小説 | ナノ


 夜は深くなり、窓越しに外を見ただけではわからないけれど、ひゅうとたまに聞こえる風の音で外の寒さが身に沁みるように分かる。まだかな、とそわそわしながら携帯をつけては消しの繰り返しを行っていると、突然インターホンが鳴り響いて肩を震わせてしまった。越前くんだ。

 越前くんは、あたしを置いて単身渡米した。きっと、わたしより大事なテニスのために、夢をかなえるために、ひとりでプロの世界へと飛び込んでいったのだ。向こうでも、いつもの調子で相手をばったばったと倒しているようだけど、ニュースを見ていたらかなりのハードスケジュールそうで、彼が体調を崩していないか心配だった。

 そんなあたしの心配は的中して、玄関を開けると、越前くんのぐったりした顔が飛び込み、今にもよろけそうな勢いだった。あたしは慌てて玄関を出て彼を支えに行った。すると彼はただいまよりなにより先に「ちょっと、寝てもいい?」と、疲れ顔で言った言葉がこれだった。

*

 結局、彼をあたしのベッドに寝かせて様子を見ることにしたけど、ベッドに横になった瞬間、すうすうと寝息を立て始めた。よっぽど疲れていたみたいで、それから一時間くらいはずっと寝息が続いていた。たまに寝返りを打ちながら、むにゃむにゃと言う唇に愛しさを感じながらも、あたしはテレビを眺めてそっとしておいた。

 それにしても、数か月、いや、下手したら半年以上放置しておいた恋人を前に、ひとり気持ちよさそうに寝ているなんて、恋人としてどうなのだろうか。遅れて気づいたことだが、誠に遺憾な現状であることには間違いない。いやでも、あんなハードスケジュールだったんだし、いくらなんでもあの疲れ知らずの越前くんが疲れて当然のことだから、寝かせてあげることが彼女として当然の配慮じゃないのだろうか。心地よく眠る彼をよそに、ひとり葛藤しているあたしは、苦悩の結果越前くんを起こすことにした。

 だけど、いざ目の前に数か月ぶりに見る彼を見ると、愛しさを超えて顔が綻んでしまうものだ。寝顔だけは本当に天使なんだけどなぁ、と髪を撫でる手は頬まで伝って、柔らかな感触を得る。すると、急にその手を掴まれ、上半身はベッドへと引きずり込まれた。目の前には、大きな瞳であたしを見つめる彼の顔が。

「おはよ」
「お、おはよ」

 電話では見ることのできない、テレビでもめったに見れない、越前くんの優しく笑う顔が今目の前にある。そう思えるこの瞬間に、あたしの鼓動は高鳴る。すると越前くんは、あたしをベッドへと招きいれてくれて、ベッドの上で二人、向かい合った。めずらしく越前くんはあたしを抱き寄せ、もぞもぞと背中に手を回して抱きしめられる形になった。どうしたの、と聞く暇もないほどに、あたしは胸の高鳴りと熱い顔のせいで、なにもできなくなってしまった。

「お前、すごい良い匂いする…」

 そう言って、越前くんはあたしの顔や頭に鼻を近づけてきた。はずかしい、というかおかしい。越前くんは普段こういうこと全くしてこないのに。日本に帰ってくると大抵テニス部の先輩たちとテニスしに行ったり、越前くんの家でカルピンとじゃれてたりと、あたしに構う暇もないくらい忙しい。一時は本当に付き合っているのかと疑ったものだ。それでも、アメリカに行くときはいつも、頬にキスしてくれたり、頭を撫でてくれたりするんだけど…。

「越前くん、どうしたの。なにかあった?」

 それでもなんかおかしくて。久々に越前くんに会ったからかな、心臓の音が大きさを増して鳴りやまない。それに耐えられなくなって、あたしは越前くんに質問を投げかけるけど、「別に」と適当に返されてしまった。

「もうちょっと、このまま居させて」

 越前くんは居心地が良さそうにあたしを抱きしめる力を少しだけ強めた。さっきはびっくりして気づくことができなかったけど、越前くんの匂いを久しぶりに感じた。懐かしい、いい匂い。すこしだけシトラスのような爽やかな香りがする。越前くんの匂いが、あたしの眠気を誘うかのように、あたしは安心と気持ちよさに包まれながら、眠りについた。

2013/01/25
彼女には「お前」呼びとかだったら萌える。