ヅラパート | ナノ


 タイムマシンの壊し方(桂+山崎)

この、感情のよめない声に山崎が起こされたのは何度目だろうか。
というか気付いただけ俺偉いな、と山崎は思う。
なぜならその声は窓の向こう、ベランダの下から聞こえているからだ。
やっと迎えた休日を満喫するつもりの山崎だったが、この声の主を無視することはできなかった。
自分の体温と同じ温もりをもった布団から這い出て転がるように窓へと向かう。そして、カーテンの隙間から漏れた光に目を細めながら鍵に手をかけ窓を開けた。

「なんか用ですかー」

寝呆けた頭に突き刺さる日差し。夏でもないのに太陽が主張しすぎだなぁ、などとぼんやり思いつつ髪を無造作に掻き上げた。

「用があるから呼んだのだ」

アパートの裏にある庭のど真ん中で仁王立ちしているのは管理人の桂。遮るものが手すりしかないのでベランダから庭がよく見える。
逆に庭からもベランダがよく見えるので、桂と山崎は直接顔を合わせるより庭とベランダに分かれて会話することが多かった。

「寝ていたのか?」
「そりゃ寝てますよ。日曜の七時は寝てますよ。妙ちゃんや神楽ちゃん達も寝てるでしょ」

山崎がベランダの手すりに体ごと寄りかかりながら隣を指差す。確かに山崎の隣にある四つの窓のカーテンは閉まったままだ。

「そのようだな」
「そのようだなって」
「他の子らはゆっくり寝ていてもらってかまわないだろ。俺が呼んだのはお前だけだ」
「そうですね。俺だけでした。・・・それで、どうしたんですか?」

だらしなく手すりに体をあずけた山崎は眠い目をこすりながら階下にいる桂を見やる。

「これだ」

唐突に、桂が手に持っていた物を高らか突き出した。
何かが風にそよいでいる。
揺れるそれに焦点があったとき、山崎は「あっ」と小さく叫んだ。

「あー、また落ちちゃってましたか」
「ああ。また落ちちゃってたな」
「いつもすみません。ちなみに今日はなんすか?」
「パンツだ」
「それはホントに・・・すみません」

言葉に詰まった山崎が申し訳なさそうに頭を下げた。
自室のベランダに干すとなぜか桂のベランダに着地してしまう山崎の洗濯物。
あまりに落ちてしまうので気をつけているのだが、気付けばいつも落ちてしまっているのだ。

「洗濯バサミでしっかり挟んでるんですけどねー」

そう言いながら手すりから上半身を乗り出し手を伸ばす。ベランダの下から投げるなりしてもらえれば二階でも受け取れそうだ。
しかし桂といえばその場から一歩も動こうとはせず、それを握り締めたまま山崎をじっと見つめていた。無表情なので感情が読めない。

「桂さん?」

山崎が訝しげに呼び掛ける。いつもなら呆れた口調で注意の一つでもしつつ手渡してくれる桂。しかし今日は感じが違う。いつも以上に絡みにくい。

「桂さん。どうしたんですか?」
「山崎。これはどういう意味だ」

そう言って桂はパンツ広げた。自分のパンツを他人から見せ付けられことになるとは思わなかった。

「どういう、意味?」
「ここだ」

一般的なトランクス型のパンツには裾の辺りラインがあり、桂はその裾のラインを指差す。山崎はある事を思い出した。あれはラインではない。文字だ。

『ここだけはヅラじゃありません』

桂がその文字を無表情で読み上げる。そしてベランダの手すりに寄りかかる山崎を見据えて、言った。

「山崎。これは、桂という名前ながらヅラと呼ばれてしまう俺を憐れんだお前からのメッセージだと見受けたが実際はどうなんだ」
「んなわけねーでしょうが!!」

山崎が苦笑いを浮かべながら大きな声で否定した。どこの世界にメッセージをパンツにこめて伝える男がいるのだ。あまりにも突拍子のない発想に何だか笑ってしまう。
笑うと新鮮な空気が体中を駆け巡るのか、先程より思考がはっきりとしてきた。

「それ、バレンタインデーに会社の女の子達からもらったんですよ」

山崎は笑みを浮かべたまま手すりに頬杖をつく。

「チョコとね、一緒に入ってたんですよ。同じ袋に」

そうなのだ。同じ部署の女の子達から「山崎くーん」と笑いを噛み殺した声で渡されたのがこれ。「面白かったから」という一方的かつ乱暴な理由でこのパンツとオマケ程度のチョコをもらったのだ。

「俺にはそれでしたけど、伊東さんには箱入りの高そうなチョコでしたからね」

多分伊東へのチョコのついでに購入したのだろう。山崎と伊東を天秤にかけ、伊東が圧勝したのが分かる。

「それは随分とあからさまだな」
「あれだけあからさまだと逆に清々しいですよ」

山崎が首を掻きながら笑った。
その日は顔に似合わず甘党な上司の機嫌も良く、同じく超甘党な先輩もチョコにありつけたらしく上機嫌だったため、久方ぶりに胃の痛まない1日を過ごすことができたのだ。
帰宅後は妙や神楽、それになぜか桂からもチョコを貰え、なんとも楽しいバレンタインデーだったのを覚えている。あんなパンツだってありがたいに決まってる。

腕組みをしながら山崎の話を聴いていた桂が目を伏せた。
大きく一度頷いたあと、また視線を山崎に向ける。

「つまりあれは俺に対してのメッセージではないということだな」
「ないない、ないです。パンツにメッセージこめるくらいなら直接言いますって。それにあれって下ネタだし」

山崎がひらひらと手を振ったのを見て、桂はもう一度頷いた。



「しかしなんで落ちるかな」

当たり前のように落ちていく洗濯物。干し方を工夫したりしているのだが効果はない。

「高校のとき部活で色々やってたんで家事はわりと得意なんですけどね」

そう言いながら山崎は物干し竿に触れる。これも異常なしだ。

「部活動はバドミントンをやっていたと聞いていたが、それとは違うのか」

山崎の言葉を不思議に思ったらしい。普段ならあまり詮索をしてこない桂だが、気になり思わず訊いてしまったのだろう。

「ああ、掛け持ちしてたんですよ。というか、無理矢理引きずり込まれたという方が正しいですけど」
「その、家事をするという部活にか」
「そうです。男ばかりで」

可笑しいでしょ、と山崎が苦笑いを浮かべる。

「顧問の先生の個人的な理由でつくられた部でしたから活動も不定期で。なんか娘さんが将来苦労しないためとか言ってたなー」
「変わった先生だな」
「そうですね。サングラスかけたまま授業をして、それが当り前に感じるような先生でしたからね」

思い出せば思い出すほど変な部で変な顧問だった。娘が苦労しないために何故あんな部をつくったのか未だに謎だ。
だからって嫌な思い出ではない。それは多分、他の部員も同じではないだろうかと山崎は思う。

「俺以外もみんな掛け持ちでやってましたね。剣道部とか野球部とか。で、放課後みんなでアイロンがけしたり料理作ったり雑巾縫ったりしてて」
「男ばかりでか」
「そりゃ男子校ですし。今は共学になってますけど」
「そういえばあそこは昔男子校だったな」
「俺が卒業したあとですよ。共学になったのは」

懐かしの母校も変わってしまっていた。あの頃の学校はもう記憶の中にしか存在しないのだ。

「副部長やってた先輩が恐かったなー。顔が良いから怒ると余計に迫力があったんですよ」

男ばかりで家事をやる部活動なんてあり得ないと嘆いていた高校生の自分。バドミントンの合間を縫っての活動は大変だったが、しかし意外と楽しんでいる自分もいた。

「その先輩とやらも家事をやっていたのか?」
「もちろん。基本的に器用な人だったんでみんなのお手本でしたよ。でも、生クリームにマヨネーズを混ぜたりするから部長に文句言われたりして。たまに変なことするんですよね」

話せば話すほど思い出が溢れてくる。卒業してから一度も思い出さなかったことまで。忘れていたと思っていた記憶が限りがない波のように寄せてくる。
山崎は眩しさに目を細めながら空を仰いだ。

「あの頃はずっとこの時間が続くんだろうなって思ってたけど。でも、意外とあっけなく終わるもんですね」

乾いた空気に静かな声は溶けて消えていく。

「高校時代ってもっと大きなもんだと思ってたのに。終わりがあっけなさすぎて思い出すことすら忘れてた」

日々の慌ただしさと共に薄れていく思い出。今日思い出さなければ自分はいつまで忘れたままだったのだろう。山崎の問いに答えはでない。

「忘れてしまったのなら思い出せばいい。また忘れたのならもう一度思い出せ。何年経とうと思い出は色褪せないものだからな」

桂も山崎と同じように青色を瞳に映していた。

「・・・今頃みんな、何してるんですかねえ」
「さあな。意外と近くにいるかもしれんぞ」
「ハハハ、そうですね」

そう言って笑った山崎の声が青色の空に吸い込まれていった。





「なんか朝から語っちゃいましたねー」
「語ったのはお前だけだ」
「まあそうですけど」
「そんなとこで寝呆けてないで早く顔を洗え」

山崎にそう告げると桂は背を向けて歩き始めた。休みだった山崎を朝早く起こしたのは桂なのだが、それはあまり関係ないらしい。

「あ、桂さん!」
「なんだ」

呼ばれて、立ち去りかけていた桂が振り返る。

「あの、パンツは」
「―――ああ、これか。そうだな、取りに来い」
「えー」

不満げな声をあげた山崎だが、桂が自分のパンツを庭の木の枝にかけたのを見て溜め息を吐く。

「自分が朝早く呼んでおいてさ・・・」

ブツブツと愚痴るが仕方がないと諦め、手すりから怠い体を起こした。

突如、静かなアパートに響き渡る音が鼓膜を揺らす。
続けて話し声、笑い声、男の子と女の子の声。
モノクロの世界が徐々に色付いていく。

離れた場所に立つ桂と山崎は無言のまま顔を見合わせ、そしてどちらからともなく笑った。

「みんな起きたみたいですね」
「そうだな。・・・今日は久しぶりにみなで食事でもするか」
「お、いいっすね。じゃあ昼は桂さんとこに集合って伝えときますよ」
「ああ頼む。それと山崎。食事までにアレを回収しておけ」
「アレ?あ、パンツ!やばい、急がないとっ」

あの頃も楽しかったけれど、あの頃とは違う毎日。
これが今の日常だった。
思い出は過去にだけあるのではなく、今この瞬間も思い出として心に降り積もっていた。
いつの間にか高くなっていた太陽。どこかの部屋のドアが開く音がする。この場所がいつもの賑やかさに包まれるまでもうすぐだ。




「タイムマシンの壊し方」
title/模倣坂心中
2010.05.18
戻る
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -