※「虹は七色だと誰が決めた?」の続きです
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委員会が終わり、会議室を後にする生徒達。黒板に書かれた文字を消していたあやめは、何気なく口を開いた。
「志村さん。あなた噂になってるわよ」
「・・・私?」
提出された資料をまとめていた妙が顔を上げる。
「あの志村妙に彼氏ができたー、ですって」
「ああ、それ・・・暇な人が多いのね」
軽く肩を竦めた妙はどうでもよさそうに呟いて、再び手を動かしはじめた。
放課後の会議室には生徒がまばらに残っている。あやめはちらりと視線を動かした。数人と目が合うが、なぜかサッと避けられてしまう。
「あら、ここにも居るみたいよ」
「ん?」
「あなたの噂に興味がある暇人さん達」
別に責めているつもりはなかった。あやめなりに素直な感想を言ったまでなのだが、図星だった生徒達はそそくさと帰る準備をし我先にと出て行ってしまった。
「あらら。私、変なこと言ったかしら」
「そうかもね」
妙が小さく笑う。閉まった扉。差し込む夕日。埃くさい教室に二人きり。
「ねえ、猿飛さん」
作業を続けながら妙が口を開く。
「私に彼氏ができたっていう噂」
「ええ」
「その噂を聞いて・・・どう思った?」
妙と目が合った。あやめは一瞬だけ目を逸らし、ふっと軽く笑う。
「男の趣味悪いなって思ったわね」
「猿飛さんも趣味悪いじゃない」
「あら、銀さんはイイ男よ?あなたの彼氏くんとは違って」
なぜ妙がそんな質問をしたのか。あやめは分かっていたけれど、妙にそれを伝える気はなかった。
綺麗な笑顔の優等生は誰とも付き合わないことで有名だった。サッカー部のエースも生徒会の秀才もモテモテの色男も、彼女は丁寧に頭を下げて断った。
そんな志村妙に彼氏ができたというニュースは瞬く間に学校中を駆け巡った。しかも相手がなんとも地味な男だということも噂に拍車をかけていた。
「志村さん。いるかな?」
遠慮がちに開かれたドア。顔を出したのは黒髪の少年だ。
「山崎くん」
「ごめん、邪魔しちゃったかな」
「ううん、大丈夫」
「そっか。良かった」
山崎はホッとした笑顔を浮かべると、あやめの方に視線を向けた。
「猿飛さんも同じ委員会なんだね。おつかれさま」
「久しぶりね山崎くん。相変わらず地味な顔だこと」
「久々なのにヒドイな!まあ、慣れたけど」
「クラス違うとあんまり会わないわね」
「そうだね」
「同じクラスだったの?」
妙が物珍し気に山崎とあやめを見比べる。
「ええ、1年の時ね」
今はクラスが離れ時々見かける程度だ。通りすがりに挨拶くらいはするが、それも数えるほどだった。
「校内で話題の男に会えて嬉しいわ。有名人になった気分はどう?」
あやめの言葉に山崎が照れたように笑う。
「いやそんな、有名人だなんて」
「難攻不落の志村妙を勝ち取った男って、みんな噂してるじゃない」
「そんなことないよ」
「でも付き合ってるんでしょ?」
「付き合ってるわ」
あやめの問いかけに山崎ではなく妙が応えた。あやめの視線を受け止め、そのまま山崎に顔を向ける。
「ね、山崎くん」
そう言って微笑んだ妙に、山崎は嬉しそうに笑みを返した。
「山崎くんと知り合いだったんだ」
もう少し時間がかかると山崎に告げれば、下で待っていると返された。教室はまた二人だけの空間に戻る。
「同じクラスだったって言ったでしょ。他と比べると、わりと話してた方かも」
資料の整理は終わり、提出物の準備も整った。後は帰るだけなのに、妙もあやめもこの場から動けない。
「どういう男か知ってるから言ったのよ。趣味悪いわねって」
「だから、猿飛さんの方が趣味悪いでしょ」
あやめが妙を視界に捕らえ、ゆっくりと目を細めた。
「・・・ええそうね。そんな気がするわ」
先程は否定した言葉を肯定する。
「こんな強情で薄情な女、趣味が悪すぎるもの。自分にうんざりしてる」
妙は目を伏せ小さく笑った。何も言い返せない。
「本当にアイツが好きなの?」
あやめが妙の顎に触れる。
「・・・そんな意地悪言わないで」
触れる寸前で止まった唇。もう触れ合うわけにはいかない。
足早に廊下を進み、階段をかけ降りる。少しでも遠くに行ってしまいたかった。彼女の匂いが消えない。唇に触れたかった。触れてほしかった。
「志村さん」
辿り着いた先の影が揺れた。妙は足を止め、ゆっくりとそちらに顔を向ける。
「おつかれさま」
「ごめんね、山崎くん」
「走ってきたの?」
「待たせちゃってるから」
「そんなの気にしなくていいのに」
穏やかな笑顔が妙を迎えに来る。
「俺が志村さんと一緒に帰りたいってワガママ言っただけだからさ」
「ワガママって、そんな言い方しなくても」
「いや、ワガママだよ」
人の良さそうな、彼をそんなふうに印象付ける笑顔。
「キミが大好きな猿飛さんと無理やり引き離させちゃったからね」
その笑顔の裏に何が隠されているのか、妙はもう知っている。
「俺が来るまで何してた?またキスしてたの?」
笑みを崩さぬまま、山崎は白い頬に手を伸ばした。一瞬戸惑いを見せた妙だったが、その手をじっと受け入れる。固くて大きな手のひら。あやめの手とは違う。
「あのとき、すごく羨ましかったんだ」
指先が妙の唇をなぞっていく。
「志村さんにキスできる猿飛さんが羨ましかった。俺はできないのに、なんで彼女はできるんだろうってね」
あのとき、あの場所には誰もいないと二人は思っていた。それを信じきって口づけたのは二人のミスだ。男女の戯れなら多少の噂話ですんだのかもしれない。そもそも隠す必要もない。だが二人は違う。妙もあやめも女だった。
「言い触らす気はないよ。志村さんが俺の彼女でいてくれるならね」
山崎が偶然目撃した光景。女同士だとか、そんなことは気にならなかった。ただ、その相手が妙だったことに胸が震えた。歓喜か、それとも絶望か。多分そのどちらもだ。妙に触れることなどできない自分に絶望し、妙の秘密を見つけたことに歓喜した。
「弱みにつけこむみたいで卑怯かなって思ったけど、志村さんの彼氏になれるなら狡く生きてやろうかってね。現にこうやって志村さんの彼氏になれた」
「・・・こんな場所でする話じゃないわ」
「ああ、ごめんね。さっき猿飛さんと二人きりだったからさ」
妙がふっと笑う。
「だから牽制してるの?私が逃げていかないように」
「そうかも」
ここでしか通じない手段で手に入れたもの。この狭い、高校生活という世界から卒業してしまえば足枷はなくなってしまう。期限つきの疑似恋愛。
「俺なんて眼中にないこと知ってるよ。俺だけじゃない、他の男も全部」
妙の目には誰も映っていなかった。いや、映っていないのではない。既にいたのだ。それが同性だったから気付けなかっただけ。
「でもやっと手に入れた。今は半分だけでもいい」
心までは奪えていない。山崎もそれは分かっていた。あるのは志村妙の彼氏という立場だけ。
「志村さん、俺にもキスしてよ。あのときしてたみたいに」
羨ましくて焦がれた光景。淡い恋心が激しい何かに変質してしまうほどの衝撃。
あと何度唇を重ねたら、彼女は恋してくれるのだろうか。
「君が恋をしないから代わりに僕が恋をした」
2014/02/04