たとえば僕が君を好きだとして ※17話後くらい 「どうなってる?」 「かさぶたは無いみたいですから、血は出なかったんでしょうね。あ、でもやっぱり腫れてる」 ひんやりとした指先が髪をかき分け後頭部をやんわりと押した。相当痛かった。 「痛いよ」 「ごめんなさぁい」 「君、楽しんでるだろ」 「ちょっと」 だって私すごく心配したんですからと恨みがましく彼女は言いいながらも、その指先は柔らかに僕の髪をすいていた。 「全然帰って来なくて、帰ってきたら帰ってきたで頭に包帯は巻いてるし、検査服みたいなのをきているし。ああ、でもあの検査服姿はなかなか。だって、ちらちら先生の太股が見えて、着替えてくれるまで私気になって気になって、本当に不健全だったんですもの。まぁ、それはどうだってよくて、だいたい私を連れていってくれなかったこと事態気に食わないんですからね」 今日はよく喋る。言いたいことが次から次へと口をついて出ようとしているのだろう。まったくうるさい姑みたいだ。窓の外を眺めていたら、聞いてます?と後ろ髪を引っ張られた。 「聞いてますとも」 ふざけてそう言うと、お気に召さなかったらしい。より一層不機嫌そうに下唇をつきだした。普段覗かない口内の粘膜がテロテロと光りながら上唇と下唇の間に少しのぞいているのを見て、そこに吸い付きたいとなんとはなしに思った。 「結局君は心配したと言いたいのだろう?」 「わかってるじゃないですか」 薄くも厚くもない唇は意地悪と吐いた。不機嫌顔のままな彼女は殊更丁寧に殴られた辺りの髪をかき上げ、患部に打撲に効くという軟膏を慎ましい手付きで塗り始めた。湿布を貼ったときのような清涼感がある。ふととある言葉が過った。 「愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない」 「太宰治ですか」 「よくできました」 「なんだか本当の先生みたい」 僕のことを先生と呼びながら、本当の先生みたいとは随分おかしな発言である。これでもいちおう美術教師をしたことだってあるのだ。正規ではないが。 「でも先生。愛する行為は結局自分を満たすためなんですよ。だって私、すごく心配で不安だったから、今こうしているのだってそれを伝えたいっていう欲求と、先生を労ってあげたいっていう欲求を満たすためなんですよ。世の中に無償の愛なんてないんです。そう見えるだけ」 「殺伐とした意見だね」 「そうですね」 きゅっと一巻きごとに心地好い締め付け具合で包帯が締められ、まるで職人のように彼女はきっちりと包帯を巻いていく。振り返ると怒られるので、大人しくしていた。包帯を巻きつけるために後ろから抱え込まれるような体勢になる。触れてはいないが数センチ離れた彼女の体温が、香りが伝わる気がして僕ふと、ああ帰ってきたのだと思った。あの時はかなり興奮していたとはいえヘリを墜落させたのは我ながら無茶だった。 「ねぇ、先生」 「何かな?」 「先生が気紛れだろうと愛してくれたから、私にとって私がどれ程価値を持ったか、先生は知らないでしょう?」 震えてもない。鼻声でもない。それでも、彼女は泣いている気がした。 「……だから、怪我しないで下さい。居なくならないで下さい。危ないをことをしないでなんて言わないから」 最後の最後で少しだけ声が震えたのを感じて、僕は咄嗟に振り返り彼女を抱き締めた。巻きかけの包帯が彼女の手から離れてはらはらとほどけていく。けれども大丈夫だとか愛してるだとか気のきいたことは何も言ってやれなくて、また別の太宰の言葉が思い出されて僕は愕然とした。 『人は、本当に愛していれば、 かえって愛の言葉など白々しくて言いたくなくなるものでございます』 配布元:カランコロン様 |