08/01 うっかり流された姉上(誰かと姉上と新八)
ちょっと困ったふうだったのは覚えている。新八が出かける姉を見送った時のことだ。
少し出かけてくる、遅くはならないと新八に告げ、姉は手早く出かける用意を済ませていた。
久しぶりの仕事休みを利用し、部屋の掃除をしていた新八は玄関に赴き姉を見送る。まだ午前中。こんな早くに何の用で出かけるのかと気にならないわけではない。自分は自他共に認めるシスコンだから、新八は特に深く考えるまでもなく姉に訊ねた。
「何の用事ですか」
ゆっくり姉弟水入らずで過ごしたいと言ったのは姉の妙の方だ。なのにわざわざ出かけるなんて。
「何の用事かしらね」
草履に足を通した妙が振り返る。
「すぐに帰るわ」
妙は少し困ったふうに笑っていた。
「ただいま」
と、妙が帰って来たのは本当にすぐだった。昼は一人分でいいのかなと考えていたが、どうやら一緒に食べられるらしい。
「新ちゃんとお昼が食べたかったから急いで帰って来ちゃった」
帰って来るなりそう言った妙に新八の顔が綻んだ。やっぱり自分との時間を大切に思ってくれていたのだと単純に嬉しく思う。他人にシスコン呼ばわりされようと、そう思ってしまうのは仕方ない。
二人で台所に立ち、昼食の準備をする。こうやって並んで立つのも久しぶりだ。
「そういえば何の用事だったんですか。早かったですよね」
冷や麦を茹でながら、皿の準備をする姉に訊ねた。
「そうねえ、話はすぐに終わったし」
妙は硝子の涼しげな器を戸棚の奥から取り出す。
「話?・・・あ、じゃあ用事って誰かと逢っていたんですか」
「ええ。お客さん」
「お客さん・・・」
男か、と新八は内心面白くない。
「近藤さん、じゃないですよね」
「ふふ、違うわよ」
姉が言った名前は、確か何度が姉の口から出たことのある名前だった。直接会ったことはないが、姉から聞くその人は良い印象だったのを覚えている。
「その人と、その、デートだったんですか」
姉の生活に口出しする気はないが、なんとなく気に入らない。多分、誰が相手でも気に入らない。
「デートかしら。少し話をしただけよ」
「それだけ?」
「今日は新ちゃんが休みだから、早く帰りたかったし」
いつもと変わらない姉の様子に新八はホッとした。これなら多分、本当に話をしただけなのだろう。たまたま近くに来たから姉を誘って話しをしただけ。相手はもしかしたら食事くらい行きたかったかもしれないが、姉は弟である新八を選んだのだ。そう思えば新八の気分はたやすく浮上する。
「話しただけなんて、相手の方、がっかりしたんじゃないですか」
機嫌良く鍋の中を菜箸でかき回す。
「でもお付き合いすることにしたから、すごく嬉しそうだったわ」
「あーそりゃ嬉しいですよね。なんせお付き合い・・・お付き合い!?」
新八が弾かれたように姉を見る。
「あ、ああ姉上!?お付き合いってまさか、お付き合いってあのっ」
「新ちゃん!お鍋!」
「鍋?なべ、あっやばい!!」
吹き零れている鍋に気付き、慌てて火を止める。間一髪間に合って安堵する。しかし今は麺より姉だ。
「あのっ姉上!」
「大丈夫?火傷はしてない?新ちゃんったら、火を使ってる時に余所見しちゃダメでしょ」
「それはごめんなさい。火傷は大丈夫です。そそそんなことより姉上!!お付き合いってまさか、そのお客さんと付き合うってことですか」
「そうなるかしら」
料理なんて手の付かない新八に代わり、妙が鍋からザルに麺を移す。
「でも私ね、付き合うって正直よく分からないの」
冷水で麺を洗いながら、妙はふふっと笑った。
「今日もね、またその話かって困ってたのよ」
だからあんなふうに笑っていたのかと思い返す。
「困るってことは、その人のこと好きじゃないんじゃないですか?」
「好きは好きよ。新ちゃんも神楽ちゃんも、みんな好き。でも好きって色んな種類があるから、あの人に対する好きがどれだか分からないの」
ちゃっちゃっと水をきって、硝子の器に冷や麦を移していく。氷のような透明感が目に涼しい。
「そう言ったらね、それでいいから付き合ってほしいって。どの好きか分かるまで絶対に手を出したりしないから、友人でも客でもなくて恋人にして下さいって。そう言われたの」
「それで・・・了承したんですか」
「最初は断ったんだけどね。何回も言われてると、なんかそれでいいのかなって思っちゃって」
呆然と佇む新八に、妙はふわりと笑いかける。
「うっかり流されて付き合いますって言っちゃった」
はい、出来上がり。と綺麗に盛り付けられた冷や麦は、盆にのせられ居間へと運ばれていく。
妙が付き合う。
お客さんと付き合う。
しかもその動機が───。
妙の衝撃発言に呆然と立ち尽くしていた新八は、ハッと我に返った。
「・・・うっかり流されたってなんだよ!!!」
妙の交際宣言は妙のうっかりから始まったらしい。ならばこうしてはいられない。うっかり流されてしまった姉をがっちり取り戻すため、新八は妙の後を追いかけた。まずは腹ごしらえからだ。
終わる