「そう言えばって、ついでみてえに書くなよな」
苦笑いを浮かべて。銀時は、すんと鼻を啜った。
◇
「───おっと、こんな時間か」
「お帰りですか」
「あいつらが帰って来る前に飯作ってねえとな。今日は俺が飯当番なんだよ」
銀時はベッドの横にある丸椅子から立ち上がり、かったりぃなあ、と背筋を伸ばす。
「あーそうそう、明日は新八が来るってよ。昼から神楽で、俺は今日の分も働かされる予定」
「お疲れ様です。寒い時期ですから、身体に気を付けて下さいね」
気遣う妙に銀時がほんの少し頬を緩める。
「身体に気を付けるのはお前の方だろーが」
「ふふ。そうでした」
口元に軽く手をあてて、妙がまたふわりと笑った。
◇
「なあ」
「はい?」
「あんま見ないでくんない」
僅かに眉を寄せた銀時は、果物ナイフを林檎にあてたまま視線を上げる。大きな枕を背もたれにしている妙の視線と重なった。
「だからこっち見んなって。剥きにくいだろ」
「あら、邪魔でしたか?」
「いや邪魔っつーか、手が動かしづらいっつーか」
「見てるだけなのに」
「そんなに見られたら手元が狂いそうになんだよ」
「銀さんも緊張するんですね」
「銀さんも人間だからね。おら、いいからむこう向いてろ」
妙はくすくすと笑いながら頷き、銀時とは反対側にある窓に顔を向けた。
白いうなじ。細い首。顎の横で一つに結った黒い髪。
「ちゃんとメシ食ってんのか」
淡々と話す声が妙の耳に響く。しゃりしゃりと皮を剥く音と、甘酸っぱい香り。
「正直に話すと銀さんに怒られちゃうかも」
着物も布団も白いから、毛糸で編まれた肩掛けの柔らかな桃色が綺麗だった。ところどころ毛糸が飛び出したそれは、妙のために神楽が教わりながら一人で編んだもの。
「食えてはいるんだろ」
「ええ。たくさん食べられないだけです」
「今朝は」
「えっと、お味噌汁を少しいただきました」
「おー、味噌汁いいね。俺も朝は新八の味噌汁だったな」
「わあ、いいですね。私も新ちゃんのお味噌汁飲みたいな」
「そ?じゃあ明日持たせておくわ。俺らは仕事で来られねえけど、ババァ達が来るっつってたし」
「本当?嬉しい。明日が楽しみです」
「だからこれ食って元気つけとけ」
ほらよ、と差し出された器を手に取り、妙は綺麗に剥かれた林檎を見る。小さく食べやすいように切られた果物。
「やっぱり銀さんは器用ですね。美味しそう」
「いいから食えって」
「ふふっ、ではいただきます」
白い歯が果肉をしゃくりと裂く。甘くて酸味のある果汁が口一杯に拡がった。
「美味しい」
「そりゃ良かったな」
銀時は手を拭きながら、少しずつ林檎を口にする妙をぼんやり眺める。
◇
「アイツらと下で会ったぜ。また来るってよ」
銀時は扉をそっと閉めた。態度や口調はいつもと変わらないが、ささやかな気遣いは忘れない。
「真選組っつーのは暇なのかね。幹部連中揃ってゾロゾロ来やがって」
「昨日は九ちゃんと柳生の方達もいらしてくれて、なんだか元気を貰っちゃいました」
「うるせーだけだろ」
「今は一人部屋だから賑やかなのは嬉しいです」
「そっか」
慣れた様子でベッドの脇にある丸椅子に座り、サイドテーブルに風呂敷包みを置く。
「ほらよ、新八から差し入れ。食べやすそうなの色々作ったってよ」
「ありがとうございます」
妙は礼を述べながらも僅かに困ったような笑みを浮かべる。
「わーってるって。あんま食えねえんだろ」
銀時が軽く肩を竦めた。
「余ったら俺らが食うし。食費が浮いて作る手間が省けて、一石二鳥だな。だからまあ、食えなくても気にすんな」
それに、と銀時が続ける。
「あいつは、姉ちゃんが受け取ってくれるだけでいいんだよ」
静かな部屋。扉の向こうの喧騒が遠い。
「新ちゃんにありがとうと伝えて下さい」
白い枕に頭を沈めた妙が静かに微笑んだ。銀時は緩慢に頷き、視線を横に流す。
「みんな見舞いに来てるんだってな」
流した視線は、前よりも細くなった頬を辿る。
「定春もお前に会いたがってんだけどよ、さすがにデカいからなー。ここまで連れて来れねえわ」
「大きいですからね」
妙がくすくすと笑う。
「そうだ、良かったら定春くんを外まで連れて来てくれませんか。触れられなくても、せめて一目会いたいです」
「じゃあ連れて来るか。せっかくだから久々に洗ってやろうかね」
「定春くん真っ白になりますね。初雪はまだだから楽しみだな」
「いやあいつ雪じゃねえから」
「寒いだけで雪が降る気配もないし、定春くんがいてくれて良かったわ」
「だからあいつ雪じゃなくて犬だからね。いや正確には犬でもねえけど、あいつ基本的には犬だからね」
だから本物の雪が降るまで待てよ、と。銀時は言わなかった。
「───じゃあそろそろ帰るわ。暖かくして、しっかり休めよ」
銀時は目線を下げたまま無造作に立ち上がり、垂れていたマフラーを巻き直す。
「銀さん」
「はーいよ」
目を伏せたまま適当に返事をすると、視界の中に細い腕が伸びてきた。その手がぎゅうっと銀時の服の裾を掴む。
「銀さんは、依頼をすれば何でも受けてくれますか」
予想外な問いかけに銀時は目を見開くが、すぐに表情を戻す。
「まあ、内容次第だな。金が良くても無理なことなら断るし」
「そうですよね」
睫毛を伏せた妙が苦笑いのようなものを浮かべる。予想していた答えだったのかもしれない。
すみません、と掴んでいた手が落ちる寸前、「受けてやるよ」と銀時が言った。妙が反射的に顔を上げる。
「いいの?」
「まあ、内容次第っつっても選り好みしてたら金になんねえしな。受けてやんよ」
そう言いながら、妙の肩を軽くぽんぽんと叩く。
「というわけで、依頼料はちゃんと払えよ」
「新ちゃんの社員割引使ったら半額になるかしら」
「おねーさん、世の中そんなに甘くねえから」
銀時のきっぱりとした物言いに、妙は肩を揺らして笑った。
◇
夜更け、銀時は扉の前に辿り着く。いつもは人の気配に満ちたこの場所もひっそりとした静寂を保っていた。空調の器械音が響く。
銀時は閉められた扉を無言で見つめ、小さく息を吐いてから扉を開けた。
灯りの消えた部屋の中は月明かりに照らされ、薄暗いながらもよく見渡せる。
「・・・起きてたのか」
「昼間にたくさん寝ましたから。それになんだか気分が良くて、いつもより身体が軽く感じるんです」
「ばーか、気のせいだろ。ちゃんと横になってろ」
静かな室内。コツコツと足音が響く。銀時はいつもの丸椅子に腰掛けた。
「久しぶり」
「ええ。ご心配をおかけしました」
「熱はひいたのか」
「はい。面会謝絶だなんて大袈裟なんですけどね。ただの風邪ですから」
「昨日新八と神楽が来たんだろ?久しぶりに会えたっつってうるせーくらいに喜んでたぞ」
「まあ、うふふ」
口元に手をあてて笑う。華奢な首筋から鎖骨に流れた髪が銀時の視線を誘う。
「依頼、受けにきたぜ」
今夜を指定したのは妙だ。新八が預かってきた手紙に書いてあった。誰にも悟られずに来てほしいという一言を添えて。
「つーかお前からの依頼って大体見当がついてんだけどな」
「あら、そうですか?」
「お前見てりゃ分かるわ」
銀時はふん、と鼻を鳴らして妙を見やる。
「あれだろ?お前の大事なもん、俺が代わりに護ってほしいとかそういうのだろ。分かりやすすぎ」
「まあ・・・本当に分かってるんですね。そうです、一つ目の依頼はそれです」
「一つ目?」
「はい。依頼二つ目、なるべく長生きすること」
「はあ?それが依頼?」
銀時は完全に予想外だと軽く笑う。
「だって長生きしてもらわないと私の依頼を果たせないでしょ?依頼料払うんですから、これくらいの我儘いいですよね」
「へーへー、分かりましたよ」
「それと、」
「まだあんのか?よし分かった、ついでだし全部言っとけ」
「ええ。・・・これが最後です」
妙は真っ直ぐ、銀時を見つめた。優しい眼差しに微かな感情をのせて。
「銀さんも、たまには誰かに護られて下さいね」
静かな室内に祈りのような声が響いた。銀時の唇が僅かに震える。
「私の依頼、忘れちゃ駄目ですよ」
銀時は奥歯をぎりっと噛み締め、深く長く息を吐いた。
「・・・随分な依頼だな」
「依頼、というよりお願いかも」
「なんだそりゃ」
溜息のような笑い声。小さく、だが確実に聞こえた了承の返答に、妙は「ありがとう」と微笑んだ。
「───雪が降りそうですね」
窓が曇る。結露で濡れた硝子が風に軋んだ。
「外は寒そうだわ」
「ここはそうでもねーだろ。お前は布団があるし」
空調設備はあれど、やはり冬の真夜中は冷え込む。雪が降りそうなら尚更だ。身体は暖かいが、銀時の手先は冷たくなっていた。
「銀さん、はい」
「はい?」
布団から差し出された妙の手を見やる。
「なんかくれんの?」
と言いながら、銀時は寒さで先端が冷たくなった手を何気なく妙の手に寄せた。
「ここなら暖かいですよ」
さっと手首を引かれ、布団の中に手を引き込まれる。確かに布団の中は妙の体温で暖かくなっていた。かじかんでいた指先が柔らかさを取り戻していく。
「手だけとはいえ男を布団に引き入れるとは意外と大胆だなお妙さん」
「私だってやるときはやるんですよ」
「それ意味分かってる?」
じんわりと温かくなる指先。いつのまにか銀時は妙の手をとっていた。細くて薄い、自分よりも華奢な手のひら。
「なあ、お妙」
引き結んでいた口元に、ほんの少し笑みがのる。
「俺はな、お前の手をこんなふうに握ることなんざねえだろうって思ってたよ」
握るというにはあまりにもささやかで。
夜が明けるその時まで寄り添うように重なりあっていた。
◇
いくつ季節が巡ったのだろうか。今では見慣れた場所に銀時は立っていた。
「やーっと見つけたわ。これだろ?」
小さな箱を振れば、かさりかさりと音がする。
「もうちっと分かりやすい場所に置いとけよ」
屈むと目線が一気に低くなった。石に刻まれた文字が目の前にある。銀時はそれを視線でなぞり、ふっと手元に視線を落とした。
「新八は依頼のこと知らねえからさ、ぱっつあんが居ない隙にお前の部屋ん中探すの大変だったっつーの」
手の中にある質素な箱。それを開けると中にもう一つ小さな箱が入っていた。外箱とは違い、綺麗に塗装された入れ物だ。
「あー、これか」
黒い入れ物の中には飾りのついた簪が入っていた。見るからに質の良さそうな品物で、高価なものだということが素人目に分かる。
「これって前につけてたよな。ボーナスで買ったとか言ってたろ」
思い出の中で妙が笑っていた。少し得意気な顔で綺麗な髪飾りを自慢している妙と、それを全く興味なさそうに見やる銀時。何でもない光景が、今はとても懐かしい。
「気に入ってたんだろ?大切にしてえから特別なときにしかつけねえつってたじゃん。それを俺にくれてどーすんの」
口元に薄い笑みを浮かべて、簪を手のひらに乗せた。繊細な造りの簪は妙によく似合っていた。
「これが依頼料っつったってさ、自分じゃ使えねえし質に入れるのも後味悪いし、どうにもできねえんですけど」
銀時は苦笑いを浮かべたまま短く息を吐く。
「でもまあ、お前の依頼と。あとお願いとやらを忘れねえように俺が預かっとくわ」
なるべく丁寧に箱へと戻し、文字の刻まれた石の前に置く。
「んで、これは読んでいいんだよな?」
そう言って銀時が袖の下から白い封筒を取り出した。二人で会ったあの夜、帰り際に妙から渡されたものだ。今ではなく、できれば依頼料を受け取った時に読んで欲しいと言われていた。
銀時は微かに目を細め、視線を紙の上へ滑らせる。妙から初めて文を貰ったのはあの時だ。文という程のものではなかったが、今でも心に残っている。あれからどれほどの月日が流れたのだろうか。
綴られた文字が銀時に話しかけてくる。
穏やかに吹き抜ける風に花びらが揺れた。決して絶えることのない花が彼女の生き方を偲ばせる。
「──相変わらず、かわいくねー女だな」
手紙がかさりと震えたのは風のせいか、それとも。
閉じた瞼の下から零れた滴が、優しく綴られた文字を滲ませた。
追伸:そう言えばあなたが大好きです
2014/02/01