闇夜のおとぎ話

病に倒れたのは昨日のこと。
ああついに、という思いと共に、自分に残された時間は最早ほんの僅かしかないのだとありありと突き付けられた気持ちだった。
秀吉の世を作るため、残りの全てを使ってでも僕の出来ることをしなければならない。その為には寝る暇さえも惜しいというのに、言う事を聞かないこの身体が酷くもどかしかった。

僕がいなくなった後でも兵達が困らぬよう、書き残しておきたいことが山のようにあるのだ。
こんなところで寝ている訳にはいかない。

夜の闇の中、蝋燭の灯りを手繰り寄せようと身を起こすと、ぐらりと眩暈がした。

「……っ、本当に使えないな」

布団に身を倒し、呼吸を整える。
なに一つ満足に出来ない今の僕には、小窓から覗く十六夜や、穏やかに揺れる蝋燭の火さえも憎らしく思えた。なんて愚かなのだろう、こんな精神状態のままで一体なにが出来るのか。秀吉が今は休めと言いたくなる気持ちも分かる気がした。

どうしたものか。深いため息を吐いてしばらく眼を閉じていると、よく知った気配が近づいて来たのを感じて耳を澄ます。
部屋の前で足音が止み、代わりにおずおずとした声が控えめに掛けられた。

「あの、半兵衛さん、大丈夫ですか?」
「こんな遅くにどうしたんだい」
「えーっと、ちょっと用がありまして……」
「そんなところにいると風邪を引くよ」
「入ってもいいですか?」
「どうぞ、どうせ秀吉から何か言われてきたんだろう」

ありがとうございます、と言いながら襖を開けたのは2年ほど前に引き取った名前という未来人だった。
城下町に突然現れた物の怪だ、と慌てた門兵に連れられて来た彼女は、礼儀作法さえまだ農民の子どもの方がよく知っているのではないかと思うくらいの知識しかなく、初めの頃は驚いたのを覚えている。

秀吉の前においても身を伏せることなく「はじめまして」と唐突に手を差し出した時は、どこぞの刺客かと咄嗟に刀を喉元に突きつけて脅したこともあった。
あの時秀吉が止めていなければ彼女が今この世にいなかったのは間違いない。

そんな名前の尋問、監視ついでに未来の話を聞いているうち、何故だか懐かれてしまったようで今では頻繁にここへ遊びに来るようになってしまった。
初めのうちはこの先の歴史を知っていると言う彼女が他国に渡らぬよう隔離していたのだけれども、本人はすっかりこの場所が気に入ってしまったと居座る気でおり、気付いた時には雑用係として城の者たちにも馴染んでいた。
ほとほと困ったものだ。

「で、何の用だって?」
「ちゃんと寝ようとしてたかなと確認しに」
「君が来なければね」
「半兵衛さんはしれっと嘘を吐くので信用出来ません。今日は書き物をしないで睡眠をとって下さい。監視してますから」
「馬鹿かい君は。余計気になって眠れないよ」

因みにこれは秀吉様からの命令ですので断ることは出来ませんよ。としたり顔の名前に半ば諦めの境地だ。
これが嘘であれ本当であれ、今日のところは身体を起こすことさえままならないのだから、このくだらない茶番に付き合うしかないだろう。

「そういえば、この前半兵衛さんに言われてこの部屋掃除しましたよね。まだお礼を貰ってないです」
「ああ、確かにそんなこともあったね」
「私ちゃんとお礼、考えてきたんですよ!」
「君のその図々しいところは嫌いじゃないよ」

沢山あるんだけどどれにしようかなーと嬉々として悩んでいる名前に呆れつつも続きの言葉を待っていれば、これまた奇天烈なことを言い出した。

「半兵衛さんの病気が治ったら、毎日デートしてくれるって約束して下さい」
「……そもそも南蛮の言葉を使って誤魔化さないといけないような事に約束は出来ない」
「えー、でも絶対頷いてくれないから秘密です」
「頷けないような事を言ったと自分で思うのなら、それはそうだろう」

ほら早くと先の言葉の意味を促せば、しどろもどろと眼を泳がした末、渋々といった感じで言い訳を始めた。

「別に戦を離れてほしい訳じゃないんですよ。半兵衛さんの気持ちも知ってますし。これはただの私の願望なので、あの、怒らないで聞いてくださいね」
「君ごときにいちいち怒ってたんじゃキリが無いから大丈夫さ」
「それはそれで複雑なんですが。まぁとにかく、病気が治ったらデート……えーっと、逢瀬して欲しいってことです」
「ははっ、僕と君が?」
「その小馬鹿にした感じ!私は本気なんですからね!」
「一体何を企んでいるんだか」
「私、半兵衛さんのこと一番大好きです。だから病気が治ったらゆっくり休んでほしいし、その間は一緒に沢山お話したり、のんびりお茶して、お出掛けとかもしたいなって」
「随分と面白いことを言うね」
「我儘なのは分かってるけど、ちょっと言ってみたかっただけです」

ただもっと一緒にいたいんです。

消えそうな声で付け加えられた言葉は、暗闇の中溶けていった。シンと静まり返る部屋に響くのは外から聞こえる鈴虫の声のみ。
月明かりで照らされた名前の、初めて見る真剣な瞳と視線が交わった。
硬い表情で膝の上の手を握りしめている姿は決して冗談を言うような雰囲気ではなく、きっと今までの言葉は彼女の本心だ。

彼女は、僕との間に男女の仲を求めている訳ではないのだと思う。ただ何故こんなことになったのかは分からないが、例えば、子どもが親を慕うような思慕の情を抱いているのだろう。
僕の余命がもう僅かばかりしかないということに気付いてしまったのか、はたまた僕のこの先の運命を既に知っているのかどちらかは分からないが、その事実を理解しながらも受け入れられていない。そんな感じだった。
どちらにせよ無意味な確約など出来る訳がないというのに、本当に馬鹿だなぁ。

「この病が治ることはないよ。だから君と約束は出来ない。」
「そんなこと言うのは嫌です」

しかし反面、彼女がそう願っているのだという事実は不思議と満更でもない気がした。
一緒にいても別段色気も魅力も感じられないけれど、心安らぐ瞬間を思い出そうとすれば名前と二人でお茶を飲んでいた日々が脳裏に浮かぶ。

もしも、来世で戦のない時代に生まれたのならば、その時は隣に君がいるっていうのもそこまで悪くはないんじゃないかな。と、ふと思った。


「でもまぁ、君とそんな話をしたことくらいは覚えておくよ。またいつか会うことがあればその時は仕方ないから逢瀬のひとつくらいはしてあげるさ」

名前の頭を撫でようと手を伸ばせば、暖かな雫が指先に落ちた。
縁起でもないからやめて欲しいんだけどな、なんて言葉さえ、自分の体調のことは自分が一番よく分かっているだけに冗談めかして言えないのが恨めしい。

「絶対ですよ、いつか、乱世でも未来でも、半兵衛さんのことずっと待ってますから。半兵衛さんも私のこと忘れないで下さいね」
「君みたいな図太くて遠慮のない子は忘れようにも忘れられないさ」
「花のように可憐な、の間違いでしょう。再会出来た暁には美味しいお団子ご馳走します、もし未来で出会った時は私の好きなオススメの甘味処に案内しますから!」
「君は本当に甘いものばかりだね」
「私は半兵衛さんと甘い物が大好きなんです。知りませんでした?」

知ってるよ、口には出さずに彼女の頭をくしゃりと撫でた。きっと僕はこの体温を忘れないだろう。
秀吉の世になればすぐにこの乱世は統一される。この世かあの世か、その時に一体自分がどこにいるのかは分からないけれど、まぁ少しでも肩の荷が降りたらその時は君のおとぎ話に乗ってみるのもまた一興。

だからどうか君は、その時まで元気でいるんだよ。