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私の暮らす島はログがたまる時間がかなり遅くて、それはおよそ半月。
だからここへ来る船は容赦なくこの島への半月の滞在が余儀なくされ、だから、それのお陰で私の働く店はそんな閉じ込められた男たちを受け入れることで繁盛していると言ってよかった。
半月は長い。だからそんな中足繁く同じ店に通う人がいれば、その人物と女が長く共に同じ夜を過ごせば、時にそれがきっかけでただ欲を吐きだすだけの行為が、それを受け入れるだけの行為が、いつしか本気になり、ついには店から逃げて駆け落ち…なんていう話も珍しくはなかった。まあ、大抵捕まって連れ戻されて両者共にひどい仕打ちを受けて引き離されて終わってしまうのだけれど。
その事はここでは珍しくない話だけに、港から出入りしようとする住民…特に売春宿で働いているであろう女のチェックはこの島ではかなり厳しくなっている。

私はそう思いながら裸の肩にそっと口付ける男に小さく笑いかけた。
トラファルガー・ローと名乗ったその海賊は、この島に囚われて、そしてここへとやってきた。もうすでに十日めくらいになる。彼はここへ船を停泊させてから、ほとんど毎日ここへやってきて私を買ってくれている。


「他にもたくさん女はいるし、店もいろいろあるのよ?」


そう言った私に、彼はくつりと喉の奥で笑った。「そいつが俺の身体にしっくりくる女とは限らねえだろ」。そう言って肩から口を離して私をニィ…と笑いながら見つめた。長い指先がそっと私の髪を絡め取って鼻先に寄せる。「お前は最高だな」…と、香りですら私は彼にとってしっくり″した存在なのか、彼はそう言いながらそこへも唇を落とした。
「それは光栄」
「クックック」
おどけたようにして言った言葉に、彼は更に笑った。その指先が次に私の唇に触れたので、私はそっと目を閉じて彼のそれが来るのを待った。

共に過ごす時間が長ければ長いほど、私は彼の趣向をよく理解し、そして与えられた時間を決して無駄なく彼のために使えられる気がした。
この海賊は、もしかしたらそれが本当の目的であり、だからずっと私の元へと通って来てくれているのかもしれない。…とそう思った。そう…言い聞かせた。







「この島は…まるで監獄だな」


彼はここへとやって来ると、必ず同じことを言う。私の肩に口を当てて、忌々しげにそう呟く。
「そしてお前は囚人」
彼がここへ来て不機嫌そうになるのはその一瞬だけ。私はだから余計にその事に辛くなる。もう、慣れているはずなのに。


「みんなそれぞれ自分の名前を入れてるわ。…だから気にならない」


私は肩をそっと撫でた。そこにあるのは可憐な花。この島の、この場所で生きる女には必ず刻まれる印…だった。「きれいでしょ?」と笑ってみせると、彼はそれには答えなかった。けれどその代わりにこう答えた。



「明日お前を迎えにくる」



ここに彼が通ってもう二週間が過ぎた。
その毎日を、本当に彼とだけ、過ごした。
半月という短いようで長い時間を、同じ人間と甘さにまみれながら一緒にいれば、まるで私は愛された普通の女のように自身を錯覚してしまう。
私はその言葉を聞いた一瞬の後、思わず鼻で笑った。笑いながら、肩の花を見つめた。それは私を錯覚の世界から現実へと連れ戻す。私が監獄の囚人であるという事を、否が応でも思い出させる冷たい花。


「からかわないで」
「本気だ」
「船に乗ったことないし、酔うわ」
「そんなものすぐに慣れる」
「日焼けしたくない」
「よかったな。俺の船は潜水艦だ」
「料理もできないし」
「コックがいる」
「掃除もしたことない」
「練習しろ」
「戦えないし」
「隠れていればいい」
「死にたくない」
「死なせねぇよ」


私の突き放そうとする努力を、彼は笑いながらことごとく跳ねつけた。私はだから言った。それは花を刻まれながら、言い聞かされ続けた残酷な言葉だった。


「私はこの島から出られない」


すると彼はまた笑った。


「俺は海賊だぞ?」






空が白み始めたころ、だった。
与えられた部屋の窓からぼんやりと外を眺めた。遠くの地平線がきれいな色をして光っている。灰色からオレンジ、オレンジから青へのグラデーション。それは私の一日の終わりの風景が見せる色彩だ。
コツリ。
すると、いつもこの時間には誰も行き交う者のいないはずの静かな町に、どうしてだか響く靴の音。私にはそれが何故だかよく聞こえた。窓から見下ろせば、宣言通りここへ現れたあの海賊。彼は私を見つけるなりニィ…と笑った。明け方の光の中で彼を見たのは初めてだった。不健康そうな顔色をした海賊のその手には、何故か不似合いな生花があった。彼はその白い花を私へと捧げるようにする。思わずその花を見つめてしまった。

驚いたのはその次の瞬間、だった。

彼がニィと笑んだ顔のまま、その口が何事かを呟いた。するとあたりに何故か広がった、銀の光。悪魔の実の能力者であることは初日に聞いた。これは恐らく、それがもたらした現象なのだろう。光はあたりを包み込み、そして、私がそれに驚いて瞬きした次の瞬間、私は彼の腕の中にいた。

「え…」
「言った通り、迎えに来たぞ」

私を抱えた海賊は、そしてそのまま歩き始めた。「ちょっと…」。ありえない現象に暫くぽかんとしていた私が慌てて身をよじろうとするも、彼はその手を決して放さなかった。


港には黄色い潜水艦が停泊していた。出港の準備をとうに終えているらしいその船に近づくと、出入港管理をする人間が私たちを取り囲んだ。場慣れしているであろう彼らは、私から見ても己の力に自信がありそうなことがわかった。けれどこの海賊は少しも彼らに動じていなかった。

「待て海賊。…その女は娼婦だろう?連れて出ることは適わねぇぞ」
「これは俺の女なんだが」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。…お前の船の乗組員は二十一名と聞いている。お前らを入れれば一名多い」
「海賊の言うことを信じる奴のほうがおかしいだろうが」
くつくつ
彼は笑い続けた。
「女、お前の店はどこだ?言え」
「…」
男は私に短刀を突きつけながらそう言った。けれど、口を開こうとした私を制するように、私を片手で抱えたままの海賊は、男の短刀を持つ腕を空いたほうの手で素早くつかんだ。
「やめろ。…死にてぇのか」
「この島のルールは守ってもらう。海賊だろうが例外は認められねえ」
「言ったろう?この女は俺のものだ、と」

笑う海賊に、男はギリ…と歯を噛みしめ私の肩の布を掴むとぐい…とそれを乱暴に剥いだ。思わず目を閉じ、けれど、すぐさま発せられた男の息を飲むような声と、相変わらずくつくつと笑う海賊に私は目を開けていた。


「…」


私の肩には花がなかった。
深く深く刻まれていたはずの、白い花。
娼婦であることの証。私に与えられた名前。
驚きで目を丸くしていたのは男だけではない。「え…」。私の顔は思わず歪んだ。


「殺されてぇのか?その手を放してもらおう」


笑う事を止めた海賊は、そして冷酷な瞳で取り囲んだ男たちを睨みつけた。ただの一般人である私にも、その瞳の持つ凄まじい圧力はよくわかった。圧倒的な力の差を示す、殺気すら纏ったそれ。男はその海賊の視線に思わず口をつぐみ、反射のようにして私の服を掴む手を放した。
海賊はまた嗤うと、そんな男たちを押しのけるようにして乗組員の待つ船へと乗り込んだ。私は未だに自分の肩を見つめ続けていた。




青い空に青い海に、潜水艦。
初めての景色と初めての場所に、私はとりあえず前にも言ったここには居られない理由を言い続けるも、海賊はくつりと笑ってやはりそれらをことごとく跳ねつけた。
「迎えに行くと言っても、お前は嫌だとは一言も言わなかったじゃねえか」
そう言われて、私は唇をかんだ。その通りだった。事実…嫌ではなかった。

毎夜海賊の話す未知の世界の話に、好奇心と共それを想像する自分がいた。
見たこともない大きな魚や、乗ったこともない船に思いを馳せる自分もいた。
そして、それらを話す海賊の顔を、ずっと見つめる自分がいた。
人生で一番、肩の花の呪縛に、この島へと縫い付ける鎖のようなそれに、泣きたくなるほどの絶望を感じた自分が…いた。
でもその縛りは消えた。まるで魔法みたいにして。


「…どこへやったの?私の…刺青」
「今夜教えてやるよ」
「…私なんかが外の世界で生きていけるわけない。…私は娼婦よ。穢れてる…。あなたの側にだって…いられるわけが…」
「それは俺が決める事だ」
それに俺の手も血で染まって穢れてる。
海賊はおかしそうにそう言ってやはり取り合わなかった。
「何で…、私なの?」
「言ったろう?お前はしっくりくる女、だと」
「…それだけ?」
「あとは、そうだな。お前が好きだ」
「え!」


晴天の元、日の光の似合わない海賊はその瞬間だけまるで自然な笑みを浮かべた。「そうじゃなきゃ、毎日通わねぇよ」。そう言って少しだけ恥ずかしそうに笑った。
そして海賊は言った。
「お前の本当の名前を教えろ。これからは新しい生活だ」
これからは、今までの事を全部忘れて新しい人生を始めればいい…とそう言った。


「言っておくが、下船は許さねえぞ。強奪が専門の海賊に、花一輪分の代金を支払わせてんだからな」


そう言われて、私はそういえば彼が持っていた一輪の純白の花が、肩の花の刺青同様いつの間にか消えていることに気が付いた。

「あの花はどこへいったの?」
「お前のかわりにあの部屋へ置いてきた」


海賊にしては粋だろ?


そう言って再び見せられた彼の自然な笑顔に、この先の真っ白い未来にまるで光が射しこんだかのように私には見えたから…不思議だった。




彼女の名前はフリージア、だった


「…私は名前」
「よろしく。名前」




フリージア

それは純白、純潔な