机に腕をつく。本人曰く幼くて嫌だという笑みを浮かべながら、こちらを見てくる姿は段々と将軍に似てきた気がする。髪の色も背丈も全然違うのに、あぁ本当に親子なのだなあと改めて感じる。
「はぁ、」
「ちょっと郭淮、俺の話ちゃんと聞いてる?」
 私の目の前で手をぶんぶんと振ってきたので、「夏侯淵将軍に似てきた気がします」と言おうかと思ったのだが、その言葉を外に出さないように口を手で押さえて欠伸をするふりをする。前に似たような事を言ったら、「俺は俺、父さんは父さんだよ」と悲しそうな顔をしながら言っていたのを思い出したのだ。
「やっぱり寝てただろ」
「寝てませんよ。……で、どうしてそれを私に頼むのです」
「だって俺の事を殿呼びするのって、郭淮くらいしかいないし」
「張コウ殿は?」
 私とは違って、健康的で美しい肌を惜し気もなく晒した男の名を出せば「俺は郭淮に頼みにきたんだって!」と彼はむぅ、と頬を膨らませた。その年相応の子供らしい表情が可愛らしくて、頭を撫でてやれば彼は不機嫌そうな顔を浮かべた。
「そんなに俺の事を、呼び捨てにするのは嫌か?」
 眉根を下げながら、悲しそうに言われたら、拒否する事なんて出来なかった。

×××

「夏侯覇ど、……私には無理です」
「張コウは普通にしてくれたぜ?」
「張コウ殿は、将軍と戦場で踊った事があるような方ですし、基本的に私と違って……ね」
 郭淮は俺の方を見ながら、困ったように彼は笑んだ。とても生真面目な男のことだ、俺が将軍の息子だからとか(俺にとってはくだらない理由で)名前を呼んでくれないのだろう。そりゃあ父さんがいなかったから郭淮と面識を持つことはなかったのだけれども、事ある毎にそらが原因で距離を感じざるを得なかった。
「じゃあ仲権、だったら?」
「将軍の息子を字でなん……ごっふ、ごっふ!」
 口許を抑えながら背を丸め、頭を机にぶつけながら酷く咳き込み始めたものだから、細くて折れてしまいそうな位に華奢な背中を優しく撫ぜてやる。いつもならすぐに治まる咳が中々止まらなくて、ひゅう、ひゅう、と苦しそうに息をしている。
「こういう時は、水か? いやいやいや、今水なんかを飲んだらもっと咳き込むに決まっている。郭淮、なにか欲しいものはあるか?」
 なにもいらない、といった感じに小さく首をふった郭淮は、ゆっくりと身を起こした。ふぅ、と大きく深呼吸をした彼は先ほど咳き込んでいたのが嘘のように穏やかな表情を浮かべていた。俺が知らないだけで、こいつは病で苦しんでいるのかもしらいない、そう思うとなにもしてやれない自分が悔しかった。
「大丈夫です。かこ……仲権、殿。全く……ごっふ、いきなり字でなんて、驚いてむせてしまったじゃないですか」
「いやいやいや、今のむせるってもんじゃないって! ……て、今、仲権って」
「嫌だったんですか?」
 頼んだのはあなたでしょう、と郭淮は首を傾げる。しかし、訪ねられた所で郭淮が納得するような答えが思い付かなかった。自分が頼んだ事なのは重々承知しているのに、自分でも理解できない位にどきりとして瞬時に反応が出来なかったのだから。
「いや、嬉しいんだけどさ。まさか、郭淮がやってくれるなんて。だって俺は郭淮が尊敬する息子なんだぜ?」
「俺は俺、父さんは父さんと言っていたのは何処の誰ですか」
 郭淮ははぁ、と一つため息を溢してから、「お茶をいれてきますね」と席を立ってしまった。一人待ちぼうけを食らった俺は、その細くて折れてしまいそうな背中を見つめる。どうしてすぐに反応出来なかったのだろうか、と考えれば考えれば程、わからなくなった。


ついったでお世話になっている朔楽さんに捧ぐ。どうぞ煮るなり焼くなり刻むなり。
12/28の誕生花であるアニソンドテアの花言葉が「今日限り」なんだそうで、そんな話を書いてみた。

2011/12/28
msu
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