睨めっこでもしているような状態を続けて早一時間。
「――今日は止めとく?」
ふあ、と欠伸をした俺は正座したまま身動き一つしない女を眺めた。
女は薄く白い襦袢を身にまとい、小綺麗な和室に敷かれた布団の上で正座をしている。
女の名前は妙。
俺の嫁さん。
「お前だって、そっちの方がいーんじゃね」
寝不足や疲れにより少々擦れてしまった俺の声に、妙はびくんと跳ねるように体を揺らした。
普段の暴れっぷりなど欠片も感じられない、どこか心許ない態度が新鮮だ。こういうのも悪くない。別に言わねーけど。
「今日はさ、体休めりゃいいじゃん」
そう言って俺は色気もクソもない欠伸をする。このまま布団に倒れ込めば数秒で眠ってしまいそうだった。慣れない格好でどんちゃん騒ぎをすれば疲れるのも当然だろう。
もう一度欠伸をしたあと、俺は小さく座り込んでいる妙を瞳に映した。
今日、俺と妙は祝言をあげた。
場所は恒道館。道場には色んな奴らが集まり、ついでに呼んでねえ奴まで現れやがって、いつも通り騒がしいながらも楽しいひと時を過ごしたのだ。うるさい連中に囲まれるなか、妙の白無垢姿を視界に入れるたびに沸き起こる青臭い感情がむず痒かった。
こうして俺と妙は夫婦となったが、互いに恋心がいつ芽生えたのか分からないまま恋を自覚し恋人関係をすっ飛ばして結婚したため、恋人らしい行為はほぼ皆無だった。妙から待ってと言われたのだ。式が終わるまで待ってくれ、と。
その約束の日が今日だ。
今日だけ神楽も新八もお登勢のところに泊り、俺たちは二人きりの夜を過ごしている。準備は万端、俺の準備も万端。だが、妙の覚悟が決まらない。出口が見えなくて迷子になった子どもみてえな顔をして黙りこんでいる。正直そんな状況でも勃つもん勃つが、無理矢理なんてサカリのついた犬みてぇなまねはしない。これでも大人だ。
「今日で最後ってワケじゃねーし、また今度でいいんじゃね」
そう、今日が最後ってわけじゃない。嫌なこと無理にやったって気持ちよくなんねえだろうし、俺も後味悪いし。
しかし俺の軽い言葉に妙が小さく首を振る。
「今日が最後です」
「え!?マジで!?」
思った以上にデカい声が出てしまった。妙に軽く睨まれ、慌てて口元に手をあて塞ぐ。意味ねーけど落ち着くには充分だ。
「ちょ……マジで?マジで言ってんの?」
ひそひそ話のように顔を寄せて尋ねる。
「何がですか」
「や、だから最後って…」
「最後でしょう?」
妙の眉間に皺が寄る。怒っているというより照れているため若干そっけない口調だ。
「お前、生涯一度きりのつもりかよ」
「生涯一度きりでしょ。・・・初夜は」
小さな小さな声で照れくさそうに発せられた言葉。
「初めての夜は、一度しかないじゃない」
震える睫毛、乾いた唇、赤くなった首筋を順に目で追い確かめる。
なんだこれ。なんなんだこれ。体中がぞわぞわする。
「今日が……銀さんとの初めての夜だから……だから、今日がいいんです」
困ったように、でも幸せそうに、しっとりと艶やかに笑う。
カッと胸が熱くなった。
「銀さん?」
突然下を向いて黙り込んだ俺を覗きこむ妙。
肌に触れた指先から伝わる体温。
欲情した。
自分の中にこんなにも獣じみた感情があったことに感動すらしてしまうほど、目の前の女に欲情した。
生温い性行為じゃ物足りない。
性器を擦り合わせるだけじゃ食い足りないほどに。
刹那、短い悲鳴が室内に響いた。
強引に押し倒した華奢な身体が布団に沈む。
予想だにしていなかったのだろう、妙は抵抗らしい抵抗もしないまま俺に組み敷かれた。両手首を掴み、布団に縫い付け動きを封じる。仰向けに倒れた妙の腹に跨り、抵抗する気が失せるくらい身動き一つ取れなくした。
「なあ」
身体を折って顔を近付ける。
目線を下げると乱れた襟元から柔らかそうな膨らみが見えた。手のひらにすっぽり収まりそうな乳房。それにしゃぶりつきたくてたまらなかった。唾液で濡らし、舌先で転がし、かじりつきたい。声が聴きたい。
見られていることに気付いたらしい妙が身体を捩ろうとする。しかし俺に押さえ付けられた身体は思うように動かず、ただ身に纏う襦袢がずれただけだった。余計に開いた襟元。妙が口惜しそうに唇を噛む。その仕草が欲を助長させるとも知らずに。
「なあ、お妙」
妙の顔が色を失っていく。血の気が引くという言葉そのままに、白い肌が更に白くなっていった。
ああそうか怖いよな。俺のことが怖いんだよな。
「お前さ、餅好き?」
随分と気の抜けた声だと自分でも思った。妙もそう思ったらしい。零れ落ちそうだった涙は引っ込み、その大きな目ん玉をくるりと動かし俺を見る。
「餅だよ餅。好きか」
「は、はい」
「じゃあ朝飯、餅な。俺が汁粉作ってやるよ」
「え?」
「めでたい時は餅だとか言ってばばあが山ほど持ってきたんだよ。日持ちするからって言ったってやっぱ早めに食ったほうがいいだろ」
「それで、お汁粉を・・・?」
「疲れたときは甘いもんが良いって言うし。俺もうクタクタなのよ」
下から見上げてくる視線が揺れていた。不安と安堵が入り混じったような色。
「銀さん」
「なに」
「何も・・・しないの?」
「・・・・・この状況で分かんない?」
組み敷いた妙の鼻先に顔を近付ける。
「抱こうと思えばいつでも抱けんの」
妙の喉がひくりと動く。
「お前が嫌だと思ってたって関係ない。こんなふうに抑えつけて股開かせて濡らして挿れて。な、意外と簡単だろ?」
何でもないような顔をしてじりじりと顔を近付ける。妙は条件反射のように顎を引き、両目をぎゅっと閉じた。
俺は動きを止めその顔を眺めた。また青臭い感情が沸き起こり、胸の辺りがむず痒くなっていく。自然と口元が緩んだ俺は妙の眉間の皺めがけフッと息を吹き掛けた。
「簡単だけど、俺は嫌」
おそるおそる開かれた両目に、見慣れた自分の顔が映っていた。
「この状況で据え膳食わないなんて勿体ねぇことしたかねーけどさ。お前がただの女ならセックスして気持ち良かったねでいいけどさ」
そりゃ気持ちいいことは大好きだけど。でも、
「でもな違うだろ。お前はお妙で、俺の嫁さんだろ」
眉間に残る皺のあとを親指の腹で擦ってやる。折角の美人が台無しだ。
「だから、今日はこのまま寝て、明日は俺が朝飯を作ってやるんだよ。お前がお妙だから。意味分かる?」
片方だけ口の端をあげて尋ねてみても、妙は何も言わないまま。
「え、なに?お前ビビってんの?」
わざと馬鹿にするように言ってやった。こうやれば妙のことだ、いつものように嫌味の一つでも言い返すだろう。
しかし、そう思っていた俺の読みはハズレる。
妙は怒らなかった。
その代わり、じいっと俺を見つめていた。真っ直ぐに、まばたきを繰り返しながら。
そして、妙は不意に甘ったるい笑みを浮かべた。砂糖を溶かして塗りたくったような甘い甘い顔。
俺のことが好きなのだと、その顔が告げていた。
俺は思わず顔をしかめてしまった。
腹の底でたぎったままの熱が噴き出しそうになり、その衝動を必死で堪える。
「あー、もう寝ようぜ」
俺は妙の上から降りると散らばった枕を掴み、ぽんと妙の顔に向けて投げた。
「んっ、銀さん!」
「はいはい話は明日ね、明日。おやすみー」
言葉を遮り、妙の横にごろんと寝転がった。布団は一組しか敷いていないのだから当然一緒に寝ることになる。惚れた女と同じ布団に入っても手を出せないなんて一体なんの修業だ。拷問だ。でも仕方ない。我慢するしかない。自分がそう言ったのだから。
妙は体を起こし俺を見ていたのだが、やはり疲れていたのだろう、「おやすみなさい、銀さん」と言って俺の隣に横たわった。
あれからどれくらい経ったのだろうか。
俺は頬杖をついて隣の女を眺めていた。
うっすらと唇を開いて、ガキみたいな顔をして寝てる女の名前は坂田妙。俺の嫁さん。
俺とは反対に穏やかな寝息をたて、余程疲れていたのか身動き一つせず深い眠りに落ちている。いくら結婚したからって無防備すぎだろ。正直な話、俺の息子は元気一杯なんだけど。
なんとなく妙の鼻をつまんで引っ張ってみると、うーんと唸りながら嫌そうに首を振る。その様子がおかしくて、俺はプッと吹き出した。
「――明日はチュウくらいしような」
つまんでいた指を頬に滑らせ、一方的に寝てる妙と約束を交わす。
柔い頬を指先で擦りながら、俺はゆっくりと瞼を閉じた。
「拝啓、人を不眠症に陥らせやがったこんちきしょう様」
2010.05.14