溶けてしまいそうな暑さ。夏の日差し、白い雲、ぬるい潮風。
 なんと! 今年の夏のはじまりにふさわしい完璧な日なのだろう。ただ一つ、私が誘拐されている、ということを除けば。


「ねぇ!! せめてコンビニ寄らせてってば!! 焼ける! 焼けてる! 日焼けする!」
「わーったよ。次コンビニ見つけたら一回止めてやるから」

 大きな排気音を鳴らしながらバイクは海岸沿いを走っていく。竜胆の背中にしがみつきながらもうどれくらいの時間が経過しただろうか。左手には大きな海原。空と海が透けるような青で濃淡を描いている。海が近づくにつれて段々と風が強くなり、Tシャツはぱたぱたとはためいて気持ちがよさそうだ。首筋には汗が滲み、きらきらと光る。私はヘルメットの隙間から流れる汗を右手で拭った。無防備な私の身体は灼熱の日光に晒され続け、喉はもうカラカラだ。

「暑いからついでにアイスもおごって」
「百円以下限定な」
「ガリガリくんしか買えないじゃん。けち」

 そう言いながら竜胆の頭に生息する生意気な襟足をぐいっと引っ張った。

「いってぇなオマエ、今運転中!」

 ジロリと竜胆が後ろを向いた拍子に一瞬バイクがふらついた。私はびっくりして今度は背中をバシンと思いっきり叩いた。

「ぎゃー!! 後ろ向かないでよ! 脇見運転禁止!」

 というかジロリと睨み返してやりたいのはこちらの方である。


 事の始まりは一本の電話からだった。
 今朝、いきなり「そのままでいいから出てこい」と言われたところまではよかった。ビーサンをぺたぺた鳴らしながらマンションの下におりるとバイクに跨る竜胆が待ち構えていた。それから「ちょっとそこまで」とヘルメットを投げて寄越した。私はその「ちょっとそこまで」をまんまと信じ、ここまで連れ去られてしまったのだ。
 どこまで行くのかという問いかけは華麗にスルーされ道路をひたすら走った。家を離れ高速を飛ばし、自宅は沿岸とは程遠い遥か彼方。人を騙くらかして遠くに連れ去る行為。そのような行為を人は誘拐と呼ぶのである。
 しばらくの後、遠くに海岸線が見えた時点で私は全てを諦めたのだった。


 百メートルほど進んだところにコンビニを見つけ、私たちはそこへ入ることに決めた。入口付近から冷気が漂い久しぶりに生きた心地がした。私は店内を物色し、竜胆の持っているかごにプレミアムカルピスと一番高いアネッサの日焼け止めを突っ込み最後にガリガリ君を入れた。アイスについてはちゃんとガリガリくんをセレクトしたのでノープロブレムだ。次々突っ込まれる品物に一瞬渋い顔をされたものの、ここまで勝手に連れてきた負い目も多少あるのか何も言わずに全ておごってくれた。一応おごってもらったことのお礼を伝え、コンビニを後にする。
 コンビニを出た瞬間、私は少しだけがっかりした。というのも出る前にドアガラスに映った私の姿がなんともいえない風貌だったからだ。すっぴんビーサンにアディダスの短パン。そしてこの前竜胆がお土産に買ってきたTシャツを着ている。Tシャツには愛羅武寿司とプリントされていて意味がわからない。そして限りなくダサい。このお土産を受け取った時、相当嫌な顔をしたのだが竜胆は大事にしろよとニヤニヤしていた。いや、お土産のことはまぁいい。とにかく、本当に「ちょっとそこまで」という装いで遠出をしてしまいなんとなく居心地がわるいのだ。
 店先の影になっているスペースに立ち止まった竜胆の隣に並び、アイスの袋を破った。だだっ広い駐車場の隅っこに座り込んでいる、地元ヤンキーたちの視線をじわじわ浴びながら私はアイスを頬張る。竜胆はたばこに火をつけて青空に雲みたいな煙をぷかぷかと吐き出した。
 その後、二人で駐車場へ向かいバイクを置いた。竜胆はアクエリを、私はカルピスを片手に海までのアスファルトをぷらぷら歩く。土手を越えると再び海が見えた。風のせいか波はうねり大きな音を立てている。夏真っ盛りだというのに人はそこまで多くなく、どことなく寂れた印象を受けた。波打ち際まで寄っていくと家族連れやカップルがそれぞれテントを張り夏を満喫している。
 私たちは童心に帰って足を波に遊ばせながら水平線を眺めたり、水を掛け合ったりして他の人々と同じように過ごした。しかしながら、愛羅武寿司のすっぴん女といかつい刺青を袖から露出させている金髪青メッシュの派手髪男。周りからは変な組み合わせだと思われていることだろう。
 私だってそう思う。竜胆はなぜか私に構ってくれることが多い。けれど多分それは珍獣を扱うのが楽しいとかそういうしょうもない理由なのだろう。それに、竜胆は私がどういう想いを抱いているかなんて気付いてすらいない。

 海の家で購入したシートを砂浜に引いて忘れていた日焼け止めを塗る。舞い上がった砂が汗に張り付いて肌に砂を塗り込めるような作業だ。それが終わるとごろりと横になった。太陽は中天へ昇り強い光が眼に刺さる。手でひさしを作って空を眺めた。視界の中は青一色。雲が一つもない。

「なんかさ、青いとこずーっと見てると吸い込まれちゃいそう」
「オマエそういうこというキャラだっけ?」
「うっさいなぁ、だって他にやること無いじゃん。事前に言ってくれたら水着とかテントとかお弁当とか色々用意したり出来たしさぁ」

 私はむくれながら抗議した。

「オマエの水着とか誰得だよ」

 竜胆はそう言って鼻で笑うと、シャツの襟で汗を拭い隣にごろりと横たわった。人を誘拐した挙句、ひどい言いようである。

「得する人は確かにいないけど……褒めてくれる人はいたし。九割お世辞だと思うけど」
「はぁ? それ男?」
「うん。男の子だよ」
「どこのどいつ?」

 やたらとぐいぐいくるなぁ。不思議に思い、竜胆へ顔を向けると何故か小難しい顔をしていた。

「甥っ子だよ。この前家族旅行でプール行ったとき」

 呑気にそう答えると、大きなため息が聞こえた。

「はぁ〜、なんだよ」
「なんだよってなんだし。 あ、それで思い出した。竜胆にお土産買ってきたんだよ。愛羅武寿司のお返し」
「お、なに? 愛羅武焼肉とか?」
「そんなわけあるか。置物だよ。超かっこいい金の昇り龍」

 私は胸を張って答えた。金の昇り龍といえば全国津々浦々の土産物屋に鎮座するアレである。絶対にいらないお土産ランキングの上位に名前を連ねていそうな金ピカの置物。目には目をではないが、ダサいものにはダサいものをという理論で報復のつもりで購入した。けれども、持ち帰るのに無駄に嵩張ったので買ったことを少々後悔している。

「……イラネー」
「ひど。せっかく買ってきたのに。コレちゃんと着てるんだから、竜胆も部屋の一番目立つところに置いてよね。運気も良くなりそうだし」
「じゃぁオマエ持ってこいよ。オレの部屋に」
「はいはい……ってそれはダメでしょ」

 だって竜胆がお土産のTシャツ買ってくれた旅行、彼女と行ってたんじゃないの? 竜胆は所詮私だからなんとも思わないかもしれないけれど、彼女持ちの男の家に一人で上がり込むほど無神経ではないのだ。私はそこでハッとした。

「ねぇ、いいの? 私と二人で海になんかきて」
「何が?」
「だって今彼女、いるでしょ?」

 好きな人に、こういう確認するのって地味に心が抉られる。わかっていても嫌なものは嫌なのだ。

「何勘違いしてるかわかんねぇけど今いねぇよ。この前の旅行も野郎ばっか」

 オマエの土産、寿司にするかすき焼きにするかめちゃくちゃ悩んだんだぜ? 兄貴がすき焼きも悪くねェとか言い出すから。と至極どうでもいいエピソードが始まった。私はそれを聞いて安心し、苦笑いした。けれど、それも束の間

「つか、もうやめた。適当な付き合いすんの」
「え、なんで?」
「本命できたから」

 きっぱりと言った竜胆の横顔は相変わらずかっこいい。そして、その顔があまりに真剣だから私は小さく唇を噛んだ。いつまでも届きそうで届かない距離に甘んじているしかない自分の立ち位置を再認識させられる。私は視線をそっと外した。

「ははっ。ついに竜胆くんも本物の愛に目覚めちゃったかー!」

 茶化すように言ってペットボトルの中身を飲み干した。酷く喉が、渇いている。

「そーそー、だから土産持ってくるついでにオレの話聞けよ」

 ざわりと波風が立つ。竜胆のせいで私の心は瞬く間ににうねり出す。そんな話まったく聞きたくないけれど、上手く言葉が導き出せなくて

「……あぁ、うん」

 と曖昧に答えるのが精一杯だった。
 なんかバカみたいだなぁ。急だけど、今日一緒に過ごせよかったなとか、竜胆の家に行ける予定ができて嬉しいなとかそんな気持ちが一気に塗り変わってしまった。
 そろそろ帰ろう。起き上がる前に、私は何気なく訊ねた。

「そういやさ、今日いきなりここまで連れてきてなんだったの?」
「別に。……いや違ェな。なんか暇だなと思ったらオマエに会いたくなった」
「は?」
「会いにいったらオレのあげたTシャツ律儀に着ててかわいいなって思った。だからそのまま誘拐した」

 竜胆は身体を起こすと私を見下ろした。視界の青が消える。そして垂れめがちな目をゆったりと細めた。
 視線が交錯し、波の音が揺れる。海風が私たちの間を吹き抜けていった。その拍子に竜胆の熱と想いが心臓をするっと撫でていったような気がして動揺した。

「……なに、それ? 新手の告白?」
「そうとってもらっていいけど?」

 屈託なく言い切られ、私の心はぐわんと揺さぶられた。体温がたちまち上昇する。熱い、暑すぎる。

「ねぇ竜胆。……もしかして、私のこと、好き?」
「ははっ、すげぇ好き」

 溶けてしまいそうなほど暑い夏は、私の知らない熱を未だに孕んでいた。この熱の行きつく先を、私はまだ知らない。




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