ああ、そうか。頭がおかしいのだ。
「やっと理解ができました。そういうことだったんですね」
妙は晴々とした顔で頷く。そう思えば話は簡単だった。
「お酒の飲み過ぎですか?頭が働かなくなるまで深酒するからおかしくなるんですよ」
吐きそう、とうずくまった男の背中に手を添える。近くによれば強いアルコール臭。
「家まで我慢できますか」
「・・・まてよ」
「動くのはツラいですか。なら、」
「そうじゃねえよ。ちょっと黙れ」
辛そうな声は変わらずで、男は低く唸る。いつもの口調だが声は弱々しく小さい。大丈夫か、と声をかけたかったが、黙れと言われた手前それもできず、妙はそっと背中を撫で続けた。
「───酔った勢いじゃねえからな」
不意に聞こえた声に妙は手を止める。俯いたままで聞こえづらいが、その言葉はするりと耳に入り込む。
「酔っても言わねえよこんなこと。こんな、めんどくせーこと」
ああ、やはり頭がおかしいのだ。この人がこんなことを言うはずがないのに。
妙は何も言わずに背を撫でる。
男の広い背中をぼんやりと眺めながら。
目に入ったのはいつもの天井。いつ寝たんだっけ、なんて思ったり、頭の痛みに呻いたり。
「具合はいかがですか」
一瞬ぽかんとして、一気に目が覚めた。ありえない位置に見知った女の顔があった。お前なんでそこにいんの?
「あなたがここに居るからでしょ」
声に出ていたらしい疑問に妙が応えてくれたが、寝起きと酔いで頭が上手く回らない。
うーん、と呻いて髪を掻こうとしたところで気付いた。近すぎる妙との距離とか、見上げた角度とか、体温とか。
「膝枕とかするキャラだっけ、お前」
頭の下にある妙の脚を指差せば、軽く笑われる。
「時と場合によりますよ」
「その結果がこれ?」
「覚えてないんですか?」
そう問われて、思わず口をつぐんでしまった。このありえない状況は自分がしでかした事なのだろうか。
「今って何時」
「真夜中ですよ」
「ああ、そう」
「神楽ちゃんはもう寝てます。定春くんも」
そうだった。飲みに行ったのは神楽達が寝てからで、そこで酔い潰れたのだ。
「お前なんで居んの?」
膝枕のまま見上げると、妙は僅かに目元を和らげて笑った。その笑顔に、なぜか安堵のようなものが見える。
「本当に覚えてないんですね」
妙が簡単に説明してくれた話は、確かに記憶の中にあった。俺が飲み屋街の路地でうずくまっていたこととか、たまたまそこを通りかかった妙がタクシーを拾って連れて帰ってきてくれたこととか。
「迷惑かけたみてえだな」
「そうですね。お酒は程々にしてくださいね」
「あー・・・そうだな」
適当に返事をしたのがバレたのか、妙が呆れたように小さく笑ったのが分かった。
さすがにこのままじゃ色々と問題あるだろうと、腹に力をいれて身体を起こす。
「よっ、と」
「いきなり起きて大丈夫ですか」
「大丈夫、」
と言いかけたところで頭がくらりとした。マジか、と額に手を当てて俯き呻いていると隣の気配が動いた。
「無理しないで下さいね」
背中が温かい。その温かさに心当たりがある。こんなこと前にあったな、そういえば。
「銀さん、どうですか。吐きそう?」
「吐きそうっつーか」
「違うの?」
「なんか急に思い出したかも」
「え?」
顔を上げれば、やはり近くに妙の顔があった。瞳が揺れているのは気のせいだろうか。それとも。
「なんかめんどくせーこと言ったよな、お前に」
明らかに動揺した顔が記憶の正しさを肯定する。そのついでに自分のやらかしたことを思い出して、人ごとのように鼻で笑った。
「あれ、どうしよっか」
酔っぱらいの戯れ言ですましてやるのが良いのかもしれない。
でも、ほんのりと頬を赤らめた妙を見てしまえば、そんな気も吹っ飛んでしまった。
『膝枕』
2015/10/11