「竜胆はさ、なんで彼女つくらないの?」
「はぁ?」

 今この場所でそんな話するか?と半ば呆れたような顔で、パンを千切る手も止まっていた。
 それもそうだ。昼下がり、たまたま近くまで来たからと連絡を受けた私は財布と携帯という最低限の装備でそこそこ高級なイタリアンレストランに呼び出された。インスタから飛び出てきたような女性客のひしめくオフィス街のレストランで、アフター5の女子会で交わされるような会話を突然振られたら、そんな顔をするのはごもっともだった。

「だから、なんで彼女作らないの?なんだかんだずっといないじゃん」
「そういうのはタイミングとか色々あんだろ」

 パスタをフォークに巻きつけながら、お前だってずっといねぇだろ。と余計な一言が追加された。

「私の場合は作らないんじゃなくて、蘭さんに対して一途なんですぅ」

 私が彼氏を作れない理由なんて、この話を散々っぱらしている竜胆が一番よくわかってるだろうに。
 そう、私は彼の兄である灰谷蘭さんに恋をしている。詳しいことはよくわからないけれど、ある組織の傘下にあるこの会社は主に竜胆が面倒を見ているらしく、中途入社した私は採用の頃から色々と目をかけてもらっていた。会社自体は闇金、サラ金といったアングラ仕事がメインだが一緒に働いている人は気さくで面倒見もよく、居心地がいい所が気に入っている。竜胆とは歳も近いこともあって友達のようなフランクな関係になってから随分になる。蘭さんに初めて出会ったのも竜胆にちょっかいをかけにオフィスへと遊びにきた時だったと思う。

 とあるボタンの掛け違いで、私が敵対組織−詳しくは教えてもらえなかった−というものに拉致されてしまった時、最初に助けに来てくれたのが蘭さんだった。パニック状態の私を助けるときに発砲を受けてしまったのに、私を労うと圧倒的な強さで悪い人たちをねじ伏せて行く彼に、不謹慎ながら私の心は根こそぎ持っていかれてしまった。幸い弾は脇腹を掠った程度で大事には至らなかったけれど、あの時の辛そうでいて色っぽいというなんとも形容し難い蘭さんの表情は今でもハッキリと思い出せる。

「マジで兄貴はねーわ」
「いや、大アリのアリでしょ」

 会う度、会う度この前見かけた蘭さんのどこがかっこよかったかを語り続ける私に竜胆は心底うんざりしているようだった。蘭さんの使っている香水を特定して、ベッドに吹きかけたという話をしたら流石にキモいと一蹴されてしまったけれど、なんだかんだ話を聞いてくれるから本当に良い奴だと思う。

「私のことはいいんだって。ねぇ、竜胆はどんな子がタイプなの?」
「タイプっていうタイプは特にねぇな」
「好きになった子がタイプってやつ?」
「さぁな」
「適当にはぐらかさないでよ。可哀想な竜胆君のために誰か紹介してあげよっか?」

 これは名案とばかりに飲みかけたジュースのストローを差し置いて前のめりになる。さして顔が広いわけでもないけれど、森ガール風の可愛い子からラウンジ系の強め美人まで友達の幅は広い。誰かしらお眼鏡にかなう子はいそうだよ?と素晴らしい提案をしたのにも関わらず竜胆はため息をついて、

「そういう無駄な気遣いはいらねーよ」

 と、無表情で食後のコーヒーに手をかけた。結局彼女を作らない理由も好きなタイプも聞き出せなくて、こう薄皮一枚で己を隠すのが上手いというかなんというか。竜胆の本心なんてちっとも見えやしない。

「なーんだ。じゃぁ理想のデートとかないの?」

 友人たちと恋バナで盛り上がる事もご無沙汰で竜胆相手についつい盛り上がってしまう。質問を投げかけておきながら私の口も止まらない。

「私はドライブがいいな〜。お洒落なカフェでランチして、この後どこ巡るかなんて話合ってさ。最後は見晴らしの良い海の砂浜で告白されたい!」
「死ぬ程ベタだな」
「ベタなのがいいんじゃん。じゃぁ、どんなのがいいの?」

 あー、とかうーんとか軽く唸りながら出した答えは結局私と同じで、

「俺も車運転するの嫌いじゃねぇからドライブだな」
「わかる。助手席と運転席って距離感も近くていいよね。あー、蘭さんの車の助手席とか死ぬ前に一回位乗ってみたいなぁ」

 蘭さんのピカピカに磨き上げられた高級外車に乗り込む私という妄想劇場を繰り広げようとするや否や、向かいから聞こえてきたのは、この場にそぐわない重たいため息だった。

「つか、お前もそろそろいい加減兄貴のこと諦めろよ。一生嫁に行けなくなんぞ」

 何が気に障ったのか珍しく刺々しい竜胆の言葉に、周囲の温度がわずかに下降した。私は手慰みに弄っていた空のグラスを傍に追いやって不愉快です、という表情を全面に押し出した。

「そんなの余計なお世話だよ」

 年頃の女性に嫁に行けなくなるなんて甚だ失礼極まりないし、改めて言われなくてもわかってる。蘭さんには何年も付き合っているとんでもなく美人の彼女がいることも、その裏で色んな女の人をとっかえひっかえしている事も。


 ある日、私は蘭さん言ったことがある。

「めんどくさい女にもならないし、一晩だけもいいんです」

 たまたま一緒になった飲み会の帰り、酔った勢いで駅まで送ってくれた蘭さんの腕を縋るような思いで引いた。けれども、

「アイツに怒られるから無理だわ」

 そう言って頭をポンポンと優しく撫でると、そのまま改札まで見送ってくれた。
 架空の"アイツ"を隠れ蓑に断られた。優しい嘘は蘭さんなりの気遣いなんだろう。でも私は一晩の相手も務まらないような女なんだって、そう思うと悲しくて、電車の中で声を押し殺して泣いた。この話はさすがに恥ずかしくて竜胆には出来なかった。


「このまま振り向いてもらえない相手に無駄な時間使う必要ねーだろ」

 渋い表情から発せられる言葉はボディブローのように効いてくる。どうしてこんな雰囲気になってしまったんだろう。いつもは話半分な彼が、滅多に無い空気で諦めろなんて言うから、改めてこの気持ちにけりをつけなくてはいけないような心持ちになってしまう。表情の読めない竜胆の目には不貞腐れたような私が映っていて、周りの喧騒もすっかり耳に入らなくなってしまった。

「そんなの言われなくてもわかってるよ」
「わかってねーだろ」

 なぜだか追い討ちをかけられて、私もいよいよ言葉を詰まらせる。今日の竜胆は意地悪だ。セフレにもなれない、告白も出来ない、八方塞がりで自分の気持ちにも正直ウンザリしていた。私の拙い恋心なんてこうして彼に話して発散させるくらいしか行き場がなかったのに、竜胆にまでそんなことを言われてしまうといよいよ限界だった。耐えようとした涙はみるみるうちに目に膜を張ってはらはらと頬を滑り落ちる。濃紺のランチョンマットに涙の跡がポツリポツリと出来上がる。
 竜胆はギョッとして慌ててポケットからハンカチを取り出した。

「悪かった」

 バツの悪そうな表情で差し出されたそれを、緩く首を振りながら素直に受け取った。後から後から流れてくる涙をその上質な布で受け止める。
 
「わかってる。蘭さんのこといつまでも好きでいたってしょうがないって。でも、どうにもならないんだもん」

 しばしの沈黙の後、私はポツリと答えた。竜胆もこれ以上私を傷つけないよう、次に言う言葉を丁寧に探しているようだった。

「うまく言えねーけど、諦める努力も大事なんじゃねーの?」
「諦める……努力?」
「他に目ぇ向けてみるとか、すぐってワケにはいかねーだろうけど。目の前にもイイ男いるしな」
 
 形のいいたれ目を更に細め、向かいの男は笑っていた。竜胆に泣かされたのに励まされてめちゃくちゃで、珍しい冗談まで言うもんだから私も釣られてふふっと笑いが溢れてしまった。
 もう、そろそろ潮時なのかもしれない。心のどこかで不毛な恋心に見切りをつけなきゃいけないって思っていたけれど、ちょうどいいきっかけを竜胆が与えてくれたと思うことにした。
 私は泣き止んで、

「もう、蘭さんの話はしないよ」

 そう宣言した。
 涙と鼻水でぐずぐずになった顔をスマホで軽く確認するとそろそろ出よっかと腰を上げる。それでも竜胆は中々席をたたなかった。不思議に思いながらもなんとなく置いていく気にもなれず、13時を告げる時計をぼんやり眺めていた。

「そういや名前、今週の土日空いてんの?」
「今週?……特に予定は無いけど」

 竜胆は口を一度開きかけてつぐみ、また口を開いた。

「じゃぁ土曜日空けとけよ。ちゃんと見晴らしの良い砂浜に降りられる格好でな」

 そう言って、机の伝票をさっと掴むと早足に店の外へと向かって行ってしまった。
 今、あの男はなんて言った?
 彼の残していった言葉が頭の中でぐるぐるとメリーゴーランドのように巡っている。どうしようとドキドキという変な感情が混ざり合って私はしばらくその場から縫い止められたように動けなくなってしまった。

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