2929アンケ記念! | ナノ



「おはよー」

挨拶と同時に妙の肩に置かれた神威の手。

「おはようございます」

その手を妙はにっこり笑って払い落とした。
まだ柔らかな日差しが、澄んだ空気を震わせる。

「痛いなぁ」

言葉とはうらはらに神威の表情は先ほどと変わらず飄々としたもの。口元には僅かに笑みを浮かべていた。

「あら、あれくらいで痛みを感じるの?」
「あれくらいって・・・」

と言いかけて神威は口をつぐんだ。
確かにそうだ。妙の肩に手をかけ、その手を勢いよく払い落されて。
でも、その程度の動きなら気の動きを読み簡単に避けることができるし、たとえ避けなかったとしても、こんなふうに痛みに顔をしかめることもないのだ。

痛い?

神威の表情が微かに変わった。しかし本当に微かだったので神威本人すら気付かない変化。

「ねえ、何かした?」

神威は手のひらに視線を落としながら妙に訊ねた。

「何かって、貴方の手を払い落としただけですよ」
「そうだよね」

当然の答えに神威も同意する。妙の言うとおりだ。
ではなぜ痛みを感じたのだろうか。あんなもの、攻撃のうちにも入らないのに。


鳥の鳴き声が聞こえ、妙は空を確認する。先ほどより太陽が昇っていた。新八はもう朝食を作り終えたかもしれない。回覧板を届けるだけなのに、帰りが遅くなっては無用な心配をさせてしまう。
妙は空から神威に視線を移した。
他のことに気をとられている今なら、このまま去ることも容易いだろう。

「じゃあ私はこれで」

軽い挨拶を残し、その場を離れるつもりだった。

「帰らないでよ」

だが、神威は横を通りすぎようとした妙の腕を素早く掴み引き止める。

「ダメだよ。まだ話してるのに」
「私は貴方と話したいことはありませんよ」
「俺はあるの」
「私はありません」
「頑固だね」
「貴方も」

穏やかな言葉の応酬に妙が苦笑を浮かべる。

「何の御用ですか」

妙が諦めたように神威に向き直った。どうにも彼の無邪気な様子に強くでられない。それは弟をもつ姉の性分なのかもしれなかった。

妙がこの変わった少年に出会ったのはつい最近だ。
こんなふうに懐かれたのは偶然が重なった結果だったのかもしれないが、本当の理由は分からない。
雨でもないのに傘をさす姿は誰かを思い出させた。きっと彼と彼女は近しい間柄なのだろうと思っていたのだが、妙がそれを口にすることはなかったし、神威が自分の素性を話すこともなかった。
妙は神威を知らなかった。
あどけない顔立ちと言葉遣いは幼さを感じさせるが、実際の年齢は知らない。普段なにをしているのかも知らない。それはきっと神威も同じで、彼も妙を知らなかった。
二人の関係は平行線だ。
神威の気が向いたとき、こうやってふらりと妙の前に姿を現し、二人はとりとめのない話しをする。そしてまた音もなく、気配すら残さず神威は消えるのだ。

「何かお話があるのでしょう?早くおっしゃって下さいな」
「んー」

いつになく歯切れの悪い様子で神威は首をひねる。呼び止めたものの、何かを言いあぐねているようだ。
そして妙と自分の手のひらを見比べること数回。

「俺を殴ってみてよ」

朝の挨拶を交わしたときと同じような表情で、神威は唐突に言い放った。
その言葉に妙が目を丸くする。元々大きな瞳が吸いこまれそうなほど拡がった。

「・・・貴方を?」
「そーそー。顔でも腹でもどこでもいーよ」

妙の腕を強く引き、自分の前に立たせる。

「ほら、さっきみたいに殴ってみて」
「何を言って・・・」

妙は神威を見つめたまま眉をひそめた。
どこの世界に自ら殴られようとする男がいるのだろうか。例えいたとしても、神威はそういった類いの男ではないはずだ。神威のことをよく知らない妙だってそれくらいのことは分かる。
彼は根っからの破壊者だ。無邪気で裏表のない、純粋な。

「あ、でも急所を狙うのは止めてね。その気はなくてもやり返してしまうから」
「やり返されてたまるもんですか」
「あはは、だよねー」

軽い口調に誤魔化されそうになるが神威は本気らしく、何度も殴れと言った。まるで抱っこをせがむ幼子のようだ。
ある意味彼は子どもなのだろうと妙は思った。
強くて賢いが、子どもなのだ。

「殴りませんよ」
「えー」
「文句を言っても駄目」
「俺なら痛くないって」
「貴方の心配なんてしてないわ。私の手が痛むから嫌なの」

手をヒラヒラと振り、花のような優しげな笑顔を神威に向けた。
一瞬呆けた神威だったが、すぐにその瞳に色が戻る。
口角がニィっとつり上がった。

「じゃあ、俺がなにをしても抵抗しないでね」

妙が意識をしたときには手を掴まれていた。
力を込めていないように見えるのに、抵抗することすら諦めてしまうほどの強さを感じる。

「綺麗な手だね」

妙の薄い手のひらを楽しげに眺め、そして不意に顔を近付けた。

「・・・味はない、かな」

赤い舌が笑顔の奧に隠れる。
驚愕の視線を神威に向けたまま、妙が信じられないというように首を振った。

「貴方はいつもこうなの?」

その言葉の意味が分からず首を掲げた神威だが、掴んだままの妙の手を見て「ああ、そういうこと」と呟いた。

「どうかな。気付いたら舐めてたから。俺もビックリ」
「驚いたのは私よ」

神威が声を殺して笑う。

「でも、舐めたいと思ったのは初めてだよ」
「私も、手のひらを舐められたのは初めてです」

そう言って、妙は微笑むつもりだった。
しかし、笑みは中途半端な形のまま止まり、そのまま跡形もなく消えていく。

「俺も初めてなんだ。殺し合い以外で気になる人間って」

研ぎ澄まされた殺意の切っ先を向けられた気がした。
なんの躊躇もなく殺意を抱ける男なのだと分かっていたのに。
笑みを剥ぎ落とした妙の身体が緊張感で強張った。

「いつか殺したくなるのかなあ」

しかし、神威の鋭い感情はどろりと溶けていく。
殺意だと思っていたものは違うなにかだった。
彼が女に興味がある男ならば、それがすぐに劣情に駆られた欲なのだと分かる。
しかし神威は女に興味があるわけではない。
たまたま妙が女だったというだけだ。組み敷いて身体の自由を奪い犯そうだなんて思っていない。そういうことには興味がない。
では、この腹の奥で燻ぶる熱は何なのだろうか。

「ここを裂いて皮を剥げば分かるのかな」

喉から胸元まで指先でなぞる。そして心臓に突き刺すように、とん、と胸を突いた。

「鼓動が早いね。呼吸が浅くなってる」

青ざめた妙が唇を噛み締めたのを見て、神威は喉の奥で笑った。
細い首、華奢な身体。握りしめただけで骨を砕いてしまいそうだ。
大した力も技ももたない、弱くて脆い、殺す価値も意味もない女。
なのに、と神威が妙を見据える。

「アンタといると分からないことだらけだ」

強さがすべて。
そういう種族に生まれ、そういう世界で生きてきた。
では、この人間の女に対する感情はどこから生まれ、どこへ往こうとしているのだろうか。
執着か、戯れか。
それとも別のなにかか。

「アンタのすべてが知りたいんだ」

弧を描く瞳の奥で、けだものが呻いていた。



「火を付けたのは貴方です」
2010.08.25

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