「ああ、ちょうど良かった」
たまた通りかかったスナックお登勢の前で、妙はその店の主であるお登勢に呼び止められた。
「呼び止めちまって悪いね」
「いえ、大丈夫です。私になにかご用ですか?」
「まあ、たいしたことじゃないんだけどね」
これ、と写真が差し出される。
「この男、見たことあるだろ」
「あ、この方ですか?はい、あります。お会いしたこともあります」
爽やかな顔立ちの真面目そうな男。一度だけ妙の店に仕事仲間と訪れたことがある。妙が接したのは僅かな時間だったが、綺麗な酒の飲み方をしていたのよく覚えていた。
「実はアンタを紹介してほしいって頼まれてね」
「え・・・私をですか?」
意外だったのか、大きな目を丸くした妙にお登勢が笑う。
「そんなに意外かい?アンタとお近づきになりたい男なんて山ほどいるよ。ただ、ガードが固いからね。なかなか近づけないって話さ」
だからこそ、妙を紹介してほしいと言ってくる男が後を絶たないのだ。
「アンタの周りにはガード役がわんさかいるからね」
「え?」
「いや、こっちの話しさ」
にやっと笑って煙草をふかす。妙の周りには弟を筆頭に、妙に近付く男に目を光らせてる奴らが居るのだ。そんじょそこらの男では近づけないだろう。
「悪くない男だったから引き受けちまったけど、難しく考えることはないよ。今すぐどうにかなれって言ってるんじゃないし、向こうさんもそんなこと思っちゃいない。ただ、もう少し話してみたいってだけさ」
「そうですね・・・」
困ったように写真を見つめる妙。相変わらず色恋沙汰は苦手のようだ。それが真面目で真剣であればあるほど。
「まあ、これはまだ私が預かっとくよ。アンタを困らせるつもりはなかったんだが、これも親心ってやつかね。私も面倒なバアさんになったもんだよ」
妙から写真を返してもらい、それを袂にしまう。
「私から上手く言っとくから、アンタは気にしなくていいよ。会ったときも知らなかったことにしていいから。軽く話し相手にでもなってやっとくれ」
「すみません、お登勢さん。お力になれなくて」
申し訳なさそうな妙の肩をポンと叩く。
「今時間はあるかい?良かったら少し話し相手になってもらえないかい」
妙が罪悪感を感じるようなことではないのだ。そういう気持ちで店に誘えば、妙が「はい」と微笑んだ。
お登勢の後をついて店に足を踏み入れる。開店前の店内は薄暗く、人気もなかった。
「キャサリンさんとたまさんは」
「まだ店を開けるには早いからね。たまは買い出し、キャサリンならもう少ししたら来るんじゃないかい」
お登勢はカウンターの灯りをつけ、「ここで待っとくれ」と奥に入っていった。誰もいない店の中は静まり返っている。妙は荷物を足元に置くと、カウンターの椅子に腰をおろした。飲み屋で働いてはいるが、妙自身が客としてこのような店に来ることは滅多にない。物珍しくて、つい辺りを見回していた。
「何か面白いもんでもあったかい」
「あ、いえ。お客さんの立場でこういうお店に行くことはないから珍しくて」
「仕事とプライベートは別物だからね。アンタの場合、好きで始めた仕事じゃないだろうし」
はい、と置かれたグラスには飲みものが注がれている。酒じゃないよと一言添えたお登勢に礼を告げ、妙はグラスに手を伸ばした。
「───でも、今は嫌々やってるわけじゃないですよ」
最初はそうだったかもしれない。言葉の端々にそれがでていたかもしれない。けれど今は違う。あそこで得たものもたくさんあるのだ。
グラスを傾ける妙を見やり、、お登勢は煙草に火をつけた。
「そんなこと分かってるよ」
ふう、と白い煙を細く吐き出す。
「アンタは立派にやってる。同じ飲み屋の女としてそう思うよ」
普通に生きていれば縁のない女だったろう。落ちぶれたとはいえ育ちの良い女が一大決心をして夜の世界に飛び込んだのだ。戸惑うことも多かっただろうが腐らずに働き、そして今がある。
「お登勢さんにそう言ってもらえると嬉しいな」
ふわりと笑った顔には言葉通りの嬉しさが滲みだしていて、お登勢はその眩しさに目を細めた。
『娘のような』
2015/10/24