逃げ場なし

「…え?」

目の前にいる見覚えのない女性。彼女の肩を抱いているのは、間違いなく私の彼氏だった。
その光景が信じられなくて、もしかしたら別人かもしれないと淡い期待を抱いて“降谷零”と書かれたスマートフォンの画面をタップする。

「…ねえ、電話来てるよ?」
「あぁ、いいよ後で」

そんな冷たい言葉と目の前で切られた電話を見て、彼本人なのだと確信した。手の震えが止まらないままバッグにしまおうとしたらスマートフォンを地面に落としてしまい、スマートフォンはそのまま地面を滑って零くんの近くで止まる。
それに気付いた零くんが一瞬だけ、驚いたように目を見開いた。

「……あ、ごめんなさ…」

震える声で落ちたスマートフォンを拾うと、彼はまるで初めましてかのように「大丈夫ですか?」と声をかけてくる。やばい、と思った時にはもう遅くて、大粒の涙がとめどなく溢れた。

「え、ちょっとお姉さん…大丈夫?」

彼女の方も流石に声をかけてきたが、もうこれ以上この場にいると気がおかしくなりそうで。
大丈夫です、と小さな声で応えてその場を離れた。
しばらく走ってから人気のない路地裏に入り込み、震える手で“別れよう”とだけ零くんにメールをして電源を切った。


────
「名前さんが帰ってこない?」
「うん…」

ポアロでバイト中、蘭さんと園子さんは心配そうにしてすぐにスマートフォンを操作してくれた。
名前が同棲している家に帰ってこなくなってから3日。まぁ、居場所はもう分かっている。警察から逃げられると思ったら大間違いだ。でも、この間の任務を見られた挙句あんな態度をとってしまったのだから傷付いているのだろう。しかも、あのメール…もう別れている気なんだろうな。

「電話も出ないし、メールの返事も返ってこないよ…」
「どこ行っちゃったんだろう。安室さん、何かしたんじゃないの?」
「…何か彼女を傷付けるようなこと、しちゃったんでしょうか…」

こんなに心配してるのに、と目頭を押さえてため息をつく。すると蘭さん達は励ましの言葉を次々とかけてきてくれた。それを見て、バレないように一瞬だけ笑う。
ちょっとすみません、と断りを入れて裏に引っ込み、名前からのメールを開いた。

「“別れよう”ね…」

“削除”をタップしてスマートフォンをしまう。名前を逃がすわけないだろう。ポアロのエプロンをしまって、梓さんに少し出てきますと声をかけた。
逃がさないように、ゆっくりと“毛利探偵事務所”へ向かった。

────

「やっぱり浮気だったのかなあ…」
「もしかしたら仕事関係の人かもしれないよ?」
「だってあんなに仲良さそうに歩いてたし…」

おっちゃんはパチンコ、蘭は園子と買い物。何も用事がなく一人事務所に残っているときに訪ねてきたのは名前さんだった。彼氏と別れたらしいが…どうやら未練タラタラみたいだ。
その彼氏はまぁ安室さんなわけだが、彼女は安室さんという存在を知らない。公安の彼も知らない。彼女は“降谷零”の彼女なのだ。言ってしまえばただの一般人。安室さんに捕まるなんて、運がいいのか悪いのか…と考えていると静かに名前さんの背後の扉が開いて悪い顔をした安室さんが入ってくる。

「…別れて正解だったのかな」
「後悔してるの?」
「うーん…他の人と幸せになってくれるなら…でも、やっぱりちょっと後悔してる」

あんな素敵な人、と口に出したところでゆっくり近付いてきた安室さんは素早く名前さんを振り向かせて無理やりキスをした。俺がいること忘れてないか?とも思ったが、ここは大人しく退散しようと静かに事務所の扉を閉めた。


「ん、んっ…!」
「っは、よく逃げられると思ったな」
「な、なんでここにっ…!」

そう聞くと、零くんはにっこり笑って一通のメールを見せてくる。
その差出人はコナンくんでただ一言、毛利探偵事務所にいるとだけ書かれていた。…もしかして、グルだった?

「あんなメールだけで別れられると思うなよ」
「え…っ、わ、別れてくれないの?」
「…別れたいのか、お前は」

そう言ってグッと頬を摘まれる。痛い。

「だって…零くん、あの女の人と…。私のことも知らないみたいな態度だったし…バレたら、ダメだったからあんな態度したんでしょ…?」

あの日のことを考えると未だに涙が零れてくる。私と別れてあの女の人と幸せになった方がいいと思ったからあんなメールまでしたのに、どうして逃がしてくれないのか。

「あの女とは少し話をしただけだ。俺がお前以外好きになるわけない」
「でも…」
「でもじゃない。…あんなメール、二度とするな」

ぎゅうっと力強く抱きしめてきた零くんの腕は少し震えていて、あのメールで彼を傷付けてしまったことを酷く後悔した。

「…ごめんなさい…」
「…俺も、不安にさせて悪かった」

もう別れるなんて言わないようにしよう、彼を信じよう──そう思った。


「…かわいそうな名前さん」

コナンは事務所へ続く階段に座り、ぼそりと呟いた。“降谷零”に捕まった以上、彼女はもう逃げられないだろう。
蘭や園子、おっちゃん、博士、少年探偵団、そしてもちろん警察…彼はありとあらゆる人へ連絡をして名前を米花町の外へ出さないように仕向けたのだ。自分から逃げられないように。
二人が幸せならそれでいい、コナンはそう思ってゆっくりと目を瞑った。
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