死神に牙を剥け

最悪だ。本当に最悪だ。旦那の命令で奥州の偵察に来たまではよかった。よかったのに、まさかあの女に会うとは思わなかった。奥州一のくノ一に正面から出会ってしまった。まさか本当に存在していたなんて。全身から緊急信号が凄い音をたてて鳴り止まない。そりゃそうか、奥州には風魔小太郎と同格、またはそれ以上の忍者がいる。見た者はその場で有無も言わさず殺される。という話を何処かで聞いた。聞いた時は見た奴等皆死んでるなら誰がその噂流してんだよ。と思ったが、俺がばかだった。単なる噂話だと思って軽く捉えていた。俺はあいつ等に踊らされた。いや、俺だけじゃなくて他の奴等も同じ手口で踊らされ、奥州に忍び込み殺されていったのだろう。まるで蟻地獄のような手口だ。

「お猿さんが一匹」

殺気を全身で感じた。忍のくせにこんな殺気出してていいのかよ。ははと苦笑いするしかなかった。

「これはこれはお嬢さん。あんたは竜の旦那のくノ一かな?」
「そう。政宗様のくノ一。全ての汚い仕事は私がやるの」
「俺様以外に何人此処にきた?」
「覚えてない。たくさん来て、たくさん殺したから」
「皆殺されてるの?」
「皆殺した」
「て事は、俺様もあんたと出会ったから殺されちゃうんだよね?」
「そうなるわ」

絶体絶命。どんなに頑張っても腕一本犠牲にするしか助かる方法が思い浮かばない。この子相当の手練れだ。さっきまであんなに凄かった殺気が今は全く感じない。久しぶりの感覚、怖いって思ってしまった。

「ねぇ、お猿さん」
「ん? 何ですか?」
「私に楽しい話してくれたら見逃してあげる。此処に来た人達皆に言ってるの」

竜の旦那も変な女側に置いてるな。この女絶対危ないからやめた方がいいよ。呆れ、改めて俺様あいつ嫌いだ。というのを再認識した。
彼女が嘘をついてるとも思えず、五体満足で帰れるならそれに越した事はないと考え、彼女を楽しませる事にした。

「いいよ、分かった。あんたを楽しませる事にするよ。ところでさ、名前なんて言うの?」
「名前」
「名前ちゃんね。俺様は佐助。よろしくね」
「よろしく」

表情や言葉は死んでるのに、目の奥はぎらぎらとして生気に満ちている。いやー怖いね、この子は。
さてと、名前ちゃんを楽しませる為に何をしようかな。とりあえず甲斐での出来事、主に旦那とお館様の話をしてみた。自国に不利にならない、あくびが出るくらい俺にとってはありふれた日常の話をした。名前ちゃんは俺の話を聞きながら、時折ふふっと笑っていた。これは命乞い成功かな。一通り話をし終え、名前ちゃんの顔を見て様子を伺う。名前ちゃんはそのままこっちをじっと見つめて黙っていた。名前ちゃんの瞳に見つめられると冷や汗が止まらない。これが恋なら俺様絶対に恋とか愛とか必要ない。

「ありがとう、お猿さん。お猿さんは外の広い世界をたくさん知ってるのね。とても素敵なお話をありがとう」

なんとなく察した。きっと名前ちゃんは奥州から出られない、いや、出してもらえないのだろう。奥州から出したくない理由も、本当に不本意ながらなんとなく察してしまい嫌悪感に苛まれた。あー竜の旦那の事なんて知りたくもない。
別に奥州から出してもらえない名前ちゃんが可哀想とか思った訳じゃなく、なんとなく俺様の暇つぶしになるかな。と思い提案した。

「たまに此処に来て違う話を聞かせようか?」

名前ちゃんの表情が一気に輝いた。さっきまであんなに死んだ表情だったのに、瞳も、表情も、きらきらと輝き出した。とても眩しい程に綺麗だと思った。

「本当に? お猿さん、本当に?」
「そんなたくさんは行けないけど、それでもいいなら俺様の有難い話を聞かせてあげる」
「本当ね、絶対だよ。とっても嬉しい。ありがとう、お猿さん」
「いえいえ、じゃあ今日は帰るね」
「うん、またね」

手をひらひらと振り俺を送り出す名前ちゃん。何だろう、不思議な感じがする。当たり前か、敵国の偵察に行って話して帰ってるんだもんな。
甲斐に戻り、旦那には特に異常無し。と報告をした。別に言う必要が無いと思ったから言わなかっただけだ。いや、違う。名前ちゃんに会えないのが嫌なんだ。あーあー公私混同よくない。

あの日を境に無理のない程度に名前ちゃんに会いに行っている。取り留めのない事を話しに。今日見た綺麗な景色や、旦那とお館様の暑苦しさ、可愛い小鳥がいた事、こんな糞みたいな乱世だけど、世界にはたくさん素敵なものがあるのを知ってほしいと思い、たくさん話した。俺の話を聞いている名前ちゃんは本当にきらきらしていて、とても綺麗で、あそこまでどん底に落ちた理由が気になったけど、それを聞くのは野暮な気がして聞くのをやめた。
この頃から名前ちゃんは俺の事を佐助さん。と呼ぶようになった。前より距離が近くなっているのが分かる。名前ちゃんは敵国の忍者、これ以上近付いてはいけないと分かっているのに、自ら離れる事ができない。それは俺だけじゃなく、きっと名前ちゃんも同じだろう。二人でいる時だけ仕事を忘れてまるで友人のように話ができる。その一時の馴れ合いがとても心地良い。

***

あれから戦況が悪化し、俺と名前ちゃんは会える状態で無くなった。仕事をしてても脳裏にふと過ぎる名前ちゃんの事が少し気がかりだった。

「初めましてお猿さん」
「初めましてお嬢さん」

会えない月日が経ち俺と名前ちゃんは戦場で鉢合わせた。この場所で会うべき運命だったのだろう。それが俺と名前ちゃんに課せられた必然。この状況で俺が勝てる確率は低い。低いけど、戦わなければいけない。俺の為にも、名前ちゃんの為にも。
苦無をお互い交えた時、小声で名前ちゃんの声が聞こえた。よかった、俺だけじゃなかったんだ。

「私に広い世界を教えてくれてありがとう」