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青い空に白い雲、正に夏空の象徴という空から麦わら帽子が落ちてきた。
私の膝の上に落ちた麦わら帽子はお世辞にも綺麗とは呼べず、所々穴を塞いだ形跡が残っている。
少し年季が入っている麦わら帽子に、この麦わら帽子の持ち主が余程大切にしていることを感じた。

「あ!悪い!それおれのだ!」

白い砂浜の上を勢いよく走りこちらに向かってくる男の子が声をあげている。
彼の短髪の黒髪が潮風に揺れた。
私の前までやってきた彼に私は拾った麦わら帽子を差し出す。
麦わら帽子を受け取った彼はとても嬉しそうに笑顔を浮かべてみせた。

「ありがとな。これ、おれの宝物だからなくしたら困るんだ。おまえのおかげで助かった」

私が麦わら帽子を最初に手にした時に思った通り、やっぱり彼にとって大切なものだった。
麦わら帽子を被った彼は何故か私の隣に座る。
目の前にある大きな海を見つめながら彼がまた口を開いた。

「おまえ、なんで傘さしてるんだ?」

「え?」

「だって、今、雨降ってねえし」

確かに今は申し分ないほど晴れている。
しかし、サンサンと照らす太陽の光のおかげで紫外線が強い。
だから私は自分の肌を守るために日傘をさしているのだ。
最も、それは私に限らず紫外線を気にする大抵の女性も外出時には日傘をさしているだろう。

「日傘くらい見たことあるでしょう?」

「ああ、じゃあ、あれと一緒か。ナミとロビンが甲板にいる時いつもパラソルの下にいるんだ。あのパラソルが日傘というやつなんだな」

私にはナミさんとロビンさんが誰かは分からないが、彼の話を聞くかぎり女性なのだろう。
きっとそのパラソルも私の日傘と同じ役目。

「女ってめんどくせえな。結局毎日傘をささないといけないんだろ?」

「別に毎日ってわけではないと思うけど」

「おれにはよく分かんねえや」

考えることをやめたらしい彼は大きく伸びをしてから砂浜の上に寝転んだ。
潮風が時折私と彼の髪を撫でる。
二人揃って無言でいると、少しだけ辺りが暗くなった。
どうやら大きな入道雲が太陽を隠してしまったらしい。
その瞬間、私の頭上にあった影が奪われる。
驚いて振り向く私に彼は私の手から奪った日傘をクルクルと弄びながら笑った。

「今ならいいだろ?」

悪戯っ子のように笑う彼に私は呆れてしまう。
だけど、その突拍子のない行動に何故か笑いが込み上げてきた。

「もう、何するのよ」

思わずクスッと笑った。
すると、彼もまた白い歯を見せて笑う。
しばらくすると辺りは再び明るくなった。
相変わらずサンサンと地上に降り注ぐ太陽の光が眩しくてたまらない。
私が眩しさに目を細めると彼が呆れたような表情で私の頭上に日傘を戻した。

「そういえば、おまえ音楽家か?」

彼の口からまた新たに質問が紡ぎ出された。
私が何故そんなことを聞くのかと問う前に、彼は私の膝に乗せている冊子を指差す。

「その紙にすっげえ数のおたまじゃくしが描いてあったからてっきりそうだと思ってた。よくブルックも似たようなの見てるし」

またも知らない人物の名前を聞かされた。
まぁ、でも、そのブルックさんとやらもきっと私と同業者なのだろう。

「これでもピアニストなの」

「すっげえ!」

彼は目をキラキラと輝かせて私に向き直った。
好奇心丸出しの無邪気な姿の彼を見ていると私の心に自然と影を落としていく。
思わず彼から視線を外し、膝を抱える。
私の膝の上に乗せていた楽譜がハラハラと砂浜の上に落ちていった。

「何もすごくないわ。思うように作曲できなくて、もうすっかり世間から忘れられちゃっている存在だもの」

「そうか?おれはおたまじゃくしの絵を見て楽器ができるだけでもすげえと思うぞ?」

「幼い頃はそれでよかったけど、大きくなるとそうはいかないから」

自分で言っておいて涙が出そうになった。
幼い頃は天才だ何だ騒がれていたけれど、大人になるにつれて世間の目はどんどん厳しいものになっていく。
自分では上手く作曲できたと思っても、ありきたりだとか幼稚だとかなかなか評価されないのだ。
正直、今はもうそれが苦痛で仕方がない。
幼い頃は大好きだったピアノが、今ではピアノを見るだけで息がつまる。

「あなたは好きなものを嫌いになったこと、ある?」

何も知らないかのような無邪気の彼が少しだけ憎くなり、思わず意地悪を言ってしまった。
言葉にしてから性格の悪い自分に自己嫌悪する。
しかし、彼から返ってきた言葉は予想を遥かに上回るあっけらかんとしたものだった。

「好きなら嫌いになる必要ねえだろ。何言ってんだ?おまえ?」

彼に視線を向けると、彼は私が何を言っているのか理解できないようで首を傾げていた。
かと思えば、急に何か閃いたように掌をポンと叩き、それから私に向かって手を伸ばす。
再び私の頭上から日傘が奪われ、太陽の光が私に降り注ぐ。

「雨も降ってねえのに傘なんかさしてるからわけの分からねえことを考えるんだ」

勝手に私の日傘を閉じた彼は白い歯を見せてニッと笑っている。
言っていることはめちゃくちゃなのに、何故だろうか、彼の持論を聞いていると不思議とくよくよしていた自分がバカらしく思えてきた。

「あーあ。もう肌が焼けちゃうじゃないの」

彼から日傘を返してもらうが、開かずに閉じたまま。
彼は独特の笑い声をあげながら砂浜の上に落ちてしまった楽譜を拾い、私に手渡した。

「そもそもおまえ白すぎ。死人みてえだ」

「レディに何てことを言うのよ」

頬を膨らませる私に対し、彼は悪びれる様子もない。
ちょうどその時だ。
遠くの砂浜から誰かがルフィと大声で呼びながら手招きしている。
それに気がついた彼は思い出したように小さく声をあげた。

「やべえ。おれもう行かなきゃ」

スッと立ち上がり、彼が走り出そうとする。
でも、すぐに私に振り返った。

「おまえのピアノ、おれ、楽しみにしてるからな」

シシッと笑う彼に私も自然と頬が緩む。
それから首を縦に振った。


「ええ。必ず」


その会話を最後に彼は走り出す。
遠くなる彼の背中を最後まで見送らず、私も立ち上がって砂浜をあとにしたのだった。







数カ月後、私は煌びやかなドレスに身を包みピアノの鍵盤に指を滑らせていた。
演奏を終えるとホールに割れんばかりの拍手が起こる。
曲名はひまわり。
彼と彼の仲間達の旅路が少しでも安らかで幸あることを願い作曲したもの。
私は観客達の前に行きお辞儀をする。
その時だった。
ホールの入口の扉が突然開く。
何事かと驚いた観客達が一斉に振り向き、当然私も顔をあげてそちらを見た。
見覚えのある麦わら帽子に私は思わず目を見開く。

「名前!」

彼が口を開く。
ホール中に響く大きな声で彼は言ってのけたのだ。

「おまえのピアノ!世界で一番大好きだ!だから、おれと一緒に来い!おれにもっとおまえのピアノを聴かせてくれ!」

軽やかな音を立てて彼が走り寄り、私の手を一方的に取ってから再びホールの入口へ走り出した。
会場は当然大騒ぎ。
しかし彼は相変わらず気にする様子もなくひまわりのような笑顔を浮かべていたのだった。

「バカだな、もう」

彼のことを海賊だと知ったのは初めて彼と出会ったあの日。
彼と別れてから街にある手配書を見つけてしまい、どうせもう二度と会うことはないからと私は特に気にしなかった。
それなのに、彼はもう。
繋がれた彼の手をそっと握り返す。
これからは遠くからではなく彼の傍で彼の無事を祈ろう、私の大好きなピアノで。
ひまわりのような眩しい彼を見つめながら、私は思わず彼と同じ笑顔を浮かべたのだった。



ヒマワリ

貴方だけ見つめてる