もう日常は訪れない


「三郎ーっ!アンタまた私の顔をして仙蔵くんに悪戯したでしょ!?」
「悪戯って程じゃないだろ?ただ水ぶっかけただけだし。」
「立派な悪戯だ!そのせいで見てほら、この頭のたんこぶ!」
「おお、今日はまた見事に殴られたな。」
「あんたのお陰で生傷絶えないんだけどね!」

たんこぶに切り傷に青痣に、数えだしたら本当にキリがない。それもこれも三郎の悪戯に悪戯に、自分の不運に悪戯に…。やっぱり不運にだけど。この世界に来てもう2年は経つけど、元の世界にいた時よりも格段に怪我する回数は上がっていると思う

「あれ、もしかして夢ちゃんまた怪我してるの?」
「い、いいい伊作くん!?」

三郎を一発ぶん殴らないと気が済まない。その思いでやっと三郎を壁際に追い詰めたと思ったのに、後から今は誰よりも会いたくない人の声に、私の振りかぶった腕はピタリと止まった。ギギギと油の足りないブリキみたいな音を立てながら首を後ろに回せば、そこには雷蔵に匹敵するだろう笑顔を振りまく伊作くん。だけどその目が一切笑ってないのが、更に私を縮こまらせた

「僕言ったよね?次また傷作ってきたら、保健室に監禁だって。」
「……せめて軟禁にしてくれないでしょうか?」
「そういう問題!?」

黙れ三郎。今の私にはそんな問題こそ死活問題なのだから!ちょっと黙ってろ!

「でもほら、私いなかったら事務の仕事どうするの!?」
「それなら鉢屋がするから大丈夫でしょ。」
「え、何で私!?」

だから少し黙っててくれ三郎。どうしよう伊作くん完璧に怒ってらっしゃるじゃないか。この状態の伊作くんを落ち着かせるのは、確実に私じゃ役不足だ。こんな時に頼りになる人といったら

「どうした伊作?」
「ナイス留さぁーん!」

助けて助けて助けて助けて助けて!そんなオーラを踏んだんに込めた視線を投げつければ、留さんは今の現状を瞬時に理解してくれて苦笑した。流石ですお父さん

「まぁ、鉢屋もいるってことは今度の怪我は夢のせいじゃないんだろ?」
「全て三郎の責任です。」
「お前、そこちょっとはオブラートに包めよ。」
「黙れ変人。軽々しく横文字使うな。」
「言ったなお前、ちょっと面貸せや。」

三郎と2人でギリギリと睨み合っていれば「落ち着け。」と留さんが間に入ってきた

「とりあえず鉢屋は夢に謝れ。そんで、夢は怪我には気をつけろ。伊作も今回は見逃してやれ。」
「…と、留さん…。」

留さんの優しさに涙が出そうになった。何だか久しぶりに優しさに触れた気がするぞ。いつも忍たまやくのいち一達には悪戯されたり、容赦なく叩かれたり、ご飯のおかず取られたり、落とし穴に落とされたり。あれ、これ確実に私って女の子扱いされてないよね…。それでも大切にしてくれてるってのは相変わらず感じてるんだけどね。ごく稀にね、本当に月に数えるか数えられないかくらいのごく稀になんだけどね

「…分かったよ。だけど、本当に怪我だけには気をつけてね夢ちゃん。」
「気をつけます。」
「ほら、鉢屋も言うことあるだろ?」
「ごめんね!」
「雷蔵スマイルで言うとこが反省してない証拠だけどね。もういいよ。」

とりあえず保健室監禁から逃れられたことが、今の私にとって大きな収穫だ。そして三郎のことはお大目に見てやろうという私、何て寛大なんだろう

「あー!」

なんて自分の寛大さに満足していると、後から盛大な叫び声と共に「夢ちゃん!」と名前を呼ばれた

「また髪の毛痛んでるじゃん!昨日ちゃんと髪の毛乾かしたの!?」
「……タ、タカ丸くん…。」
「僕、あれだけ言ったでしょ!?夜はちゃんと乾かして梳かして寝てねって!」
「…昨日は色々と忙しくて…。」
「言い訳しない!」
「はい…。」

タカ丸くんは「仕方ないなぁ…。」と零し、何処から出したのかトリートメント道具と櫛を取り出して、私の髪の毛を梳かし始めた

「すぐに終わるから、じっとしててね!」
「はーい。」
「はは、丁度良かったな夢!髪の毛だけじゃなくて、捻くれた性格も真っすぐにしてもらったらどうだ?」
「三郎、あんたこそちょっと面貸せや。」
「夢ちゃん動かない!」
「は、はい…。」

動けない分、視線だけでにやにやと笑い続ける三郎を睨み付ける。またギリギリと睨み合いが始まり、それに留さんと伊作くんが苦笑していると、長屋から出てきた八と雷蔵と兵助と勘右衛門が、此方に駆け寄ってきた

「三郎と夢さんはまた喧嘩か?」
「そうだろうね。2人とも顔を合わせればすぐに喧嘩するんだから。」
「まぁ、でも喧嘩する程仲が良いとも言うだろ?」
「じゃあ2人は仲良しなんだ。」

いやいやいや三郎と私が仲が良い訳がない、これって犬猿の仲って言うんじゃないの!?きっと今の私は確実に顔が引きつっているし、隣の三郎を見れば私と同じ様な顔をしていた。何か、それはそれで凄ーく腹立たしいんだけど…。てか雷蔵の顔でそんな、生ゴミを見る様な顔すんな!

「八、雷蔵、兵助に勘右衛門!変なこと言わないでよ!」
「そうだぞ!私とコイツの仲が良いなんて、兵助が他人に豆腐をあげるくらい有り得ない!」
「そうか。それは絶対に無いな。」
「そこで納得すんなよ兵助!」

何か一揆に騒がしくなってきた。折角のお昼休みなのに、休めるものも休めなかったなぁ…と思いながら、タカ丸くんに髪の毛を預けたままぼーっとしていると、お腹にドスっという鈍い音と激しい鈍痛

「ぐえっ!」
「お前はもっと女の子らしい声、出せないのかよ。」

黙れ三郎。そんな声すらも出せない程に痛かった。視界の端では「大丈夫、夢さん!?」と慌てている雷蔵がいる。同じ顔のくせに、どうしてこんなにも性格が違うんだ!?性格さえも変装してみせろよ変人。ちらりと痛みの原因を作った物体を見れば、未だに私のお腹に顔を埋めたまま動かない

「喜八郎…、口から内臓出るかと思ったんだけど…。」
「そしたら私が引っ込めてあげます。」
「…ありがとう。」

「綾部、それは医学的に無理なことでね…」とかそんな理論的な話をしている伊作くんを、とりあえずこの場では無視することにする。喜八郎は私のお腹にぐりぐりと顔を埋めていく。最近、お腹気になるから埋めて欲しくないんだけどなぁ…とか考えていると喜八郎がポツリと呟いた

「夢さんのお腹、柔らかいですね。」

とりあえず頭に1つたんこぶを作ってあげることにした。だけど、やっぱり可哀想で殴ったとこを丁寧に撫でて上げれば、喜八郎はまた頭をお腹に埋めていた

「はい、トリートメント完了!これからはちゃんと髪の毛大事にしてよ?」
「ありがとうタカ丸くん。」
「どういたしまして。」

喜八郎の頭をぐりぐりと撫でている間に、タカ丸くんのトリートメントは終わったらしい。なるほど、さっきとは打って変わっての髪の毛のサラサラ感。これが噂のタカ丸クオリティ。髪の毛に指を絡ませて滑らせてを繰り返していると、ふと太陽の位置がだいぶ傾いていることに気付いた

「大変!私そろそろ仕事に戻らなきゃ!」
「もうそんな時間?私たちも授業に行かなくちゃね。」

日の傾き具合から、もお昼休みの時間はそんなに残っていないはずだ。私は皆に別れを言って、急いで事務室へ戻ろうとした。けど

「きゃああ!誰か助けてー!」

行き成り頭上から聞こえてきた甲高い叫び声。驚いて空を見上げれば、なんと女の子が1人こちらへ向かって真っ逆さまに落ちているではないか

「留さん!」
「分かってる!伊作!後ろで俺のフォローを!」
「分かった!」

私はもう何が何だか意味が分からなくてパニック状態だったのに、この一瞬の内に状況判断をし、彼女を受け止める体制に入った留さんに伊作くん。さすが、最上級生だ…

「いやああっ!」
「……っ!」

そして気づいたときには、彼女は留さんの腕の中にいて、伊作くんも珍しく不運なんか発揮せずに、後ろへ倒れこみそうになった留さんを支えていた

「大丈夫ですか!?」
「…たた…だ、大丈夫…ですっ。」

空から落ちてきた彼女に目立った外傷は無く、戸惑いながらもそう答えた。そこでやっと私は、彼女と周り見渡した。彼女は真っ白く透き通った肌に、艶のある黒い髪の毛、鈴のようなコロコロとした声色に、ふっくらとした唇。そして…かつて私も袖を通したセーラー服を着ていて

「貴女に怪我がなくて良かった。」
「立てますか?良ければ、お手をどうぞ。」
「ちょ、兵助!抜け駆けすんなよ!」

頬を赤く染め、もう彼女しか見えてない彼らがそこにはいた


もう日常は訪れない
(予感がしたんだ きっとこの子は私の全てを簡単に攫っていくって)
back