▼ 照れ隠し
「はあ?何日寝てないって?」
名前の大きな声が廊下中に響き渡り、他の部署からも顔を出す奴が数名。
静かにしろ、と口を押さえようにもぺらぺらと喋り始めたこいつの口はもう押さえきれないことなんて俺が一番知っている。
「おい声が…」
「何日寝てないかって聞いてんのよ私は。質問に答えて、降谷」
「……5日だ。仕事が立て込んでてな、休む暇なんてなかった」
「…人間の限界超えてるでしょそれ。まさかそれが原因で、判断力鈍ってこんなミスしてるって訳?」
目の前に突き出された書類を見ていられなくて視線を外す。赤ペンでいくつか修正を加えられているこの書類は間違いなく俺がついさっき名前に渡したもの。
赤ペンで修正を加えたのはもちろん、俺に書類を突きつけている名前だ。
俺は今、怒られている。
「信じられない。忙しいのは分かってるよ、でもね、これは流石に酷いんじゃないの。私がチェックしないでそのまま上に出してたらなんて言われてたか…」
「…随分ときついことを言うな」
「これでも優しい方なんですけど。こんなに丁寧に直してあげるの私だけだよきっと」
「書類を真っ赤に染め上げることがお前の優しさか」
「染め上げるって…そんな言い方、」
「悪かったな、酷い書類作ったりして」
段々と険悪な雰囲気になっていくのに気付いた他の部署の奴らはさっさと顔を引っ込めていく。
…俺だって好きでこんな書類作ったんじゃない。
「人の書類にケチつける暇あったら自分の仕事しろ」
「っ…誰のために私が登庁したと思ってんのよバカ!!」
「は…?」
「私だって潜入捜査中なんだからここに来る暇なんてなかったけど零が来るって風見さんに聞いたから隙を見てわざわざ来たの何でか分かる分かるよね30字以内で答えよ!!!」
「…俺のこと茶化しに来た?」
「っ!!バカ、本当にバカ!!もう知らない!!」
バシン!と俺の胸に勢いよく書類を押しつけた名前は顔を真っ赤にしてどこかへ行ってしまった。冷静になって考えてみると名前がわざわざ登庁してきた意味が分かってくる。
あの真っ赤な顔はそう解釈していいんだろう。
「……風見」
「…はい、降谷さん」
「俺と苗字の会話聞いてたな」
「…えぇ、聞いてました」
「あいつが登庁してきた理由、分かったか。分かったよな。言ってみろ」
「……降谷さんを心配して、会いに来たのではないかと」
自然と上がっていく口角を隠すために口元に手を置いてみるが、もう遅い。このニヤけ顔は完全に風見に見られている。
「風見、この書類は任せた」
「はい」
押しつけられた書類を素直に受け取ってくれる優秀な部下を持ってよかった、なんて思う前に俺の身体は名前を追って走り出していた。